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9月21日(木)、加藤紘一が会長を務める交通安全議連の会合がありました。飲酒運転取締り強化で毎日のように報道に触れるこの頃ですので、今回はこの議連の活動について、加藤紘一よりご報告をさせていただきます。 私は10年ほど前から、自民党の交通安全議連の会長を務めています。当時、自治大臣を終えたばかりの白川勝彦さんに「この議連の根回しをしてきましたので、ぜひ加藤さんには会長を」と声をかけていただき、スタートしました。その後、白川さんは国会議員を落選し、現在は私と竹本直一さんの2人で地味に続けています。 この10年間、警視庁も努力をしてきました。事故発生後24時間以内の死者数について言えば、昭和26年には年間4000人でしたが、その後モータリゼーションの影響で昭和45年には1万7000人にまで登りました。それを受けて道路整備や道路標示の向上を図る大キャンペーンをはり、昭和54年には8400人にまで減少したのです。 残念ながら、その後に同死者数は急速に増え、平成4年には1万1500人になってしまいました。何とか再びこれを減らすべく、議連が働きかけて歩道や歩道橋の設置、信号機や踏切の増設といった整備の予算を取り、新たな大キャンペーンを支援してきました。その結果、昨年には年間6871人にまで減少したのです。 統計によると、人口10万人当たりの事故死者数の世界1位はギリシャで19.3人です。2位がポーランドとアメリカで14.5人。お隣の韓国は13.7人、日本は4.5人です。この数字は素晴らしいものです。しかし問題は、最近話題の「飲酒運転」。先日、福岡市で幼い3人の子どもが痛ましい事件に巻き込まれたことはみなさんご承知でしょう。13年6月に飲酒運転を厳罰化する道路交通法の改正があってから、それまで年間の飲酒運転による死亡事故件数1200人だったところが700人代に減りましたが、最近その数が減り止まり、何とかしなければと思っていました。 交通事故というものは、もちろん犠牲者にとっては突然に見舞われる不幸ですし、加害者の多くもヤル気があったわけではありません。しかし、飲酒運転は違います。お酒を飲んだら、事故を起こす可能性は明らかに高まるわけで、それを放っておくことはできません。 昨日開いた交通安全議連の会合で、八代交通局長が福岡の事件のことについて「3人の子どものため、お母さんは4回も海の中に潜った」ということを報告しながら、嗚咽で絶句していました。それほどむごい事故だったということです。 飲酒運転の事故現場では、当人をすぐ取り調べるよりも、犠牲者の救出・救命に当たることが優先されますし、もし加害者が逃げた場合には、時間の経過とともにアルコールが抜けて検知できなくなるなど、対応が難しいところがあります。集会の参加者からは、「飲ませた飲み屋のママにも責任はある。ましてや助手席に座っていた人間には、もっと責任がある。その厳罰化を」との声も聴かれました。 私もその席で「酒飲み運転は本当に許されない行為。絶対にしないという国民運動を展開しよう。それもただのキャンペーンではなく、宗教の信心に近い域にまで高めよう。アラブ人は豚肉を食べない。日本人は飲んだら飲まない。それが当たり前になる日まで、キャンペーンを続けていきたい」と話しました。 博多の山笠を見物するハッピ姿の3人の子の遺影を見ながら、飲酒運転撲滅の誓いを新たにしたところです。

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【加藤紘一】 Title独占インタビュー「インターネットが政治を変える」

昨年11月の「加藤政局」で一敗地にまみれて以来、沈黙を守ってきた加藤紘一氏が、去る1月15日、1時間以上にわたり『Title』のインタビューに応じた。 なぜ、あのとき突入できなかったのか?「長いドラマ」の第二幕はあるのか?今後のネット戦略は? 加藤氏はきっぱり断言した。「これからもいろいろ難しいプロセスがありますが、改革の旗は下ろしません!」 ──  昨年先生が決起されたきっかけは、いま振り返られると、どういうことだったんですか。 【加藤】 ちょっと誤解されてますけれども、きっかけはインターネットではないんです。「加藤政局」のスタートは11月9日の「山里会(政治評論家らとの会食)」での(「森首相の手で内閣改造はやらせない」という)発言ですから。 それまでの私のホームページは極めて地味で、メールも1日に10とか、20~30件がせいぜいで、ビジターも200~300しかいない……。いや、それでも政治家のホームページの中では多いんですけどね。私自身、「私のトップページ、もうちょっと色を使って明るくならないかね」とうちのスタッフに言うぐらい、かなり地味なサイトだったんですよね。意見出してくれるのも、どちらかというと40代、50代のじっくり型の人が多くて、きちっとした文章で、いまの政治に対するいろんな意見具申があるんですけれども、「決起せよ」というようなものはあんまり多くなかったんです。 ただ、その前から、私はかなりこのサイトには注目してました。一昨年の12月24日、クリスマスイヴの日にスタートしたんですけれども、1カ月もたたないうちに私の発言が自民党の中で大問題になることがあったんですね。自分の選挙区でのある演説で、政策問題を論じたんだけども、その中のごく一部に(当時の)自自公連立に関する発言がありまして、それが真意を曲げて、政局的な部分だけ大きく取り上げられて伝えられてしまった。そこで僕は演説の全文をネットに載せたんですよ。そしたら、ああ、そういうことなのかと、政局的には収まって、政策面 での自分の意思も通じていった。お、これはいいなあと、だんだん、だんだんサイト上でいろんな可能性を模索できればと思っていたんです。 ですから、「加藤政局」はネットでスタートしたものではない。ただ、その過程でいろんな反応がネット上でものすごくよく見えました。特に若い世代、それから主婦層からものすごいメールが届いた。最高で1日3000件ぐらい来た日があるんですけど、全部は読めないんですよね。あの時期、私のほうももう10分、20分を争うようなスケジュールになっちゃったもんですから。ただ、うちの政策秘書のウェブマスター、植木君から、こんな意見が多いとかいうことは聞いてました。 ■ 政局とともに育っていったサイト ──  逆にインターネットの危険性というか、特に先生のページは非常にレベルが高いため、先に行き過ぎて、ネットにちょっと引きずられすぎてしまったかなあというところはありますか。 【加藤】 いや、そこは……、まあ、外から見たらあるのかもしれません。この参加者というのは、一般 の有権者から見れば、とてつもなく日々政治を考えている人たちだなあという感じがしました。 ──  ずれみたいなものがあるんじゃないですか。一般 有権者レベルの意識と、先生のネットで繰り広げられている議論がちょっとずれてるというか、ネットの方々はより先鋭的集団なのでは? 【加藤】 それはないです。 ──  むしろネットの方々と永田町のずれということですか。 【加藤】 一般の人と永田町のずれじゃないでしょうか。だって、森政権の不支持が75%で、永田町じゃ支持が、まあ結果 的には自民党の中ではもう90%ぐらいになっちゃうわけだから。だから、ネットと一般 有権者のずれじゃなくて、ネットの感覚は私はメディアの感覚とほぼ近いんだと思いますよ。ただ、ネットだと、まったくバイアスがかからずに直接政治家の意見が出ていくし、政治家に意見が入ってくるということだと思いますね。 ──  先生が決起されたきっかけも、まさに世論と永田町のずれだったわけですよね。 【加藤】 そうです。世論と永田町のずれでスタートしたんで、そんなに僕は難しい話をあのとき言ったわけじゃないんです。国民の75%が不支持の場合に、そして永田町の先生方もほぼそれを感じてるのに、それを表現しないのはいけませんね、という自民党内の単純な問題提起でスタートしたんですよね。ただ、その過程でいろんな方の間に大きな期待が広がって、それを超えて日本の政治を変えてほしいと。自民党の中だけで終わらないでほしいという流れがグワーッと出てきたというのは、テレビとか新聞のメディアを見ても感じたし、それを明確な言葉で表現したのが、僕に来た日々1000通 、2000通のeメールだったと思いますね。 ほんとに期待が非常に大きくなって、それを裏切った形になって、非常に申し訳ないなと思ってますが……。ただ、ドラマはちょっとそう簡単じゃない、長いものですよ、ということを申し上げたけども、その気持ちはいまでも変わってません。これから世の中はもっともっといろいろ変化していくでしょうし。 農家のおじいちゃんも高校生のお孫さんからプリントアウトもらって読んでるということでも分かるように、政治がインターネットに影響されることが非常に大きくなると思います。それをうまく活用できる人もおれば、できない人もいる。政治家でも特に50代、60代はまずパソコンを操作できるということ自体が大変なことでしょう。 ──  いわゆる第一幕が、最終的にああいう結果 になってしまったのは、戦略上のミスがあったんですか。 【加藤】 まあ、いくつかの判断ミスがありました。それはいま、まだまとめて言える段階ではないですけども。まあ、いろんなことをいま自分でとか、山崎(拓)さんと二人でとか、うちの仲間で討論し合ったりしてますけどね。 ■ 無党派だけれども無関心ではない ──  決起するタイミングが、あれはハプニング的なものだという見方もずいぶんされましたけど。 【加藤】 それは違いますね。このまま自民党が変わりえない、国民の声を吸収しえないままで行ったら、2001年の参議院選挙はきついなあ、という思いは非常に強かったんです。いわゆる保守支持層が変わってきてるなと思ったんですね。で、それは、正直いうと、党の中で私は幹事長なんかしながら、選挙については比較的勘がいいなあと自負したりしてきてたもんだから、今回はわが党の選挙について非常に強い危機感を持ったんですね。わが党も変わらなきゃいけないと。でも、私の考えた数倍のマグマが溜まってましたね。私でさえちょっと甘かったなあと思ってます。 今年の正月、私は沖縄に家族を連れて休養に行ってて、いろいろドライブしながら観光名所に立ち寄ると、たくさんの若い人たちが、「期待してたのに」とか、「もっと頑張って」とか、「信じてますから、必ず日本の政治変えてください」とか言うんですよ。クリスマスの夜にも、東京の南青山の路上で何グループかに声かけられたけども、すごい若い人たちで、平均年齢23、24の男女10人ぐらいのグループとか。沖縄のあの子たちは20歳になってないんじゃないかなあ。 あと、失敗して苦しそうな立場にいる加藤紘一に、声かけていいのかな、と思ってじっとこっちを見てる若い人なんていうのは、毎日のように会ってますよ。で、目が合うと、「加藤さんですね」と言って、それで、「われわれのときに年金大丈夫なんですか」とかね、「日本の経済は韓国に追い上げられてるんでしょう」というような、かなり真面 目な議論をみんなしてくるんですよ。要するに自分たちの将来と日本の将釆に、もういてもたってもいられない不安感みたいなものを待ってるという感じですね。ですから、みんな無党派だけれども、無関心ではないんですね。みんな起きてますよ。 ただ昔のように、自民党だから、共産党だからって投票する人はいないんですね。自分の感性に合ったことを言ってるかとか、自分が心配に思ってるとこを論じてくれてるかというところで見るんじゃないでしょうか。 ──  キーワードはいまの政治を変えてくれる人なのかどうかだと思うんですが。 【加藤】 改革の旗は下ろしません。これからもいろいろなプロセスがありますけどね。難しいことがいろいろあるんだけど、まあ、あれだけみんな政治を考えてくれてるんだと思ったとき、やっぱり嬉しかったですね。ああ、この国、よくなりうると。「お金配るからね」と言ったら逆に馬鹿にされるぐらい、みんな深刻に考えてますね。いままでの政治はサービスを一生懸命競い合って出す政治だったんだけども、ちょっと違ってきたと思いますね。 ──  そうですね。そんなに馬鹿じゃないと思いますけど。 【加藤】 ただ、それを分かりやすい言葉で、アカウンタビリティーというか、アカウンタブルにできるかということなんですけど、私なんかの世代というのは正直いうとほんとのネット世代じゃないんですよ。ですから、自分もパソコンは……。 ──  どのぐらいお使いになれるんですか。 【加藤】 えーと、2年半ぐらい前に自民党幹事長を終えたとき、ぜひこれ使えるようになってみたいと思って、いま一応eメールをブラインドで打って、ブラインドで転換はできます(笑)。ですから、まあまあの水準。 ──  そうですね。永田町レベルでは相当上の方でしょう。 【加藤】 それで私が自分で打って、それを僕のウェブマスターの植木君に転送して、彼がホームページ上にアップするというシステムになってましてね。 ──  実質的には植木さんがほとんど一人で管理してるんですか。 【加藤】 いや、最初はそうでしたが、いまは若い女性が一人スタッフに加わりまして、二人でやってます。 ──  二人では大変ですね。 【加藤】 大変ですよ。私も毎日ひと言ふた言ね、3行4行でいいから、ことによったら10文字でいいから打てばいいんだけど、それがなかなかね、構えちゃうんですよね。で、ときどき、「あなた、休みの日には何してるんだ」と、プライベートなことを聞かせろというメールが入って、「いやいや、ワイン好きですよ」みたいなことを入れようと思うんだけど、ついブレーキがかかっちゃうんですよね。こんなこと書いていいのかなあという。 ──  真面目ですからね、先生は(笑)。 【加藤】 いやいや(笑)。田口ランディという作家が、ネット上でいろんなところに書いてるでしょう。どういう方か知らないんだけど、あの方の文章というのはサラーッと流れるように書いてるでしょう。あれがネット上の文章なんでしょうね。ネット文体ってあるんですねえ。それから比べると、僕ら政治家の文章というのは実に硬いし、とてもネット世代には読んでもらえないかなあと思うようなことが多いですね。 ──  少し現実的な話をしますと、加藤派分裂ですとか、離党するのかしないのかですとか、いろんな情報が飛び交ってますけれども、先生ご自身、これからの具体的な動き方としてはどうでしょう。 【加藤】 まあ、いまはじーっとですね、ちょっと静かに流れを見てようと思って。いまちょっと充電期間なもんですから、まだものを決めてないんですけどね。ただ、日本の政治がこのままじゃいけないなあという思いだけは変わってません。さあ、具体的にどうするかというのは、これからですね。 ──  とりあえず新聞紙上等では、加藤派は少数精鋭の純化路線で、志の高い若手を中心に団結していくと。 【加藤】 ハハハ。まあ、できればね、一緒にいままで楽しくやってきた仲間だから、あんまり喧嘩別…

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名 前 加藤紘一(かとうこういち) 所 属 自由民主党 前衆議院議員・山形県第3選挙区選出・当選13回 生年月日 1939年6月17日 出身地 山形県鶴岡市 家 族 妻:愛子 長女 次女 三女 長男 趣 味 料理、読書、カラオケ 1939年 昭和14年 6月17日 父・精三、母・信の五男として生まれる 1946年 昭和21年 4月 鶴岡市立朝晹第二小学校に入学 1952年 昭和27年 4月 鶴岡市立第三中学校に入学 1954年 昭和29年 4月 千代田区立麹町中学校に転入 1955年 昭和30年 4月 都立日比谷高校入学 1959年 昭和34年(20歳) 4月 東京大学法学部政治学科・公法学科入学 1963年 昭和38年 9月 外務公務員上級試験合格 1964年 昭和39年 3月 東京大学政治学科・公法学科卒業 4月 外務省入省 8月 在台北大使館勤務 1966年 昭和41年…

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先日、超党派の勉強会についてのご報告(3/28「新しい超党派の会に込めた想いとは」)をしました。この勉強会は2月に韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領に会うことからごく自然発生的にできたものですが、その正式な名前が『ラーの会』に決まりました。 当初は、超党派でいろいろな人がいること、韓国でスタートしたことから、韓国の混ぜご飯から名前をとって「ビビンバの会」と呼んでいました。しかしこの勉強会は、アジアと日本との付き合い方と、ナショナリズムの扱い方というのが原点です。「ビビンバの会」もいいけれど、もう少し風格のある名前で、会の趣旨を正面から伝える名前がほしいと考えていました。そんな中、4月1日に哲学者の梅原猛さんを講師にお招きして勉強会を開くことになり、世話役の仙石由人議員が代表して「この会の名付け親になって下さい」と梅原さんにお願いしたのです。10日間ほど心待ちにしていたら、梅原さんから返答が来ました。それが、「ラー」という名前でした。最初に聞いた時、「これはスゴイ!」と思いました。 ラーとは、太陽神ということです。全世界の多くの人たちに影響を及ぼしている宗教、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、みんなパレスチナの地から生まれたものです。もともと、パレスチナの地はレバノン杉に覆われていた緑豊かな地でした。しかし、過剰伐採をして自然を壊したことで、山に保水能力がなくなり、砂漠になってしまった。太陽だけが唯一の崇拝できるものとなりました。そしてユダヤ教が誕生し、キリスト教でも支配的な思想になり、そこからイスラム教が分家しました。ラーは、唯一絶対の神、人類にとっての最大の神ということです。 梅原さんは、今年の2月にエジプトに行かれています。天照大神も太陽の神であるということを考えると、太陽というものを国のアイデンティティの中でどう位置づけるかというのが重要なテーマになっているようです。日本人のアイデンティティを考えるという壮大な勉強グループとしては、とてもいい名前だと思います。 この勉強会は、定期的に行うものではなく、いい講師が見つかったら急に集まるような会です。各派がもめにもめているときでも、『ラーの会』だけはいがみ合わずに勉強をしていく。いわば、赤十字の野戦病院みたいな働きをする会です。そして、ここから健康なものを前向きに生み出していきたいと考えています。

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製造業を中心に、大量首切りが続出しています。日本の製造業は、自動車産業への依存度が高く、働く人の13人に1人、製造業に従事する人の17%が、自動車産業に関係しています。そんな中、主な自動車メーカー7社だけで8000人以上の非正規雇用が解雇という憂き目を見ることになります。自動車産業全体で500万人前後の従業員だとすると、二次下請け、三次下請けにおける解雇なども含めれば、おそらく最小限でも5、6万人になるのではないでしょうか。 日本の非正規労働者は今1700万人を超え、働く人の3人に1人というところまできています。派遣労働者法の改正というのは、小渕内閣のときから進み始め、今度のアメリカ発の金融危機が起こる前から「この改正は、いざとなったら解雇自由、労働者を部品として弾力的に切り離せる仕組みだ」と用心されていたのですが、まさにそれが今、現実に起こっています。 私自身、何度もこのHPや著書などで言ってきたことですが、この現状は、新自由主義に基づく規制緩和は、竹中平蔵元経済財政政策・郵政民営化担当大臣や、経済諮問委員会の元メンバーである八代尚宏氏らの、非人道的な許しがたい失政によるものだと考えています。もちろん、立法府にいる我々も、強く反省をしなければいけません。 しかし、この種のことを指摘されると、竹中氏は、「新自由主義に基づく改革が悪かったのではない。改革が中途半端だからこのようなことが起こる」と言います。テレビで語る彼の語り口は実になめらかで、一般視聴者の耳には、責任逃れの言い訳がシュガーコートに包まれてスルスルと通り過ぎていくようです。 もしいま、1700万人の非正規雇用者も解雇が簡単でない状況にあったら、どうなっていたでしょう? 企業はおそらく、全労働者を同列に扱いながらレイオフをしたり、一時的に家庭待機にしたり、当然のことながら少し賃金を下げたでしょう。そうしないと会社が成り立っていかないからです。結果として、ワークシェアリングが広がっていたのではないか。全員が少し働きを減らし、一人ひとりが賃金を切り下げ、生活を少し切り下げる。それでもみな、生活の糧は守れる。もし日本人が生活水準を1割切り下げたとしても、たぶん発泡酒は毎日飲める。少なくとも餓死する人はいないでしょう。新しいYシャツは買えなくても、古いYシャツを着て、まだ新品同様のジャケットやセーターを着、少し底の薄くなった靴下を大事に履く。それでも生活はできているはずです。そしてそれは、中国や台湾、オーストラリア、ニュージーランドなどのGNPよりもずっと上でしょう。そして、時間が少し余った分で、多分、お父さんは家に帰って食事をするようになる。時間があれば、近所の地域社会でボランティアをして、困った人を助けようとする人も増える、そんなに悲観するばかりではありません。 しかし現実には今、一部の正規の人たちが守られ、非正規が首を切られ、工場宿舎から退去を命ぜられる。政府・地方自治体の緊急雇用対策があるので、その宿舎には解雇後1、2ヶ月は居残れるかもしれません。しかしそれも、永遠ではない。 本来なら連合は、10年前にワークシェアリングの議論をもっと突き進めるべきだと私は思いましたが、それができませんでした。連合自身が、正規労働者の利益擁護団体になっていたという、本源的な反省が今渦巻いています。 これから新年に向けて、残念ですが失業者は増大していくでしょう。それとともに、労働形態論──特にワークシェアについての議論は、勢いを増すでしょうし、私も強く主張していきたいと思っています。しかし、大企業における経営陣と、企業内部労働組合が、自分の利益だけ守ろうとする発想を変えなければいけません。ですから、この議論をやったからといってすぐに効果が現れるというものではない。しかし、議論をする中から影響が出る、それが大きい意味を持つことになる。 こういう中で、トヨタの一時下請けのある部品メーカーの社長の談話が目にとまりました。「注文が少なくなるのだから、自分のところのさらなる孫受けなどに、発注量を減らしたいところなのだが、そこはできるだけ減らすのを避けたい。自分のところにはまだ余裕があるから、下請けをできるだけ守りたい」と。ほっと救われた気になりました。 30人、50人の下請けを潰してはいけないという、確かそんな言葉でしたが、特殊な技術力を持つ中小企業を潰してしまうと、今度注文が増えたときに、発注先がなくなるのだそうです。自分たちのところに少し余裕があれば、できるだけ下請企業の能力を保存しておこうとする根性は見あげたものだと思いました。 私は、日本の自動車産業は、まだ息を吹き返すと思っています。なぜ自動車産業はこんなに波及が大きいかというと、自動車というのは、1年や2年は買わなくていいんです。だから、たちまち対前年度3割ダウン、4割ダウンになるのですが、1年半もすれば、あちらこちらがポンコツになってくるので、また買い始める。 そのときビッグ3は、よほどのことがないかぎり、まだ立ち直れていないでしょう。場合によっては、1社は潰れているかもしれない。そんな中で効率のよい日本の自動車産業は、息を吹き返してくる。だから、もし今、私にお金があったら、迷わず日本の自動車会社の株を買います。

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先日、公的年金一元化に関わる自民党年金議員連盟の提言が、実現に向けて第一歩を踏み出しました。この提言は、当議連で過去4回に渡り会議・勉強会を重ねたものを12月6日の会合にて政策提言にまとめ、小泉総裁・中川政調会長・丹羽社会保障制度調査会長へ提出したものです。 これまでの経緯も含めご報告します。 会 長 加藤紘一 副会長 山崎 拓 高村正彦 幹事長 木村義雄 幹 事 鴨下一郎 大村秀章 原田義昭 佐藤 勉 小野寺五典 北川知克 菅原一秀 阿部正俊 景山俊太郎 林 芳正 12月7日 提言を議連幹部が代表して中川政調会長へ提出 提言を議連幹部が代表して中川政調会長へ提出いたしました(写真)。そこで中川政調会長より「(追加費用廃止の方向で)私もがんばりますので、議連もがんばってください」とのお話がありました。 その夕、中川政調会長より加藤会長へ、「小泉総理が追加費用については、議連の提言どおりに進めるよう指示があった」との電話がありました。このことが翌日(12月8日)の新聞各紙で記事となりました。(添付記事ご参照) 10月27日 設立総会 議連の発足。さらに「年金制度」について厚労省から説明を受けた後、質疑応答。 11月9日 第2回議連 (勉強会) 「恩給制度から生まれた共済年金・退職手当と議員互助年金 」をテーマに総務省・財務省との議論を深める。 11月29日 第3回議連 (勉強会) 厚労省・財務省・総務省・文科省担当者が参加し、フリーディスカッション。特に「追加費用」の問題がクローズアップされた。 12月6日 第4回議連 事前に幹部会でまとめた質問書に財務省・総務省から回答をもらったが、追加費用の問題が今後の一元化議論にとっても重要であることから、政策提言をとりまとめた。(内容は下の通り) 第4回年金議連会合にてまとめられた提言 ▼ 年金一元化は、小泉改革の重要な公約である。 ▼ しかるに、政府レベルでも政党間協議レベルでも、一元化は実態として暗礁に乗り上げた感がある。 その理由は、共済年金側が抜本的な統合に消極的だからである。それはなぜか。 ▼ それは、現行の共済制度が税金の投入により、非常に有利なものだからである。 共済年金3つの特徴 (1) 戦前から続く最も古い年金制度 ⇒ 従って、受給者割合が最も高い ■ 年金扶養率…

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11月28日正午より「漂流・漂着物対策特別委員会」の2回目が開かれました。 各省庁を招いてヒアリングを行い、対策について協議をしました。また、10年以上前からNGOとして海岸クリーンアップ活動をしているNPO「JEAN」の代理として、酒田市のNPO「パートナーシップ」の金子氏から現状報告が行われました。 一般的に、日本の海岸に漂着するゴミは海外からのもの、というイメージがありますが、実は日本国内から出たものが約7割を占めています(対馬を除く)。河川の上流で捨てられたものが流れに流れて海に出て、それが海岸に漂着してしまうのです。こうした漂流・漂着ゴミには予算がつかないため、処理する自治体にはかなりの負担になっているのが現実です。 問題は国内だけにとどまりません。日本製の容器などが海流に乗って外国の海岸に漂着するという事例も報告されていますし、ゴミが海で漂流するうちにミクロン単位まで破砕され、それを魚が食べてしまったり、またその魚を鳥が食べたりなど、二次汚染も心配されています。 国民に広くこの問題に対する情報を伝え、1人ひとりにゴミの処理に対する意識を高めてもらうためにも、この活動をがんばっていきます。 今回は、NHK山形が取材に入りました。12月13日(水)18:00~のNHKニュース(ローカル版)で報道される予定です。

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【加藤紘一】 時局を読む「加藤紘一からのメッセージ~11月25日~」

加藤紘一です。 まず、皆さんへの説明が遅れたことを心からお詫び申し上げなければいけません。「内閣不信任案に賛成する」と言っておきながら、皆さんへの約束を果 たせず、本会議欠席という選択を下さざるを得なかったときに、最初に私の脳裏に浮かんだのは、1分、1秒でも早く、私たちを応援してくれた皆さんに、きちっと説明しなければならないということでした。それなのに、今日まで報告が遅れたのは、どんなに事情を説明しても、皆さんへの約束を果たせなかったことに変わりはないという思いがあったからです。それに私自身、あの選択が正しかったかどうか悩み続けていたからです。さらに「次」へ向けての私の気持ちの整理がつかないうちに、お詫びを申し上げるだけでは、ますます皆さんへの期待を裏切ることになると思ったからです。 苦渋の選択から6日、正直なところ、まだ自分の気持ちがきちっと整理できたわけではありません。でも、約束を果たさなかった私を責めるたくさんのメールの後、それでもくじけずに日本の政治を変えて欲しいという励ましのメールが数多く寄せられました。意外でした。しかし、これは私にとってエネルギーになります。そんなご期待に応えるためにも、今の時点での私の気持ちをきちっと報告したいと思います。 まず、今回の失敗の最大の原因が私たちの準備不足にあったことを率直に認めざるを得ません。途中までは、間違いなく不信任案を可決させる人数を確保できると確信していました。それどころか「今の政治でいいのか」という私たちの訴えはきっと多くの議員の心を揺さぶっているはずだという期待もありました。だから小手先の手法は用いず、私たちの訴えを理解していただくことに全力を挙げました。ところが主流派の切り崩しは私たちの予想をはるかに超えるほど厳しく、採決の日の夕刻に不信任案可決の見通 しはかなり厳しくなっていました。 その時点で、私に3つの選択がありました。一つは、不信任案否決を覚悟で、同志の皆さんと本会議に出席し、不信任案に賛成票を投ずる。2つ目は、可決の見込みが無い以上、同志は本会議を欠席し、私と山崎拓さんだけが本会議に出て不信任案に賛成して、国民の皆さんへの約束だけは果たす。第3は同志とそろって欠席する、の3つです。最後まで迷ったのは、不信任案に賛成票を投ずることが手段なのか、目的なのかということでした。 賛成に回って否決されれば、多くの同志を苦しい立場に追い込むことは明らかでした。もとより最後まで私を支持してくれた同志の皆さんは、そんな苦しい立場をみじんも表しませんでした。それどころか「破れてもいい。信念を貫こう」と私を励ましてくれました。だが不信任案が否決された後の展望を考えれば、リーダーとしては、同志の「その先」も考えなければなりませんでした。 それに国民の皆さんの期待が私たちのいさぎ良い行動にあるのではなく、日本の政治を変えて欲しいという一点にあるのだと言うことは、皆さんからお寄せいただいた多くのメールでも明らかでした。だから私は「約束を果たさなかった」という非難を覚悟で、「政治を変える。日本を変える」という原点に立って同志と共に本会議を欠席するという選択をしました。 力を蓄え、次の機会を待つという今度の選択が多くの人たちに失望を与えたことは、私の心の中に今なお大きな痛みとなって残っています。多くの皆さんが、不信任案が可決されることを望み、万が一可決できなくても、私とその同志だけは不信任案に賛成することを期待していたのではないかと思います。私自身、不信任案の可否にかかわらず、とにかく議場に乗り込んで賛成票を投じたいという気持ちに何度も駆り立てられました。 でも、惨めさに耐え、変革の芽を残すことこそ私に課せられた使命だと考えたのです。もちろん「破れても、国民の支持があれば次の局面が開けたはずだ」という意見は心にずしんと響きます。それに私に寄せられたたくさんのメールは、この国の政治が、政治風土が確実に変わりつつあることを私たちに実感させてくれました。私はこの国民の力を信じます。この期待に応えていくことが、これからの私の政治行動の原点だと思っています。結局、私たちの選択の正しさは、私たちのこれからの行動でしか証明できないと思っています。私たちの目標は、あくまでこの国の政治を変えようということです。残念なのは、今回ほとんど政策論争を盛り上げられずに終わってしまたということです。今後はもっと政策論争に重点を置いて、大胆な経済政策や日本独自の外交政策を訴えて行くつもりです。同志と共に実践的な政策論争を続けながら、力を蓄え、明日の日本を創る努力を続けていく覚悟です。十字架を背負って再出発する私たちに、どうかこれからも励ましと提言をお寄せください。また、近いうちにこのホームページでビデオ・メッセージをお伝えしたいと思います。次の行動、次の闘いはもう始まったと思っております。頑張ってこの国を変えていきたい、その初志は決して曲げることなく頑張っていきます。よろしくお願いします。

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【加藤紘一】 時局を読む「『事務所の元代表、起訴について』加藤紘一からのメッセージ~3月29日~」

衆議院議員辞職について 私は本日、衆議院予算委員会に参考人として招致を受けました。 その場で、私の事務所の代表を務めていた佐藤三郎の引き起こした事件について、率直にお詫びしました。 さらに、政治的、道義的な監督責任を取り衆議院議員を辞職することを表明いたしました。 私に対し期待を寄せ、国会へ送り出してくれた選挙区の方々。 私の政治活動を支援してくださった全国の人たち。 なけなしの資金をカンパしてくださった方たち。 今回の不祥事を通し、さぞ、落胆させてしまったことでしょう。 政治に対する不信の念を抱かせてしまったことでしょう。 今はただ、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 日本は、このまま活力を失っていくのか。 それとも、再び、かつてのような輝きを取り戻せるのか。 日本は今、曲がり角にあります。 私は日本の将来が心配でなりません。 この国のため、今すぐにでも、やらねばならぬことは山積しています。 それらを一つ一つ、国会議員として実行していきたい。 それを国民の皆様に訴えていきたい。 この期に及んでも、私の胸中はこうした思いでいっぱいです。 しかし、今の私の言葉に耳を傾けてくれる人は、残念ながらいません。 信頼を失墜した政治家には、辞すよりほかに道はないのでしょう。 こうして私は議員辞職を決意したのです。 衆議院議長あての議員辞職願いも、すでに参考人質疑の後に提出しています。 失った信頼を取り戻すのは、容易ではないでしょう。 今後は、一国民の立場から一歩一歩、信頼回復に努めたいと思います。 国民の皆様。 これまでのご支援に、心より感謝いたします。

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