加藤紘一からのメッセージ


2002年4月8日(月)
【衆議院議員辞職について】
私は本日、衆議院予算委員会に参考人として招致を受けました。
その場で、私の事務所の代表を務めていた佐藤三郎の引き起こした事件について、率直にお詫びしました。
さらに、政治的、道義的な監督責任を取り衆議院議員を辞職することを表明いたしました。

私に対し期待を寄せ、国会へ送り出してくれた選挙区の方々。
私の政治活動を支援してくださった全国の人たち。
なけなしの資金をカンパしてくださった方たち。
今回の不祥事を通し、さぞ、落胆させてしまったことでしょう。
政治に対する不信の念を抱かせてしまったことでしょう。
今はただ、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

日本は、このまま活力を失っていくのか。
それとも、再び、かつてのような輝きを取り戻せるのか。
日本は今、曲がり角にあります。
私は日本の将来が心配でなりません。
この国のため、今すぐにでも、やらねばならぬことは山積しています。
それらを一つ一つ、国会議員として実行していきたい。
それを国民の皆様に訴えていきたい。
この期に及んでも、私の胸中はこうした思いでいっぱいです。

しかし、今の私の言葉に耳を傾けてくれる人は、残念ながらいません。
信頼を失墜した政治家には、辞すよりほかに道はないのでしょう。
こうして私は議員辞職を決意したのです。
衆議院議長あての議員辞職願いも、すでに参考人質疑の後に提出しています。

失った信頼を取り戻すのは、容易ではないでしょう。
今後は、一国民の立場から一歩一歩、信頼回復に努めたいと思います。

国民の皆様。
これまでのご支援に、心より感謝いたします。
2002年3月29日(金)
【事務所の元代表、起訴について】
今日、私の事務所の代表を務めていた佐藤三郎が、佐藤自身の所得について所得税法違反の罪で起訴されました。
佐藤個人の所得についてのものとは言え、私自身、政治的および道義的な監督責任を強く感じています。
政治に対する国民の皆さまの信頼感を損なったことに対し、心よりお詫びいたします。

今回の佐藤の罪状について、私は本当に知りませんでした。
公判の中で佐藤がどう主張するか分かりませんが、このところ報道されている内容は一つ一つ、私にとっては全く寝耳に水です。

政治活動の忙しさにかまけて、資金についての管理は、すべて佐藤に任せきりにしていました。
今となっては、政治家として不明を恥じるばかりです。

今後は、私の事務所に弁護士や税理士、公認会計士の方に入っていただき、調査チームを結成します。
資金に関する資料は、大半を捜査当局に提出しています。
調査は簡単ではありませんが、できるだけ早く実態を究明したいと考えています。

私は以前、今回の件につき、公の場で説明責任を果たしたいと申し上げました。

来週にでも私は、国会へ参考人として招致を受ける見込みだと伺っています。
その場で、精一杯、分かる範囲で国民の皆さまにご説明したいと考えています。

今回の事件を通して、国民の皆さまのご期待を踏みにじってしまいました。
あらためて心より謝罪いたします。
2002年3月22日(金)
【3月21日(木)付けの毎日新聞の記事について】
加藤紘一です。
3月21日(木)付けの毎日新聞の朝刊に、私、加藤紘一が事務所前代表の佐藤三郎から不当に一億円を受け取っていたかのような疑いをいだかせる記事が掲載されました。
しかし、これはまったくの事実無根であり、私はこのような不正な資金を受け取ったことは断じてありません。
根も葉もない間違った記事を掲載したことに対し、即刻、毎日新聞に抗議するとともに、本日、謝罪文の掲載などを求めて東京地方裁判所に訴えを起こしました。
2002年3月18日(月)
【自民党離党について】
今日の午後、私は自民党の政治倫理審査会に出席し、私の事務所の代表を務めていた佐藤三郎に対する嫌疑について自分の考えを述べました。そして、自民党を離党させていただきたいとの届けを山崎幹事長に手渡しました。

佐藤は、今年の1月10日に佐藤個人の所得税法違反の容疑で家宅捜索を受け、3月8日には逮捕されました。
嫌疑は佐藤個人についてのものということです。しかし、私の事務所の代表を務めたものが、このような嫌疑で逮捕されたことは、私自身の監督不行き届きであったと言わざるを得ません。
監督責任にけじめをつけることが必要。そう考え、自民党を離党させていただく道を選択しました。

今回の事件で、国民の皆様の政治に対する信頼を深く傷つけてしまいました。道義的な責任、政治的な責任を強く感じています。国民の皆様に深くお詫びしたいと思います。

佐藤が逮捕された日、私は記者会見を開き、国民の皆様に対して説明責任を果たしたいと申し上げました。
しかし、具体的にはどのような容疑が佐藤にかけられているのか。嫌疑の真相はどうだったのか。司法当局による捜査が進行中の今の段階では、私には正確に把握する手段がありません。
一日も早く捜査が終結し、自分自身で国民の皆様に説明できるよう願っています。

本当は、国民の皆様に説明させていただくのが先であり、離党はその後にすべきとのご意見もありました。
しかし、今回の嫌疑のために、国民の皆様の党への信頼が日々傷ついています。
党本部を初め、各県連や市町村支部に至るまで、大勢の党関係者の方にご迷惑をおかけし続けています。
党の役職を数多く経験した私は、こうした事態を放置することは出来ません。
今日、開かれた政治倫理審査会を通し、党に対して説明する場を頂きました。これを一つの機会として、自民党を離党したいと考えた次第です。

この国はどうあるベきしょうか。この社会はどこに向かうべきでしょうか。私達はどんな夢や希望を抱けるのでしょうか。これまで私は政治家として自問自答を繰り返してきました。
しかし、国民の皆さんの信頼を裏切ってしまった今となっては、私にこうした理念を語る資格はありません。足元を見つめずに政治を行ってきたことを、ただただ恥じ入るばかりです。
国民の皆様にビジョンを語りかけたとき耳を傾けてもらえる政治家に、もう一度なりたい。いまさらながら私は、痛いほど感じています。
そのために、今後は一議員として原点に戻り、振り出しから始めようと考えています。
そして、一歩でも半歩でもいい。国民の皆様の信頼を回復できるように努めていきたい。自民党を離党するにあたり、私はあらためて心に誓っています。
2002年3月8日(金)
【事務所前代表逮捕を受けて】
私の事務所で代表を務めていた佐藤三郎氏が、今日、所得税法違反で東京地方検察庁に逮捕されました。容疑は、佐藤氏個人についてものだと聞いています。しかし、事務所の代表を務めたものが、このような嫌疑で逮捕されたことは、私自身の監督不行き届きであったと言わざるを得ません。

今回の事件で、国民の皆様の政治に対する信頼を深く傷つけてしまいました。道義的な責任、政治的な責任を強く感じています。国民の皆様に深くお詫びしたいと思います。

佐藤氏逮捕の一報を受け、私は直ちに自由民主党の山崎幹事長に電話しました。上記の思いを伝えた上で、党の執行部でお決めになる処分に従いたいとの意向を申し上げました。

私は、こうした事態を招いたことについて、国民の皆様への説明責任を強く感じています。捜査の推移をみながら適切な時期がきましたら、公の場で説明する努力をしたいと考えています。

これまで私はホームページなどを通して、皆様に政治改革の必要性を訴え続けてきました。そんな私の事務所にいたものが、今回のような事件を起こしてしまったわけです。今は、自分自身の不明を恥じるばかりです。もっと足元をしっかりと踏み固めるべきだった。もっと手元を確かに見つめるべきだった。反省の思いで胸がいっぱいになります。

一度、傷つけてしまった信頼は簡単には戻らないでしょう。ですが、一歩でもいい。二歩でもいい。地道な活動を通して、少しずつでいいから国民の皆様の信頼を取り戻していきたい。それが今の私の思いです。
2002年1月22日(火)
【ご報告とお詫び】
私の事務所代表の佐藤三郎氏が所得税法違反の容疑で国税庁より調査を受け、先日来、大きく報道されています。今回の調査は、佐藤氏自身が経営する会社や佐藤氏個人の所得についてのものです。
しかし、私の事務所の人間が調べられていることで皆さんに大変に不快な思いをお掛けしておりますことに、改めて心からお詫び申し上げます。

今回の調査をうけ、本年1月18日に佐藤三郎氏から、加藤紘一事務所の代表を辞任したいとの申し出があり、これを受理しました。
あわせて佐藤氏は、政治資金団体、社会計画研究会ならびに自由民主党山形第四選挙区支部の会計責任者も辞任しました。
ここに謹んでご報告いたします。
2002年1月10日(木)
【お詫び】
加藤紘一です。

私の事務所の佐藤三郎氏が、自らの会社や個人の所得に関連して、本日、調査を受けました。この調査は加藤事務所には無関係であると聴いていますが、事務所に所属するものがこのような調査を受けた事について責任を感じ、国民の皆様に深くお詫び申し上げます。
2001年12月5日(水)
【一生、忘れられない日】
「あの日、あの時、あなたはどこにいましたか」
今、アメリカ人の間では、挨拶代わりに、こうした会話が交わされているそうです。
あの日とは、もちろん、多発テロが起きた9月11日午前9時。
私は、モスクワでゴルバチョフ元大統領と会談していました。ゴルバチョフ氏と直接、個人的に話し合ったのは2年前にニューヨークでキッシンジャー氏を交えて会談して以来のことです。
ゴルバチョフ氏は、20世紀の世界最大のリーダーです。直にお会いしますと改めて力強い印象を受けました。

しかし一方で、ソ連の社会主義体制を壊した張本人だとして、ロシアでの人気は今一つです。実際、ゴルバチョフさんの支持率はわずか1%にすぎません。

ゴルバチョフさんとは、次のような話題で意見が一致しました。

〜今、グローバライゼーションの時代となり、世界が皆、同じになろうとしている。しかし、それが本当にいいのか疑問だ。 文化や宗教などそれぞれの個性をもっと大切にすべきではないか〜

テロのことを知ったのは、ゴルバチョフさんと別れて30分後のことです。日本に電話をかけて知りました。一生、忘れられない日となりました。

日本に帰った私は、テロ対策特別委員会の委員長になりました。
委員長として、何をやるべきか、何をやらないべきか、自問自答しました。

そんな中で、私には一つ、大きな心配事がありました。
今までですと、こうした委員会は決まって乱闘が起こり修羅場になったものです。反対の議員が委員長につめより、眼鏡がふっとんでいく。
もし、こんなみっともないシーンが写真におさめられニューヨークタイムズなど海外の新聞に載ったら、日本のイメージは最悪となります。国民も政治を見放してしまったでしょう。

しかし、ふたを開けてみると、法案は静かに可決となりました。
冷静に議論をすすめ、粛々と採決を行うことができたのです。
国会承認も静かに採択されました。
こんな短い時間の審議で決められていいのかとの意見もあります。また一方で、カブールが陥落した後の自衛隊出動はあまりに遅いという議論もあります。難しいところですが、少なくとも委員長としては、10月29日に法案が成立した後、承認案件が国会に付議されるまでの24日は、長過ぎたと不満です。
最近の外務省機能の低下の一現象かもしれません。
政治が強力なリーダーシップを発揮することによって、激動する国際情勢に機敏に対処していきたいと考えます。
2001年11月16日(金)
【報道番組「サンデープロジェクト」生出演のお知らせ】
11月18日(日)テレビ朝日「サンデープロジェクト」に生出演します。
午前10時(放送開始)〜10時40分(コーナー終了)の間に出演を予定しています。

「アフガン情勢の行方と日本の役割」というテーマで、コメンテーターの田原総一朗氏他と、対談します。

ぜひご覧いただきますようお願いいたします。
2001年11月5日(月)
【工場はどこへ消えたのか?】
加藤紘一です。

「代議士、また電子の下請け工場が閉鎖した。仕事はどこに行ったのか」
「なんとか戻って来るよう出来ないか」
最近、地元に帰り、国政報告をすると、かなり頻繁に受ける質問だ。アパレル関係の工場は電子関連より先にその波を受けている。
「中国に行ってしまった。残念ながら、そう簡単に戻っては来ない」
と答えざるを得ない。

先日、7年ぶりに訪れた台湾。そこでも、製造業は海峡を越え中国大陸にどんどん拠点を移していた。製造業の空洞化と失業の増大。1997年のアジア通貨危機の優等生台湾も日本と同様の苦境に喘いでいた。私の選挙区と台湾。どちらも冷戦の終焉の影響を受けている。世界が平和になったのは明るいことだが、自由主義国の雇用には大きなマイナスのインパクトだ。

現在の世界的なデフレ傾向は、1989年のベルリンの壁崩壊に端を発している。冷戦崩壊により、7億人足らずの西側経済圏に約20億人の旧社会主義圏が加わった。旧社会主義国家の人々は、読み・書き・そろばんの基礎教育をしっかり受けており、労働規律もわきまえている。所得水準は、日本の僅か15分の1から20分の1程度という低さ。ベルリンの壁崩壊から当初5〜6年間は自由主義経済体制に入ることにとまどいがあった旧社会主義国も、1990年代半ば以降、良質かつ安価な労働力を武器に世界の生産基地として大きく台頭してゆく。近年、日本の有力電機メーカーは相次いで下請工場を中国に創った。米国のビジネスも中国に幅広く展開。欧州企業は、市場経済色を強めるロシアとの商売を増やしている。今後もこうした傾向には拍車が掛かるだろう。

旧社会主義国の約20億人の所得水準が高まり、消費市場として成長してくれば、巨大な需要を生み出す。いずれ世界経済にとって大きなプラスになるのは間違いない。しかし、今のところは生産機能だけを奪っているだけで、まだ、需要を生み出すには至っていない。その結果、モノの価格下落、賃金の下落が世界的に進み、空洞化とデフレ傾向をもたらしている。

こうしたデフレ傾向は、まだ数年続くと見られる。小泉首相が今年度の国債発行枠を32〜33兆円に増やしても景気がすぐ改善するわけではない。また、日銀に一層の量的緩和を求めても根本的な問題解決にはならない。わが国に必要な構造改革を一刻も早く進めると同時に、科学技術立国として必要な種蒔きを怠らないという姿勢が求められよう。
2001年9月12日(水)
【自由への攻撃】
加藤紘一です。

驚くべきテロのニュースをモスクワで聞きました。
私は7日からのロシア訪問の最後にゴルバチョフ氏を訪ね、1時間半にわたって充実した会談をしました。
アメリカでのテロのニュースは、まさにこの会談の直後に飛び込んできたのです。事件発生からは、15分後のことでした。

私はすぐホテルに帰り、CNNやBBC、NHK海外放送を見続けました。CNNは、America on attack (アメリカへの攻撃)とタイトルを出していました。
しかし、今度のテロは、それ以上に全世界の自由と平和に対する挑戦と考えるべきです。
世界中の普通の生活をしている人や、普通の経済活動をしている人が、日常の生活を脅かされることになったからです。
例えば、世界旅行を老後の楽しみにしていた夫婦にも飛行機に乗るのに大きな不安がつきまとうことでしょう。

報道によれば、今回のアメリカでのテロ事件で、死者は数千人に及ぶと推測されています。
未曾有の大災害となった阪神大震災での死者は6千人余り。
今回のテロがいかに膨大なものであるか、よくわかります。

また、東京株式市場の大きな下落が世界中のニュースになっています。
それでなくとも弱くなりつつある国際経済に大きなショックを与え、追撃ちをかけることになりました。

経済の立直し。テロへの対処。危機管理の在り方。私たちの目の前には難しい課題がつきつけられました。
まったなしで、全力で取り組まなければなりません。

モスクワの後、ロシアの古都サンクトペテルブルグで一泊する予定でしたが、とりやめて、これから東京に帰ります。
モスクワ空港にて
2001年8月22日(水)
【経済危機対応に全力を傾けるべき】
8月14日から夏休みをとり、海外旅行をして20日に帰ってきました。
小泉首相の靖国参拝問題は、国内では一応の落ち着きを得ているようにみえます。
また、中国や韓国の反応も15日を避けたことで、厳しさが少しやわらいでいるようです。
今後、早く日中、日韓の首脳会談が行われればよいと思います。ただ、先方の国内事情もあり、9月中に行われるのは、なかなか容易ではない。
いずれにしても、外交面でのトラブルは最小限にして、国内経済の対策、特に構造改革にできるだけ早くエネルギーを使うべきです。
ここ数日、東京市場の株価が厳しい。対応として、皆で日銀に量的緩和を求め、日銀もそれに応ずるような姿勢を見せているけれど、本当に効果があると思っているのでしょうか。3月19日以来、その限界は解かっているのではないでしょうか。日銀を悪者にするだけで解決できるほど、問題の根は浅くない。
とにかく、危機感をもって、経済問題の対応を考えるべきです。
2001年8月14日(火)
【小泉首相の決断〜8月15日を避けた靖国参拝〜】
小泉首相が終戦記念日の8月15日を避け、8月13日の夕方に靖国神社を参拝しました。

「戦争で犠牲になった方々に、哀悼の誠を捧げたい」
小泉さんの気持ちは痛いほどよく解かります。日本人の一人として、私も全く同感です。
しかし、8月15日に参拝すると、大きな外交問題に発展することは間違いありません。私も、山崎拓幹事長とともに首相公邸を訪れ、8月15日は避けるように説得しました。8月11日の夜のことでした。

小泉さんも、さぞ苦しまれたことでしょう。しかし、最終的には立派な決断だったと思います。
また、15日より後ではなく、前に日をずらしたことも評価したいのです。
法事などの大切な日にどうしても行けないときは、遅れて行くのではなく前もって行っておく。これが昔から日本人の誠意の表し方だったのではないでしょうか。
この点でも小泉さんの判断は適切だったと思います。

もし、終戦記念日に参拝を断行したら、中国や韓国の反発は格段に激しいものになるのは間違いありません。
これに加えて私は、アメリカやヨーロッパの反応も心配していました。
サンフランシスコ講和条約で日本は、A級戦犯の戦争責任を認めた東京裁判を受け入れました。
国際社会への復帰。めざましい戦後の復興。未曾有の経済的な繁栄。
すべて、サンフランシスコ講和条約とともに手にした、自由と民主主義のもとに始まったのです。

にもかかわらず、国の最高指導者が終戦記念日に、A級戦犯が合祀されている靖国を参拝したら、どうなるでしょう。
A級戦犯の名誉を回復させるという印象をもたれても仕方がないのではないでしょうか。それは、サンフランシスコ体制そのものを否定してしまうことにもなりかねないのです。

そうなれば、これまで静観していたアメリカも、非難の声をあげてくる心配があります。
実際、すでにクリントン政権で国防次官補として日米安保問題を担当したジョセフ・ナイ ハーバード大学行政大学院長は、8月12日付の朝日新聞のインタビュー記事で、
「首相の靖国参拝について、多くの米国人は当惑している」と語っています。

また、サンフランシスコ講和条約で一度受け入れたことを、日本が50年経ってくつがえそうとしているとの誤解を与えることも懸念されます。
「日本は約束をたがえる国だ」
「日本人は信用できない民族だ」
諸外国からこうした烙印を押されることにもなりかねません。

もう一つ厄介な問題があります。
いったい誰に戦争責任があったのか、まったなしに問い直さざるを得なくなることです。 しかも、今度は日本人自身の手で答えを出さなければなりません。

太平洋戦争については、国民全体で責任を負うべきだという考え方もあります。
一方、天皇に戦争責任があったという人もいるでしょう。
いずれにしても、真正面からこうした議論に冷静かつ合理的に取り組める土壌は、今の日本にはまだ醸成されていないのではないでしょうか。
私は太平洋戦争の評価はいずれ歴史が下すべきだと考えます。ただ、それにはあと、30年から40年はかかるのではないでしょうか。

終戦記念日を避けたといっても、13日の参拝に対し、韓国や中国から反発の声があがっています。これに対し、小泉さんを中心に日本政府は誤解を解くよう懸命に努力しなければなりません。そして、近隣諸国とより一層よい関係を築けるよう期待しています。

今、国民が最も小泉さんに求めているのは、構造改革を断行することです。
そのためには、外交問題をことさら、こじらせることは得策ではありません。国内問題に取り組む時間と力がそがれるためです。
小泉さんには、まったなしで構造改革に全力を尽くしてほしいのです。
もちろん、私も一層、力強く小泉さんを支えていきます。
2001年7月31日(火)
【同床異夢〜小泉改革への期待〜】
参議院選挙も終わり、自民党は予想以上に勝たせていただきました。本当にありがとうございました。

自民党に対する逆風の吹いていた昨年の今ごろからみれば、まったくうそのように自民党に票が集まりました。これは、小泉改革への期待票だったのは間違いありません。それだけに、改革が具体論へ入る今後が大変だと思います。

選挙の期間中、全国を遊説していて心配になったことがあります。それは、国民の皆さんが小泉改革に対して相反する期待をしているということです。「小泉さんは大都市を再生してくれる」と信じている人もいます。その一方で、「小泉さんは地方分権を通して、地方の末端にあたたかい政策を実行してくれる」と確信している人もいます。たとえるなら、冷房を期待する人と暖房を期待する人とが一台のエアコンの前に集まってきたようなものです。

今、必要なことはどのような改革が必要なのか、その中身について議論することです。そして、地に足のついた政策にすることです。

ただ、改革論議が始まる前に、当面2つの心配な問題があります。1つは、靖国神社の公式参拝についての問題です。これにより、中国や韓国との関係は、かなり厳しい局面を迎えるでしょう。ただし、ここでもう1つ忘れてはいけないポイントがあります。靖国問題の行きつくところは、戦争責任をどう捉えるかという点です。この点では、戦勝国であるアメリカとの関係も重要となります。いずれにしても、靖国への参拝は慎重にすべきだと思います。なぜ私がそう考えるのか、このことについては、近いうちに詳しくお伝えしたいと思います。

今、差し迫っているもう1つの問題は、経済についてです。株価が低迷しています。もちろん、株価の一時的な値上がり・値下がりだけに、一喜一憂してはなりません。

しかし、現在は実体経済もかなり冷え込んでいます。これこそが心配なのです。当面、経済の動向には、強い関心を払っていくつもりです。
2001年7月13日(金)
【インターネット時代に合った公選法改正が急務】
加藤紘一です。

12日から参議院選挙が始まりました。 前日遅く、出身地山形へ最終ミニ新幹線で到着し、翌朝8時から地元候補の出陣式に出席いたしました。そして・・・  

以下、これ以降のことは、スタッフが選挙期間中はホームページで選挙に言及することが出来ないということに気づきました。公職選挙法の「文書や図画の頒布」にあたるということです。

われわれが同志として応援したい、地方区、比例区の何人かの名前をアップすることすら出来なくなりました。  本来、文書図画を規定枚数以上に頒布してはならないというのは、選挙に過剰に費用がかかりすぎるためであり、政治資金がかかりすぎないようにという発想が原点です。インターネットは経費がほぼ0であり、1,000万人に通知したとしてもわずか数千円で済む話です。

今後、政治におけるインターネットの活用について、もっと前向きに検討すべきだと思います。

この件で、役所に問い合わせたところ、「現行の公選法を拡大解釈したとしても限界がある・・・もはや法改正が根本的に必要な状況だが・・・」という見解でした。

ネットと選挙と政治とお金、この4つの関係は早急に解決を要するテーマです。かつての常識が、あっさりと非常識となるほど、猛スピードで時代は変わっています。公選法が今日の常識とあまりにもかけ離れているということは、有権者にとっても候補者にとっても不利益になるので、時代に即した法改正が必要と考えます。
2001年7月13日(金)
【≪短信≫】
 加藤紘一です。
 昨7月12日付朝日新聞夕刊に、梅原猛氏へのインタビューが載っていました。靖国参拝についてです。梅原氏によれば、「靖国参拝は日本古来の神道の精神に反する。味方より被害を与えた相手を手厚くまつるのが神道の考え方だから、靖国参拝の前にアジアの人たちのために大きな鎮魂をすべきだ」とのこと。この鎮魂の考え方と、戦争責任問題が靖国の底流にある問題点だと思います。夕刊の記事として読み流されるにはもったいないと感じました。
2001年6月30日(土)
【≪短信≫】
昨日、通常国会が終わった。特異な国会。「消費税国会」とか「PKO法案成立の国会」というような政策面の特徴はなかったが、「議事堂を国民に近づけた国会」とでも言えようか。次につながる国会だった。
2001年6月29日(金)
【本物の草の根対話は案外難しい】
加藤紘一です。

明日、「加藤紘一がゆく!」で京都に行きます。立命館大学などで短い講演と長時間の討論をやります。楽しみです。どんな会になるか私にもわかりません。また、主催する弁論部の学生諸君も充分自信がもてないのではないでしょうか。それでいい。

今年の2月からやっているHPを通じてのこの「加藤紘一がゆく!」は、まったくの他流試合です。毎回、異なった姿になります。質問も多方面にわたり、驚かされます。毎回が新鮮です。

私たち国会議員、特に大臣を経験したり、党の役職・肩書きがついたりした場合、地方に出向いても、とかく「視察」のパターンになりがちです。また、地方自治体や党の組織にお世話になるので、どうしてもその地域の指導者の人々との会話になる。

いま、小泉内閣でタウン・ミーティングを全国各地でやっています。発言者が大臣とともに壇上の席に座らされていますが、「大丈夫かな。緊張してしまうのではないか」と思います。心情を吐露できないのではないかと心配しています。

草の根の国民と本当に飾らずに対話するのは、案外難しい。昨日、「50代愛知県会社員」の方が、「お忍びで、小学校を見学したらどうか」とフォーラムに投稿していました。荒れる教育の現場をそのまま見たいと去年から考えているのですが、なかなか手立てがありません。そのうちなんとか、視察ではなく現場を見てみたいと思います。

国会議員の仲間内でよく、「昨日タクシーに乗ったら運転手のオジサンがこう言った」という話をします。われわれにとって貴重な「生の国民の声」を聞くチャンスだからです。

全国行脚をHPでの募集方式でやって、本当によかったと最近しみじみ思っています。
2001年6月27日(水)
【≪短信≫】
23、24の2日間、参院選の応援のため、鹿児島に行って来ました。私にとっては、生後6ヶ月から2歳半まで過ごした(らしいです――記憶はありませんが)第2の故郷でもあります。
応援演説のなかで「京都議定書」批准の方向で小泉首相の決断を期待したいと発言しました。
米国内政上の背景も、わからなくはありませんが、カナダが批准の方に傾いたので、日本が決断すれば発効する状況になりました。
わが国の判断は重要です。
2001年6月26日(火)
【≪短信≫】
都議選の結果は、まさに小泉人気の結果です。ある程度は予想していましたが、驚きました。小泉首相に対する期待の強さと真剣さを痛いほど感じました。
2001年6月22日(金)
【速水日銀総裁の「植物論」】
加藤紘一です。

過去2〜3週間の政治の中心は、田中眞紀子外務大臣と外務省の対立でした。あまり混乱すると、国益を損なうことになるので大変心配していました。6月16〜19日の外相訪米も、大過なくほっとしていた矢先、一昨日の外務委員会の田中・鈴木論争で、また火がつきました。今日の外務委員会もまだもめているようです。早く収拾してもらいたいと思っています。なぜならば、今一番心配しなければならないのは、国内経済の状況だと思うからです。政府の経済見通しも悪化の方向となっていますし、ここ数日の株価の状態も一進一退です。景気対策の特効薬はなかなか見つかりませんが、国会開会中はもっともっと中長期的な経済対策に議論が集中すべきだと思います。

最近とられた経済対策の中で、一番注目されるのは、3月19日の日銀の量的緩和策です。しかし、発表されたとき、私は果たしてどの程度効果があるかなと思いました。金融関係者から話を聞けば聞くほど現在の状態はなかなか簡単ではありません。お金を貸したい企業はお金を借りない、借りたい企業は問題がありすぎて貸せない。そういう中で日銀が金融機関に資金を供給しても、資金はなかなか流れていかないのではないかと思っていました。どうも最近の状況をみると、それが実態のように思えます。

6月19日、日銀の速水総裁は「植物にいくら水をかけても大きくなっていかないような状況だ」という表現で、量的緩和をさらにやっても、必ずしも効果がないということを告白していましたが、そういう中にあってまだいろんな与党や政府の中から金融のさらなる量的緩和論が出ているのが私にはちょっとピンときません。最近、日銀が国債の買いオペをやって民間に資金を供給しようとしていますが、民間金融機関は資金を必要としていません。従って、そのお金が日銀に戻ってくる状態が続いています。つまり、日銀が銀行を通じて市中にお金を流すという金融緩和の機能が働いていないのです。そんな状況の中で、私は経済・金融情勢の先行きを心配しております。

水を与えたら育ってゆく種や球根を早く経済構造改革で誕生させたり育てたり、見つけていくことが今求められています。当然少し、遠回りに聞こえますが、基礎科学研究や産業技術開発に資金を回していくこと、情報通信政策の一層の自由化などで新たなビジネスが生まれるようにすること、が重要です。そのためにも、経済財政諮問会議の提案はまだまだ総論の域を出ていませんが、方向としては正しいもので、できるだけ早く具体論について国民的な議論が行われるべきです。その議論を経ずに単に日銀に対する量的緩和の議論に終わってしまっては、問題を避けていることになると思います。いい結果を生みません。



2001年6月16日(土)
【「矛の防衛」「楯の防衛」】
加藤紘一です。

15年前、私が中曽根内閣で防衛庁長官をしていた時に、アメリカのレーガン大統領がSDI構想をはなばなしく打ち上げました。いわゆる「戦略防衛構想」と呼ばれたものです。その中心は、ソ連などから飛んでくる核弾頭つきの攻撃ミサイルをレーザー光線や迎撃ミサイルで撃ち落とすというものです。「まるで、フマキラーで蚊を落とす。リモコンでテレビのスイッチを切るようなもんだな。そんなことが出来るのかな」――最初に構想を聞いたときの私の印象でした。また、日本国内でも、アメリカ内部でも「カウボーイ大統領のスター・ウォーズ」と揶揄されました。

けれども、大統領は、めげずに国民に演説しました。手元に記録がないので、記憶が不正確かもしれませんが、要点は次のようなものだったと思います。
「これまで、米ソ両国は核弾頭をつけた大陸間弾道ミサイルに血道をあげてきた。貴方の国がミサイル攻撃でわが国民を400万人殺せると言えば、我々アメリカは、ソ連の国民500万人を殺せる、という。そんなことになったら大変だという「恐怖の均衡」「相互確証破壊」で平和が保たれているのが本当に人間的なことだろうか――いや決してそうではない」
それに続けて大統領は、「だから攻撃ミサイル中心の防衛はだんだん減らそう。その代わり飛んできたミサイルを着弾するまえに撃ち落とす防衛システムを開発しよう」と呼びかけていました。

全世界の軍事力の頂点に立つ米大統領の防衛演説に「人間的でない」という言葉が出てきたので、「ほおー」と思わずつぶやきました。
このSDI構想は、その後実現したわけではありませんが、当時のソ連はこの構想に対抗できないとあきらめ、ソ連型社会主義の崩壊へのキッカケとなります。

ブッシュ大統領が今回打ち上げたミサイル防衛構想も基本的には、レーガン構想と同じ方向のものだと思います。世界戦略のなかで、アメリカの優位を保持するという目的であることは明確ですが、攻撃型兵器(矛=ほこ)を縮小し、防衛型システム(楯=たて)を開発させようとする発想は、わが国のもっぱら守りに徹する(専守防衛)の考え方、ハリネズミ防衛論の方向に合ったものなので、充分検討すべき提案だと思います。中国も頭から反対せず、米国の発言に耳を貸し、討議に加わるべきではないかと思います。
2001年6月1日(金)
【小泉現象について】
加藤紘一です。
ここ1週間、いわゆる「小泉現象」を読み解こうとする記事などが多く出始めています。それぞれ、新鮮な視角で書いてあって興味深いのですが、特に朝日新聞の『84%の風景』が面白い。

山崎正和氏は、「小泉内閣への圧倒的な支持は国民が自己嫌悪に飽きて疲れたということでしょう。政治的な自国否定、『日本はだめだ』という気分に飽きたということです」「流動しやすい気分が一気に不機嫌から愉快の方へ振れたのだ」と語っています。

北原みのりさんという人は、私には、初めてみる名前ですが、感想もなかなか。「なるほど」と読みました。

昨日は作家の高村薫氏でしたが、実に冷静な分析。「小泉内閣を支持するなら、なぜ支持するかを考える」ことが大事だと主張されていますが、これは、ブームによる政治が少し落ち着いたときでも、国民が政治離れしないために重要なことです。
また、高村氏は「この国が戦争責任をあいまいにしたまま始まったことのツケが、目に見えない形でいつも私たちの上にのしかかっている。この不確かさ」を指摘していますが、これは今後の対米・中・韓関係を考える際にも重い問題点だと思います。

いずれにしても、先にも述べた通り、小泉内閣の支持率がどんなに高くても政策の論議は、元気にやるべきです。その意味では、最近の永田町の野党議員や政治ジャーナリズムは遠慮しすぎています。だから、山崎・北原・高村氏の発言が、私達永田町にいる人間の目に刺激的で示唆にとむものとして飛び込んできます。
2001年5月30日(水)
【良い公共事業・後回しにしてもよい公共事業】
5月18日に当ホームページの庄内フォーラムに「飽海郡・公務員」さんから、地方財政について指摘をもらいました。この問題は、今後注目されてくるテーマだと思いますので、その投稿と私のコメントを以下に掲載します。

『2001年5月18日(金) 40代飽海郡公務員
 【庄内の活性化について】
 加藤紘一代議士様こんにちわ
 当方は、地方公務員をしている者です。
 現在、全国的に合併という言葉が聴かれますが、本来、合併は必要性を感じた市町村が行う者でないでしょうか。
 今の合併論議は、国が主導して地方の財政悪化を解消するために進めているものと感じています。
 実際、現在の財政悪化は国が経済対策などという名目上で、事業費の2分の1又は3分の1という補助金を補助して事業推進をはかってきたツケだと思っています。
 経済対策という名目をつけるのであれば、自己資金を10分の1というような補助を支出すれば、現在のような地方財政の悪化を招かなくてもよかったのではと思っています。
 現在、庄内14市町村の大合併論議が進みつつありますが、借金を多数抱えている市町村とは合併したくないという本音がありと思います。
 国会議員は選挙時のみでなく、もっと国民に広く門戸を解放すべきと思います。』


加藤紘一です。
「飽海郡・公務員」さんの意見で指摘された点は、実は、現在の国の666兆円借金問題や地方分権の重要なテーマになることです。
過去10数年、政府・自民党は何度も景気対策のパッケージを打ち出しました。
そのうち、かなりの部分に私自身が関与しています。景気刺激の公共事業が重要な内容ですが、実施するのは地方自治体。必ず、地元負担があるのですが、「その点は、心配しないで欲しい。自治体にとりあえず借金してもらうが、その返済は、地方交付税で国が責任を持つ。だから、現在の緊急課題、つまり景気回復を実現するため、公共事業を実施してください」と国は呼びかけてきました。

「公務員」氏は1割負担にすべきだったと述べていますが、実はそれどころか、国主導の経済対策の場合は、ゼロ負担としてきました。しかし、いくら地方交付税で将来面倒をみると言っても、その財源になる地方交付税対象税目(所得税、法人税、酒税、消費税、タバコ税)の収入は、ここ10年ぐらい低調で、その不足分は地方交付税特別会計の借金になり、その累積額は、平成13年度までで実に42.5兆円にのぼる見込みです。一方で、地方自治体にとって十分な費用対効果分析がなされないままに、野放図に公共事業が繰り返されてきたのです。

この点は、大きな問題だと思います。私自身、ずっと気になっていました。今後は、補助事業については地方自治体にしっかりと応分の負担を求めることにより、その事業の必要性を再確認してもらう、そういう形でやっていかなければ不要不急の公共事業はなくならないと思います。「地元負担分を払ってもやりたい公共事業」は良い公共事業、「払いたくない公共事業」は後回しにしてもよい公共事業という判断が、いちばんいい基準ではないでしょうか。
2001年5月25日(金)
【批判を恐れず議論すべき】
小泉内閣の支持率が80〜90%前後で推移しています。自民党支持層だけでなく、民主党支持の75%、共産党支持の57%がその中に含まれている(朝日新聞4月29日)のは驚きです。また、それほど「変える」「変えなければ」という思いが国民各層には強いのだと思います。

この流れは、一種の社会現象だと思います。普通の政治運動ではありません。だから、小泉政権は、常に変化のための無限運動を義務づけられているのだと思います。

そんな中で、最近、野党議員のあいだで「ちょっとでも小泉政権批判をすると事務所に抗議のファックスとEメールが殺到する」との声があります。多分、そういう現象は一部にあったでしょうが、そんな事にひるまず、論議をすべきではないでしょうか。そうでなければ日本の民主主義は未成熟だと言われかねません。「批判する人間がたまに批判されても、いいではないか」と小泉首相が言ったようですが、その通りで、批判されたらまた再反論すればいいのです。
2001年5月24日(木)
【ハンセン病訴訟の控訴断念について】
小泉首相は、みごとな決断をしてくれました。われわれも期待していましたが、昨日には新聞各紙がそろって「首相、今夕にも控訴決定の方向」と報道しているので、最後の最後までどうなるか心配でもありました。首相および大臣の英断に感銘を受けるとともに、良かったと安心しています。

先週17日、加藤派の例会で、新たに厚生労働省の大臣政務官になった佐藤勉衆議院議員(栃木四区)が「政治家として考えると控訴すべきでないと思うが皆様どうですか」と問題提起しました。それをきっかけに活発に議論。地裁判決には、立法・司法の関係について問題があるが、その点は国会決議ないし政府見解で留保しつつも控訴断念すべきというのが、われわれの判断でした。

役所に従来の政策の誤りを認めさせ、方針変更するには、大臣ないし首相の決断しかないというのが、今回の中心テーマでした。小泉首相は、大胆にリーダーシップを発揮してくれたと思います。
2001年5月23日(水)
【財投機関の財務内容開示について】
小泉改革がいよいよ具体的になってきました。

まず、道路特定財源について、首相は、参院選までに明確な方針を打ち出すと言明しました。なかなかはっきりしています。私は、環境対策などに、思い切って振り向けるべきだと思います。

また、小泉首相は、郵政三事業改革にも着手する方針です。そして、カギは、郵貯・簡保資金の運用問題であり、より踏み込んで言えば、財投機関の財務内容公開を本気でやれるかにかかっています。「あまり急激に事を進めると、金融不安に結びつく」と慎重論を言う人もいますが、郵貯255兆、簡保112兆、年金資金140兆が、どんな運用をされているかは、オープンにされるべきです。この点があいまいなままだと、例えば、公的年金制度への信頼感の回復が難しくなります。
2001年4月27日(金)
【小泉政権発足について】
加藤紘一です。

小泉内閣が成立しました。みなさんの御声援に感謝申し上げます。「自民党を変えよう」「日本を変える」のスローガンで戦われた今回の総裁選挙は自民党員だけでなく、一般国民の関心も大きく呼びました。

4月24日、党ホールでの小泉総裁選出決定のあと、私はテレビインタビューで「これは事実上、首相公選をやったのと同じ」と言いました。本当にそう思います。

どんな団体・系列に属する党員でも、家族の人々がいます。会社で同僚と政治を議論します。そのなかで、今回は系列の意向よりも自立した国民としての判断を優先したのだと思います。

新内閣は小泉さんの個性が強く出されたものになりました。そして、改革に向け、たゆみない努力を運命づけられた内閣です。頑張ってほしい。私もしっかりと支えます。

この総裁選で、国民から寄せられた期待は、たいへん大きく重い。そのなかには、自民党の枠を超えた改革を求めている部分もあります。しかし、小泉氏は党をまとめる立場になりました。難しいバランスですが、不断の改革への努力のなかで、答えを見出すしかありません。
2001年4月23日(月)
【伊勢神宮参拝】
4月9日、伊勢神宮へ行って来ました。これまでも閣僚の時などに何回か参拝しておりますが、今回はまた別の趣きです。それは、私が今続けている「加藤紘一がゆく」での講演の際、必ず締めくくりに、日本人の伝統と精神、文化と心の問題に触れ、アイデンティティを今一度確かめ、日本的な生活様式を確立しようと訴えてきたからです。
日本人の原点は、自然を大切にし、崇拝する心にあり、山川草木、すべての自然物に神様が宿っていると考えられていますが、ところで、その神様とは一体何だろうかと思う時、それは、全国至るところに鎮守の森があり、神様が奉られているところの神様ではないか、そして、その総元締めとしての伊勢神宮がある――。
行脚の中で、一度はお参りしたい、そんな思いを胸に、早朝、東京を発ち、名古屋で乗り換え、神様に一番近い駅、宇治山田に降り立ちました。

ものの本を読むと、日本の神様には、「天つ神」(天孫降臨)と「国つ神」(土着の神)の系譜があり、伊勢神宮は「天つ神」ながら、「国つ神」をもまとめて、「国神」になったようです。古代は、天皇だけの神社として、臣民の参拝は許されなかったようですが、中世以降は、「お伊勢さん」の愛称で呼ばれ、全国庶民の崇拝の対象となり、敬われ、親しまれてきました。特に、江戸時代は、各地に伊勢参りのための「講」、今でいう旅行グループのようなものができ、庶民はお金をため、一生一度のツアーを楽しんでいました。

しかし、明治になると国家神道となり、その頂点に立つ伊勢神宮は、遠く、高い存在になってしまったようです。戦後、そのくびきから脱しましたが、庶民から見れば、まだ少し敷居が高い場所のようです。かつての「お伊勢参り」のように、鎮守の森を訪れる気持ちで、伊勢神宮への参拝客が増えればいいな、と思っています。

伊勢神宮を管理する「神宮司庁」で、神宮大宮司の久邇邦昭さんとお会いしました。11年余に渡り、斎主に次ぐ最高責任者の仕事をなされ、近々退任される大宮司は、元商船会社勤務の「国際人」でもあり、昨年ニューヨークで開かれた、「国連ミレニアムサミット」での講演は、自ら英文で原稿を書かれ、スピーチされたとのこと。
私は、「日本の文化と伝統、精神を探っているが、あいまいなところがある。日本の原点は類いまれなる自然観にあり、それは神社に現れていると思うが、それをまだ言い切れていない」と話しました。
大宮司は、ゆっくりと静かに、こう話されました。

「我々の祖先は、日本という国家が成立するはるか太古の時代より、人知を超え、多くの恵みを与えてくれる山や川や海や森や動物などの自然界のものに霊性を認め、それぞれに畏敬と感謝の念をもって接してきました」

「神道は、このような日本人の神観念に基づいて自然に発生したもので、八百万といわれるほど多くの神々を信仰の対象にしております。自然や祖先、人々と共に生き、清浄と正直を守ることを至高とし、日々清らかな人間として生まれ変わって行くことを信仰の基盤としております」

「稲作を中心とする農耕社会では、人間同士の協力はもちろん、山や川、太陽や雨、動物や植物など、自然の要素すべてが一体となり、協同し合う形を取らなければ成り立ちません。それぞれがそれぞれの役割を担う形で特性を発揮し、お互いに足りないところを補い合うことによって、皆が繁栄できるものと考えてきました」

「そして、人々は村の神社に神様をお祀りし、事ある毎に皆が集まって協議し、共同体として一つの方針を打ち立てて対処する内に、神々と、自然と、人々とともにあるという、何よりも調和を重んじる意識が形成されたのです」

これが、まさに、私が言う、「日本の神様」です。

大宮司は、さらに、「明治以降、国家神道になったのは、よくなかった」と言われました。私も、「その点を整理すると、神道はもっと国民的広がりを持つだろう」と述べました。

私は、わが意を得たり、との思いで、玉砂利を踏み、内宮(ないくう)に向かいました。ちなみに、伊勢神宮は内宮と外宮(げくう)からなり、内宮は天照大御神(あまてらすおおみかみ)を、外宮は豊受大御神(とようけのおおかみ)をそれぞれ祀っています。豊受大御神は、天照大御神の食事を用意する神様で、生活と産業の護り神とされています。

内宮の正殿は、決して、豪壮でもありませんし、華美でもありません。しかしどこか威厳が感じられます。それも、人を寄せ付けない厳(きびし)さではなく、人を静かに魅いらせる厳(おごそ)かさです。

全国の神社の頂点に立つ伊勢神宮が、かつてのような、天皇家だけの神社であったり、国家権力と結びついて他の宗教を排するような存在ではなく、日本列島の自然と人との共生を図り、平和と繁栄を願う国民の一つのシンボルとして、存在しつづけることが、この国のあるべき姿であり、また、めざすべき姿だと思いました。
私の続けている「行脚」は、本来は修行するという意味の仏教用語ですが、今回は、国民、有権者ではなく、恐れ多くも、神様を相手の修行となりました。
2001年4月18日(水)
【自民党総裁選について】
加藤紘一です。

いま、自民党の総裁選が行われています。報告が遅れましたが、私は小泉純一郎さんを支持しています。「日本の政治を変えたい」という主張に共感するからです。また4人の候補者のうち、日本の現状について小泉さんが最も強い危機感を持っているからです。

今日の自民党政治の危機の本質は何か。私は全国行脚をしながら考え続けてきました。ロッキード事件やリクルート事件・消費税導入の時の危機がありました。また、野党に転落した佐川急便・政治改革の際の危機もありました。その時々、自民党はそれらの困難を克服して復活してきました。今回の危機もそのようなものの一つなのか。それとも、今回は全く異なる回復不能な危機、システムそのものの危機なのか。まだ、私自身の中でその答えは最終的に出ていませんが、少なくとも今回小泉さんが自民党の最後のカードであることは明確です。

経済や財政の構造改革に取り組む姿勢、立候補を決断するまでに示した党体質改革を妥協しないという決意、また今後の国会運営に向けての柔軟な姿勢を、私は確認し、評価しました。

去る4月15日夕刻、東京渋谷駅ハチ公前の小泉候補の街頭演説に参加しました。一万人を超えた人々が真剣に、かつ冷静に小泉さんや私たちの演説に耳を傾ける姿に接しました。それは全国行脚で私の話に熱心に耳を傾け、質問や討論してくれた人々と同じ表情だと感じました。日本を変えなければならない。そんな人々の思いが何かを変えつつあります。

明日も小泉・山崎・加藤3名で福岡の街頭演説に参ります。

小泉さんの主張に不充分なこともあると思います。しかし、彼が余裕がないと見えるほど真剣なことは事実です。

どうぞ、小泉純一郎さんに声援を送って下さい。
2001年3月25日(日)
【党紀委員会】
加藤紘一です。

新聞等でご承知の通り、私は先の内閣不信任案採決の本会議欠席について、3月21日に自由民主党の党紀委員会から「党の役職停止3ヵ月」の裁定を下されました。

あの欠席は、自由民主党の組織の一員としての立場と国民の皆様の声を反映させなければいけないという思いとの間で、私としては悩みぬ いたぎりぎりの選択でした。しかし、覚悟の上での行動だったので、党紀委員会の決定に異議を唱えません。

色々な見方があると思いますが、とりあえずご参考までに党紀委員会に提出した私の弁明書の全文を以下に掲載します。

***********************************

弁  明  書

拝啓  

自由と民主主義を至高の理念とする自由民主党に私が入党いたしましたのは、31年前のことでありました。

以来、私はわが党の理念の推進と深化に全力を尽くしてまいりました。今日の世界を見れば、自由と民主主義は人類普遍の原理になったことは明らかです。21世紀は、その原理の一層の普遍化を達成するに違いありません。

このことは、結党以来のわが党の理念、理想の正しさを物語るだけでなく、私が生涯を賭けた選択の正しさをも物語るものと固く信じております。

自由と民主主義の理念は、国家だけでなく、あらゆる組織で貫徹されなければなりません。党内運営においても同様であります。党内における自由とは、仮に総裁を批判する事になったとしても、率直に意見を表明できることであり、民主とは、各国会議員が自分の選挙区の有権者の意見を正しく代弁することであると私は考えます。

昨年来、全国至る所で森首相は退陣すべきとの声が沸き上がりました。その声は、自民党の多くの国会議員の間でも、共感をもって語られました。そうした中で、野党の内閣不信任案が提出された際、私は有権者の気持ちを代弁する立場にある者として、不信任案を即座に否決し、森内閣支持を表明することに強い抵抗を覚えました。

党員としての規律遵守とわが党の生命線である自由と民主主義を死守するという2つの選択肢の間で悩みぬ いたぎりぎりの行動が、本会議欠席という選択でありました。

私は、ここで組織決定と法学上の抵抗権について大上段から議論するつもりは毛頭ございません。ただ、党内にも、自由と民主主義を訴える声があることを国民に示すことが、わが党にとって長い目で見て極めて重要であるとの強い信念に基づいて行動した次第です。  

以上、私の真意を申し述べさせていただきました。党紀委員会の適正なご判断を望みます。

敬具

平成13年3月14日

東京都港区南青山(番地省略)
自由民主党員  加 藤 紘 一

東京都千代田区永田町1丁目11番23号
自由民主党本部内
党紀委員長  葉 梨 信 行 殿  
2001年3月5日(月)
【本日の内閣不信任決議欠席について】
加藤紘一です。
昨年11月、私たちは森総理の退陣を求めて行動を起こし、内閣不信任決議案が上程された衆院本会議を欠席いたしました。それは自民党員としての規律と国民の皆さんの気持ちの間で悩みに悩んだ選択でした。
あれから100日余り経ち、私たちの主張は国民のみならず、与党さらに自民党の中でも大方の理解が得られるようになったと言っていいでしょう。本日再び、内閣不信任決議が上程されるまで事態打開の努力が行われなかったことは誠に残念ですが、現時点で内閣不信任決議に反対して、結果として森内閣信任の意思表明をすることは政治家としての信念に反しますから本会議を欠席致しました。
2001年2月28日(水)
【日本国債格下げ】
24日の土曜日「加藤紘一がゆく!」で埼玉県越谷市と東京・国立市に行ってきました。
また、おととい日曜日には愛知県西尾市で、それぞれ私にとってはたいへん新鮮な対話の場を経験してきました。一両日のうちにレポートします。
23日のメールで「福岡 40代 自営業」氏が指摘されているようにムーディ ーズに続いてスタンダード&プアーズ(S&P)も日本国債の格下げをしたことは深刻なことだと私は受け止めています。だからこそ わが国の構造改革を急ぐ必要があるのです。
2001年2月15日(木)
【全国行脚のネーミング決定】
全国行脚のネーミング公募に際して、皆さんから沢山のご提案をいただき有難うございました。いずれ劣らぬ力作揃いで、私も相当悩みました。慎重に検討を重ねた結果 、「加藤紘一がゆく!〜新しい日本をつくろう〜」というネーミングに決定いたしました。政治家「加藤紘一」が全国津々浦々を飛び回り、新しい日本を皆さんと語り合うという私の思いが込められています。偶然ですが、このネーミングは最も多くの皆さんから寄せられた案でした。

今週末から、いよいよ高知を皮切りに全国行脚を開始します。今後は、全国行脚の予定が決まり次第、このサイトで順次ご案内しますので、お近くの方は奮ってご参加下さるようお願いします。

皆さんとこの国の将来について語り合えることを楽しみにしております。
2001年2月13日(火)
【東京都千駄ヶ谷にて<2月11日>】
加藤紘一です。 

2月11日、東京千駄ヶ谷の日本青年館で開かれた、「バイオテクノロジー研究会」に行ってきました。慶應義塾大学の環境情報学部と総合政策学部の出身者でつくられているこの研究会は、ふだんは先端生命科学の情報交換と研究をしているとのことですが、今回は特別に私の話を聞いてみようということになったようです。参加者はちょうど15人。「メンバー全員、加藤さんに興味を抱いているし、信頼もしている。だが、開きたいこともいっぱいある。今日はフリー、フラットな立場で、気さくに話し合い、新たな信頼関係をつくりたい」との主催者のことば。 

例によって、私がはじめに、「日本改革の必要性」について話しました。「この国は本当にだめな国になってしまったのだろうか。いやちがう。この国は、将来、大丈夫なのだ。私はそう強く思う。大切なことは、みんなにそう思ってもらうことだ。そうすれば、いまこそ閉塞感やたそがれ感がただよっているが、きっと明るくなる。みんなで、この国を変えていけばいいのだ。 

そのためには、まず現在、国民が抱いている『不安』をなくすことだ。少子・高齢化による年金や介護の問題が、将来不安の最たるものだが、これも発想を変え、システムを変えることで解決できる。65歳を高齢者と見ることや、何でもかんでも20歳から年金を払わせようとするから、先に進まないのだ。改革の道筋を示し、具体的なビジョンを出していけば、問題は必ず解決する。 

力づよいけど小さな政府、それが私の目標です。この国は、平等、福祉、公共事業などを声高に言ううちに、いつのまにか社会主義の国になっていってしまったようです。これを変えて、一人一人、一つ一つが自立した個人、企業として、活き活きと活動できるようにしなければなりません。お上に頼らない、とそう決めた時、そこから景気回復や経済再建も始まるのであり、改革が進むのです。 

ただ、国がやらなければならないこともあります。外交、防衛などはその筆頭ですが、基礎科学技術を創造して、産業に結びつける仕事も、国の仕事です。経済性、採算性をどうしても優先してしまう民間企業だけでは、国際競争に勝てないからです。 

心の空洞化が言われるいま、この国の文化、伝統、精神をもう一度見つめ直し、日本とは何か、日本人とは何かをさぐる、自分探し、日本探し、も大切です。いわゆるアイデンティティの確立です。一言でいえば、日本人の特徴は、自然をありがたいと思う気持ちを持っていることにあると。世界では、自然がきびしくつらいと思う人々が7割、8割でしょうが、自然はあたたかい、ありがたいと考えてきたのが、日本と日本人です。これをアイデンティティとして、ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ(日本的生活様式)をつくりあげていけば、マハティールも再び自信をもって「ルック・イースト」と言うでしょう。 

しかし、何はともあれ、まず政治が変わらなければなりません。改革の第一幕は、私の失敗で終わりましたが、まだまだ、広く、長いドラマは続きます。大丈夫、この国はしっかりやれる、という人が10人いるほうが、だめだという人が1万人いるよりも大事だと思います」 

質問は、「クローン人間の是非」「郵貯の民営化」「雇用と人材のミスマッチ」「ITへの取組の現状」「中国外交の本質」などなど、参加者の職業、研究現場の体験をクロスさせた、具体的かつ重要なテーマばかりでした。私も長い間政治家をやっていますが、こんなに短時間のうちに、先端科学から雇用、外交、政治哲学までの多岐にわたる問題を論じあったのは、このような対話集会が、ほとんどはじめてといっていいことでした。 

参加者の人はみな、「どうやったら、あなたを信頼し、支援できるか。それをみんな考えている。そのためには、加藤政局で、考え、行動したことを正直に話してほしい。そうでなければ一歩も前へ進めない」、そんな想い、まなざしで追ってきました。 

きびしい突っ込みではありましたが、ありがたいことです。私は、あの政局でのディテールを話し、その時の率直な気持ちを語りました。一度の話でわかってもらえるとは思いませんが、改革をともにしていくのだという、決意は共有できたと思います。 

最後に主催者は、今後の戦略とビジョンをたずねてきました。私は10秒程の間をおいて、「私の話を聞いてくれる人、共に改革をしようといってくれる人、その人たちが私のエネルギー源です。いまはこの人たちをたくさん増やすことに全力を尽くしたい」と答えました。
2001年2月13日(火)
【東京都早稲田にて<2月10日>】
加藤紘一です。 

2月10日、「日本の将来について熱く語る有志の会」に招かれて行ってきました。会場は早稲田大学の第二学生会館の4階の会議室。確かこの学生会館は、30年程前に建てられ、当時はモダンな設計で、注目を集めたにもかかわらず、学生運動最盛期の折から、使用にあたって大学側と学生側の話し合いがつかず、長い間封鎖されていたということを憶えています。四方ガラス張りの直方体のこの建て物は、古くはなったものの、学生たちのコミュニティの場として、この日も活気を帯びていました。 

セメントの打放しの柱には、「加藤紘一、来る」との小さな貼り紙が何枚もありましたが、その一枚に、「あの」と書き添えられていたのがあるのを、私は決して見逃しませんでした。私は、今まさに「あの、加藤紘一」なのです。残念ながら「あの」というこの二文字に、私の今の政治的立場と課題が象徴的に表現されています。しかし、政治家は人気商売、なんと言われようとも、訴えなければならないことは、訴えます。そして、話を聞いてくれるところには出向きます。 

「有志の会」は公務員をめざす学生、大学院生と卒業して公務員になった人達の集まりで、この日は早稲田大学を中心に慶応大学や都内の大学生とそのOBが40名程集まってくれていました。

私は、はじめに、「この国はいまたそがれっぽく、めちゃくちゃだが、潜在能力はあるし、エネルギーを持っているから、改革をすれば大丈夫、立派な国になる。そのためには科学技術を発展させることと、この国の在り方についての議論を交わし、アイデンティティをしっかり確立させることが大切だ」と話しました。 

質疑は活発で、一度に10人もの人が手を挙げるありさま。公務員をめざす人たちだけあって、質問は、「小さな政府と社会保障の折り合いをどうつけるのか」「政府の歳出削減を可能にする方法は」「どんな経済モデルを志向するのか」といった専門的で高度なものがほとんどで、私は一瞬、国会で答弁している錯覚に陥っていました。 

だが、学生たちの質問はやはり「あの」問題に集中。「なぜあの時一人ででも突入しなかったのか」「なぜ自民党や宏池会にこだわるのか」「改革、改革というが、何をどう変えていくのか。その見通しはあるのか」などなど。 

私は、昨年11月20日の「加藤政局」について、「本会議に出席して、不信任案に賛成票を投じなかったのは、私の間違い。あそこは行くべきだった。私の中の古いもの、永田町的なものが、判断を誤らせた。魔がさしたとしかいいようがない。また、勝ちにこだわりすぎた。あの場面では、勝ち負けよりも、局面を変えることのほうが大切だったのだが、それが結果的にできなかった」と述べました。 

「あなたにはユーモアがない。腹を割って本音を見せることも必要では」という、痛い質問もいただきました。それに対し、私は「これまで仕事一筋に歩んできたので、人間に幅がないといわれれば、そうかもしれない、神様が与えてくれた試練をいまかみしめている」と答えるのが精一杯でしたが、一人の人が「個性はいろいろだ。政治家は優秀で、誠実であればいい。石原慎太郎さんにくらべて確かに印象は強くないが、加藤さんは、ホームページなどを通じて大切なメッセージをたくさん出している。これからは、政治家のパフォーマンスにたよるのではなく、国民が政治家に、積極的にアクセスしていくべきだと思う」と発言してくれました。 

「後世畏るべし」。今日もまた私は、若い人から大切なことを教えてもらったような気がします。
2001年2月9日(金)
【全国行脚のネーミングを至急募集します】
お知らせの通り、来週末、愛媛県と高知県から全国行脚を正式にスタートする予定です。そこで早急に全国行脚の名称を決めたく、皆さんからのネーミングの応募をお待ちしております。まず、21世紀の日本はどうあるべきかについて、私がビジョンを語り、その後皆さんと率直に対話するという行脚のスタイルに合ったネーミングを期待します。
2001年2月9日(金)
【全国行脚のスタイルを決めました】
この度、私のホームページに全国行脚のお知らせを掲載したところ、多くの反響がありました。一言で全国行脚と言っても、皆さんの中でそれぞれ色々な捉え方やイメージがあることが分かりました。正直なところ、私自身全国行脚のスタイルについてイメージが固まっていたわけではなく、改めてそのあり方を考えさせられました。そこで、以下のような統一スタイルで行うことにしたいと思います。まず、21世紀の日本はどうあるべきかについて、私がビジョンを30分程度演説させていただきます。その後皆さんから色々な意見をお聞きし、率直な対話ができればと考えております。
2001年2月7日(水)
【東京都池袋にて<2月7日>】
2月3日、メールで申し込みを受けた、インターネットサイト「TERRAZIとゆかいな仲間たち」の「オフ会」に行ってきました。場所は東京・池袋西口はロサ会館3階の居酒屋「大馬鹿地蔵」。店の名前に臆したわけではありませんが、正直言って、最初は不安感が胸をよぎりました。サイトでの1行知識やコメントでは、どんな会になるのかさっぱり見当がつかなかったからです。 

それでも事務所の若いスタッフに強く勧められ、「7割興味」「3割不安感」で会場に向かいました。でも、まだ不安だったのでしょうか、途中で先乗りしている秘書に携帯で様子を聞きましたら、何のことはない、名刺を交換する間もなく、すでに参加者の人たちとなごんでいる、とのことでした。案に違わず、私も会場に入ってすぐに、会場とそのメンバーにうち解けていました。名刺交換もなく、肩書きもなくこんなふうに、人と人とがコミュニケーションできるということは、私にとって、ほとんど初めての新鮮な体験であり、その意味でも大発見でした。カルチャーショックを受けました。

このTERRAZIさんが主宰するサイトが、オフラインの会を開くのは初めてのことで、日にちはこの日と決まっていたのを、私のサイトの「全国行脚受付」を見て応募し、仲間の方々にメールを流したとのことです。「最初は7〜10人の参加予定だったのですが、加藤さんが来るというので、こんなに集まったのですよ」と言ってくれて、気を使ってくれているなと思いつつも、嬉しくなりました。事実、居酒屋の個室は40人もの若者でいっぱいでした。平均年齢は23、4歳。女性も3人ほどいました。皆さんそれぞれに初めての出会いにもかかわらず、日頃メールを交換している間柄のせいか、とてもうち解けたいい雰囲気をかもしだしていました。

司会者の方の挨拶後、すぐに私への問いかけが始まりました。いずれも社会や政治を真剣にとらえた質問と意見でした。政党には興味を感じないものの、政治についてはまじめに考えており、政治家についても大臣を経験したかどうかという肩書きや経歴の立派さより、どんな発言、メッセージを出しているかに関心を抱いているようでした。私も聞かれるままに、時間を忘れ、3時間近く「森喜朗論」「年金問題」「台湾問題」などを述べましたが、率直な感想は、人と人が同じテーマについて話し合うことがいかに大事かということと、人と人とは話し合わなければ、なごまないものだということでした。そして何よりも、見ず知らずの人間どうしがこの国の現状と将来について真剣に話し合う時間と空間が存在する、私は、この国はまだそんなに見捨てたものではないな、と実感しました。

IT革命が叫ばれていますが、この革命の本質は「人と人との深いつながりを可能にする」ことにあるのかも知れません。「意見を持たない」「話さない」というのが、これまでの日本人のイメージだったのですが、これは、いま完全に変わりつつあります。音を立てて変わりつつあります。その意味では、これまでの党や団体などの組織を通じてのタテ型の選挙パターンに大きな変化が起きることは必至です。

30人、40人の人と、いや10人、20人の人とも真剣に語ることが、この国を改革してよりよい社会を生み出していく「原点」、そこで出された思いやテーマは、必ず何百人、何万人、いや日本人全体の課題に通ずる、これが今回「TERRAZIとゆかいな仲間たち」の「オフ会」に参加して、強く感じたことです。私は、この信念を抱き、さらに改革のための活動を続けていくつもりです。
2001年2月7日(水)
【栃木県宇都宮にて<2月2日>】
2月2日に、宏池会若手の佐藤勉代議士の地元(栃木県第4区)を訪ねました。カラリとした大きな空、平らかに広がる町並み、関東平野の大きさを感じながら下野(しもつけ)に入りました。

まず初めに訪れた「自由民主党県連自民会館」(宇都宮市)では幹事長を始めとする県会議員の方々、県連事務局スタッフ、それに地元紙のカメラに迎えられ、おおいなる激励を受けました。いずれも佐藤勉代議士の同志の方々で、握手に込められた力強さに、私はいつもとは違った励ましを感じました。私は挨拶の中で、持論である「改革の旗をさらに高く掲げ、自民党と日本をさらによくしていくため全力を尽くす」との信念を述べました。

その後、壬生町の「特別養護老人ホーム」を見学しましたが、清潔なハード(施設)と、温かいソフト(介護内容)に感心しました。現行の介護保険制度の問題点についての現場のナマの声に接し、この問題の重要性を改めて認識すると共に、「介護保険の運用にあたっては、単に身体的条件(ADL)だけでなく痴呆の処遇を強く意識する必要がある」との感を強く持ちました。

関係者の方々との懇談の席で問題となったのは、要介護認定において、痴呆の人が低く判定されることによる現場の困難さを、いかに克服していかなければならないか、ということでした。これには、さらに痴呆が重症でも、施設に入所できない人もいるという在宅の問題も含まれるとのことでした。

また、痴呆の原因によって、あるいは症状の進行速度の違いによって1人ずつ異なった治療や予防、リハビリが必要とされるが、しかしその原因を、たとえばアルツハイマー・先天的気質・単純老化・精神病などの区別を見極めること自体も難しいとの意見が出されました。さらに一定の見解を見出しても家族が認めてくれない場合がある等との、深刻な問題も併せて出されました。

いずれにしましても、現場スタッフの皆さんの善意と努力に支えられている部分の多過ぎることを実感する良い機会でありました。

ここは、佐藤勉代議士が、県内の新生児死亡率低下問題に積極的に取り組んできた活動現場です。私もいささかの個人的体験を重ね合わせて、医療スタッフの方々と、意見交換をしました。極小未熟児の予後までを想定しなければならない医療現場の厳しさをつぶさに拝見し、佐藤代議士の挑戦はまだまだ続くな、との感を強くしました。

帰り際に、たまたま小児病棟で看護婦さんに抱かれたユウちゃん(2才)と会いました。彼は出生してすぐ、この病院で食道閉鎖の手術を受けたとのことです。しかし退院する時には、彼を迎えに来てくれる家族が誰も居なくなっていたのです。そのまま今日まで、彼はこの病棟を住処として看護婦さんたちの手の中で成長してきました。数多くの問題が一瞬のうちに胸に迫り、さすがの私も「うーん・・・」と絶句してしまいました。ユウちゃんにとって一番幸せになれる解決策とは、どんなものなのでしょうか。

今後何回も繰り返し思い起こすような、ズシンとくるシーンでした。
2001年2月3日(土)
【全国行脚の名称募集】
加藤紘一です。

先日「全国行脚のお知らせ――加藤紘一をあなたの町に呼んでください」とご案内したところ、さっそく数十件の申し込みを頂きました。本当にありがとうございました。

宏池会は、報道などを通じてご存知の通り、2月1日から新しい態勢の下に改革に向けてまい進していくことになりました。昨年11月の「加藤政局」以来、内輪の問題に忙殺されてまいりましたが、これからは、きちんとしたメッセージを発信すると同時に、決意を具体的行動に移して行かなければならないと考えております。その具体的行動の第一弾が、国民の皆さんとの対話だと思っております。昨日さっそく宇都宮市に伺いましたが、全国行脚を通 じて、私の考えを率直に述べるとともに、胸襟を開いて皆さんのご意見も伺いたいと思っています。

そうは申しても、いまさら加藤の話など聞いても仕方ないといわれてしまえばそれまでです。ところが予想を上回る申し込みを頂き、本当に感激しております。もちろん私を招いてくれる人たちが、すべて私を支持してくれているなどとうぬぼれてはいません。多分「お前たちの真剣な姿勢は分かった。問題はお前たちの改革の理念と方針だ。それを聞いてから応援するかどうか判断する」という方も多いでしょう。その人たちに私は、日本のおかれている状況を語り、一緒に改革にたちあがってくれるよう訴えていくつもりです。

これまでに申し込みを受けたのは、中小企業の経営者の皆さん、学生のサークル、日ごろから政治経済について勉強会を重ねている異業種交流の会、町づくりに取り組んでいるNPO、官僚たちの私的交流会など実に様々です。中にはこれまで政治とは無縁だったのではないかと思われる団体もあり、ちょっと戸惑いもありますが、逆に新鮮な出会いがあるのではないかと大きな期待を抱いております。どうか、これからも声を掛けてください。時間が許す限り出かけて参ります。 

いくつかの提案も頂いています。

一つは集会が開かれるなら、ぜひこのサイトで事前に予告して欲しいと言うものでした。集会は主催できないが、近くで会があるなら参加したいという人のために予告が大事だと言うのです。もちろん主催者の中には身元を知られたくない人もいるでしょうが、主催団体の了承が得られれば、時間、場所を事前にお知らせしたいと思います。

提言の2つ目は、対話の要約をホームページに掲載して、その対話を軸に全国的な議論の場を広げるようにして欲しいと言うものでした。これもできるだけ実行していきたいと思っています。

3つ目は「全国行脚」では何とも智恵がない、対話シリーズにきちんとした名前をつけ、シリーズのナンバリングをふったらどうかという提案です。なるほど「全国行脚」では、頑張っていると言うメッセージしか伝わりません。私自身も「トーク21」(21世紀問題を一緒に考える)とか「りょう原塾」(例の燎原の火のように改革を進める意思を明確にする)とか「滴々集会」(静かな水面 に加藤と言う小さな水滴を落として波紋が広がるのを期待する)とか、ちょっと考えてみましたが、日ごろ政治、経済、外交など理屈ばかり言っている身には、意外と難問でした。そこでこのシリーズの名称を皆さんから募集したいと思います。審査委員長は私がなることをお許しください。私の思いに近いものを私の独断で決めさせていただきたいと思いますので、どうか皆さんの感性と智恵をお貸しください。

提言の中には、対話の中身を毎回変えて、各テーマごとにホームページに載せて議論を広げろ、そうすれば加藤のトータルな考え方が分かるという意見もありました。中には本にまとめたらという提言も頂きました。私も同じ内容をぶれることなく愚直に訴えて歩くことが重要だと思っていましたから、ちょっと戸惑いがありますが、提言もよく分かりますので検討したいと思っています。  

時間の許す限り、どこにでも出かけます。交通費、宿泊費はすべてこちらで負担します。だから加藤を呼んで私の話を聞いてください。それとこの全国行脚のいいネーミングをつけてください。
2001年2月2日(金)
【宏池会の分裂について】
昨年11月以来、宏池会では『加藤政局』の評価などを巡って内部対立があったことは皆さんもご存知の通りです。この間、全国の皆様からお寄せ頂きました、ご批判、ご激励に心から感謝申し上げます。2ヶ月余りの話し合いの結果、堀内派の皆さんは、私たちと分かれて別の道を歩くことになりました。

私たち加藤派は10数人と、前に比べずいぶん少なくなりました。数と言う点での影響力の低下は否定しようもありません。でも私たちは、長い話し合いの中で、今の日本には何よりも改革が必要なことを再三確認した同志です。数が問題ではないなどと言うつもりはありませんが、昨年の加藤政局での反響を考えれば、今求められているのは改革に向けた情熱と確かなビジョンだと確信しております。私たちの進む道は、一見するといばらの道に見えます。だが時代が私たちを必要としていると確信しています。

正直に申し上げますと、話し合いの中で、同志の選挙区事情などを考えて私の方が揺らぐ場面がしばしばありました。ところが、私と行動をともにすることを約束してくれた人たちは、そんな苦しい事情はおくびにも出さず、日本の未来のために頑張ろうと私を励まし続けてくれました。2月1日の宏池会会合に出席した同志は別掲の名簿の通りです。いずれも自民党だけでなく、日本が誇れる政治家だと思っています。もちろん改革は政治家だけでできるものではありません。国民が改革のために痛みを分かち合い、一緒に立ち上がろうと思うとき改革は成就すると思っています。その中核となって旗を振ってくれるのが名簿で紹介した同志です。

亀裂問題が決着しましたから、これからはどんどんメッセージを発信していくつもりです。どうか私だけでなく私の同志にも、皆様の一層のご支援を心からお願い申し上げます。
2001年1月30日(火)
【JR新大久保駅事故】
加藤紘一です。

恥ずかしい話ですが、このメッセージを出すかどうかで一日悩んでいました。でも個人と社会の問題を、皆さんと一緒に考えるために、私の迷いと行動について正直に報告したいと思います。

実は私は昨日、JR新大久保駅の事故で亡くなった韓国からの留学生、李秀賢さんの葬儀に行って参りました。

もちろん私は、李さんとも、日本人カメラマンの関根史郎さんとも面 識はありません。二人のことを知ったのは、マスコミの事故報道を通 じてです。二人がどんな気持ちで線路に飛び降りたかは、今となっては想像するしかありませんが、目の前に困っている人がいるのを見て、ほとんど条件反射のように飛び降りたのでしょう。二人ともいつも電車を利用されていたようですから、山手線の電車がどんな頻度で走っているかは知っていたと思います。線路がいかに危険かも分かっていたはずです。でも、それは転落してホームに上がれない人が極めて危険にさらされていることを意味します。もちろん救助のために線路に下りる者にも危険があるわけですが、二人は何十分の一か何百分の一の可能性に掛けたのでしょう。

結果は転落者を救えなかったばかりか、三人とも亡くなるという痛ましいものでした。「これでは犬死ではないですか」という遺族の方の悲痛な叫びが胸を締め付けます。2人の行動について「状況をもっと冷静に判断すべきだった」「結果として事故を大きくしてしまった」という意見が出るのも分からないわけではありません。でも、目の前に困っている人がいても見てみぬ振りをする人が多い中で、自らの命も顧みず救助しようとしたのはなんと気高い魂でしょうか。

孟子は、性善説の根拠として、川でおぼれている子供がいれば誰でも助けようとすることを例に挙げています。だが、私たちの社会には、何か問題があれば、その原因を制度に求め、行政や政治に責任を押し付ける空気がいつのまにか蔓延しています。それどころか社会問題や政治について、まじめに取り組む姿勢を嘲笑する風潮すらあります。その結果、政府はますます大きくなり、財政は破綻状態に陥っているのに、なお人々は行政に要求をし続け、幸せが実感できずにいるのです。

何でも政治や行政のせいにするのではなく、個人が自分たちでできることは自分たちでやることから改革を始めよう、政治や行政を通 じてではなく、個人がそれぞれの責任を果たしながら連帯する社会を築いていこうというのが私が唱える保守革命です。今度の事故は大惨事になってしまいましたが、多くの人々の心に消えがたい潤いをもたらしてくれたことは間違いありません。二人の行動を悼む多くのメッセージが寄せられたという報道を読むと、この国も決して捨てたものではない、きちんとしたビジョンが出れば共感の輪は広がり、改革の大きなうねりが生まれるという確信が沸いてきます。

もちろん今度の事故から、転落防止、転落者の救出方法の検討という教訓を学び取らなければなりません。同時に他者に犠牲を強要するような空気が出てくることも戒めなければなりません。でも、そうした懸念と、二人の自己犠牲にきちんと敬意を示すこととは別の問題です。私自身、すぐに通夜に掛けつけようと思ったのです。 

でも、ここからが私のだらしのないところでした。私も議員歴が長く、防衛庁長官、官房長官、自民党政調会長、幹事長などを務め、少しは顔を知られるようになっています。通夜に出かければ、当然私と分かる人も少なくないでしょう。それが売名行為に映るのではないか、という戸惑いがあって、とうとう通夜には足を運べませんでした。でも通夜に出られなかった悔恨が今度は夜通し私を責め続けました。特に「ハンデキャップを負った人になぜ手を差し伸べようとしないのか」という高校生のアンケートで「何となく照れくさくて」という答えがかなりのパーセントに上っていたことを思い出して、自分の不甲斐なさにいらだつ思いでした。そして、どう思われてもいいから信念に忠実に弔問に出かけようと思ったのです。 

告別式の会場と時間は新聞で分かっていました。もちろん告別式の中心は遺族や友人たちであることは言うまでもありません。だから私は告別式の始まる正午には会場近くに到着しましたが、ひと段落つくまで近くの路上で待機して、午後0時45分ごろ、式場に入って数分で会場を後にしました。日本中を感動させた二人の行動は私にも大きな勇気を与えてくれました。自らを顧みることなく最善を尽くすことの大切さを改めて教えてくれた二人に心から感謝しながら哀悼の意を表したいと思います。
2001年1月25日(木)
【文藝春秋月刊「タイトル」インタビュー記事掲載】
こんにちは。加藤紘一です。

先週、「加藤政局」以降初めて、雑誌の取材に応じました。文藝春秋の「Title(タイトル)」という、20〜40代の男性向けのビジュアル系月刊誌です。1月26日発売号で「インターネット特集」を組むということで、取材申し込みがありました。先の政局以降、マスコミの取材は全てご遠慮申し上げてきたのですが、皆様からの御意見をいただく良い機会だと思い、インタビューに応じました。今回はインターネットに対する私の考えを述べました。自分では面白いインタビューになったと思います。是非、書店で手にとってご覧いただければ幸いです。また、2月末にはこのホームページにインタビュー内容を転載する予定です。
2001年1月19日(金)
【リンゼー次期米大統領補佐官】
明日(1月20日)、米国でブッシュ新大統領が誕生しますが、その経済政策担当補佐官にリンゼー元FRB(連邦準備制度理事会)理事が就任します。リンゼー氏とは、1年半位前から3回程度、同氏が来日する度に山崎拓さんを交えて内外情勢について意見交換する機会を持っています。ハーバード大学教授、お父さんのブッシュ前大統領の特別補佐官を経て、91年に36歳の若さでFRB理事に就任した輝かしいキャリアに似合わず、会ってみると非常に気さくな人物です。前回は、昨年リンゼー氏が11月中旬訪日と聞き、日本の財政問題を懸念している私、山崎拓さん、それに民主党の熊谷弘さん、仙谷由人さんを交え、リンゼー氏とのミーティングを1ヵ月ほど前に計画しました。たまたま11月15日と言う加藤政局の最中ではありましたが、有益な会合でした。財政赤字を拡大しての景気回復という日本の従来路線は誤りとのリンゼー氏の主張には強く共感しました。

帰りがけに、私はリンゼー氏にこんな質問をしました。「リンゼーさん。前回会った時に、私が99年1月にスイスのダボス会議でルービン財務長官、サマーズ同副長官(当時)から日銀による国債引受の可能性を打診された話をしました。そこで、あなたは中央銀行出身のエコノミストとしてそういう考えには強く反対すると言いました。また、対等のパートナーである日本にそういう命令口調で指図するクリントン政権のやり方を批判していた。そういう考えは今も変わりませんか」。これに対して、リンゼー氏は「全く変わりません」と答えました。私は、政府の国債を日銀が引き受けるようになれば、財政のけじめがなくなり、将来に大きな禍根を残すことになると考えていました。そもそも今の財政赤字の原因として、1984年に国債の大量償還を控えてそれまで10年だった赤字国債の償還期間を60年に延ばしたことが、借金することに対する抵抗感を弱めてしまったのかとも思います。

リンゼー氏は、昨年12月1日に、ワシントンで「米新政権の対日政策の課題」と題する講演を行い、日本に極めて友好的かつ示唆に富むメッセージを送っています。リンゼー氏の主張は、簡単にまとめると「過去8年間、米国政府は日本の財政・金融政策をコントロールしようとして外圧を使ってきたが、これは間違っている。財政・金融政策は、各国国内の政治的関心事であり、国際的な交渉の道具にすべきことではない。今、日本にとって必要なことは構造改革、とりわけ財政再建である。日本が本気で財政再建に取り組むのであれば、日本は米国市場(輸出のための財市場と貯蓄の海外流出のための資本市場)に依拠する必要があるだろう」というものです。つまり、米国が日本の財政再建に伴う需要の落ち込みを補うために日本の輸出を受け入れる。一方で、日本はドル相場、米資本市場の安定のために、積極的に米国に資本を輸出する。こうした日米間の協調政策、市場開放策を打ち出すことで、両国の利害は一致するという考えです。

今の日本経済が抱える問題は、国内の財政・金融政策だけでは容易に解決策を見出すことは困難です。しかし、日米協調という観点を加えれば、意外にブレイクスルーが開けてくる可能性があるのではないでしょうか。
2001年1月6日(土)
【人工眼 - 続き】
昨日、人工眼の話をお伝えしましたが、その中の第三番目の段階、すなわち究極の視力障害克服について若干細かく説明しますと、再生発生医療の発達で網膜や視神経を作る研究が行われています。

ヤモリは手足を失ってもまた数ヵ月で再生していくことは我々は知っていますが、眼球を取り除かれても、また再生し、視力機能が復活するのだそうです。そこに目を着けて、理化学研究所では視力障害者に光を与えようとの夢を持って必死に研究しております。日本の最先端の研究者の方々には、本当に夢を持って頑張って欲しいと思います。
2001年1月5日(金)
【人工眼】
今回の、平成13年度の予算原案の中に、私にとって小さな予算ですが、嬉しい項目がありました。それは、人工眼の研究予算です。新年1月3日の毎日新聞一面トップ に大きく取り上げられていた記事をご覧になった方もおられると思います。眼の不自由な人に光を与えられれば、ということをここ1〜2年、私は考えていました。講演でも幾度となく述べてきました(下注参照)。自分自身が自由民主党のライフサイエンス議員連盟の会長をしているという関係で、いろいろなバイオ関係の勉強をするようになりましたけれども、その過程で、知り合いの眼科医さんからこれから高齢化社会で年齢と共に視力・聴力が落ちて行く人が多くなる中で、充実した生活をしていく為に、感覚器の障害を取り除く研究をもっと国で進めて欲しいという要請をもらいました。
 
その中の一つが、視力障害克服の問題です。そういう人たちと、何度も何度も話をしているうちに現代の医学、特にこれからのバイオの発展を考えると、視力障害になった人に、または先天的な障害を持つ人に光を与えるということは、必ずしも不可能ではないということを知りました。

視力に障害がある場合、第一に角膜ですが、これは最近、アイバンク等の整備で角膜移植が頻繁に行われるようになりかなり克服され、また、再生医療という角膜そのものをバイオの技術で造り上げていくという方法が研究されています。  

第二に、網膜そのものが傷んでしまう場合ですが、そのときには、アメリカの大学やベンチャービジネスでは、傷んだ網膜のところに小さなチップを埋め込み、または敷き詰めて光を感じたものをそのまま視神経に伝えるという研究がされています。

そして、最後に第三の段階はいわゆる胚性幹細胞という、人間のすべての組織のもととなる細胞を使って、視神経や網膜さえも造ってしまおうという研究です。この研究はいま、日本では理化学研究所や京大などで行われています。これら三つの研究の中で、今回新たに予算が付いたのは二番目の研究、つまり網膜が機能不全になった場合、そこに光学的なチップを埋め込み、光を電気信号に変える研究です。昨年の秋、私が通産省工業技術院や厚生省の方々に話しかけ、その人たちが大変な熱意と努力を持って、各種大学や先端企業などと話し合い、一つの研究スキームができ、予算要求にぎりぎり間に合わせていただいたものです。幸いにして、通産 ・厚生両省合わせて約4億円近い研究費が認められました。近い将来、日本に行けば、視力障害の人に光を与えることができる、また世界中の視力障害の人にどうぞ日本に来てみてください、日本の医学・技術は皆さんに光を与えることができます、と言い切れる日が1日でも早く来て欲しいと思います。

【注】当ホームページの対談・講演・論文コーナーの2000年10月4日付け内外情勢調査会主催講演「21世紀を迎える我が国の政治のあり方」をご参照ください。