随想風政策論
社会保障を考える
黎明期の論争
25年前、まだ当選2回の頃。私は社労族であった。福祉政策の黎明期。
特に年金制度は
「年金の夜明けだ」とか、
「スウェーデンでは国家が国民の老後を保障する。素晴らしい。」
「いや、北欧諸国は税金が高い!高福祉は高負担だ。良くない。社会の活力が失せる。」
との反論。ほぼ神学論争に近くなっていた。すると身障者団体の代表が議員会館によく陳情に来た。当時、私は個人的な思いがあって、全国盲人連合会の顧問をしていた。
「我々の福祉も高負担になるのですか。とても負担能力がないのですが・・・」
とポツリ。
それをきっかけに、私は福祉関係専門誌に小論文を書いた。簡単な論旨だが、私はいまでも妥当だと思っているし、世の中もその方向で流れている。
社会保障 三つのカテゴリー

1.古典的な福祉の分野だ。自分の過ちでもないのに、ハンディを背負っている人、例えば身体障害、心身障害、難病の人々だ。高福祉を低負担で準備すべきだ。人数も多くない(身障1級133万人、心身65万人、難病54万人)。日本の国力で可能だ。1〜2兆円の世界だ。

2.医療・年金・介護の分野だ。人間誰でも病気になり老いる。全ての国民が対象だ。数千万人が対象で70〜100兆の世界だ。必然的に高福祉は高負担になる。効率的な制度運用が必要になる。

3.その中間の判断の難しい分野。生活保護もその一つ。市町村の判断が必要で、県に移管してよいとは思わない。「保育に欠ける」児童対策、離婚に伴う母子家庭や父子家庭などもこの分野だ。離婚の事情に行政や政治は立ち入れない。外形的に対応せざるを得ない。