随想風政策論
靖国問題−国際社会の視点から
A級戦犯合祀が分岐点
 「国のために命を散らした英霊に誠を捧げに行くことの何が悪いんですか」と小泉さんは言う。そのとおりだと思う。祖国のために命を亡くした人に頭(こうべ)を垂れ、鎮魂の祈りを捧げるのは、国民として当然のつとめだ。だからこそ、昭和53年にA級戦犯の人たちが合祀されるまでは、中国も韓国も首相の靖国参拝になんら異を唱えなかった。当時、「靖国問題」といえば、政教分離の問題として、純粋な国内問題だった。

 それが何故、外交問題になってしまったのか。A級戦犯合祀を境にしてである。 A級戦犯を裁いた「東京裁判の正当性」に対していろいろな意見があることは承知している。 しかし、と敢えていう。
サンフランシスコ講和条約で、日本は東京裁判の結果を受け入れ、戦犯の戦争責任を承諾したのである(同条約第11条)。誰でも自国の戦争責任を受け入れるのには、心理的抵抗があるに決まっているが、約束は守らなければ・・・。

対中関係のみにとらわれずに考えよう
以前、アメリカ国務省のアジア専門家たちと話し合う機会があった。彼らも「靖国問題とは、突き詰めると、講和条約を日本が守るか守らないかの問題だ」と言っていた。
今は「靖国問題」というと、中国との感情的な問題のようにとらえられているが、実は対米問題でもある。中国に文句を言われたら反発していたのに、アメリカに言われたら参拝やめました、ではあまりに情けないではないか。
サンフランシスコ講和条約で日本は国際社会に復帰した。そのときの精神に立ち戻り、国際社会の目から、靖国問題を問い直す時が来ている。