選挙区や全国の人たちに多大な迷惑をかけました
今日のこの会をつくっていただき、誠に有難うございます。私の郷里の庄内の出身の方々とか、私の出身高校の日比谷の先輩後輩のみなさんが声をあげ、いろんな方にお声がけしていただきました。
議員を辞職して、ちょうど一年になります。私を支援し、期待し、信頼いただいた山形をはじめ東京の、そして全国のみなさんには大変申し訳ないことをいたしました。人事管理上の不手際の責任は取らなければなりませんでした。
いろいろ考えました。ここでやめてもいいのか、という思いも正直、心の中には強くありましたし、みなさんにどうやってお詫びする言葉を見出すことができるだろうかという気持ちもございました。しかしケジメをつけなければ、この後に私がどんなに天下国家を論じても、政策を提案しても、それは人の耳には届いても心の中には入っていかないだろう。そういう思いで辞表を出しました。
それから、しばらくして郷里に帰りました。「あなたを見習うように孫に言い続けてきたのに」という支援者のおじいちゃんもいました。私の地元で、加藤紘一の「紘」という名前をつけた子どもたちが、実は二百人近くもいるということも発見いたしました。あるご夫婦は、「上の子には“ひろゆき”とつけました。下の子には“たかひろ”とつけました。こうやって育ちました」と言って、二十歳の大学二年生と十七歳の高校二年生の二人の青年を連れて連れて来られました。なんとお詫びしていいのか言葉がございませんでした。
自分としては、多くの選挙区の人々、東京で支援してくださった方々の立場を大変傷つけてしまったなという思いがいっぱいでございまして、もう政治をやる資格がないのだなと、ふとそう思いました。また、家族の名誉に関するでたらめな報道もされました。そして、政治をやめてほしいという家族の強い要請もございました。政治の場から身を引く、私自身、一瞬そう思ったことがなかったといえばウソでございます。しかし一方では、郷里を回っているうちに、この空白をどうするのだという選挙区の人の強い言葉もございました。
もう一度、政治の世界で頑張って国のあり方について意見を言いたい
昨年の十一、十二月、アメリカのコロンビア大学に招かれて授業を行いました。ジェラルド・カーティス教授の大学院に行って十八人くらいの院生に話をすればいいということだったのですが、加藤が来るということで、結局は六、七〇人を収容する中型の教室で、しっかりとした授業をすることになりました。
授業の最後には学生は百人ほどになりました。なぜそんなに多く集まったのかというと、母国の日本を心配する多くの日本人留学生がいろんな分野から集まって来たからなのです。その真剣さにつられて、アメリカの学生や中国、台湾、韓国、イギリスなどの学生も集まって来ました。そのため、大変真面目で真剣な授業になりました。
日本人の留学生がなぜ多く集まって来たのか。彼らの言葉によると、アメリカで中国人留学生に会うと、「日本に学ぶものはもうないよ」と率直に言われる。アメリカ人学生に、日本から来たというと、あまり関心なさそうにサッと自分のもとを離れていく。「自分たちの日本が、この地球儀から消えてなくなるような気がする」と言うのです。彼らは二十代の後半から三十代前半の人たちで、国を離れて一生懸命、物理や医学を勉強している。そういう青年たちが母国の現状が心配で勉強できないということは、我々の責任だと思いました。
そして、授業をしながら、いま我々の国がこのまま過ぎていくならば、たぶん地球儀から消える国になる、という怖れは十分にあると感じました。そして、自分はもう一回、政治の世界で頑張ってみよう。日本に帰って、郷里に帰って、もう一回頑張って、この国はどうあるべきかについて意見を言える立場になりたい。そんな気持ちになりました。
こうした私の判断には、ある一通の手紙が大きな影響を与えました。「加藤の乱」が終わったときに、一万通くらいのメールやファックス、手紙をもらいました。その中の一通に、愛知県一宮市のご高齢の方からの手紙がありました。国という字が國と古い字を使ってあることから、ご年齢はだいたい想像できました。
その手紙には、「加藤さん、あなたは失敗しました。でも、私はそれでいいのだと思っています。あなたはあのまま本会議に行き成功していたら、大国主命のような英雄になっていたでしょう。その直前でした。あなたが打ち出の小槌を一つ振れば、景気がすぐよくなり、将来の年金の心配もなくなる。靖国問題も片付く。国民はそう思うでしょう。しかし、あなたにはそんな実力はまだないのです。きっとすぐ潰れてしまったに違いありません。国民の方にも、あなたの英雄の姿を期待するだけで、政府が何かをしてくれることを期待するだけで、何ら覚悟はありません。そして、きっと彼らは失望し、大きな大きな怒りを持つでしょう。それは両方にとって不幸なことなのです。だから、あの失敗でいいのです。ただ、あなたがやろうとしたことは正しい。そして、また国民もだんだん考え学んで覚悟ができてきます。だから、そのときに向けて、また仕事をしなければならないのです。努力をしなければならないのです。じっと根性を固めてください」と書かれていました。
さすが人生の先輩は凄いことを言うなと思いました。そして今回、自分自身が苦境に陥ったときに、その手紙がまた頭の中に浮かびました。そして、苦しくてもしっかりと、国がどうあるべきかを考え、有権者、国民のみなさんと必死の対話をしなければいけないというように思いました。
世界デフレとバブルの崩壊が合併症を起こした
私はいま一番の問題は、経済だと思っています。しかし、不良債権問題を解決することがすべての解決の道だとは思っていません。不良債権問題は、実はこの国の経済の四〇パーセントぐらいの問題ではないかと思います。 本当の問題は、実は社会主義化していたわが国を、日本型社会民主主義のこの国を、いかにもっと活力のある国にするかということであって、ある意味では、小泉首相が言っている「民間ができることは民間で」というのは正しいと思っています。しかし、それをどうやって具体的にやるか、なぜそれをしなければならないかという理念をきちっと固められなければなりません。それがないと揺らいでしまいます。
私は、いま日本が本当に抱えている問題は一九九〇年前後に起こった社会主義の崩壊に起因していると考えています。我々自由主義サミット諸国は七カ国で約七億。それに比べて旧社会主義諸国には十八億から十九億の人口がいまます。
これらの国々の人たちが自由主義の我々の仲間に入り、安い労働力を提供し、我々をキャッチアップし、幸せを求めています。これが実はグローバル・デフレーションの根源ではないかと思っています。いちばん最初にその波を受けたのが、自ら東ドイツと合併したドイツであって、いま苦しい盛りにあります。
次に、そうした苦境に陥っているのが四、五年前からの日本です。隣りに中国があるからです。そして、そろそろバブルだということがわかったアメリカ経済が、今年あたりから三番目の影響を受ける国として喘ぐことになります。
社会主義の崩壊と時を同じくして、わが国はバブルが崩壊しました。ですから、バブルの崩壊と不良債権問題の発生だけが問題だというふうに考えてきたわけです。社会主義の崩壊からデフレのプレッシャーが来るまで、実は七年くらい潜伏期があったのではないでしょうか。そして、それが四、五年前からはっきりと出てきたのです。中国にちょっと種をあげれば、生ネギとシイタケとイグサになるし、縫製技術を渡すると、ユニクロの見事な安い製品になるという形になってきたのであって、言うなれば、バブルの崩壊と社会主義の崩壊から来るデフレ・プレッシャーとの合併症が起きたということではないかと思います。
ともすれば、この合併症の診たてを我々は十分できなかった。過去十二年間、宮沢政権以来、いろんな手当を打ってきたし、私もその主治医の一人でありましたけれども、やはりここでもう一回、根本から診たて直すことが重要であって、単に日銀総裁に「あんたの金融政策の責任だ」と言って、ことが済むほど単純なことではないと、私は思っています。ことは我々の国際競争力、生産性というものをいかに高めるかということであって、その答えは、基礎科学研究と技術開発に尽きると思っております。
実は、いまから七年ほど前、私が自社さ政権の政策責任者の中心にあったときに、円が七九円七五銭まで上がりました。そのときアメリカとの関係から、この空洞化を防ぐためには科学技術しかないと思ってやってきましたが、いまそれが対中国という形で、もう一度重要性をもってきたなと思っています。本当に診たてをしっかりとし、焦点を当てて手を打つなら、我々はナノ技術で一ミリのロボットをつくり、血管の中に送り込んで心筋梗塞の詰りの除去をさせることもできるし、また、胚性幹細胞の利用によって視神経をつくり網膜のキズを治すこともできるでしょう。そして、政治家が外国に行って「全世界の盲目の人よ、日本にいらっしゃい。日本が光を与えます。日本だけが与えられます」という演説をぶつことも可能だと私は思っています。そういう研究を若い人たちはやってくれているのです。
だから、本当の目標がどこにあるか、問題点がどこにあるかということに焦点を当てさえすれば、この国は大丈夫だ、未来は明るいと、私は思います。この国をもう一度元気にすることは十分可能だし、それは我々の目前に見えていると思います。また、アメリカに先駆けてデフレプレッシャーを先に受けた日本は、そこから抜けることもそれだけ早いのかもしれません。それを推進するための仕事ができる一人として、もう一度政治家としてカムバックしてみたい、いまそんな気持ちでいっぱいであります。
日本人としてのアイデンティティをもう一度捉え直す
我々は戦後、アメリカを追いかけて豊かになりました。いま中国が私たちを追いかけて頑張っています。その中国も十五年後はインドに追いかけられるのだろうと思います。これがグローバライゼーションなのです。
しかし、そんなことの連続ではどの国も疲れ果ててしまいます。また国の持つアイデンティティはどこにあるのだろうとも思います。グローバライゼーションと個有の文化という問題は、今度のイラク戦争をみてもわかるように必ず起きてきます。アメリカはパンドラの箱を空けてしまいました。イラク戦争での勝利は、新たな深刻な問題のスタートだと思います。サミュエル・ハンチントンのいう「文明の衝突」の通りになってきたなと思います。いくら否定しても、今度のイラク戦争が「文明の衝突」であり、宗教の対立であるということは明白なことではないでしょうか。
中東をあまり知らなかった私は、三年ほど前、十一日間ほど、仲間の議員、記者団とともに、中東の土漠、砂漠をバスに乗って旅をしました。驚いたことに、山に木がなく、平野には水も草もありません。これは紀元前三千年前にレバノン人たちが商売のためにレバノン杉を切ってしまってからのことのようです。そこからユダヤ教が生まれ、三千年後に三十三歳のイエス・キリストがそこを歩き、それから七百年してイスラムが分家しました。この三つの宗教は自然に恵まれない土地から生まれた宗教だなと思いました。アダムとイブの愛も原罪ですし、太陽しかないところでは一神教になるのだろうと思いました。
一方、我々の島は、その当時から山に木があり、鳥が飛び、捕まえれば食べることができた。谷間にはイワナがおり、串焼きにして食べることができた。平野には雑草があり、野菜と稲を育てることもできた。我々の先人は自然とうまく調和して生きていくことが最大の価値と考えたのではないかと思います。だから、我々の社会の本質的なアイデンティティとは、自然に対する無限の信頼だと思うのです。
そこを大きく歪曲させてしまったのが、ある意味では明治維新だったのかもしれません。明治四十一年に、夏目漱石は『三四郎』の中で、「こんなに外国の真似をしちゃってさあ、この国は潰れるよ。自慢できるものといったら、富士山しかなくなったからね。潰れるね」と言いました。
この漱石の予言は、いまの我々に対する警告かもしれません。もう一度、自然を価値の中心に置くようなアイデンティティを私たちは探し求めるときに来ているのではないかと思うし、きっとそうなるだろうと私には思われるのです。琵琶湖を汚したならば、それをきれいにする技術を、空気を汚したなら、それを浄化する技術をナノテクやバイオで我々は作れると思います。
そして、そういう自然をきれいに保存しながら、生活の中に取り込んでいく「ジャパニーズウエィ・オブ・ライフ」(日本的生活様式)というものが、我々の自慢なんだよということを中近東の人に、アメリカの人に、そしてアジアの人に伝えていく。そこに誇りを持てれば、そして、その技術を分かち与えることにプライドを持てれば、私たちは価値のある面白い国をつくれると思っています。
根っこの問題を考える本質的な議論がしたい
今日の私のこの会に、歌手であり詩人である小椋桂さんが来てくれます。小椋さんと私は大学で同期で、一緒に勉強した仲間ですが、彼が二、三年前に作詞した「山河」という歌が好きだと言いましたら、今日歌ってくれるというのです。大変もったいないことで有難いことです。彼の「山河」という歌の詞を一部引用します。
人は皆 山河に生まれ 抱かれ 挑み
人は皆 山河を信じ、和み、愛す
そこに生命をつなぎ 命を刻む
そして終いには 山河に還る
顧て、恥じることない足跡を山に残したろうか
永遠の水面の光 増す夢を河に浮かべたろうか
愛する人の瞳に 愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと 美しいかと
やはり、この国の山河を愛しながら、そして、そこにそれぞれの世代が何ものかを残していかなければならないし、政治家たるもの、世論をリードするものは、この流れるような河の中に、その水面に、川面に光輝く夢をキラキラと光らせなければならないということではないかと思います。
私は、これからまた郷里に帰ります。そして、日本人として何をすべきなのか、ずーっと考えて続けていきたいと思います。そして行動して行きたいと思います。人間というのは夢だけでは生きていけませんけれど、夢がなくては景気はよくはならないという気が、最近はつくづくいたします。
そして、どうしたらこの国が社会主義から自由な国になれるのか、これから何をやるべきかを考えたいと思います。ハガキと切手が民営化しただけでは、この国は元気になりません。やはり、根っこの問題を考えなければならないと思います。郵政三事業なら四百兆にものぼる郵貯と簡保のお金が本当に自由主義経済の金融の流れを歪めていないのかという問題に本気で取り組まなければなりません。しかし、現実は皮相な議論に終わっています。通用口から入って、その近辺の裏口でケンカをしているだけの議論になっています。表玄関から本座敷に入っての堂々とした議論ではありません。
道路公団民営化の議論でも、どうしても民営化するなら公団の資金調達に政府保証は与えないという一言で、あの議論は終わるのではないかと私は思っています。海老名のパーキングエリアでハンバーガーを誰が売っているかというような、これまた通用口の議論ではなく、やはりこの国土にどの程度の高速道路をつくらなければならないかという本質的な議論をしなければならない時だと思うのです。
これからの日本を考えるにあたって、教育は最も重要だと思っています。この間、インドに行って来ましたら、子どもたちに「九九」ではなくで「一九×一九」を教えていました。驚きました。科学技術立国を目指しながら、そして、日本人のアイデンティティで暖かく包まれた日本というものをつくっていきたい。その根底には、勉強を面白いと思う子どもたちを育てることがなければならない、というように思います。
そのために田舎に帰ってしっかりと研鑚を積んできます。午前中は早く起きて本を読み、週に二、三回はスポーツをし、午後からはいろんな集会に出て人と話をし、夜はみんなと飲み合う。郷里では、そういう生活をずっと過ごしています。いい時を過ごさせていただいています。しっかりと勉強して、来るべき時を待ちたいと思っております。
今日お集まりいただき、お励ましいただいたことをしっかりと深く胸に刻んで、一層研鑚に励み、力を蓄え、次の戦いに備えていきたいと思っております。どうも本日はほんとうに有難うございました。