随想風政策論
ゆとり教育と基本法
今、教育こそが緊急テーマ

今回の解散直後、酒田・鶴岡・新庄での国政報告会でアンケートをやってみた。それぞれ100〜200人の参加者で平均50才位の構成だった。
「あなたは次の4つのうち、どれが緊急の政策テーマだと思いますか。一つだけに挙手を……。年金・介護・義務教育・郵政」
驚いたことに、結果は義務教育60%、年金20%、介護と郵政10%ずつだった。

彼らは言う。
「加藤さん、年金も介護も、国全体がしっかりした後の分け前バランスの話、世代間の公平の問題でしょう。小中学生の教育は、近い将来日本全体がつぶれるかどうかの真剣な話です。」
私は勇気づけられた。こんなに鋭く厳しい目で政治を観察し投票する人が多いとすれば、この国は大丈夫という気がした。

地域の教育力を再び
子供を教育する場として、学校と家庭が議論の対象になるが、30年前まではこれ以外に、「地域の教育力」が強くあったし、明治・江戸時代には、寺子屋など「宗教の場の教育力」があった。これが弱くなっている。また、「家庭の教育力」も核家族化の中で極端に低下した。
昔だって、若い両親の教育力はそれほどしっかりとしたものではなく、祖父母や親戚のおじさんの意見など、幅広い「親族の教育力」があった。今、それはない。

その状況下で、学校教育だけが俎上に上げられているのはかわいそうだが、中曽根さんの「臨教審路線」はうまく展開していない。
総合教育は、もともと幅広い家庭の教育力とか地域の人々ないし子供達相互の触れ合いの中から感得すべきものであるのに、学校という箱の中に入れてしまった感がある。
週五日制も、両親が共働きで不在だったり、地域が崩壊していては、学校から帰っても家の中でゲームをやるだけになる。地域によっては、学童保育がうまく機能しているところも多いが、都市部中心だ。
「地域の再生」こそ急務。2002年の学習指導要領の問題点は、学校・家庭・地域の関係を充分読み込まなかった点にある。

子供達のやる気を引き出そう
学校教育も含め、すべての教育の原点は、どうやって子供達のやる気・意欲を引き出すかにかかっているが、基礎科目は徹底して長時間教えたほうが良い。反発する子は、別の面にエネルギーを出そうとする。「子供達全員が100点を」といった平等感覚では、全員を無気力にする。

教員免許更新制のあるべき姿とは
教教員免許の更新制度を導入すべき時に来た。
自民党文教部会でも論議されており、その流れもあってか、8月中旬、文科省の担当者が「導入を検討する方向で、中教審に諮問する」と説明に来た。
「10年か15年ごとに一度、先生たちをテストする」
という。いい改革の流れだと喜んだが、詳しく質問すると、
「適用は、今後新規採用する教員からです」
という。これでは、「ダメ先生」が排除されるまで、30年かかるということだ。
ちょっと前、大学教授・教官を任期制にする改革も、ほぼすべての国公立大学で導入済みと報告を受け、
「すばらしい」
と思ったが、よく聞くと、これも適用は新規採用の人からで、今いる教授は無気力でも一生教授を保証される方向である。

アメリカの大学では、終身教授の身分(テニュア)を獲得できるのは、かなり業績をあげた少数の人が、早くて35歳くらいからだ。代議士は3年に一度、「解散・総選挙」という免許更新テストがあって、実に25%の議員が議場から消えていく。売れているラーメン店も、ちょっと油断すればライバル店に抜かれる。教員免許の更新テストには、先生方の強い抵抗があるらしい。
生徒・学生には厳しい試験を課すが、自分たちは絶対テストされたくない、ということでは困る。

まず「この国の形」の議論から
教育基本法の改正が、繰り返し議論になる。しかし、「この国の形」についての理念、いいかえれば子供達に教え伝えるべき国の姿、社会のアイデンティティーが不明瞭な段階で、どっしりした基本法は作れない。国会で成立しない。
もはや、東西冷戦時代ではない。教育基本法という憲法に準ずるような重い法律を、乱闘と強行採決で作るべきものでもない。
憲法改正についても、同じことがいえる。みんなで日本の近現代史を少なくとも明治維新にまでさかのぼって論証する必要がある。