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アジアにおける「第三の道」
アジア行脚第一弾「台湾」
(2001年8月31日南海基金主催の講演会)

■ 何既明理事長への謝辞

まず、ご招待くださいました南海基金と何既明理事長に感謝の気持ちを表したいと思います。

南海基金は三年前、台湾のマスコミ代表団を日本に派遣し、日本のマスコミ界との交流を行いました。私は久しぶりに台湾の人々とゆっくり話し合ったのですが、それ以来、いつか台北を訪れ、何既明さんや南海基金の皆さんと、じっくりと意見を交換したいと思っていました。今回は、お招きいただき、本当にありがとうございます。

〈中国語による挨拶〉

私は学生時代から、中国問題をライフワークにしようと思っていました。その願いがかない、1964年に外務省から研究生として台湾に派遣されることになりました。

三ヶ月の中国語研修を経て、初めて台北へおりたちました。私は、中学時代から外務省に入るまで、九年間も勉強している英語でさえ、米国人の前で話すのは不安なものでした。ましてや、短い期間しか勉強していない中国語を話さなければならない台湾です。ただただ、心細い心境でした。

空腹をおぼえたので、一人でホテルの食堂に入りました。ウエイトレスが出てきたので、「食べ物を注文したい」と言うと、彼女は「いいですよ」と答えてくれたのです。中国語が通じたのです。この時の感動は、今でも忘れません。

「何をたべますか?」

「スープそば」

「はい。どんなスープそば?」

「意味が分かりません」

すると彼女は笑いながら

「麺の上に、何をのせますか? 牛肉? 野菜? それとも、鶏肉?」

「分かった。では、牛肉をお願いします」

「あなた、日本からきたのね。じゃあ、つくってくるね」

たった三ヶ月の勉強なのに、自然に通じたのです。やはり、日本人と中国人はどこか共通するところがあるのでしょう。中国問題をライフワークにして良かったと、つくづく感じました。

それ以来30年近く、私は中国、台湾、そしてアジアの問題を考えつづけてきたのです。

中国語でのスピーチは、ここまでにしましょう。

やっぱり、日本語の方が楽ですから。

■ 全国行脚は貴重な財産

じつは私、今年の二月から「全国行脚」と銘打って、日本国内の各地で対話集会を行ってまいりました。すでに50数カ所にもなるでしょうか。九州の熊本県では、不況に苦しむ中小企業の経営者の皆さんと語り合いました。北海道の過疎の村では、地元の農家の人たちと語り合いました。とにかく、「全国行脚」では、堅苦しい肩書きをはずし、ひとりの政治家としていろいろな立場や意見を持つ方々と接しています。こうすることで、21世紀の政治を考えていくうえでの貴重な財産を、逆に皆さんから頂いてきたと思って感謝しています。

この「全国行脚」を日本国内だけでなく、広くアジアの各地にも足を伸ばしてはどうかと考えました。カンボジアやミャンマーで農民と話し合いたい。重慶やハノイで大学生と討論したい。そう思ったのです。政治的な立場も違う。社会的な環境も違う。そんなアジア各地の方々と対話を重ねれば、アジアがこれからどこへ進めば良いのか、そのために私たちが果たすべき役割は何か、見えてくると思うのです。そして、今回の台湾でのこの講演が、私の「アジア対話シリーズ」の第一回。そう位置付けています。

■ アジアに必要な新しい経済協力関係

アジアの国々と地域には、それぞれ独自の難しい課題があることを私も承知しております。朝鮮半島の南北統一、台湾海峡をめぐる両岸問題、さらに、ASEAN諸国もそれぞれに民族・宗教上の問題を抱えています。しかし、ここではいったん、そのような個別の課題を離れて、東アジア全体の視野に立ってみることから始めてみましょう。

戦後、アジアでは、1950年代の後半から日本が、また多少前後しますが他の諸国は大体1960年代後半から経済成長へのスタートを切りました。その後は各国ともに二ケタの経済成長を遂げ、アジアNIEsと呼ばれる国々へ発展しました。また、社会主義中国やベトナムも改革・開放の市場経済化に踏み切ったのです。このような経済の急成長が地球上の一つの地域に集中的に見られたのは、歴史的にみても、かつてないことでした。世界銀行のレポートがこれを「東アジアの奇跡」と評価したことも、よくご存知でしょう。

しかし、やがて外国の巨額な短期資本をとり入れて、一方で設備投資を図りながら、他方で経常収支の赤字をファイナンスするといった危険な側面が生じてきました。1997年秋のバーツ危機から始まったアジア通貨危機は、その弱点をつかれた形となりました。大がかりな投機的資金が揺さぶりをかけ、経済そのものを破綻させていったのです。

アジア通貨危機が深刻になった原因として、いわゆる「感染効果(Contagion Effects)」と呼ばれる現象が指摘されています。カゼでもインフルエンザでも、近くにいる人にだけうつります。同じように、通貨危機もアジアの地域内の貿易や投資が拡大して緊密になったため、連鎖的に深刻化していったのです。

ですから、通貨危機を未然に防ぐには各国が協力し合うことが不可欠です。実際、危機からの再建のプロセスで、アジア諸国の間では、少しずつ協力関係が生まれてきました。アジア諸国は、為替レートの切下げ競争のような、相互の叩き合いはしませんでした。また、わが国もIMFへの拠出や各国への緊急融資、300億ドルの緊急融資枠の設定など、さまざまなサポートを行いました。

また、短期資本の急激な流入に対する相互監視や情報の交換など、各国間でいろいろ新たな協力が芽生えています。

通貨危機が発生した直後、わが国は「アジア通貨基金(AMF)構想」を打ち出しました。しかし、米国と中国の反対に遭って、構想は頓挫したのです。グローバル化が進む中で、アジア通貨危機の再発を防止するためには、域内の各国が協力して政策の監視や協力の場を設けることは不可欠です。ただし、この地域にも大きな影響力を持つアメリカを無視して計画を進めることは、現実的とは言えません。今後は、先の反省を踏まえて、IMFとの協力のもとに、アメリカを含めた形で「新アジア通貨基金(AMF)」の創設を検討すべきでしょう。

もう一つ大事な点があります。それは、今、アジアに「小さな三角形」の経済圏が形成されていることです。大陸沿岸の金門と馬祖の両島に限って「三通」を部分的に認める「小三通」。南方にあるタイ・カンボジア・ラオスの三つの国による「バーツ経済圏」。あるいはシンガポール・ジョホール(マレーシア)・リアウ(インドネシア)の「成長の三角形」。単なる偶然ですが、どうも三にゆかりがあるものが多いのです。いずれにしても、アジアにはこうした幾重にも広がる小さな経済圏が着実に広がっているのは事実です。

今、日本はシンガポールとの間では自由貿易協定(FTA)を発足させようと大詰めの交渉を続けていますが、こうした二国間、あるいは多国間の密接な経済協力関係を、一つ一つ積み上げてゆきましょう。そして、将来、より広く、より充実した経済圏に発展させるべきです。

閉鎖社会の殻に閉じこもるのでもなく、また、ただグローバル化の大波に漂うだけでもない、東アジアにとっての「第三の道」を考えてゆくべきです。

■ 心の豊かさとしての文化

これまで、主として経済の分野でのアジアの協力についてお話してきました。東アジアを結ぶもう一つの力として、次に文化を考えてみましょう。今や東アジアの若者たちは、音楽ではすでに一つになっているといっても過言ではないでしょう。東京でヒットした曲はたちまち、ソウルや上海、香港、台北、シンガポールで流行します。日本のミュージシャンの中には、最初からアジアのマーケットを念頭において新曲を出す人たちが増えていると聞きます。

反対に日本へもじつに多くのアジアの国々からミュージシャンが来て公演したり、コンサートを開いたりしています。彼らとそれを受け入れる若者たちにとって、もはや国境はないのでしょう。

またポップスほどではないでしょうが、伝統芸能の交流も活発です。京劇やバリ島の舞踊なども、さかんに日本で公演されています。それだけでなく、それを学びたいという人も多いようで、本格的に修行するものから趣味として習うものまで、いろいろな講習会が開かれています。

異なる文化を知るということはそれを通してその文化を育んだ人々の、ものの考え方、感じ方を知るということです。それが政治のギスギスした関係を和らげ、不要な誤解を避ける上で果たす役割は、はかり知れません。お互いを「知らないこと」こそ、不信や不安の土壌となるからです。

ここで少し「囲碁」についてお話をしたいと思います。台湾出身の棋士では林海峰先生が有名ですね。少年の頃、単身日本に渡って修行を重ね、23歳の若さで名人位に就いたことは、みなさんのほうがよくご存知でしょう。今年、59歳にして、名人戦の挑戦者になられました。頭と体の極限での戦いですから、脱帽するしかありません。

林先生だけでなく、いま日本棋院の三大タイトルのうち、棋聖は王立誠さん、本因坊は王銘 さんと、二つまで台湾出身の方が占めています。もしも今度、林先生が勝たれれば、三大タイトルは独占ということになりますね。じつは台湾勢だけでなく韓国や中国から来られた棋士の活躍もすばらしく、日本棋院というよりはアジア棋院と呼んだほうがふさわしいかも知れません。

囲碁のお話をしたのには理由があります。囲碁の世界では、国籍や出身地をめぐる差別や偏見が見られないのです。フアンもまったくこだわりなく受け入れています。もちろん、棋士相互での確執もないようです。このことを端的に示すエピソードがあります。台湾出身の楊嘉源さんと沖縄出身の女流棋士、知念かおりさんが、めでたく結婚されたのです。台湾と沖縄。考えてもみればお隣同士ですよね。台湾と沖縄を結ぶ市場経済の構想が持ち上がっていますが、「愛は、さらにすばやい」というわけです。

囲碁に限らず、優れた文化は国籍や民族の壁を超えます。市場経済に乗って広がっていける音楽や映画、アニメーションなどは良い例でしょう。

「アジアは文化が多様なので、アジア全体がまとまることなんて出来ないのではないか」

以前からこうした指摘が多くの人から出ています。確かに、多様であるということは、バラバラになる危険を秘めているのは事実でしょう。しかし、それでも私は、アジアはまとまれると思います。異なる文化を隔てる垣根を超えようとする共通の努力が、アジアをまとめる求心力となるのです。実際に皆さんは、今、異なる日本の文化を背負った私の声にこうして耳を傾けて下さっています。私も、

「よし!アジア行脚をやろう!いっぱい、やろう! 自分が先頭に立って、やってやろう!」

皆さんのおかげで、そんなファイトと勇気がわいてきます。

■ 持続可能な発展と環境問題について

市場経済の拡大は効率化をすすめ、世界を一つにしていく上で、大きな役割を果たしてきました。しかし、その原理だけでは解決できない問題もあります。世界的な社会格差の課題や自然環境の保全問題です。「グローバリゼーションの光と影」はアジアおいても例外ではありません。

従来、環境問題といいますと「それはすでに工業化をなし遂げた先進国の問題。われわれはそれ以前の段階で苦悩している」という反発が、途上国のサイドから出されました。たしかに、先進諸国に大きな責任があることは異存ありません。しかし、これからは一定の工業化を成し遂げたアジア諸国にも、経済力に応じた責任が求められると思います。

もともとアジア、とくに熱帯・亜熱帯・温帯に属する地域は、自然に大変恵まれてきました。樹木の成長が早く、大気もモンスーンや台風などによる特有の浄化作用によって澄んでいました。それだけに自然は「与えられたもの」という感覚が強かったのでしょう。

地球温暖化防止の「京都議定書」をめぐって、なぜヨーロッパ諸国はあそこまでこだわるのだろう、と疑問をもたれた方もおられると思います。ヨーロッパはもともと自然の環境にそれほど恵まれていませんでした。それに加えて人口の増加、工業化、あいつぐ戦乱によって国土の荒廃が著しく進みました。そこから大変な苦労をして、少しずつ緑を取り戻してきたのです。彼らが環境保全について人一倍関心が高い理由の一つには、苦い歴史の教訓があるためだろうと思います。

かつて日本で公害規制が厳しくなったため、規制のゆるいアジア諸国へ工場ごと「公害を輸出」した例もありました。もちろん、許されることではありません。いま、アジアの国々では工業化や都市化による公害問題に直面しています。日本からの対策技術の供与を進めるなど、東アジア全体で取り組む必要があります。

環境問題は、世界的な視野にたてば、もはや避けられない課題となっています。政府と企業とNGO。この三者が、環境問題の解決のためにひとつのテーブルについて議論すべき時が、数年のうちにくると思います。

一方、緑のスペースを守り、植林を計画的に実行するには、通り一遍の対策だけではなかなか解決できません。それぞれの土地の事情や木の種類に合わせた、きめ細かな対策が必要なのです。また、地域で優秀なリーダーが育つこと、それに住民の意識革命も大切な要素です。これなしには、長続きは期待できません。

いずれにせよ環境問題は東アジアにおいても「待ったなし」のところまで来ている。このことは確かです。

■ 東アジアの「総合安全保障」を考える

経済的な協力関係、心の豊かさを示す文化、健康的な生命を守る環境。これらはすべてアジアが平和な社会であることが前提になっています。そこで東アジアの安全保障について、私なりの構想をお話してみたいと思います。

最初に申し上げましたように、朝鮮半島問題や台湾海峡問題など、東アジアには冷戦時代の遺産のような懸案が引き続き残されています。では、これに対して、たとえばわが国が強大な武力を備えることによって対処するのが解決への道につながるのか。私はそうは思いません。それに代わり、二つの方向で今までの東アジアの安全保障に、新しい内容を付加したいと思います。

一つは、1970年代、当時まだ冷戦たけなわといった時代でしたが、大平元首相は「総合安全保障」という考え方をはじめて提唱しました。簡単に言いますと、日本は「軍備だけでなく、たくましい経済を育て、開発援助を行い、諸国への投資を活発にする」——そのような総合的なシステムで平和を保障する、ということです。その頃はまだ日本もアジア諸国の経済的な力もそれほど大きなものではありませんでしたし、日本とアジアとの関係は経済的にもいまほど緊密ではありませんでした。しかし、25年近く経った今日こそ、この「総合安全保障」の考えが生かされるべきではないでしょうか。

昨年は20世紀最後の年でしたが、「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀の締めくくりにふさわしく、南北朝鮮の自主的平和的統一をめざす共同声明が発表されました。日本もこの共同声明の実現に、大きな賛成の意思を表明しました。

今、求められているのは、北朝鮮を国際社会に向かって開かれた国にすることです。そのためには、工業化のためのインフラ整備はもちろん、毎年数十万トンから100万トンもの食糧援助を仰いでいる農業の再建、伐採のため例年のように起こる河川の氾濫を防ぐ治水事業など、多くの分野で援助が必要です。これにより朝鮮半島が安定化すれば、東アジアにとって、はかり知れないメリットとなります。こうした努力も、広い意味では総合安全保障政策の一つではないでしょうか。なにも、直接の武力や軍事だけが安全保障ではないのです。

いま一つの方向は、東アジア独自に多国間の安全保障システムを構築することです。これまでは日米安保をはじめとして、それぞれの国がアメリカと安全保障条約を結んできました。いわば放射線状の体制です。これを廃棄するということではなく、これに付加するものとして、面状の多国間による地域安全保障体制を考えたいのです。これを支える基盤として、ASEANのARF(アセアン地域フォーラム)は、すでに各国から信頼を獲得した議論の場となっています。

以上、東アジアにおける総合安全保障と多国間安全保障についてお話してきました。その前提に、日本が過去第二次大戦でアジア諸国に甚大な犠牲を与えたことに対する責任を明確に認識していることを改めて明らかにしておきます。教科書問題や靖国参拝問題で、日本がふたたび軍事大国への意図を持っているのではないか、という懸念が示されたことは承知しています。たしかに、国内に過去の歴史についてのさまざまな見解があることは事実です。しかし、再び日本が軍事力でアジアに君臨しようとする道は決してとり得ません。この大前提がなければ、これまで述べてきました経済協力圏も多国間安全保障構想も、すべて成り立たないものと私は思っております。

もう一つ、これは自らへの戒めであると同時に、お願いでもあります。現在のように経済がかならずしも右肩上がりで推移しない時には、苦境に立たされたり、相互に摩擦が起きたりすることもあります。そんな状況の下で、排他的なナショナリズムや大国主義、民族主義を煽ること。そして、これを国内の政争の具として用いたり、国内の矛盾をそらせたりすること。こうした安易な政治手法を、お互いに全力で避けたいと思います。それは結局、必要以上に対立を強めることになってしまうからです。成熟した市民としての分別こそ、アジアの人達が支えあい共生していくのに必要であると私は思います。

■ アジア型市民社会の形成の中で

世界史を見ますと、近代からは欧米=民主、アジア=専制という図式が顕著です。たしかに多くのアジアの国々は近代に至るまで、アジア的な専制君主や封建制度の下におかれてきたのは事実です。しかし、欧米諸国にもその責任がなかったとは言えません。近代の扉が開かれると同時に、アジア諸国のほとんどが欧米列強の植民地にされ、基本的には第二次世界大戦が終わるまで、それが続きました。

戦後、とくに60年代以降、東アジアは世界に類を見ない急速な経済成長をなし遂げました。しかし、経済の発展はかならずしも政治の面で欧米型の民主主義をもたらすことにはならなかったのです。それは、強大な力を持つ政権が、主導権を握っていたからにほかなりません。

欧米諸国が「人権」問題として厳しく批判したのもこの点です。しかし、アジアにはアジアでそれぞれの国に事情があったのも事実でしょう。

問題はこれからの将来のことです。市場経済が発展し、今やGDPだけで比較すれば、日本を含むアジアがアメリカに匹敵する大きさを持つようになりました。これに伴って、社会のあり方や政治の姿も新しくなっていく必要はあると思います。また、その可能性も生まれています。

もともとアジアは、労働集約型の伝統的農村共同体が基本でした。自然との共存や相互扶助などのよい面もありました。しかし、同時に人口が慢性的に過剰であったため、貧しくて食べていくのが精一杯でした。食べていくことに比べれば、個人の自立なんて二の次三の次だったのは、いたしかたなかったことでしょう。

しかし、80年代に入ると、市場経済が本格的にアジアの沿海部の都市へ、さらに次第に内陸部へ浸透していきました。貧しかったアジアの人たちも、ようやく飢えに苦しむということは少なくなってきました。

では次は、いよいよ個人が自立して市民社会の到来かといえば、話はそう簡単ではありません。大きな社会格差がある限り、成熟した市民社会の形成は不可能なのです。一部の上層階級の人を除いて、大半の人々は、市場経済化によって食べられるようになったといっても、まだまだ個人で安心して生きていける段階には、いたっていません。数年前、大きな不況がアジアを襲いました。この、とてつもなく大きな波に飲み込まれた人々は、ただ途方にくれながら、大波に身を任せるしかありませんでした。市民社会を育てるには、まず、大きな社会格差を是正することが必要です。

都市の中の格差を少なくしていくカギを握るのは、工業化の分野では、大企業よりもむしろ、その裾野を支える中小企業の育成だと思います。身びいきかも知れませんが、日本からアジアへ進出した中小企業の現地法人の方たちは、その地域に溶けこむよう懸命に努力をしているようです。現地雇用の人たちが職場リーダーや技術者になっていくように努め、新しい商品開発も現地の人達と一緒に手がけているところもあります。

こうした中小企業が増えていけば、流通産業やサービス産業も発展し、都市に市民社会を構成する中間的な層が生まれるでしょう。また現状では、都市との格差が大きい地方にあっても、国家と市場経済の隙間をカバーしようと、NGOやNPOの方たちが一緒になって地域組織をつくっています。そうした中からも新しい中間層が成長していくに違いありません。

アジア的ではありますが、地方色の豊かな中間組織が、市民社会をより重層的に広げていくことになると思います。そうして民主主義が、やがては根をおろしていくのではないでしょうか。

このような市民社会という根を持った民主主義が本格化しますと、必ず政治は変わります。いま私たちは日本で地方分権や自治の拡大に取り組んでいますが、基本的にはこうした流れの一つなのです。そこで国民は政治に具体的にかかわり、政治をみずからの手で動かす力を磨いていきます。おそらく中国でも市場経済の拡大と共に民主主義が根付き、同じように分権や自治が進むでしょう。

台湾海峡をはさむ「両岸問題」はもちろん、当事者の課題です。内部の問題に干渉するつもりは毛頭ありません。ただ、どちらに対しても、よかれと望む友好的な第三者としての立場で敢えて申し上げますと、これは長い目で見とおす必要があろうかと思います。中国全体で市民社会の成熟すること、民主主義が実質的に定着すること、地方分権や自治が広がること、こうした流れは市場経済の進展と共にかならず進んでいきます。その流れの中で、徐々に両岸関係の前向きな展開をみるものと信じます。

今日、東アジア経済は世界経済全体の22パーセントを占めるに至りました。その中で日本が6割強を占めるのですが、中国の成長は著しく、台湾も立派な成績を残しています。日本経済は必ず復活しますし、韓国、アセアン諸国も遜色ありません。東アジア経済の世界経済に占める重要性は、これからも増大することはあっても縮小することはないということです。この東アジア経済が、両岸関係の悪化により深刻な影響をうけるのです。その結果、世界経済全体が甚大な影響を受けることは不可避です。われわれは多くの犠牲をはらい、大きく後退します。われわれの今日の平和と繁栄を犠牲にし、世界全体を不安定化させるほどの代価をはらってでも成し遂げなければならないものとは何か。われわれは冷静に、そして徹底的に考える必要があります。

両岸関係が全世界の平和と繁栄、そして利害関係に密接に関係しているということは、両岸関係は日本を含む世界全体、とりわけアジア・太平洋全体の関心事項にならざるをえないということです。そして現時点で国際社会が最も関心をもち優先させようとしているのは、両岸関係の安定です。それは両岸間の問題は、話し合いにより平和的に解決されなければならず、両岸関係を不安定化させる行動に対し国際社会の理解はえられないということです。

日台関係もこのような大きな文脈の中でとらえる必要があります。日台関係は、両岸関係を安定化させる方向で運営されるべきであり、不安定化させるために使われるべきではありません。1972年に日本は国策として中華民国と断交し、中華人民共和国と国交を正常化しました。台湾で青春時代を過ごし勉強させてもらった私としては、個人的な感情としては多くの痛みを伴うものでしたが、国家としての政策としては正しかったと判断しています。この時、日本は中国との間に日中共同声明を発表し、日本、中国および台湾の三者関係を定めました。時代は21世紀へと移り、この30年の間に台湾の経済は瞠目すべき発展をとげ、政治の民主化も画期的な進展をとげました。この素晴らしい成果を目にするとき、日台関係は何故に30年前の古びた枠組みにとらわれる必要があるのかという声が、台湾で大きくなっているということも理解できないことではありません。台湾の人たちが自分たちの成果に誇りをいだき、自信を深めるのも当然であり、素晴らしいことだと思います。しかし日本は、両岸関係を安定させることが、日本の国益であると判断しています。そして現下の情況に照らせば、両岸関係を安定化させるためには、現時点においては、日中共同声明の定める枠組みを維持する以外の方法はないと判断しています。この判断は純粋に日本の国益を判断した結果に基づくものであり、どこか他所からの『圧力』によるものでないことは、以上の説明からお分かりいただけるものと確信します。

両岸関係を安定化させるためには、国際社会も協力すべきですが、まずは当事者である中台双方にもっと知恵を出し、頑張ってもらわなければなりません。その際最も重要な判断基準は『安定と平和』にあると考えます。経済の国際化が急速に進み、ボーダーレス・エコノミーと経済の相互依存が想像を絶する速度で深化しております。われわれの今日の繁栄は、世界経済の一体化がもたらしたものです。日中、中台、日台の貿易額も、それぞれ857億ドル、324億ドルおよび552億ドルという規模に達し、さらに増え続けることでしょう。われわれの将来の繁栄は、ますますわれわれ三者間の経済関係の進展具合に左右される時代になりました。両岸関係のもつ、この経済的側面をどう理解し活用するかが今後の鍵であり、両岸関係に『安定と平和』をもたらしうるかどうかも、それに係ってきます。経済の発展は、社会を変質させ、政治の中身を変えます。経済の相互依存度が空前の規模と速度で増大する中で、両岸間の共通認識と共通利益はますます大きくなります。この好材料をどのように使うかは、両岸に住む人達の叡智と懸命の努力に係っています。何度もいいますが、『安定と平和』、これがキー・ワードです。これをキー・ワードにして話し合いと自制を通じ、現在のデッドロックを打開し、未来を切り開いて欲しいと心から願っております。国際社会もそのことを強く期待しており、心から願っていることを是非心の片隅に置いておいてください。私も全力を尽くす決意です。

── 了 ──