現在、国際情勢は以前と比べて大きな変化を遂げつつあります。本日は、このような変化をどう捉えるか、についてお話したいと思います。
先月、私は、アメリカのワシントンにあるジョンズ・ホプキンス大学のSAIS(高等国際問題研究大学院)でこの問題について講演してきました。そのときの中心的問題は「ハンチントンは正しかったと思う」ということでした。サミュエル・ハンチントン教授が1993年に「文明の衝突」を発表したとき、私は多くの日本人同様、論文に強いショックを受けました。ショックを受けた理由は二つありました。まずイデオロギーや経済モデルの対決は終わったとの説得力ある議論にショックを受けたことです。ハンチントンは、世界は西洋のキリスト教、アラブ世界のイスラム教、東アジアの儒教という、より大きな領域における対立の時代に入ってきたと主張しました。ショックを受けたもう一つの理由は、彼の論議の中で日本がほとんど無視され、彼の世界像の中で日本の文明が担う役割が極めて小さかったからでした。
あれから11年、ハンチントン教授の予測は的中したようです。高まるアルカイダの脅威、9・11同時多発テロ、イラク戦争、どれもがイスラム教世界とキリスト教世界の間の広範囲な対立の出現を示しています。そして、パレスチナ問題が文明間の衝突の最終決着の引き金になるとも考えられているようです。そこでこの衝突と、その中で日本が果たすべき役割についてお話ししたいと思います。
この衝突は世界中で国家間の関係に影響を与えています。米国とイラク戦争を巡る国内対立があり、米国と自国内のイスラム教徒の影響力を無視できない米国以外の大国との関係が冷たくなっています。アジアもこの傾向をまぬがれてはいません。中国や国民の多くがイスラム教徒であるインドネシア、マレーシアなどの国々はイラクへの部隊派遣を拒否しました。
ほんの数十年前まで、アジア各国は異なる言語と文化を国内にいくつも抱え、堅固な国民国家の形成ができないでいました。安定した国民国家同士ではないため、アジアではごく最近まで地域的取極めを結ぶことは非常に困難な作業でした。同時にこれは、異文化ギャップが引き起こす大きな働きをアジアの人々が強く意識することにつながっていました。このような理由から、今日アジアで主流となっているのは、テロリズムとの戦いはテロリストとの戦いではなく、底流にある大義との戦いであるという考え方だと私は思います。アジアの人々は、文明の衝突は軍事力では克服できないと信じているのです。
米国との安全保障体制にある韓国と日本は、イラクに部隊を派遣しました。両国は当初からブッシュ大統領支持の姿勢をとっていました。日韓は無条件の同盟国とされ、派遣を決めるにあたって米国とほとんど対話をしませんでした。日韓両国民は、サダム・フセインの大量破壊兵器の脅威を取り除こうとする同盟国の努力を支援する必要があると確信していました。北朝鮮が日韓の隣国であることも見逃せない要因でした。
2年ほど前、コロンビア大学で教えていたとき、私は英語の聞き取り能力の向上も兼ね、CNNやフォックス、C-スパンのテレビをいつも視聴していました。アフガニスタンで進行中の戦争とイラクでの査察のドラマを見ていました。大量破壊兵器の発見はフセイン政権の終焉をもたらすだろう、発見されなければブッシュ大統領が戦争に踏み切る理由はなくなるだろうと思っていました。しかし戦争は始まりました。そして、イラクでの大量破壊兵器の発見は失敗し、軍事行動の正当化が次第に困難となってきました。こうした状況下で、米国と同盟国との間の対話の欠如が問題になっているのです。
米国はイラクが所有しているとされた大量破壊兵器を発見していません。にもかかわらず、米国は自らの非を認めてはいません。もし、ブッシュ大統領が2期目に入っていたならば、彼はこの欠陥のある軍事作戦に終止符を打っていたことでしょう。だが選挙の年にそのようなことはできません。世界の指導者の多くはブッシュ大統領が現在直面している政治的問題を理解しています。しかし、一般大衆の間には大統領への共感はほとんどありません。
今年3月に実施されたNHK世論調査で、63%の日本人がイラク戦争に正当な理由はなかったと考えており、正当な理由があったという人はわずか26%にすぎないことが明らかになりました。日本のイラクへの関与は破壊されたインフラ復旧に限定され、戦闘行為は含まれていません。世論調査でもこれを支持する数字が表れています。イラクへの自衛隊派遣は51.4%の日本人が支持しています。支持する人のうち52%もの人がその理由として日本が国際社会に貢献することは大切だからだと述べています。米国を支援するために派遣が必要だからという人は12%に過ぎません。
米国は同盟国に注意を払うべきです。日本は11月の大統領選挙を注意深く見守ることになるでしょう。もしブッシュ大統領が再選されたら、大統領はアジアと米国との対話が足りないという事実に正面から取り組むことになるでしょう。米国は、アジアの国々は文化や宗教の違いに敏感なこと、アジアの人々はアメリカ人とは異なった見方をすることをあらためて認識する必要があります。さらに重要なのは、米国政府がアジアの人々に、アメリカ人はこうしたアジアの人々の立場に注意を向けていることを知らせる必要があることです。米国は友人との亀裂がこれ以上広がるのを防ぐ手立てを見つけなければなりません。実りある対話を重ねることがそれです。
今、中東で起こっているのと同じような問題が世界各地で生じています。文明の衝突のこだまが、ロシアとイスラム教分離主義者が対決しているチェチェンから聞こえてきます。中国ではウイグル族が同じような問題を中国政府に突きつけています。インドネシアとマレーシアでも政府が宗教的過激派対策に苦慮しています。しかし日本はこうした世界的衝突の影響をそれほど受けていません。キリスト教徒が人口の2%にも達せず、イスラム教徒もごくわずかしかいない日本は、現在起きている事態を中立的で偏りのない視点から検証できるユニークな立場にあります。私は、日本は党派にとらわれない貴重な観点を同盟国、友好国に提供できると思いますし、それが停滞している米国とアジアとの対話の修復に貢献することになることを願っています。
このアジアとの対話は今後、経済的な理由からもますます重要になってきます。アジアは地球上で最も活発な経済地域となろうとしています。日本、中国、韓国、ASEAN諸国、インドを含むアジア全体で2002年の世界のGDPの22%を生み出しました。アジアのシェアは、EUの28%、米国の32%に近づいています。アジアの経済発展は域内の結びつきを強めています。世界で最も旅客数の多い航空路の1つが香港・台北路線です。ソウル・上海間、ソウル・台北間も旅客数が非常に多い路線です。韓国・中国・台湾が形成する三角形では極めて活発な貿易が行われているのです。
今日のアジア経済の最大の特徴はもちろん、目を見張る中国の成長です。人民元は現在1ドルが約8元で取引されています。このレートだと中国経済は日本の4分の1、米国の8分の1の規模です。もし中国が自国通貨のドルへの連動を放棄したら、人民元が値上がりし、ドル換算で成長がさらに50%上積みされることになるでしょう。中華人民共和国に台湾、香港を加えた大中華圏は、アメリカに取って代わって日本の最大の貿易相手となりました。現在、米国の対中貿易赤字は対日赤字より大きくなっています。中国の成長はまさに驚くべきものです。
この間、日本の経済成長はストップしたままだったのでしょうか。私はそうは思いません。日本は今、経済の停滞した「失われた10年」から抜け出しつつあり、知的財産の時代という新たな時代に向かおうとしています。アジアの急浮上する経済の中で日本はどのような役割を演じるべきか。これが、私たちが未来を見つめるときに直面する最大の課題です。かつては、国際社会でリーダーとなる国は軍事力や安全保障上の同盟関係で決まりました。しかし冷戦終結後は経済力が最も重要になりました。リーダー国の役割を担うためには経済力すなわち資本を活用しなければなりません。
経済援助と直接投資は相変わらず重要な政策ツールですが、そうした時代も終わりに近づきつつあります。私は、来るべき時代は知的財産の分野で競争力を磨くことが国家にとって最も重要になると思っています。知財の創造と他国への移転に最も優れている国が、自らの属する地域、さらには地球社会全体をリードする国になります。5、6年前には電子機器や半導体の製造会社が事業を中国に移したため日本産業は空洞化するとの懸念がありました。しかし今日、日本は知財の分野でその潜在能力を発揮しつつあります。知的資本の構築が日本をリーダー国に押し上げることになります。
日本では、自分たちの国は頂上からはるか下に山を下ってしまったという思いが広がっていました。しかし、現在私たちは谷間を抜けて再び登り出したと私は信じています。オリンピックにおける輝かしい成果に国を挙げて高揚感にひたったのもこうした楽観的な考え方の復活を示していました。私も多くの日本人同様、アジアは日本主導の活発な経済成長の時代を遠からず迎えると思っています。21世紀の鍵となる成長分野はバイオテクノロジーとナノテクノロジーの二つの産業です。バイオテクノロジー分野で言うと、日立が実験や分析の機材とノウハウを多数提供するなどして、日本はヒトゲノム解析プロジェクトに深くかかわってきました。日本企業はナノテク分野でも世界のリーダーと認められています。私は、これらの産業で独創的なブレークスルーが続き、日本経済はこれから何十年にもわたって活力を保ち続けると信じています。
そして、新技術開発において、今後中国は日本にとって最も手強いライバルになると、私は思っています。中国は13億人の人口を擁し、研究開発の人材は日本を凌駕しているからです。このような状況下、競争と協力をどのように形作っていくか、これが今後の中日関係においてキーポイントとなるでしょう。中国のWTO加盟を踏まえ、知的財産権を相互に遵守し、競争と協力を促進していくことが重要でしょう。
最後に、日・米・中とアジア諸国の関係についてお話したいと思います。私は10年以上前から一貫して、アジアには日・米・中の安定した三角形の関係が必要だと主張してきました。しかもこの三角形はバランスの取れた正三角形でなればなりません。
この点に関して私は日本で多くの批判を受けました。とくに強い親米派の人たちからの批判です。彼らは私がかつて防衛庁長官を勤めたにも関わらず、安全保障問題に対して正しい認識を持っていないと言います。日米間には安全保障条約があり戦略的同盟関係にあり、日本と中国の間にこのような関係はないのに、なぜ正三角形などと言えるのかと言うのです。
私の考えでは、この三角形の関係は安全保障条約からのみ解釈できるものではありません。地政学の角度から見ると、日本人が使っている漢字は中国から伝わったもので、文化的な面では日中の関係は非常に近いものです。しかしこの60年間、政治経済体制の面では、日本は逆にアメリカと非常に近くなりました。
それでも総合的には、多くの側面や色々な面から考えて、日・米・中の間に正三角形の関係は成立します。現在、もしも米国がアジアを離れたら空白が生じるでしょう。誰がこの空白を埋めるのか、非常に大きな問題が生じます。もし日本がこの空白を埋めようとすれば、おそらく中国は不安に思うでしょう。中国によって埋めるとすれば、私たち日本はやはり不安を覚えます。
アジアの他の国々にしてみれば、日中関係が安定する前にアメリカが離れていった場合、彼らは中国と日本と、どちらとの関係を重要視するべきでしょうか?彼らは多大な精力を費やして、どこに重点を置くべきか考慮しなくてはならなくなるでしょう。ですから、安定した日中関係はアジアの他の国々にとって必須のものなのです。
現在の日中関係は良好とは言えません。私たちはこのことをとても心配しています。
端的に言うと、現在の日中関係が良くないのは歴史問題に起因しています。日本の小泉首相は靖国神社を参拝し、彼自身は日本人の民族感情の問題だと考えていますが、中国人から見ると、歴史認識の問題であり戦争責任の問題です。
私は個人的には、戦争責任の問題は「サンフランシスコ平和条約」ですでに明らかになっている通り、極東国際軍事裁判で審理された14名のA級戦犯が全ての責任を負うものだと考えています
現在の問題は1978年に靖国神社がこの14人を合祀したことに発しています。これ以降は日本の総理大臣がそこへ行って正式に参拝するとなると、外交上正しくないことになるわけです。(A級戦犯合祀の表現につき、靖国神社に「位牌」はないとのご指摘をいただきましたので修正いたしました。)
アジアの安定のために日中は是非とも友好関係を保つべきです。このために私たちは共に努力しなくてはなりません。
今日の私がお話しするのは以上です。どうもありがとうございました。