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世の中は複眼思考で
平成20年5月3日
このメッセージはテキストのみとなります。

浮いた年金記録の処理は、自己申告でなければ決して終わらない

 どうも最近の日本人は、複眼思考というものができない民族になってしまったような気がします。ものごとの裏表をあまり考えないというか、いい人悪い人、正義と悪に白黒はっきり仕分けしないと、成り立たない社会になっていはしまいか。でも、そんなふうにきっぱりすっきりカタがついたら苦労はしません。
 たとえば、5千万件の浮いた年金記録の問題をもう一回考えてみましょう。確かに宙に浮かせておいた社会保険庁職員の怠慢はいけません。非難に値するというのは、はっきりと正論でしょう。
 なかんずく、受け取った保険料を職員が着服してしまうなんてことは考えるまでもありません。これは「悪」です。もし、全国のどこかの税務署職員が一人でもこういう事件を起こしたら、誰も税金を払いたくなくなるはずです。ましてそれが3件、5件と続いたら、国民はもはや納税なんてするもんか、となるでしょう。
 しかし、世の中には、様々な事情で過去を明らかにしたくない人もいるのです。1件残らず合致させるなんてことは決してできません。それは複眼的に見れば一目瞭然だし、ある程度は有権者も分かっているのではないでしょうか。分かっているのに、「1件残らず」と新聞が書けば、そうあるべきだと言うのが正論になってしまう。安倍総理は「1件残らず、私の内閣でやります」と眉を逆立てて言った。まるでマンガを見ているみたいです。
 そんなマンガじみた約束のために、今、いったい幾らの税金が使われているでしょう? 年金特別便、何百万通も出しています。印刷物の紙代、印刷代、封筒代、切手代に記録の付け合わせや整理をするための人件費も入れたら、ゆうに1通1000円はかかっていると思います。それを5000万人に送ったら、ざっと見積もって500億円です。恐ろしい金額を使っているんです。
 ですから、もうそんな喜劇にもならないような行為はやめにして、もう一度「自分で申し出てください」という、自己申告主義を考え直してみなければいけないのではないでしょうか。これだけ大々的に告知しているのです。あとは本人に任せればいい。申し出た人には誠実に対応すればいい。これ以上、大げさに騒がないほうがいい。……そう言ったら、複眼思考のできない人たちの、格好の餌食になってしまいそうですが。

責任は1ヵ所にないことも多いもの

 一方、今から30年も前から、国民一人ひとりに年金番号ないし社会保障ナンバーを付与していたらどうだったでしょう。こんな混乱は起きていなかったはずです。 しかし当時、すべてのメディアが大反対しました。そして我々政治家も「社会保障ナンバーはぜひ必要だ」、と言うことをはばかってしまいました。「自由を奪う反透明性派の政治家」などとメディアの集中砲火の矢面に立つことを嫌って、自民党でも声を上げなかったのです。
 小泉政権下で当選した、自民党所属の阿部俊子議員は、看護婦さん出身でアメリカ社会の保障制度を詳しく知っており、1年ほど前に「ぜひ日本でも社会保障番号制度を」とキャンペーンをしました。まさしく慧眼だったと思います。しかし残念ながら世論は盛り上がらなかった。それはまだ、年金番号とか支払い番号制の導入をためらってしまう心理というものがどこか残っているからだと思います。ところが2週間前、読売新聞が「年金構想」をぶち上げて、その中に年金番号の導入を提起していました。マスコミもようやく論調が変わってきて、必要性を認めてきているのです。
 みんなでいっしょに間違ってきたのではないだろうか。政治家も、役所も、メディアも、そして国民も。つまり、我々の誰もが、5000万件の記録漏れを作った責任がある、不作為の責任というものが。私はそんなふうに思います。
 ものごとを改革するとき、プラスとマイナスの両方を考えると推進力が失われる。だから、改革をするときはくだらない議論はさっさとやめて、やると決めたら何も考えず、考えさせず、やるだけだという論理がよく使われます。しかし今は、平時の、民主主義の時代です。戦時下や革命下ではありません。我々は平時における民主主義政治をやっているのであって、血なまぐさく殺し合いながら、新政権と新憲法を作っているのではありません。もっとちゃんと議論すべきではないでしょうか。それも、複眼思考的にです。

高齢者医療制度と小泉さんの応援演説

 4月下旬に行われた衆院山口2区の補欠選挙で、後期高齢者医療制度やガソリン暫定税率の廃止などを訴えた民主前職の平岡秀夫氏が、自民新人の山本繁太郎氏を降し、福田政権に大打撃を与えたと報道されました。そうです、自民党は高齢者医療制度で負けました。
この選挙戦中、明らかに旗色が悪くなって党内が右往左往していたときに、私は総務会で「この改革の当事者、つまり小泉元総理と竹中元大臣に、山口県に行って説明してもらうのがいちばんいい」と言いました。小泉さんが行きたがっていないらしいことは聞いていましたが、なにしろこの制度改革は、国民の70%のみなさんが支持をした、小泉さんの決めたことです。新制度の施行が今になって、たまたまそのときに総理をしているのが福田さんとうだけで、福田さんが作った制度ではないのです。だから、改革をやった当人が行って説明すればいい。もう一度、小泉さんの言葉を聞いて、小泉改革って何だったんだろうと、そこをみなさんに考えてほしいと思ったのです。
 そんな思いで発言したのですが、翌日の朝日新聞には、『「補選で説明を」小泉人気頼る声』という記事が掲載されてしまいました。ピンぼけもいいところです。他の新聞は、おおむね正しく理解して記事を書いているようでしたが、新聞記者の「複眼思考力」が衰えているとしたら恐ろしいことです。
 医療改革の議論は、今からでも遅くありません。今の世は、「今、正しいと皆が思うもの」が簡単に支配的な風となって吹き荒れます。そして、もしその後にマイナスが出たら、またそれを非難することが「正しく」なって、同じ口から違う正論が大声で語られます。最初に正しいと思われたことと、今正しいと思われていること。その両方を複眼的に、“事後的に”でも構わないので、我々が複眼的に頭の中で推敲する力がなかったら、本当の議論にもとづく民主主義というものは成長しません。
 マスコミ、政治家、官僚、国民が常に「正しい」と言ってきたことに対して、「自分たちはこの点では間違えた」と、事後的複眼思考でもいいから、そういう思考を持つべきではないか。私はそう考えています。絶対に正しい神様なんて、政治の世界にはいないのですから。
 複眼思考が、今の日本には大事なように思われてなりません。