この国の形、社会の単位 |
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「足るを知る」の精神は・・・
1年ほど前のことだ。インド出張から帰国したばかりの友人が浮かぬ顔をしている。彼はバリバリの商社マンだが、現地でインテリ経済人に難しい質問をされたと言う。「日本人は、なぜみんな不幸そうな顔をしているのですか。一人当たりの国民所得は世界64億人のうちトップ1〜2%に入る超リッチ。インドの約15倍の豊かさ。それなのに自殺者は多く、国民はいつも青い顔をしている。インドの人々は貧しいが、結構笑顔も多いでしょう。」友人は答えに窮し、とりあえず「日本では政治家が良くないからね。」と言ったらしいが、「来月また出張する。今度は何と答えたらいいのだろう。」と真剣だった。 この質問は難しい。私も多くの識者や選挙区の人々にぶつけてみたが、みんな当惑する。私にも確たる強い解答はないが、あえて言えば、我々日本人は、「足るを知る」(知足)の精神からあまりに離れすぎたのだと思う。自らを隣の人、同僚、親戚、同級生と比較し、自分の持っている車や住まいや子供の進学など、すべて比べ競争し、飽くことがない。「追いつき追い越せ」の精神で走り続け、追いついた後も何かに追いつこうとしている。SMAPの『世界で一つだけの花』がヒットしたのも、まだまだ自分だけの美しさを持った花と自信がもてないからだろう。 日本を育てた「追いつき追い越せ」
キャッチ・アップ、「追いつき追い越せ」の精神の原点は、明治維新にさかのぼる。黒船渡来で開国した日本の目の前に現れたのは欧米列強の軍事力と豊かさ。これに追いつき追い越さなければ国の存立が危ぶまれた。
そこで第1のスローガンが「富国強兵」。日清戦争・日露戦争までは良かったが、太平洋戦争で判断を誤って悲劇となった。 追いついた後に残った3つのもの
しかし、1980年代後半から新たな問題が生まれた。第1は、キャッチ・アップ完遂後の目標喪失感である。本来なら消費財をこえての豊かさ、例えば、大きく豊かな住宅、プールつきのマンション、自然豊かな公園や別荘といきたいところだが、都市住民は、「土地の狭い日本では無理なこと」と諦めている。だから目標にはなかなかならない。 第2は、明治維新が今様に言えばグローバライゼーションの「はしり」であったが故に、その後100年経ち、日本人の心の中で元来の価値観の融解が進行してしまったことだ。 第3は国家としての追いつき追い越せ政策が、国民相互の間にも競争心、比較意識を定着させてしまったことだ。その意識はあまりに強烈で、それぞれの人の個性・趣味・人生観を凌駕してしまい、競争そのものが自己目的化し、価値になってしまった。 これからの「この国探し・自分探し」
けれど日本人はやはり鋭いし賢い。10年ほど前から日本のアイデンティティーを捜し求め研究し始めた。東京でも大阪でも山形でも、大きな書店になんと多くの歴史書・宗教書が陳列されていることか。また「個の確立」の努力も社会の各層で行われている。だから前述のSMAPの歌がNHK紅白のトリにまでなる。 みんなが「この国探し・自分探し」をやっているのだ。
よく人は、「日本のよき伝統」「日本人の心」「古くからのもの」「日本らしさ」という。しかし、それは具体的に何を指しているのか。「教育勅語」では、とても答えにならない。 明治維新から今日までの社会運営の中で、我々日本人が失ったもの、あるいは失いかけているものは何か。そして今後、日本人が誇りに思い心の支えにしていくものは何か。 自分の政治生活30年余りの中で考えたこと、読んだ本や論文、選挙区で数限りなく繰り返したミニ集会での討論、全国行脚討論集会での語り合い、コロンビア大学での授業中に学生と交わした質疑、中国の旅、またパレスチナの土漠・砂漠を10日ほどバスで回った時感じたことなどを中心にキーワードを網羅的に挙げると次の通りだ。 豊かな自然、儒教道徳、神道精神、仏教精神、ワビ・サビ、武士道、
万系一世の天皇制、自由主義、ムラ社会、神社と寺、融合文化、 祭りの国、人の和、自然との融合、三世代同居の大家族制度、一家団欒 これらの言葉の中から、何を取り出し、何をより強く感じるか。それは人それぞれ違う。歴史観や体験によって異なるし、また、今後どんな「この国のかたち」を希求するのかでも大きく違うだろう。私としては次の3点が重要だと思う。 第1に、日本人は恵まれた自然の中で生きてきたということ。 紀元前3000年頃にお金のためにレバノン杉が全部伐採され不毛の地になったパレスチナとは違い、人間を育み慈しんでくれた山河に対する感謝と尊敬の念には特別なものがある。自然と共生する気持ちは、我々の生活の随所に生き生きと存在する。中国の文化やパレスチナ3大宗教圏と大きく文明的な差異を示している。この「自然に対する崇敬」が日本文化の根本価値である。 第2は、人は一人で生きてゆけないことだ。
だから集う。群れる。スタートは、無論「家族」であり、その重要性は論ずるまでもない。 第3は、この自然崇拝理念と地域の人々を結び付けていたのが神社であり、寺院であった。 神仏混合の場合もあった。神社は、特別の偉人・指導者への追慕の念ないし、特別のもの(山川草木その他)への畏敬の念から設立されており、特別の教義やイデオロギーはない。人として生きる道も特に声高に説かないから宗教でもないように思う。神主さん達は、自然と人間の仲介者であり、天皇家は全国の神官の最高権威であり、非政治的存在であられた。明治維新の指導者が、この天皇家に政治的、軍事的な権威を附与し、一部の神社と結びつけ、国家神道にしたことは、三島由紀夫の文化天皇論の立場からみれば大変残念なことだったに違いない。私もそう思う。 第4に、ここで問題なのは、自然の神の前に人間が地域社会を構成した場合、人はなかなか自己主張をしにくいことである。
個性的で革新的になれない。そのような社会はともすれば安逸の世界に陥るし、悪く展開すると“村八分”のような精神的暴力の世界に入る。 地方に力を、人々に居場所を
教育、介護、地域内環境整備、水道、地域芸能─どれ一つとっても、主張がぶつかり合い、論争社会が生まれるだろう。これを殺しているのが過度の中央集権である。また、地方分権といっても、県レベルで止まってしまうと、かえって住民自治を阻害することに注意すべきだ。基礎自治体といわれる市町村を豊に、やわらかく働けるようにすることだ。一人ひとりが、地域の中で自分の役割を見つけ出すことが重要だ。それが、スポーツ少年団の指導員や祭りの和太鼓の打ち手になることでも良い。また、街を花一杯にする活動でも良い。とにかく経済合理性の世界の外で、何物かを見つけ出し意欲的になったとき、そのお陰で地域は活気付くし、また個人としても更なる歓びの分野を開拓して行くのではないだろうか。 |
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