| 「第三の自由・民主改革」に萬進されんことを切に望む
21世紀に向け日本が一層発展し、国民一人一人が真の豊かさを実感できる社会を作るには、「自立した個人」に信頼を置く、さらなる「自由・民主改革」が必要となる。
。 加 藤 紘 一(前自由民主党幹事長) 二十一世紀に向けた価値創造
私は自由民主党を代表し、先に行われた総理の施政方針演説に対し、幾つかの質問をさせていただきたいと存じます。
質問に当たっては、現在、国民に最も関心がある景気対策、財政再建問題、イラク問題等いくつか具体的なテーマに付いてお聞きしたいと思いましたが、これらのテーマはいずれも与党の幹事長として総理と責任を共有しています。従って、ここでは敢えて具体的な問題はお尋ねせず、それらの問題を処理するに当たって理念や考え方につて重点的にお尋ねしたいと思います。
総理、あなたは今度の施政方針演説の冒頭「将来のわが国を展望した上で現在をいかなる時代と認識し、何を優先課題とすべきかを考え…」と、時代認識に触れられました。
時代認識は、あらゆるリーダーが常に心しなければならない組織運営の基本です。それは地方自治体の長でも、企業の長でも、国境を越えて組織された団体の長でも事情は同じです。リーダーの的確な時代認識こそ、組織の構成員に信頼感を与え、指導者の自信を支える源泉になると言っても過言でないでしょう。
まして世界第二の経済大国の舵取りに責任を負う総理としては、常にその時代認識を内外に明らかにして置く必要があります。国の最高首脳が歴史認識を明示することによって、国民は自分たちの明日を思い描くことが出来ます。近隣諸国をはじめ世界の人々も日本の進むべき方向を知って、日本との協調の方途を考えることが出来るのです。
そこで、総理がこれまでに述べられた言葉も含め、改めて総理の歴史認識をお尋ねいたします。
総理。あなたは六大改革について「明治維新、終戦後の諸改革に次ぐ第三の改革にしなければならない」と述べたことがあります。この「第三の開国論」には、その後、様々な期待やイメージが付け加えられ、今や独り歩きを始めた感さえあります。ある人は一連の改革を、バブル経済を精算し再び高い経済成長率を取り戻すためのものと捕らえ、ある人は逆に経済成長優先のシステムから環境や人間を優先するシステムへの転換と捕らえています。また、ある人は一層の国際化を進めることが改革の目的でなければならないと考え、ある人は逆に日本らしさを取り戻すことに期待を寄せています。さらに官僚主導のシステムから政治主導、国民主導のシステムへの転換の必要性を訴えている人もいます。
総理の問題提起を受けて、国民が自分たちの直面している問題を長い歴史の中で考え直すことは決して悪いことではありません。むしろ自由闊達な議論は私たちが造り上げた社会の成果として誇ってもいいでしょう。ただ、イメージだけが先行して、勝手に描いた期待に反したからといって、政治に失望するという事態が生じるなら、それは別の意味で不幸なことと言わなければなりません。
戦後、急激な発展を遂げた日本が今、一種の閉塞状況に陥っていることを私も率直に認めます。戦後システムが至る所で制度疲労を起こしていることも総理と認識を共有しています。だが、その改革は戦後的発展をもう一度取り戻すといった消極的なものに止まっていてはなりません。
市場原理を健全に機能させるために 二十一世紀はもうカウントダウンに入っています。当然のことながら、総理の目指す一連の改革も、二十一世紀に向けた価値の創造を伴わなければなりません。そこで総理には、六大改革の持つ二十一世紀的意味について最初にお伺いしたいと思います。この改革の向こうに、二十世紀とは違うどの様な未来を描いておられるのか、お考えを率直にお述べください。
私は、いま日本で進められなければならないのは「第三の自由・民主改革」と思っています。
明治維新で私たちは、封建制を卒業して近代国家への歩みを始めました。国民には普通教育が義務教育として施され、国民の職業選択の自由は飛躍的に拡大しました。個人の権利に対する自覚も高まり、男性だけに限られていたとはいえ昭和初期には普通選挙も実施されました。これを「第一の自由・民主改革」とするなら、戦後の改革はまさに「第二の自由・民主改革」でした。女性にも参政権が認められ、基本的人権が幅広く認められるようになりました。
明治維新から百三十年の発展は世界の奇跡といわれますが、その原動力の一つが、個人の権利拡大に基礎を置く「自由・民主改革」だったことに異論を挟む人は少ないでしょう。
だが、二十一世紀に向け日本が一層発展し、国民一人一人が真の豊かさを実感できる社会を作るには、総理のおっしゃる「自立した個人」に信頼を置く、さらなる「自由・民主改革」が必要なのです。例えば、総理が熱心に取り組んでおられる規制緩和も、これまでもっぱら経済効果の面からのみ論じられて参りました。しかし、これも「自由・民主改革」のさらなる発展として考えて見る必要があります。
経済活動に様々な規制が加わった原因はいろいろありましたが、最も深い底流にあったのは、経済活動のすべてを市場原理に委ねれば、不法行為が横行し、貧富の格差が広がるという市場原理に対する根強い不信感でした。
それは普通選挙を導入するとき論じられた民主主義の弊害論と極めてよく似ています。普通選挙を導入するとき、反対論者は「無知な国民に平等の一票を与えたら国の方向を誤る」とか「煽動的な候補者の弁舌に引っ張られ、冷静に国政を論じる気風が失われる」などと主張しました。そこには国民に対する抜き難い不信感がありました。
だが、先人たちは「国民の英知」を信頼して、あえて普通選挙に踏み切りました。民主主義のその後の発展を見ると、様々な試行錯誤はあったものの、社会の緊張は緩和し、国民の政治的関心が国家の暴走を防いだこともありました。政党や政治家は有権者の審判の前に襟を正し、国民の活発な議論が、国や社会の指針を創造し、国民的合意づくりに大きな成果を上げてきました。
イギリスのチャーチル元首相は「民主主義には様々な弊害があるが、それ以外の制度に比べればまだましだ」と述べたことがありましたが、有権者の「判断の総和」に依拠して政治運営する民主主義は、今や人類共通の原理となろうとしています。
市場原理もこれに似ています。経済活動の多くを市場原理に委ねることに対しては、今でも様々な弊害論が出ています。だが、この原理に信頼を置き、その機能を最大限生かすことが、結局、商品やサービスの価格を引き下げ、品質を向上させ、国民に利益をもたらすのではないでしょうか。市場原理は、個々の消費者の「判断の総和」に信頼を置くシステムです。それは有権者の「判断の総和」に信頼を置く、自由民主主義原理の新たな発展と考えるべきでしょう。もちろん市場原理に信頼を置くことと規制を一切なくすことは同じではありません。むしろ市場原理を健全に機能させるためには様々な規制が必要になります。それは民主主義の原理を健全に機能させるために、誤った情報を流す行為や買収、選挙妨害などを取り締まっているのと同じです。民法、商法、独占禁止法、それに消費者保護の関連法を積極的に活用することで、初めて市場原理は健全に機能するのです。要は官僚の経済支配のための規制から、消費者が自由で公正な選択ができるようにするための規制へと、規制の立脚点を転換することが求められているのです。
マーケットの自由・民主化を進めるうえで忘れてならないのは、消費者に正しい情報を提供し、賢い選択ができるシステムを造り上げることです。情報開示は自由で民主的な市場の基本です。透明性の高い市場で、消費者が主体的な選択ができて、初めて市場原理は良さを発揮できるのです。
市場原理に基礎を置く経済社会への移行に当たり、もう一つ注意しなければならないのは国際金融市場の問題です。
アジア諸国の多くは昨年、国際資本の急激な逃避によって、通貨危機に陥りました。ある国では、一ヵ月足らずの間に、一年の国民総生産に相当する価値が消えたと言われています。このためアジア諸国では国際金融資本に対する強い反発が出ています。しかし、経済のグローバル化がこのまま進展すれば、今後もこうした事態がしばしば起こることが予想されます。
日本でも外国為替法の改正によって、四月から金融市場の規制が大幅に緩和されます。規制をできるだけなくし、経済活動を活発にするのは時代の要請です。しかし、日本に先立って金融緩和したイギリスでは外国資本が次々と進出し、現在残っているイギリスの証券会社は一社だけだといわれています。この現象は、競技場はイギリスにあるが、活躍するプレイヤーは外国勢が目立つウインブルドン・テニスに例えられますが、日本でも急激な外国資本の進出に国民が拒絶反応を起こす恐れがあります。そうなれば市場原理そのものへの疑念が広がりかねません。
国際的投資家で知られるアメリカのジョージ・ソロス氏は、昨年『アトランティック・マンスリー誌』に寄せた論文の中で「今後さらにレッセフェール(自由放任)型資本主義が野放し同然に増殖を続け、人間生活のすべての領域で市場原理という名の価値が幅を利かすようになったら、我々の住む開かれた民主的な社会は絶滅の危機に瀕するのではないか」と警告しています。
わが国は石油、鉄鋼石、ボーキサイトなどエネルギーと原材料のほとんどを海外に頼り、食糧自給率は四十三%を割っています。多くの商品が海外に輸出され、世界最大の債権国になっています。一年間に千七百万人近い人々が海外に出かけ、世界の資本市場の四十%余りは日本資本が占めています。まさに日本は自由貿易体制の最大の受益者といっていいでしょう。もしも国際資本の横暴によって自由貿易体制に対する疑問が広がれば、最も打撃を受けるのは日本といっていいでしょう。
当然、市場原理を健全に機能させるための規制の問題は、一国だけでなく、国際的にも取り組みが求められます。一昨年フランスのリヨンで開かれた先進国首脳会議のテーマは「国際化の光と陰」でした。ここで問題点は大いに議論されたと聞いていますが、大きな成果を上げなかったことは、昨年のアジアの通貨危機を防げなかったことを見ても明らかです。
経済の一層の自由化、民主化のためには市場原理を活用することが必要です。しかし、民主主義が今日でも制度上の試行錯誤を重ねているように、市場原理も健全に機能させる方法を人類はまだ見出だしていないのかも知れません。そこで、総理にお伺いします。
市場原理は弱肉強食の社会を作り出し、結果として社会に耐えがたい緊張を生み出す−という意見がありますが、これをどうお考えでしょうか。
「市場の暴走」という言葉がありますが、これについてのご意見はいかがでしょうか。 「経済の国際化」といいますが、一方で、それは外国システム、外国文化の安易な導入だという意見をどうお考えでしょうか。
市場原理とその制御、規制との関係はどうあるべきでしょうか。総理の率直なお考えを伺いたいと思います。
政府と国民の新しい関係について
「第三の自由・民主改革」に関連して次にお伺いしたいのは、政府と個人の役割、言い換えれば政府と国民の新しい関係についてであります。
百三十年前の明治維新は、このままでは外国の植民地にされてしまうという強い危機感の中で始まった改革でした。大胆な改革を国の隅々まで徹底し、外国に立ち向かうには、中央政府に権限を集中し、優秀な人材も中央に集める必要がありました。当時としては、この選択は正しかったのでしょう。官僚の強力な指導の下に日本は急速な近代化を成し遂げました。そして太平洋戦争を前にした昭和十五年前後、政府の権限はいよいよ強まり、国家総動員体制の下で戦争に突入していったことはよく知られた通りです。
戦後の民主化の中で、国民の権利は飛躍的に拡大されましたが、実はこの強力な官僚機構も基本的には温存されていました。連合軍の占領政策の徹底、戦後の復興、さらに高度経済成長政策の推進など「上から指導する発展」には強力な官僚機構は何よりも都合がよかったのでしょう。事実、国が進むべき方向を決め、国民を同じ方向に誘導するシステムは、欧米に追い付き追い越すことを目標としていた時代には実に能率よく機能していました。
だが、日本が第二の経済大国になったころから、このシステムは諸外国から脅威と受け止められるようになりました。最近の経済の足踏み状態の中では、国全体が同じ方向に突き進む体制がバブル経済の傷を深くし、回復を遅らせているという分析も出ています。
外国からの指摘を待つまでもなく、国の指導の下に、国全体が同じ方向へ一斉に走るシステムの限界は、バブル経済とその後を見れば明らかです。あの時、ほとんどの金融機関は貸し付け競争に狂奔いたしました。いま、ほとんどの金融機関が国際決済銀行(BIS)の基準や早期是正措置の条件を満たそうと貸し渋りで足並みを揃えています。
金融機関だけではありません。例えば電機業界でも一部の企業がテレビの生産を始めれば、他の企業も一斉にテレビの生産に力を入れ、一部の企業が集積回路の生産を始めれば、一斉に集積回路の生産に走り、より集積率の高い製品の開発を競い合ってきました。
諸外国では企業の目的は利益といわれます。ところが日本では利益よりシェアが重要視され、競争そのものが目標のような奇妙な状況に陥ってしまいました。
教育の現場も同じです。一流大学を出て、一流企業に就職する子供を育てることがいつの間にか教育の目標になり、子供たちにスポーツや芸術の才能があっても、まず学科の成績を上げることに親も教師も力を入れてきました。ここでも競争そのものが自己目的化してしまったといっていいでしょう。
総理。あなたは施政方針演説の中で「知恵や、知識を身につけるための教育が、いつの日からか、皆が同じように良い学校に入り、いい仕事に就くための手段となり、私たちは、いわゆる『良い子』の形に子供たちをはめようとする親と教師になっていないでしょうか」と深い反省を込めて語り掛けられました。実は教育に限らず、私たちの社会全体が過度な規範に縛られて、自由に発想し、個性豊かに生きる気風を失っていると言わなければなりません。
規範社会は、ひとたび規範から外れた人には強い疎外感を与えます。子供たちがナイフを振るったり、覚醒剤に走るのも、高齢者の自殺が増えるのも、こうした過度な規範社会が生み出したものといっていいでしょう。少年少女時代は純粋で最も感性豊かなときです。それに長寿は長い間の人類の夢でした。青少年や高齢者が強い疎外感を抱くようでは真に自由で民主的な社会とはいえません。
これに関連してお伺いしておきたいのは高齢者雇用の問題です。高齢者といっても今日元気なお年寄りが増えています。ところが、六十五歳定年制の下では、働きたくてもなかなか仕事がないのが実情です。人は貧しいから生きる気力をなくすのではなく、自分が必要とされていないと感じる時、生きる力を失うと言われています。高齢者が働いて社会に貢献し、生きていることを実感したいという時、その要望に応えられないようでは、とても高齢化に対応した社会とは申せません。そこでは給料の額は二の次の問題です。
定年制とは別に、お年寄りに生きがいをもってもらうために、高齢者雇用のシステムを考え出す時が来ていると思いますが、総理のお考えをお聞きしたいと思います。
「自立した個人」をどうつくっていくのか
総理が指摘された戦後システムの行き詰まりとは「上から指導する発展」システムの行き詰まりと言ってもいいでしょう。この閉塞状況を打破するには、官僚が国民を指導・管理する「大きい政府」の転換を図らなければなりません。総理が行政改革、地方分権に取り組まれるのは、まさに時代の要請に応えていると言えましょう。だが、そのためには「大きな政府」で恩恵を受けてきた業界団体や労組、さらに官僚群の抵抗を乗り越えて行かなければなりません。そのためには野党にも協力を求め、未来のために力を合わせて行かなければならないと思いますが、総理の率直なお考えを伺いたいと思います。
総理。あなたは施政方針演説で「自立した個人が、夢を実現するために創造性とチャレンジ精神を存分に発揮できる国」を目標の一つに掲げました。おしゃられるように「自立した個人」こそ、二十一世紀のキーワードでしょう。それは「第三の自由・民主改革」の目指す人間像でもあります。問題は、その「自立した個人」をどうやって作って行くかです。総理。あなたの六大改革のうち、教育改革はまだ明確な輪郭を現していません。施政方針演説の教育のくだりも正直に申し上げて抽象的な言及に止まっています。それだけ問題は複雑だということことなのかもしれません。
そこで総理にお尋ねします。「自立した個人」をどうやって作ってゆかれるのか、率直なお考えをお教えください。
「第三の自由・民主改革」を進めるのは、官僚主導の「大きい政府」を小さくするだけでは十分ではありません。「小さな政府」の一方に「自立した個人」が自発的に参画するNPO(非営利団体)やNGO(非政府団体)の発達を待たなければなりません。
私たちはこの百三十年間、大きな政府の下で暮らして参りましたから「小さな政府」への移行には戸惑いがあります。ところが、それ以前の江戸時代は幕府も藩も実に小さな政府でした。そこでは地域社会に根差した住民の様々なネットワークが存在し、このネットワークを通じて、かなり高度な自治を実践していました。最近江戸時代が再評価されている理由の一つは、このNPO社会にあります。現在、参議院ではNPO法案の審議が大詰めを迎えています。NPO、NGOに対する総理の認識をお伺いしたいと思います。
「第三の自由・民主改革」に関連して、もう一つ指摘しておかなければならないのは情報公開の問題です。官僚がエリートとして国民の上に君臨できたのは情報を独占し、官僚しか政策立案ができない構造を造り上げてきたからです。「知らしむべからず」こそ官僚の力の源泉でした。だが「第三の自由・民主改革」のためには、公の情報を国民が共有できる社会を作らなければなりません。
もちろん個人情報や外交・防衛に関わる情報は、これまで以上に管理を徹底してゆかなければなりません。でも、基本は「公開」です。情報を共有できて初めて国民は官僚と対等になり、国民同士の議論が広がり、国民主導の社会が作れるのです。
この問題で、私たち自民党にも反省する点があります。それは「与党の皆さんだからお教えします」といった官僚のささやきを与党の特権のように思ってきたことです。実はこうした情報も、官僚が取捨選択し、都合のいい必要最小限の情報しか提供しなかったにもかかわらず、国民の知らない情報を役人と共有していることに酔いしれていなかったでしょうか。
これからは情報をどんどん公開して、野党とも同じ土俵で堂々論戦する風潮を造り上げなければなりません。幸いにして、わが自由民主党には他党の追従を許さない優秀な人材が揃っております。豊富な経験の蓄積もあります。だから同じ情報を基に、オープンな論戦が進めれば進むほど、国民はわが党の力量を認識し、自由民主党に信頼を寄せるようになることは間違いありません。
最後に外交の基本姿勢について一言お伺いします。 今度のアジアの通貨危機では、国際通貨基金(IMF)、アメリカを初め多くの国や機関が支援の手を差し延べていますが、日本が最大の支援国であることは言うまでもありません。アメリカではアジアの通貨危機にアメリカ国民の税金を使うことに反対の声が出ています。そこで再び危機に陥るかどうかは日本の態度次第だという意見も聞かれます。だが、日本がこの問題に主体的に取り組もうとすれば、当然のことながらアジアを「円通貨圏」として、日本が全責任を負う体制作りが必要になります。ところが、こうした経済圏構想に従来の日本はどちらかというと消極的でした。アメリカへの気兼ね、先の戦争の記憶など理由はいろいろあるでしょうが、危機に陥っている時、日本が前面的に出なければアジアの真の信頼を勝ち取ることはできません。この問題で日本が全責任を負う体制を考える時が来ていると思いますが、総理のご所見をお伺いしたいと思います。
総理。二十一世紀は目前です。ところが野党は離合集散を繰り返すだけで、とても政権を担当する態勢にありません。改革の途上で、時には逃げ出したい誘惑に駆られる時もあるでしょう。でも、自由民主党に逃げることは許されません。苦しくても歯を食いしばって改革を進めることが自由民主党に課せられた使命です。確固とした歴史認識を支えに「第三の自由・民主改革」に邁進されますことをお願いして私の質問を終わります。
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