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政策集団として 日本の発展に全力を尽くす
一九九九年五月十二日、宏池会の懇親パーティーが東京プリンスホテルにおいて、四千数百名の参加者を得て盛大に開かれた。会は昨年十二月に宏池会の新会長に就任した加藤紘一衆議院議員のお披露目も兼ねて行われ、小里貞利・宏池会事務総長の開会の辞の後、加藤新会長が宏池会を代表してあいさつした。また会には野中広務・内閣官房長官、森喜朗自民党幹事長をはじめ、多くの政界関係者がかけつけ祝辞を述べた。司会は鈴木俊一、岸田文雄両代議士が勤めた。
日本の政治の将来に 責任を持つ
きょうは、日柄も大安だそうでございます。ご案内のとおり、東京の空も澄んで、すばらしい初夏の気候に恵まれました。皆様方のご協力によりまして、今から約一時間前に開会をいたしました第一部セミナー、この二つの会場で二千数百名の皆様方のご参加をいただきました。第二部の会場として、ここに懇親会を設けさせていただきましたが、先ほど事務局の報告によりますと、もう既に四、〇〇〇人近い皆様方がご協賛いただいておるということでございまして、私どもは、政策集団宏池会といたしまして、加藤紘一会長、そして元内閣総理大臣、現在宏池会の最高顧問を勤めていただきます鈴木善幸先生、あるいは先ほどちょっとよんどころない重い用事がありましてお帰りになりましたが、現在宏池会の名誉会長でございます宮澤喜一先生、これらの皆さんを中心にいたしまして、ご来場いただきましたご先輩、同志の皆様方を心から歓迎を申し上げ、そしてまた大きな感動とともに、心からお礼を申し上げる次第でございます。
さて、先ほど司会者の一人も言っておりましたように、政策集団宏池会は、昭和三十二年に創設をされました。それから四十数年の間、相当な起伏がございました。池田勇人先生をはじめ、大平、鈴木、宮澤内閣等を組織をさせていただきました。国政の最高の舞台で汗を流させていただきましたこと、ご承知のとおりでございます。
あるいは国権の最高機関でございます衆参両議長も、堤康次郎先生、あるいは林譲治先生、益谷秀次、あるいは前尾繁三郎先生、福永健司先生等を衆議院議長として足跡を残させていただきました。あるいは、参議院では、藤田先生が参議院議長として努力をさせていただきました。
それから、五代総裁が続いてまいりましたが、昨年の十二月、第五代目の会長でございました宮澤喜一先生から、今度新しく赴任をされました加藤紘一先生に寛大なお気持ちと大きな責任のもとに、ご禅譲をいただきました。ここにめでたく第六代宏池会会会長として加藤先生がご就任をいただいたところでございます。
さてきょうは、いろいろな政策集団のご先輩幹部の皆様方もたくさんおいでいただいておりますが、内閣官房長官の野中さんも先ほどおいでをいただきました。この小渕内閣を昨年の夏立ち上げますときに、加藤紘一先生を中心にいたしまして、宏池会は一蓮托生のもとにこの小渕内閣をスタートをさせましたし、また率直に申し上げまして、自民党を挙げましてその原動力となりまして今日に至っておりますこともご承知のとおりであります。小渕さん、大変大きな今日の激動の中で、大きな仕事を手堅くそして円滑に処理をいただいておるところでございまして、私どもはこの内閣の大きな原動力である、そしてまたこれを成功させる大きな責任があると自覚をいたしておるところでございます。
同時にまた、あっさり申し上げまして、この小渕内閣が国民的所定の任務を遂行されました後は、先ほど申し上げました加藤紘一先生を中心にいたしまして、日本の政治の将来にきちんとした方向性、そして道しるべを示させていただき、そして責任も負わせていただけなければならないと思っておる次第でございまして、本日は、そのいわゆるスタートの、意義ある皆様方からのご確認であると同時に、激励の一つの方向であると信じまして、心からあわせてお礼を申し上げ、そしてご来場の皆様方のご大幸を祈念申し上げまして、開会のごあいさつにかえさせていただきます。どうもありがとうございます。
日本の進路を明確にするため
必死の努力をする
本日は大変お忙しい中、またご出懇をいただきまして、ご協力いただきまして、心から感謝申し上げたいと思います。今、司会も、そして小里事務総長も申し上げましたように、五五年体制が始まったのが一九五五年、それから二年後に池田勇人さんが宏池会をつくられ、そしてそれから我々は伝統ある政策を考える集団として活動してまいりました。
また同時に、先ほど言われました池田勇人さん、大平正芳さん、鈴木善幸さん、そして宮澤喜一さん、四人の総裁を出し、そして議長を輩出いたしました。ある意味では戦後日本の発展の中核となってきた我々集団であり、その功も罪も私たちすべて背負っている集団だと思っております。
昨年の暮れ、私は宮澤会長からこの宏池会の会長を引き受けるように言っていただきました。責任が非常に重い仕事でございますけれども、政策集団の本来の姿をしっかりとわきまえながら、これから頑張っていこうと思っておりますので、皆さんのご支援を心からお願い申し上げます。
当面は我々は、今、我々が直面しております諸問題、特に国会における審議等の全力を尽くすべきだと思っております。ガイドラインの審議も順調に進んでおりますし、またこれからは、行政改革の中核となります各省庁再編についての法案や、地方分権の法案をしっかりと審議するとともに、最近小渕内閣が必死に取り組んでくれております。そしてまた政策的には私はそれが非常に正しい判断だと思いますけれども、いわゆるサプライサイドについての施策、特に産業競争力強化のための施策について、国会でもしっかりと審議し、もし法案がしっかり間に合うならば、私は必要ならば国会を延長しても、この審議を急いでやるべきではないかと思っています。
産業競争の問題につきましては、秋の国会を待つというようなことも一つの考えですし、またそういう部分もあろうかと思いますけれども、やれるものはできるだけ早くやっていくというような気持ちで、スピーディにこの施策をとっていくべきであって、必要ならば小渕総理がおっしゃいますように、通年国会というような発想になるぐらいの長期の延長をしても、この審議を進めるべきではないかなと思っております。
また我々は、政策集団として、この国の姿がどうであるべきかということを同志とともにしっかりと討議をしていきたいと思っております。そして、その政策の勉強を九月に予定されております総裁選挙を目指して、ゆっくりと固めて、準備に入っていきたいというふうに思っております。
最近、政治不信ということを言われています。しかし私はそうは思いません。国民の政治に関する関心というのは、私が初めて当選いたしました二十七年前よりは、ずうっとずうっと広く深くなっております。ただ、それぞれの政党が一体何を訴えようとしているのか、そこがわからない。それぞれの政治家のメッセージがわからないというのが国民の不満なのであって、それは政治不信ではなくて、ある意味では政党不信、政治家不信と位置づけるべきかもしれません。
ここに至った原因は幾つかあろうかと思います。一つは選挙制度というものが小選挙区制度になって、そういった特色を出せる政党の構造にならなくなってきたということも一つあろうかと思います。
しかしもう一つは、戦後私たちがはっきりとした目標があり、そしてその実施計画を官僚の皆さんにお願いし、そこで出た法案を我々が国会で通すという分業になってきたがゆえに、我々自身が政策をしっかりと考えるというところにエネルギーをあまり注がなかったことにあるのではないかなと思っております。我々はここでしっかりと政策を勉強しなければなりません。そして、しっかりとしたメッセージを出せる政策集団であらなければならないと思っております。
この国をどうするかということを考えながら、必死に政策を考えること、それが我々の集団を光らせることになるだろうし、また訴える政策に一つ一つ説得力を持つことになると思っております。
政府のほうがいろいろ施策を考えることも重要です。しかし、それを我々が単に与党として実施するというだけで済む時代は終わりました。その政党がそれぞれ政策を持つためには、それぞれの政党の中の政策集団がしっかりとした政策を考え、その構成員が頑張って考えるということが今、一番求められているのではないかなと思っております。私が九月の総裁選挙というものを単なる権力闘争の場としてではなくて、政策とか理念をより幅広いものにし、深める場としてこれまで主張してまいりましたのもそういう考えに基づくものでございます。我々はこれからしっかりと小渕政権を支えてまいります。と同時に九月の総裁選挙に向けて、しっかり政策提言できるように我々は切磋琢磨、そして努力をしてまいりたいと思っております。その政策を勉強することが、党員一人一人の義務であり、政策集団の責任であろうと思っております。我々はこれからの日本の進路を、ビジョンを明確にするために必死の努力をしてまいりますこともここにお誓い申し上げまして、ご参加いただきましたことのお礼の言葉にさせていただきます。どうもありがとうございました。
加藤さんという魅力ある
政治家と運命を共にしたい
きょうは、名門、伝統ある宏池会のセミーがかくも多数皆さんの温かい励ましを受けられまして、しかも昨年十二月に宮澤喜一第五代会長から第六代会長に就任をされました加藤紘一前幹事長のお披露目も含めて、あるいは政策提言も含めて、盛大に開催されましたことを心からお喜びを申し上げる次第であります。
実は、私は平成七年の秋、加藤幹事長のもとに幹事長代理としてお仕えをいたしました。そして、三年間、加藤幹事長のもとで幹事長代理という仕事をさせていただきまして、そのすぐれた政治的理念、識見、そして幅広い経験から得られた幹事長としての見事な手腕を学ばせていただくことができたこととを、今も私の長い人生における大きな幸せであり、収穫であり、そしてきょう私が内閣の一員としておらせていただけるのも、そういう経験を通してあるのだということを心から感謝をしておる一人でございます。
このごろ、やや新聞や週刊誌で、我々の仲がひびが入ったとか、私がどなったとか、面白おかしく書かれておりますけれども、三年間同じように魂と魂を触れ合って付き合ってきて、多くの困難を乗り切ってきた人間関係というのは、そんなに簡単に壊れるものではないのであります。これからも一緒に私どもは頑張っていきたいと思っておる次第であります。
そして名門宏池会は、今、宮澤大蔵大臣をはじめとして内閣のそれぞれ重要なポジションに座っていらっしゃいまして、あの困難な金融国会をはじめとする国会の乗り切りのために、今、宏池会の出身の閣僚の皆さんが中心になって活躍をいただいておるわけでございますし、党におかれましても、池田政調会長をはじめ、古賀国対委員長、さらには党役員の司、司において、宏池会の皆さん方がお支えを賜っておりまして、私どもはその上で小渕内閣、小渕自由民主党総裁がありますことを片時も忘れたことはないのであります。
分けて昨年七月末に小渕総理が就任をいたしたときは、ひょっとしたら、十数日で倒れるかもわからない、こんな思いすら重なっていく苦悩の毎日毎日でございました。けれども、内閣総理大臣を経験されました宮澤喜一先生がみずから決断をして大蔵大臣として就任をいただき、その困難な中に宮澤大蔵大臣が大変なご苦労をいただき、しかも高齢にもかかわりませず朝早くから夜遅くまで、時には徹夜をしながら、小渕総理を支えていただき、また党にあっては、先ほど申し上げましたように、池田政調会長をはじめとする皆さん方が森幹事長ともども、ご一緒にお支えをいただくことができましたために、きょう、この場に立つことができておるわけでございまして、本来ならば小渕総理みずから参りまして、御礼を申し上げ、また皆さんに温かいご支援を重ねてお願いを申し上げなければならない次第でございます。しかし、各グループのパーティが開かれまして、あちらに行って、こちらは国会要務のために出られないなどとなりましては、これはそれぞれの友党の皆さん方に申しわけないわけでございますので、私ども、頑固に自分たちが所属をいたします平成研のこの間のパーティにも総理は出ていただかないということにいたしましたので、きょう、小渕総理が欠礼をいたしましたことをあしからずお許しを賜りたいと思っておる次第であります。
もう加藤会長が既にごあいさつを申し上げられましたので、私から重ねて申し上げることはありません。ただ私は、先ほど申し上げましたように、三年間魂の触れ合いをいたしましたその中において、意会と皆さんがご存じない場面を一つだけご紹介申し上げたいと思うのであります。
もう知識、識見、理念、すぐれたことはこれは私が言わなくとも皆さんご存じであります。ただ、加藤さんは、二回大きな声で「いやしくも一党の幹事長をやったおれの前で、そんなことが言えるのか」、こう言ってどなられた場面があります。もう一つは、「いつまで甘えているんだ、いいかげんにしろ」、こう言って、またおねだりをしてくる人にどなられたことがあります。私は、単に政策マンだけでなく、あるときにみずから身を挺して、その職責に殉じようとする加藤紘一という政治家に大きな魅力を感じたのはそこにあるわけであります。そしてこの人と運命を共にしようと思いました。
昨年参議院選挙に敗れまして、「選挙の責任はおれが取る、君は小渕総理について官邸に入って責任を果たせ」。私は加藤幹事長に官邸に入ることによって責任を果たせと言われて入ったのであります。私自身、いつ倒れるかまからないと思うほど厳しい厳しいこの九カ月でございましたし、いかにして自分の健康を保つかも、いつ倒れるかもわからないということを不安に思いながら、おかげさまで、あえぎあえぎ来ることができたのも、先ほど申し上げましたように、宮澤大蔵大臣をはじめとする皆さん方の大きなお支えでございまして、小渕総理は心から感謝をしておる次第であります。先ほど来、加藤会長から引き続いて小渕総理のこれからの検討をみずから支えてやろうというお言葉をいただきまして、私は大きな感激と新たなる責任を痛感をしておるわけでございます。加藤会長がおっしゃるように、小さな政府、そして平成の大胆な改革、これは、今、二十一世紀末に与えられた我々、この世代に生きた政治家の責任であり、二十一世紀にまた引き継いでいく政治家の責任であると思うわけでございます。一層加藤会長のもとに結集をされまして、宏池会がいや栄えられますことを、そしてご来会の皆さん方の一層のご支援を賜れて、さらに発展をされ、皆さんのご健勝、ご多幸をお祈りして、ごあいさつといたします。
加藤さんは自民党の 大事な大事なホープ
さすが宏池会、そして加藤さんの政策あるいは政治的な見識のきょうはご披露されるという会でありまして、大勢の皆さんがこうしてお集まりもくださって、うらやましい限りもいたしますし、どうぞ宏池会や加藤さんのグループを通じて、私ども自由民主党に対しまして、大きな支援、お支えを賜りますように、あえてこの場をかりて党を代表して皆さんにお礼とお願いを申し上げる次第でございます。
今、野中さんからいろいろお話がございたした。世の中の進歩は早いわけですから、あまり昔のことをいつまでもこだわってはいかんと思います。しかし、ようやく自由民主党も国民の皆さんの理解を得て、小渕内閣がここまで支持も高めてきた。しかし、ほんのわずか五年前です、自民党は野党に落ちた。野党の経験のない自由民主党の議員の皆さんは毎日右往左往でした。毎日毎日、それこそゴキブリゾロゾロではないが、まあ、沈みゆく船から出ていく、ちょうど船底にいるネズミみたいなものでした。自民党からどんどん人が出ていく。一体これはどうなるのかな。役所の皆さんもだーれも説明に来ない。地方の知事さんたちも自民党本部に来ない。自民党の朝の、いつも今でも盛んにやっていますが、当時の政務調査会のいろんな部会、研究会、調査会も全く開かれない。そういう状態が続いたのです。
その苦しい内閣でどうやって自民党を再建させるか、必死の思いで私どもや加藤さんが努力をして、何とかここまでやってきたわけです。まさに、今こそ、先ほど加藤さんのお話もございましたように、自由民主党が国民の皆さんの不安感や期待感にしっかりこたえる政策を掲げて、大丈夫ですよ、一時的には小選挙区制の混乱はしばらく続くでありましょうけれども、やはり、保守の大きな一角は自由民主党なんだ、自由民主党を信頼し、自由民主党を支持していくことによって、日本は安全に繁栄をしていくんだ、そういう思いを国民の皆さんが抱いてくださるように、それぞれの思いで今、政策の展開をし、議論も深めているところでございます。
私の今、心の中にあるものは、まさに野中官房長官のおっしゃったとおりだと思います。総裁選挙がいつあるのか、前にするのか後にするのか、公選の規定どおりやれとかやらんとか、そんなことはその時期になって考えることであって、今、みんなで考えなきゃならんのは、しっかりと小渕さんを支えて、自由民主党があの苦しみの中から五年間でここまで立ち上がった、平成の御世になって、総理大臣が何人出ましたか。そういう混乱した状況の中に、やっとまた自由民主党を中心にした落ち着いた政治安定というものが出てきた。そのことを我々は大事にしていかなきゃならん、そう思っております。
加藤さんは、自由民主党にとって大事な大事なホープです。いや、大事な大事な指導者の一人です。どうぞそういう意味で、加藤さんもいずれ自分のご判断はいろんな形の中でまた判断されるだろうと思うし、私どもも相談していかなきゃならん。しかし、苦しい中に、ほんとうに宏池会の皆さんに、今、お立場は異なっていますが、河野さんも加藤さんも、ほんとうに真剣になって、きょうお見えになっている山崎さん、みんな苦労しながら自社さ体制で何とか政権与党に戻り、そして橋本内閣をつくり、そして小渕内閣でいよいよ自由民主党のこうした立場をつくり上げて、今、自由党のお力をかりて政権基盤の安定で国民の皆さんにやっと安心してもらっていただく状況でありますから、私にとりましては、その間ずっと自由民主党の要にあって、党というものの再建のために努力してきた、そういう立場でありますから、どうぞみんなで力を合わせて、小渕さんをしっかり支え、国民の皆さんに理解を得られる自由民主党として大きく蘇っていただきたい。
今、野中さんからもいろいろエピソードがありましたが、私も加藤幹事長を支えて総務会長をし、山崎さんの政務調査会長と一緒に自社さの難しい政策運営をしてまいりました。加藤さんはその中で、まあ、加藤、山崎、森、その中のだれか一人がやっぱり残って、新しい小渕内閣としっかり小渕体制を支えていく必要があるだろう、そんな中から加藤さんが一番体がでかい私を指名してくれ、おまえ残ったほうがいいよと、こうおっしゃった。生き恥をさらしながら、加藤さんがおっしゃった真意は何だろうか、そのことを十分私は頭に描きながら、自由民主党再生のためにしっかりやらなきゃならん、そんな思いでございます。
お集まりくださった皆様、冒頭申し上げましたように、どうぞひとつ、加藤さんを通じ、加藤先生を囲む諸先生方を通じ、自由民主党に対してお力を賜りますようにお願いを申し上げる次第です。
今、加藤さんが誇らしげに、池田先生からずっとこの宏池会が生んだ偉大な日本の指導者の総理大臣のお名前を列挙されました。私たちのグループは残念ながら、岸先生をあえてカウントしても、福田先生だけでございます。安倍先生も残念ながら、大きなご意志を達成されることなく、他界をされてしまいました。少し宏池会にたくさんあり過ぎるのかなというそんな思いもいたしまして、どうぞそんなこともご理解をいただければなと、加藤さんのお話を聞きながら、した次第であります。重ねてお礼を申し上げまして、加藤さんへの激励のごあいさつといたします。
保守本流の実力を発揮していただきたい
このたび、保守本流と言われる名門宏池会の会長に二十一世紀の政界のトップリーダーになる資格と実力のある加藤紘一さんが就任されました。まことにおめでたい限りでございまして、この祝いに今、馳せ参じてまいったところでございます。同時に、先ほどからいろいろお話がございましたが、橋本内閣のときには、自民党幹事長としてこれを支えていただき、さらに昨年小渕内閣誕生に際しましては、加藤会長はじめ、宏池会の皆様方が先頭に立って起爆力となって、小渕政権をつくっていただきました。これらのご協力に対しまして、改めてお礼を申し上げたいと思ってここに立たせていただいておる次第でございます。
先ほどからお話しのように、小渕内閣は今、まさに難局と言われる大変な中からスタートを切ったわけでありますが、経済再生ということを最大目標にして、今、懸命に努力をいたしております。皆様方のお支えによりまして、やや明るい空気が出てまいりましたが、あと一歩さらにこの努力を継続していかなければならないと思うのでございますが、先ほど加藤会長もこれをぜひバックアップしようというお言葉でございまして、心からありがたく承った次第でございます。
なお本日は、加藤会長が新しい政策提言、二十一世紀へのビジョンとして、日本の土台づくりということを言われております。我々も全く同感であります。この当面の経済再生を果たした後に、この土台づくりへとうまくバトンタッチができればいいなあと私は考えておる一人でございます。
その意味におきまして、きょう日ごろのご後援に感謝を申し上げますとともに、さらに加藤会長を囲む宏池会が、この保守本流の実力を発揮していただく日が早く来るように心から期待する次第です。
しかし、小渕さんは丑年でございますから、ゆっくり、まあ、あまり速く走れませんから、じっくりと今、やっておりますが、加藤さんは卯年ですから、すぐ追いつきますから、あわてなくても大丈夫、まあ、私はそう思っております。ともに協力をして、日本の国をよくしていただきたい、このことを希こい願いまして、ごあいさつにかえます。
この人だけは 裏切ることができない
加藤紘一宏池会会長は、実は私と同期でございます。昭和四十七年十二月第三十三回総選挙で三十六名当選いたしました、その仲間の一人でございます。生れながらにして何となく品がある赤ちゃんがいますが、同期の中では、国会議員として誕生したときから、大変光彩を放っていたように思います。
もう一人目立つ人がいましたんですが、もちろんみんな目立ったんですけれども、とりわけ目立っておりましたのは三塚博さんでございますが、この方が我々の仲間では一番早く派閥の会長になられましたわけでございます。二番目が私でございます。三番目が加藤会長でございます。私が彼の先を越しましたのはこれだけでございまして、当選以来二十七年間、一度も彼の前を行ったことがないと思います。
その言葉が忘れられないという言葉が、皆様方お一人お一人の人生の中に必ずあるはずでございます。私が忘れられない言葉、すなわち加藤会長と深い友情を持つようになりましたのは、多分、彼が当選二回にして大平内閣の官房副長官になられまして、そのころからめきめきと頭角をあらわされたのでございますが、そのころ、ある新聞に、自分のライバルはだれかというインタビュー記事が出まして、それぞれ将来を嘱望されている政治家の皆さんがそのインタビューに出られまして、生涯のライバルはだれかということにお答えになったのでございますが、加藤紘一会長は、それは山崎拓であると書いていただいたのであります。その新聞記事が私の生涯の加藤紘一会長に対する恩義と申しますか、そういう気持ちを抱くようになりまして、この永田町は永田町サファリパークと言われるぐらいでありまして、狐狸のたぐいがいっぱい住んでいると言われていますが、だれかは申しませんけれども。
そういう世界で、だまし合い、ばかし合いがかなりあると思うんですけれども、私も多少そういうことはしないわけではないんですが、加藤紘一会長をだましたことは一回もありません。また、ごまかしたことも裏切ったことも一回もございません。ほかの人を裏切っているという意味ではありませんけれども。この人だけは私は裏切らないで、ひとつ政界にあるはずがないと言われている友情というものを必ず具現したいと、かように心がけてまいった次第でございます。今後とも、そのつもりでおります。
彼のいいところは、戦略家であるということが一つございまして、YKKという今のマスコミにある程度人口に膾炙いたしました言いならわしがございますが、このYKKという言葉を発明いたしましたのは加藤紘一会長でございます。ただ、言葉だけではございませんで、YKKが果たしてまいりました日本の政治を動かしてきた役割というのは、大変大きかったと自負いたしておるわけでございます。これも彼の大局観、戦略眼によるものだと思います。
それからもう一つは、大変な政策マンであるということでございます。それこそ、当選した直後に、年金の官民格差を鋭く指摘されまして、政策マン加藤紘一を売り出されたわけでございますが、その後も政策三昧の政治生活をやってこれらた、そのように思うわけでございます。今回も、彼は政策をもって政策集団としての務めを果たすということを先ほどごあいさつの中で言われました。ぜひそうしていただきたいと思っております。そして、いつの日か、まあ、いつの日かと申し上げますが、次の総理大臣を彼が必ずやられるだろうと、それだけのレジティマシー(正統性)を一番身につけた、私は我が党の若きリーダー、ホープであると、かように確信をいたしておる次第でございます。
どうかご参集の皆様方の一層のご指導、ご支援を同志加藤紘一に賜りますように、友人として心からお願いいたしまして、お祝いの言葉といたします。
二十一世紀のリーダーは
あなたをおいてない
どうも加藤会長おめでとうございます。すごいですね。やはり政界のプリンスのパーティともなれば、こんな熱気あふれるこういう会になってしまう。おとといは泣く子も黙る経世会のパーティがございました。私どものところも、やろうかと思っておったわけでありますが、もう何人も残っておらんのじゃないかと思いまして、やらんことにいたしました。
加藤会長、もうこのたび、月刊雑誌以来、国家の危機に際して何をなすべきか、おれはこれをやるんだというそうした処方箋を提示をされました。残念ながら、今まで加藤会長、そんなことをおやりにならなかった。しかし、今回、意を決して、それをおやりになった。私は心から敬服をいたします。きょうもマスコミがたくさん来ていますが、マスコミは政治家のそうした志を、すぐ権力闘争だとか、あるいは政局というような観点からしか報道をいたしません。我々政治家というのは、権力闘争をやるためにやっておるわけではありません。我々は政治をやるために権力闘争をやるわけであります。その逆は絶対にないわけであります。
加藤会長がこのたび提示されました何をなすべきかという処方箋、今の小渕内閣一生懸命やっておるわけでありますけれども、指摘をされました、確かに供給面の手当をもっともっと思い切ってやるべきだというご指摘はそのとおりだと思います。しかしこの場合は、雇用の問題を含めて、私は加藤会長にこれを聞きたいんですけれども、小さい政府でやれるんですか、これが私のわからないところなんですが、今度じっくり聞かせていただきたいと思います。
後ろ向きの手当ももちろん大事です、やらなきゃいけません。金融システムの安定化を含めて、供給面のそういうもので。しかし、前向きの対策をやはりやらなければ、後ろ向きの対策ばかりに追われていくことになると思うんですね。私は加藤会長もそのことをご存じだと思う。加藤会長の今、子分が運輸大臣をやっているでしょう。成田があんなことになったんだから、東京湾に第三空港をつくることをやられたらどうですか、決断されたら。あるいは、石原知事が協力すると言っているんですから、電線の地中化を含めて、大都市の改造、思い切ってやったらいいんじゃないですか。そうした前向きの処方箋をぜひひとつ加藤会長に期待をいたしております。もう二十一世紀は間近です。二十一世紀のリーダーはあなたをおいてないということは明々白々な話でありますから、自信を持って頑張っていただきたいと思います。きょうはおめでとうございました。
小里貞利宏池会事務総長
加藤紘一宏池会会長
野中広務内閣官房長官
森 喜朗自由民主党幹事長
綿貫民輔平成研究会会長
山崎 拓近未来政治研究会会長
亀井静香志●会会長代行
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