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私学で学べること、学べないこと
2007年2月8日
このメッセージはテキストのみとなります。

最近、毎朝のように考えていることがある。今や話題の議員宿舎──といっても、私の住んでいるのは九段の古いほうで、赤坂の新築ではないから、世間の注視を外れて静かなものだが──を出ると、上品な少女たちが道行く姿とすれ違う。白百合学園に通う小中学生の一団だ。このあたりは、暁星や九段高校などもある学園地帯で、緑も多く落ち着いた環境なのだ。そこを歩く子供たちは、さすが最難関の受験を勝ち抜いてきただけあって、みなキリッとした顔つきをしている。賢そうな眼差しは、自分の意志をもってものごとをやり遂げようとする意欲に満ちているように見える。大変好ましい印象を受けることしきりで、世の母親たちが、お受験で「うちの子も」と熱が入るのもよく分かる。

しかしながら、彼らを見てふと思うのだ。この子たちの学校には、障害を持っていたり、勉強が苦手だったり、親が暴力団だったりする子供はおそらくいない。それは本当にいいことなのだろうか、と。
あの子たちは、たとえば母子家庭の、母親が飲み屋で焼き鳥を焼いているような家の子供の心情は、なかなか分からないだろう。そういう子供の存在すら知らずに生きているのかもしれない。人生の始めから、蒸留水のなかで育ってきているようなものだから。
ひるがえって、私自身もそうであったから分かるのだが、公立にはさまざまな社会の階層に属する子供たちが通学してくる。障害を持つ子に直に接して、バカにしたら先生にたしなめられる。髪の毛を金髪に染めた、実はいいヤツとも友だちになる。同級生の家に遊びに行けば、それこそ階下の焼鳥屋で友人の母親が夜の仕込みのためにせっせと鶏の皮を串刺しにしているのを見たりもするのだ。

最近よく、中学受験が話題にのぼる。中高一貫校に入っておかないと、高校からいい学校に入れるのは難しいから、中学からお受験させるというわけだ。何かの記事で「中学受験5万人」とあって、あれ、そんなに多いのか? とびっくりしたことがあったが、ほとんどは首都圏での話である。東京では過半数の子が私立を目指していると言っても過言ではない。そうやって、ある地域の子供たちが、ますます純粋培養になっていく。
果たしてそれでいいのだろうか? 教育改革は何よりも、公立小中のルネッサンスでなければいけないはずなのに、大都会ではまったく逆向きに歯車が動いている──毎朝、賢そうな子供たちを眺めながら、こんな想いを抱えて朝の政策論議が待つ国会へと向かっている。