講演・対談・論文 ▲ 「講演・対談・論文」トップへ
私が日本の改革を求めた原点
「論争」(東洋経済)より
2001年1月

加藤紘一氏の決起は自滅し、日本改革への期待を大きく裏切ることになった。
しかし、加藤氏の行動に意味がなかったわけではない。
国民の不満や時代の変化に対応できない日本の政治が瓦解に向かうのは避けられないからだ。
加藤氏は日本の政治をどう変えようとしたのか。

私の今回の決断は、日本の将来に対する不安からきている。残念ながら私の行動は戦術、戦略上のミスから敗北に終わり、皆さんから厳しい批判をいただいていることは真撃に受け止めている。ただ、私の行動はこれで終わったわけではない。この国を変えるためには、まず政治が変わるしかないからだ。

そのためには、硬直したシステムは一度壊し、作り直さないと日本の将来は全く描けない、というところまで今の日本はきているように私には思える。日本がかなり大きな政府になってしまったのは、古くは、昭和14〜15年の戦時統制経済体制が戦後の経済復興にうまく機能したということが歴史的にはいえる。だが、この流れはバブルが崩壊した後も続き、皆が国に頼り、政治家も痛みを国民に説明するよりも、保護や先送りすることで、日本の将来を一層不透明なものにしてしまった。

それが、歴史的にも世界的にも例のない巨大な財政の負債をつくってしまい、日本の将来への顔が見えにくくなってしまったことだ。とても残念なのは、海外に行ったときに感じる、日本の国際社会での存在感の低下だ。この『論争 東洋経済』でも前回特集していたが、アメリカのジャパン・パッシング(日本無視)の風潮であり、このままでは日本は見放されるのではないか、という漠然とした不安である。私はこの半年間、こうした危機感から、自民党内でもさまざまな発言をしてきたが、党内の動きは起きなかった。これは自分が身を捨てるしかないと私は考えた。

いちばんの問題は、国民がこうした状況に不安をもち、自民党や森政権に不満をもっているのに、それに対して反応するどころか、相も変わらず、内閣改造という自分たちの人事レースをこれから繰り広げようとしていることだ。

日本経済が本当に立ち直るためには、これからもいろいろ痛みを伴うことも提言しなければならないし、また国の公的資金をいろいろ問題があるところにつぎ込むというようなこともしなければならないケースがあるかもしれない。また、財政再建では国民の負担を議論することもあるだろう。そのときに、政治の中核にいる自民党に信用がないと、国民がついてこないと私は思っている。つまり、自分の政党すら直せない人間が、どうして日本社会を直せるんだという簡単な疑問があった。

この間の日本の政治は、国民の気持ちと政治があまりにもかけ離れている。ただ、政治家がそうした状況に全く気づいていないわけではない。気づいてはいるが、派閥などのしがらみのなかで、それを直すよりもなんとか今の状況を続けてしまおうということがこれまで続いていた。これでは、自民党はもう潰れてしまう。私の行動はただ総理大臣になるためのものではなかった。今の政治状況で形だけ総理大臣になって、何も仕事ができないようでは、仕方がないんだと私は思っている。やはりやるのならば、日本を変えうるような、そういう行動をなすべきだと考えた。

■ いかに国際社会での存在感を回復するか

2001年の日本に何が問われているのか、ということでいえば、国際政治のなかでの存在感を回復し、日本経済の体質を変えるべく構造改革をすることが、2つの柱だと私は考えている。特に最近、とみに感じる国際社会での存在感のなさは、日本が国際社会のなかでどう生きていくのか、そんなビジョンもない状況がその背景にあると思っている。

例えば外交戦略では、今後の日本はやはりアジアのなかの日本だというところにしっかりとした位置づけをできるような外交をやっていかないとならない。中国の存在が将来大きくなるなかで、アメリカは今後も日本をアジアのパートナーとして重視する意味は次第に薄くなっていくだろう。こうした状況下では、日本はアメリカとの関係は大切にしながら、やはりアジアの諸国と強烈な政治および経済関係をつくりあげていくことが外交の基盤となる。外交上の存在感はまさにそこにあるわけで、日本が中国と十分コミュニケーションをとることによって、アメリカは日本を重視することになると思う。

戦後、日米安保というものを中心に外交を考えてきた人は、日米関係をただ大切にすればいいという発想から抜けきれないが、ただ今後の日米問題を考えていく場合、冷戦時代からの環境変化を十分に考えなくてはならない。つまり、アメリカ側から見て、この日米安保という片務条約を今後もなぜ維持しなくてはならないのかを考える時期になっている。そこで私は過去3〜4年考えて、結局はアメリカがアジアに政治的、経済的に足場を置くときに、日本といい関係をもつ以外には手がないというふうにするのが答えだと考えた。

ナイ教授らが冷戦後に冷戦後におけるアメリカの北東アジア政策というものを考えて、2つのレポートを出したが、そのなかに、「日本はアメリカのアジア外交にとってのコーナーストーンである」という言葉があった。これが、とりあえずの日米関係のキーワードだと私は考えている。

国際政治のなかでアメリカの国内政治は、中国をめぐって今後20〜30年左右に揺れ続けると思う。つまり、日本はその橋渡しをすることによって、アジアにおける重要なプレイヤーになっていけると思う。そういう状況でないかぎり、日米安保は維持できないと私は思っている。

■ 財政再建のシナリオ

財政再建についての私の基本的な立場は、まず無駄な財政支出は見直すこと、さらに、時間はかかってもプライマリー・バランスを回復させることを柱にした財政再建のビジョンをなるべく早く国民に公表することである。今の日本の財政はかなり危機的な状況に陥っていることを国民に伝え、政治側は立て直すためのビジョンを国民に示さなくてはならない。

それを曖昧にしているから、市場は政府の信認を疑い、国民は漠然とした不安を募らせているのが現状ではないか。当然、リストラは必要だが、再建のために税の負担が必要なら、政治はそれを隠すべきではなく、国民に説明すべきだと考えている。この点では、課税最低限の見直しや、消費税の問題も国民に提起していくことが重要な問題だと思っている。

この点では、私は公共事業をやめればいいと言っているのではない。つまり、必要なものは必要だが、全く必要でないものも、つまり国民が少し努力すればできるようなもの、例えばパソコン講習券や救済のためだけに恒常的に使っているのはやめなければならない。それが、日本の財政を下方硬直的にし、その結果、無数に生まれた建設業は、大中小含めて会社数を調整できず、雇用対策になっている。

ここで考えなくてはならないのは、15年前のアメリカは今の日本と同じだったのに、なぜ再建できたかということである。遠回りだけれども、国防関係と大学関係の基礎科学研究の成果を民間につなげた産学協同がその前提にあった。これがITについてシリコンバレーで行われ、バイオについて、今ボストン近辺で行われていることの本質だと思う。

日本の場合には国防産業は小さく、平和の配当もないわけで、その寄与はないが、だからこそなお一層、基礎科学研究に投資しなければいけない。公共事業への投資は年間10兆円だが、そのうちIT、バイオ等の基礎科学研究への投資は年間1000億円にすぎない。これを2000億円に増やしたならば、膨大な効果を及ぼすことになる。つまり、政府支出においてはその効果のあるところをよく見極めて投資すべきではないかと思う。

よく、私がリーダーになれば、構造改革路線で不景気になるだろうと言われるが、別にそうではない。公共事業は効果や生産性のあるところに使うわけで、大きく減らしていくわけではない。当面は、国債発行額を増やさないようにしていきながら、プライマリー・バランスをいずれ解消するように年限を切ってやっていこう、と。政治がこの財政危機の状況を国民に知らせ、責任をもって計画を国民に示し実行することが、2001年の日本政治には確実に必要だと思う。

■ 私の主張する経済構造改革の中身

日本経済の構造改革のポイントは、経済側の自律的な調整、つまり、自己責任で救済型の政治を終わらせるということが基本になる。自己責任と競争原理が働く形で、経済や産業の新陳代謝が進まないと日本経済の新しい力は湧いてこない、と私は考えている。調整にともなうセーフティネットは必要だが、これまでの経済が生まれ変わり、新しい産業が出てこないと、日本経済の再生はない。

ところが、これまでの政治は依然、景気対策だけに頼ってその調整を遅らせてきた。その結果、経済も自律的な展開が遅れ、国家財政がかなり厳しいところまできた、というのが今の日本経済の状況ではないのか。かつてのそごうのケースも、仮にあのまま破綻状況のまま放置したら、中小企業を中心にものすごい不平等感と無力感が漂ったと思う。

日本経済は実はすでに企業の調整やITを軸にしたビジネス・モデルの転換など、大きな変化が始まっている。その変化に気づいていながら、政治はこれまでどおりの政策を続けてきたことに問題があった。この結果、モラトリアムのような変化の小康状態が続いている。先の補正予算は、党で決まった以上大きな問題にはしなかったが、中身についてはかなり反対の意見をもっていた。特に4兆5000億円の新規の信用保証枠には、今度は厳しい審査条件がつくが、それよりも甘い特別保証枠がまだ8兆〜9兆円使いきれず余っているなかでは、ただの見せ金じゃないかという気もしている。こうした国の信用保証は、経済危機の際に応急処置でやることはわかるが、恒常的に使うものではない。

一方で、公的資金が入って、経営の体質改善や債務者のリストラに対応するはずの金融機関の動きもかなり遅いように思われる。金融業は、大型合併で危機は脱したように思っているけれども、それが必ずしも競争力の回復につながっていないことをマーケットはすでに見抜いている。私は東証株価が1万3000円を切ったりすると、かなりの金融問題の再現になると思っている。

この結果、国民最終需要に火がつかずに、一部のIT絡み産業以外はあまり景気回復が本腰になっていない。2001年もこの状況をただ続けるのはきわめて危ないと私は見ている。最近、日本の株は再び下がり始めている。645兆円の国債の重圧がマーケットにのしかかるなかで、日本の政治がこの状況を乗り越えることができないのではないか、と市場は見始めている。

日本の経済は、経済の構造改革を進め、そのなかで財政再建のビジョンを打ち出さなくてはならない状況にきている。そうした対策が打ち出されず、このままの状況で2001年を迎えた場合は、用心しなければならない局面が2〜3回は出てくると思う。とりあえずは来年の3月期で、それは株価の低迷と金融問題だと私は思っている。

■ 私はもう逃げることはない

国際政治のなかで、日本の政治が存在感を取り戻すためには、まずその前段として政治が変わるしかないと私は考えている。政治が、今の国内、海外の大きな変化に対応できるように変わらないといけない。私は日本の将来に全く絶望しているのではない。今政治が変わり、そして方向性を政治が責任をもって示し、みんなが責任ある行動をしていけば、必ず日本は生まれ変われるし、結構魅力的で国際社会に存在感を感じさせることのできる日本が、近い将来できると思っている。

そのためには、まず日本の政治家がこの日本の状況に危機感をもつところから始めなくてはならない。政府の対応も組閣やそのほかの幹部でも、かなりベスト・プレイヤーを集めたものでなければいけない。年功序列や派閥とかでこれまでどおりの人材配置をしているようでは、この国の信認はさらに崩れていくと思う。政治や、官界においても有望な人事配置を打っておき、それから民間と十分な話し合いをさせる。今のように民間との会議は2000円の弁当までしか食べられないようなオドオドしながら話し合う状況では、十分なコミュニケーションがとれない。そこはかなりの密度で実情を話し合うというオール・ジャパン的な努力、人材配置が必要になってくると思う。

私の今回の決断については、なぜこの11月なのかということも言われた。別に補正予算の成立の時期に動きを合わせたわけではなく、あくまでも政治問題だった。日本の先行きに大きな不安が高まっているのに、12月上旬に内閣改造が予定されていた。あと1週間も遅れれば、人間は弱いもので、どんなに危機感があっても党改革の空気や危機感が薄れて、みんなで大臣のポストのほうに走ってしまう。しかも、今度は政務次官を考えると二段階組閣論とかいって、1月ぐらいまでこの人事の動きは続くことになる。

すでに国民の空気と政治の動きが大きく食い違っているのに、それでは自民党の足腰立たなくなるぞと、私は思った。そうした雰囲気が長野知事選でも出てきた。つまり今起こっている国民の変化に総理が気づかないままで、相も変わらず派閥順送りみたいな形で大臣が決まっていく。これはもう自民党だけでなく、日本が危ないなという気持ちだった。

私は日本のこれからに可能性はあると信じている。そのためにはこれまでの日本を変えなければならない。日本はすでに変化が始まっているが、政治だけがその動きから取り残されている。政治が変わらないと日本の経済対策も変わらない。日本の将来がかなり厳しくなっているなかで、この困難を乗り越え、新しい日本をつくるためには、われわれが政治を自ら変える姿勢をもたないと、新しい動きは何も始まらない事態に日本は追い込まれていた。

今回の私の行動は、日本を変えるための大きなきっかけになるものだった。結局、私の力量不足から敗北してしまったが、これで政治の改革をめぐるドラマが終わったわけではない。これからも、国民の不満や時代の変化に日本の政治が対応できるまで、ドラマは長く続くだろう。これからも私は同志とともにこの問題に取り組む覚悟である。

── 了 ──