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特別対談
加藤紘一 VS 鳩山由紀夫
日本の政治は大変化をもとめられている。先の党首選では改革と自立が争点になったが、その背景には将来を描けない日本の閉塞感がある。自民党と民主党の党首選でビジョンを提示した二人が激突した。
21世紀日本の対立軸
----21世紀を目前に、日本の先行きを不安視する見方が一部根強くあります。没落論もその一つです。背景には日本の政治の遅れがあるようにも思われます。先の自民党総裁選や民主党代表選でも期待されていたのですが、日本の政治家には今の日本の問題をどう打開し、そして21紀の日本のビジョンをどう描くかが、そのリーダーシップも含めて希薄になっている状況があるように思いますが。
加藤 どこの国でも、その時々の豊かさやその国の元気さを保つためにかなりの努力をし、そして、それで初めて現状維持ができるのだろうと思います。特に今の日本のようにかなり閉塞感がある国では、改革努力というのはかなり激しくやらないと、先行きに不安になる見方は当然、国民の中に出てくる。
森嶋通夫氏が本の中で書かれているように、たとえば今の教育が十分じゃないとか、社会のモラルが落ちたとか、政治家と役人が改革の努力をしないとか、という論点は確かにあるわけです。ただ私は運命論的に、もう日本の没落が決まっているとはまだ思ってはいない。
私は基本的には楽観的ですが、ただ日本は解決を先送りしつづけることはできないわけです。そういう問題には二つの道程があって、一つは政治家とか知的リーダーたちが努力して、それを直していく。特にわれわれはその中核にいるわけですから、リーダーシップを発揮しなくてはならない。もう一つは1回大破局を迎えて、とことんまで地獄に落ちたら、やっと気づいて直っていくのではないかという議論です。そのときに、エネルギーがない国民だとなんとなく過去を振り返りつつ、何もしないで没落していくと思うのですが、そういうふうになるにしては、日本人はまだまだ知的強靭性がある。だから、日本はいずれにしても、盛り返すと思います。
改革のスピードが遅すぎる
鳩山 私は今のこのままの政治が続くと、やはり日本は没落してしまうのではないかという、大変強い懸念を感じています。今日までの日本をリードしてきたこの政治のシステム自体が、この社会あるいは経済構造と相まって構造改革を求められているのに、そのスピードがきわめて遅いという問題があります。本来なら、これはもっと早くに気がついて改革をしていれば、没落しないで済んでいたかもしれないが、残念ながら今でも既得権益の保護というものに対して、それを完全に脱却することができていない体質の中で、いわゆる総保守化というような状況が起きてきてしまっている。
日本は戦後、日本人が本来持っていた上質な部分を失いながらも、経済の部分においては、他の先進国にも負けない、あるいはそれを凌駕するぐらいの経済力を持ってきました。その経済力自体が今度は問われてしまっている。今いちばん危険な状態だと思うのは、加藤先生が話をされた教育もそうだと思いますが、日本人あるいは日本という国自体があらゆることにおいて尊厳を失いつつあるということです。私はこの日本人あるいは日本という国の尊厳の回復を今こそ政治のリーダーシップで変えていかなければ、それこそ没落の道をたどってしまいかねないと思っている。
加藤 おっしゃるように、いくつかの点で抜本的に変えなくてはならないという点が日本にはあると思います。わが国には再び明るい未来を描いていけるだけの種、シーズはある。それは資本蓄積であり、技術開発力であり、それから1億2,500万人の大変な人的資源ですが、そのシーズが、植えても見事な野菜に育たない、球根が赤いチューリップの花にならないというのは、土壌が固まってしまったからで、それを直す作業を----。
鳩山 肥料のやりすぎですよね。
加藤 化学肥料のやりすぎです(笑)。それで士が白く固まってしまったところが多い。それをやろうと思って手をつけたのが実は、遅まきながらの橋本内閣の「六大改革」だった。特に金融ビッグバンを通じて経済構造や社会構造を変えていこうとした努力だと思う。単に説教だけでこの国は変わらない、それで体の隅々まで回っている血流によって変えようとしたのが、このビッグバンだと思うが、手術をやり遂げる気迫と説得力を執刀医が十分に持ってなかったことから、今の混乱が始まったのだと思う。
当然手術ですから、流血もあれば、予想外の事態の発展もある。そういうときには医師の顔に翳りが見えたり、手が震えてはいけない。若干そこに戸惑いがあったというのが、去年の前半だったのではないか。特に特別減税の継続に見られるスイッチバック政策にそれが見られた。今は癒しの政治が行われていますけれども、早く構造改革の道にもう一回入っていかないと、鳩山さんがおっしゃるように、この国の前途を政治が壊すという可能性は十分あると思っています。
----政治は国民に対して、まずその覚悟を問うことも必要だと思います。その際には「当面は大変だけども、次の時代はこうなる」というビジョンを、政治は説明する責任がある。それをなかなか言わないのが今の政治です。
加藤 これまでの政治にはそういう発想とか言葉が十分なかったのは事実だと思います。遅まきながら私も総裁選でビジョンを出し、一生懸命努力はしているのですが、そこがこれまでは十分ではなかった。
鳩山 たとえば金大中大統領は、就任直後に国民に我慢を訴えたわけです。厳しいとき、それをお互いに我慢をして乗り切っていこうと。その次の未来というものを描いて、そこに向けての我慢を唱えたわけです。しかし、橋本政権から引き継がれた今の小渕政権は、景気が巌しいから、景気対策と称するものだったら何でもやりましょう、という発想です。ある意味でこれは、橋本政権がしようとしていた、「財政構造を、今一度、大所高所から見直していかなきゃならん」という、その発想を完全に捨ててしまってたわけです。
将来のビジョンというものを見せることができないまま、わずか微係数の範囲で効くぐらいのところで、なんとなく経済を少しよくしようというぐらいの発想しか持たない。ある意味でのメッセージ性をリーダーが発することができていない。これは、さっき申し上げた既得権益に守られて、自分たちの保身に焦点を合わせた政治がいまだに続いているからだと思います。
これははっきり申し上げて、野党にも責任があると思います。しかし、残念ながら特に与党・自民党のリーダーの方がいちばん、国を正しい方向に動かすことができない方向に今でも舵を向けてしまっているのではないかと思います。そこで私は加藤先生には大いに期待をしているのですが、苦しいときには苦しいと、しかし、構造改革は当然血を流すけれども、その覚悟を国民に訴えられるような政治を、ぜひやっていただきたい。側面から私が応援すると、なんかいつもご迷惑そうなんですけども(笑)、きょうもそれを申し上げたいと思ってまいったんです。
いつまでも改革の足踏みはできない
加藤 日本の舵を改革に戻すということでは、いつまでも足踏みを統けることはできない。しょせん、近々その方向に追い込まれると私は思っています。たとえばカンフルを打ち続けるにしても長期国債の金利が上がり、かなり事業会社の経営に響くというかたちで、根本問題に眼をもう一度向けざるをえないときが必ず来る。それが来なくても政治の力でやらないと、それこそ政治の尊厳が問われるのかもしれません。政治家が今の日本の状況をどう判断するかの分かれ目は、やはり時代認識なのかなと思います。
一般の人間の健康でもそうですが、誰だって手術はいやです。しかし、これを放っておいたら死に至る病だと思えば、「手術が必要です」というお医者さんの説得を家族は受け入れるわけです。これと同じで、「プラザ合意以降、かなりカフェイン入りのドリンク剤を飲んできたけれども、とてもこれではもたないです」ということがわかれば、既得権益の擁護なんて言っていられなくなる。ただ今後は激しいドラスチックなオペレーションとなる可能性は高いのに、その認識がまだまだ甘い。兜町で1万8,OOO円台を見た途端にあの苦しさからは脱却できたのではないかという雰囲気になる。その一方で、事業会社の40歳前後の社員や課長、係長たちは現場で、どうもそんな甘い話ではないようだと考えている状況だと思います。結局、そこの時代認識の問題だと思います。
----今の経済状況は、改革よりも先送りと国家管理で、リスクは全部国がかぶるという状況になっている感があります。こうした状況が続いているのは、政治家の時代認識の問題なのか、それとも既得権益ということをベースにした政治の中では改革がなかなかできないということなのでしょうか。
加藤 時代認識がちょっと甘いのだと思います。だから、たとえば亀井さん(静香代議士)が今度の第二次補正を20兆円規模でとおっしゃっているけれども・・・。
鳩山 そうなんですか。それはそれは。
加藤 あの中でいわゆる真水が10兆円だとすると、本年度の国債発行額が、去年の31兆円から、40兆円前後にはね上がる。それが長期金利にどういう影響を及ぼすかを考えると、かなり怖い話です。
鳩山 面白いことに、「景気のためには、積極的に国債発行しても景気対策だ。10兆、20兆」という話は亀井さんも小渕さんも同じかもしれませんが、うちの党でも菅さん(直人代表 当時)が最近、「やはり景気が厳しいから、ここをなんとかクリアをするための刺激策は必要だ」と主張している。それに対して、私や仙谷君(由人前民主党副幹事長)などは加藤先生と同じように「そうは言ったって、ここからまた10兆、20兆円というと、えらいことになるのではないか。長期金利にはね返って、逆に足を引っ張ることになりかねないから、ここはむしろ抑えるべきだ」と主張している。自民党の中で起きている論争が民主党内にも結構ありまして、そこが今回、それぞれが総裁選や代表選やっているときの党を超えた経済論争になってきていたのかなという気はします。
しかし、どう考えたってGDPの120%まで国債発行残高が累積している状況というのは、もうこれは国としては異常な姿ですから、これを半分ぐらいに下げなければいけない。財政にはモラルと規律こそ求められているわけで、ばらまき体質の財政出動というか、さらに10兆円、20兆円を平気でやるという神経を、私は持つべきではないと、強く思っています。
----問題は日本の政治が将来のビジョンだけでなく、この現状の危機の出口に対しても明確な戦略を打ち出せないでいることです。日本の財政破綻に対して海外の市場はすでに反映し、プレミアムが拡大しているのに、依然、日本はモルヒネ経済を続け、一方ではインフレを期待する人たちがいる。
加藤 インフレ期待論というのはかなり、危険なもので、アメリカの一部でもかなり有力な筋に、日本は国債の日銀引き受けに踏み切るべきではないかと言っている人がいる。自分の国についてそういう政策を提言したことがあるのかといえば、おそらくノーだと思います。ただ、そうやってマネーを市場に供給しても、融資の段階で間接金融が主流であるわが国では、どうしても銀行の審査を通っていく場合にそこで全部はねられて、結局、おカネが日銀に戻っていくという形になるのではないかと思っています。だから、調整インフレ論というのを非常に強く主張される人もいるが、それが本当に現実にできるのかといったら、難しいのではないかと私は思います。
----日本では過大な負債や設備などを抱える企業は多く、相当のリストラや倒産が避けられないという現実がある。
加藤 だから今、非常に重要なことは、短期的にいえばリストラによって失業者が増える部分は、ある意味でワークシェアリングで対応するということしかないと思います。しかし、これだけでは夢がない話で、やはり、回り道かもしれないけれども、どうやって日本に新しい製品とサービスをつくる条件を設定するかだと思うんですね。その意味でいえば、10年前、アメリカが現在の日本のような状況に陥ったときに、どういう手を打ち、過去10年、どういう努力をして、今日の繁栄を築いてきたのかということです。これはウォール街の株の動向を見るとよくわかるのですが、一つは金融技術革命と二番目は情報産業の勃興なわけで、この点では日本は大きく立ち遅れてしまっている。この経済のサービス化の分野で日本がどうやってキャッチアップしていくかということを考えると、実にあせりに似たような気持ちが出てくる。この間、東大の先端研に行ったときに金融デリバティブスの研究科をつくったという話を聞きました。当初、経済学部にその話を持ちかけたら、それは学問ではないということで、全部拒否されて、それで・・・。
鳩山 東工大と東大で、今年4月に金融工学科ができたのですが、工学部の中にそれが認められたようです。
加藤 やはりそうですか。だから、これも一つの既得権益擁護が行われていて、経済学部の講座制を破ろうとしている力が外の工学部に生まれているという図式なのかもしれません。それからもう一つは情報産業でいえば、なぜ過去にアメリカでそれが栄えたかというと、たとえばシリコンバレーはスタンフォードとカリフォルニア大学バークレー校が基礎的研究成果を提供して、そこから多くの企業が生まれていったわけです。同じように、ハーバードとMITの研究成果を受けとめるバイオ企業群がボストンに続生しているということでもわかるように、産学の共同システムというのが過去10年のアメリカの再生を決めてきたと思います。一方、わが国はどうかというと、新聞などにまだ企業と強力した大学教授の汚職と逮捕の記事が出てくる。これで間に合うのかなと。それで私はつい思い余って、"大学は国立でなければならんのか"というキャンペーンを今やっているのです。
構造改革のヒントは80年代の米国
鳩山 基本的に加藤先生のお話に私も同感で、インフレ政策は取るべきではなく、むしろ現在のデフレ的な状況は認めざるを得ないと思っています。むしろ土地の価格をそれなりに抑えることによって、新しい産業を創出しやすくなる環境にもなる。土地の価格も収益還元価格に導いていくことでバブル的に儲かったり損したりした人たちとは別に、本当の意味で土地をうまく利用して、それを仕事に結びつけていこうという動きが出てくる。その意味では現在の状況をそれなりのものとして認める必要はあるのではないかとまず思っています。
では、どうやって構造改革を成し遂げるかという話しですが、やはり加藤先生がおっしゃったように、80年代のアメリカにそのヒントはある。つまりニュービジネスをいかに創出していくかということにもっと日本は真剣にならないといけない。米国では工業化時代からサービス型の経済への移行の際に、一つ一つはビジネスとしては非常に小さいが、それが圧倒的な数で大変多くの新しい雇用を生んだという環境があった。日本もそこに焦点を当てて、大企業がそれなりに規制で守られ、そのことが非効率を生んだとすれば、規制を改革し、また必要なところは税制で優遇をしていきながら、むしろスモールビジネスを起こしやすい環境をつくりだしていく。それが大変重要なことではないかと思っている。
それからもう一つは、新しい公共心を宿すといってはなんですが、その目的のためにも、NPO(非営利団体)をもっと日本の中で認知することが必要だと思う。これは実は加藤先生が議連の会長なんですが、まだどうも完全に100%もろ手を挙げて認知されたという状況ではないような気がしている。たとえば福祉・介護の問題などで今後は人がさらに必要な状況になってくる。
しかし、それを国に頼りすぎてもいけない。民間で共助というか、そういうシステムをつくりあげていくための、NPOの役割というのは大変大きいと思います。NPOはアメリカでは1,000万人以上いるようですから、日本はその人口比で500万人ぐらいのNPOをしっかりと位置づけることができれば、これは相当大きな雇用の吸収にもなる。また、人生としての新たな生きがいを見出しうる仕事として、リストラを余儀なくされる既存企業の方々の新たな生きがいの場にもなるのではないかと思います。
加藤 やはりリスクを取るということにもっと積極的に取り組めるような社会をつくっていかなくてはならない。で、考えてみると横並びで安全な道を模索してきた戦後の3,40年にいちばんの問題があるような気がします。企業は大企業、政治は自由民主党、それから・・・。
鳩山 野球は巨人(笑)。
加藤 野球は巨人、大学は有名大学と。それからその延長線に、年功序列と終身雇用というのがあったわけですが、それが今、大きく揺れ始めている。しかし、そもそもこういうものが定着したのは戦後のある時期からで、当時は志を持って、職を変え、波乱万丈の生き方をした人はいろいろいた。この社会のシステムというよりも、社会の根底に横たわっている安全志向と寄らば大樹志向みたいなものをどう脱却できるのかが、一つのポイントだと思っています。その一方で、日本ではサクセスストーリーがもっと注目されたほうがいいのではないかと思っています。企業を辞めてSOHOやる。そんな格好いいストーリーばかりではないかもしれないけれども、かなり成功した事例も出ている。孫正義さんや南部靖之さんなどとまではいわなくても、もっと小さな成功例はいろいろある。3人、4人でやってそれで結構人生楽しく、メシも食えているし、生きがいもある。そういうことがもっと話題になっていかないと自信はついていかない。
鳩山 今までは、たとえば政府支援は個人ではなくて、むしろ団体とか企業に与えられていたもので、その個人の資質に対して必ずしも投資されたものではなかったわけです。右肩上がりの経済のときにはそれでも済みましたが、これからはむしろ加藤先生がおっしゃった成功例のようなものを事前に察知して、そういう人に対して政府が配慮するシステムをつくるべきではないか、と私は思っています。たとえば大学でも、大学というシステムにカネを出すんではなくて、むしろ人に対して奨学金ということで、その一人ひとりの才能を信じて、あるいは才能というものに期待をして政府が支援をするというシステムが、先のNPOもそうですけれども必要です。つまり、個人に対して、より焦点を当てた自立化のための政府支援という方向によりシフトをすることが、これからの日本は非常に大事だと思います。特に金融ビジネスとか、あるいはサービスというものは工業化時代とは違って、一人ひとりの資質によってえらく差がつく可能性があります。その差というものをいかにうまく見分けながら、トータルとしての日本がワークしていけるような方向に、政府が限られた財源をいかに分配をするということが、これからますます必要となってくる。
----構造調整のところで二つの問題が残っています。一つは雇用の調整の問題で、加藤さんはワークシェアリングで雇用はなるべく維持しながら調整を進めるべきと話しておられますが、つまり賃金を下げて、ということですか。
加藤 賃金はすぐには下げられないと思いますが、たとえば超過勤務が非常に少なくなっていくなどのかたちで、実質手取り額を次第に減らしていく。一方で、より安い賃金でも成り立つ新しい産業が生まれるというかたちで、ワークシェアリングが進んでいくんだろうと思います。ただ、新しい産業はすぐにはできるわけではないので、できるまでは、そういった実質的な賃下げのかたちでワークシェアリングが進んでいくんだと思いますね。
鳩山 ただ最近は、労働組合のトップの方々も、「賃下げ」という言葉を使い始めました。
加藤 「賃金よりも雇用を」ということだから。
鳩山 ある意味ではそうですが、一方で大胆なリストラをやっていながら、他方でリストラされなかった人たちの給料は上がっていくみたいな発想は、許されないという思いもあるようです。賃金は下がったとしても、企業全体の経営がそれで元に戻ることになるとすれば、むしろその道を選ばざるをえないということを、労働組合の方々でさえ認めざるをえないということだと思います。
----民主党の支持層には労働組合があるのですが、今の経済状況は、かなりの企業の調整や新しい産業への流動化しか解答がでてこないような現実があります。
鳩山 当然、既存の産業はリストラされたり、まさに非効率な企業で世の流れとして倒産せざるをえないところは出てくるでしょう。その場合、守りの姿勢で「雇用を守らなきゃならない」、「その企業の存続のために」という運動ばかりをするべきではなくて、むしろいかに早く、それに見合う以上に新しいビジネスを起こしていくか、というところに力を入れていくことが非常に重要だと思っています。先ほどからお話があるように、どうしても流動化は避けられないのが現実の流れですから、そこにいくら抵抗したって、抵抗すればするだけ改革は遅れてしまう。民主党は労働組合にも大変お世話になってはいます。が、彼らでさえむしろ新しい発想が必要だと理解をしているわけです。そのときにはわれわれも、彼らの雇用を守るためだけの守りの姿勢で、「今の職場を変えない」というような非常にネガティブな発想の主張を続けてはいけないと考えています。
----民主党のそれは総意なんでしょうか。
鳩山 まあ全員がそうかというと、それはわかりませんけど、仙谷君などはまさにそのリーダーでしょう(笑)。
----もう一つ残っているのが公共事業の問題です。やはり公共事業の分配のシステムというか、苦しいときには公共事業の拡大要請が政治的にもかなり出てきます。その状況の中で政治が改革を進めるというのは難しい問題もあると思うのですが。
加藤 私は2〜3年前から、「景気対策として、いわゆる一般的な所得減税はあんまり効果がない。ただし、公共事業はある程度効きます」ということを言い続けてきたわけです。今年の1〜3月のGNP7.8%アップのうち、公共事業は圧倒的なウェートで寄与していることがその一つの証左だと思うんですね。
ただ、事業によっては、効率がいいものとよくないものとの差がかなり明確になってきている。ですから、その事業および個所による仕分けというのはこれからの重要なポイントだと思います。
鳩山 そこのところは若干違うかなと思っています。公共事業の景気効果を否定するつもりもありませんし、公共事業は大事なことはいうまでもないのですが、結論から言えば私は、現在の公共事業は5年ぐらいかけて2〜3割は減らすべきではないかと考えています。ただ、それだけではいわゆる歳入と歳出のギャップが全然埋まらない。当然、国と地方のあり方などという本格的な議論も必要だし、そうでなければ本質的な解決にはならないと思っています。それでもできるかぎり、歳出を歳入に合わせていくような方向での努力を行っていかなくてはならない。
公共事業については、いわゆる旧来型の公共事業の必要性を全く否定しているわけではありません。たとえば地元の北海道あたりで、特に大雨などで道路が遮断されると陸の孤島になってしまうような地域がありますが、そういうところでの道路などの局所的な所はむしろしっかり支援してやる必要もあると思っています。そのうえで、私は今の公共事業は質的な転換を図っていく必要があると言っているのです。たとえば弟の邦夫は今回、都知事選挙では大敗しましたが、グループホームの話を盛んにしていました。これは、お手伝いの人も含めた7〜8人で介護や共にケアする家というものをつくって、基本的にはお年寄りが助け合いながら暮らすものです。現在の福祉社会のように、寝たきり老人になってから介護を求めるのではなく、その住み慣れた地域の中にお住まいになって、家族の方々も頻繁に訪れることができるような、小規模なグループホームというものの議論も大変大事だと思っています。これは一つの例にすぎませんが、介護や共助のシステムという意味でも財政的に相当倹約できるということだけではなくて、むしろその波及的な経済効果は大きいと思っています。つまり、これからは景気対策のためだけのばらまきの公共事業はできるだけやめて、新しいかたちの公共事業を創出すべきではないか、というのが私の考えです。
加藤 確かにわれわれ与党というのは既得権益擁護の部分が野党よりは多いわけです。それがなぜなのかということをよく考えると、地域社会の問題と非常に密接に関係すると思います。われわれは保守政党といわれるが、それは何を意味したのか。「市場経済、自由主義経済を信奉するもの」だったのか。違う。戦後、われわれが行ってきた政策は、先ほども言ったように、実に社会民主主義的でした。でも「世の中を変えない」ということが保守の意味だとしたら、われわれは次から次へと変えてきたわけですね。だから私は、保守とは何かと問われたときには「地域社会におけるエスタブリッシュメントのサイドに立つ人間たち。その人たちを基盤にした政治家たち」というのが保守の人たちだと考えているわけです。
ところが、その保守層の支持基盤のコミュニティが次から次へと壊れてきたのがこの間の大きな流れでした。なぜならば、経済至上主義というか会社本位主義というものが長く続き、ある意味で町内旅行よりも社内旅行を選んでいったわけです。それでも支持基盤をなんとなく維持してきたのが、地域が共通で考えられる公共事業だったと思います。その地域の道路や橋を直すとか、学校をつくる。そういうものがあんまり意味のない大都会では保守層は弱くなるんですね。だから、われわれ自民党にとって公共事業というのは利権のためということをよく言われるし、そういう部分もあったとは思うんですが、それよりもやっぱり、それで壊れつつあるコミュニティをやっとの思いで支えてきたというのが公共事業の本質ではないかと。ただ、最近は「道路はつくっていただいてありがとう。でも、投票は別だ」というのがだいぷ出てきまして。
鳩山 いい住民ですねえ(笑)。
加藤 保守党としては困っておりますけれども(笑)。ただ、地域をもう一回つくり直そうとしている動きが、生まれはじめてきていると思います。これは面白い政治的な変化になるんじゃないかと私は思っています。ちょっと余分なことを申しました。
----日本に今問われている構造調整から、日本はどのように回復していくのか。どの程度、国民は我慢しなければならないのか、ということに答えていただきたいのですが。
この1、2年は調整から胎動の時期
加藤 新しい製品とかサービスというものは、そう簡単に大量に、また多品種で生まれてくるとは思わないが、大学と産業界のつなぎもうまくいきはじめ、たとえば新しい金融技術の研究が成果を挙げたとか、一つ一つのビジネスでサクセスストーリーが生まれたというような雰囲気になると、やはり先の希望が生まれてきて、そこから引っ張られての景気というのが生まれていくんではないかと私は見ています。もう一つのポイントは創造性と個別性にあるのであって、通産省や大蔵省、そして政府全体の景気対策を仰ぎ見てもいいアイデアなんか出てくるわけがない。不景気になると新聞も経済界も「政府は何をしてたか」ということを書き続けてきたけれども、それはしょせん、あまり望むべきじゃないことを望んでたのかもしれないということを皆が納得したときに初めて、新たな動きへの覚悟が生まれてくるのではないか。私はその意味で、ここ1〜2年かかるかもしれないけれども、やはり"急がば回れ"ということではないかなと思います。
----この1〜2年というのは、調整の中から新しい胎動が始まることを言っているのですか。
加藤 そのとおりです。現に金融界は融資に際してかなり厳しい選別融資しているわけで、全般的に流れとしては厳しい方向に行くのだということをわれわれも覚悟しなくてはならないし、現場で働いている人たちもそう感じていると思います。ビッグバンが描いたことの影響はすでに始まっているし、そういう産業界の苦しみは当面続くとは思う。それがさらに進み、あえて言えば、「こんな高い料金では世界的な競争力を持ちえません」と。電力、運賃、特に情報における接続料金のさらなる低廉化を求めるような動きが広範に起きてきたときに、本当に日本経済が変わっていくのだと思います。
----確かにビッグバン以降の構造改革は進んでいるのですが、今の政治はこれを逆に抑え、調整を先送りしたり痛みを和らげるためだけの政策を続けているような感じがあります。自自公連立の動きも構造調整型に動いているのかといえば、逆のような感じがしますが。
加藤 そういう雰囲気をいちばんつくったのは、例の20兆円の信用保証協会の融資枠だと思います。約80万件に平均2,000万円で、すでに16兆円か17兆円は出たと思います。この政策で去年暮れの中小企業の倒産を防止したということは事実だと思うんです。ただ同時に、国がリスクを引き受けるだけの、本来はあまり望ましい手段ではないという意識が、政策当局者が胸中にあったかとなると、確かに疑わしい。
一方で、この過去半年の自自公の論議中でちょっと気になっているのは、いわゆる社会福祉の面でも、全額税方式という議論が多すぎることです。たとえば基礎年金を全部税負担でということになると、今から25年ぐらいのうちに、それだけで26兆円ほどのおカネになります。国税分が消費税1%で1.8兆円しか入らないとすると、消費税換算で15%ということになるわけです。その時点ではおそらく、介護保険、介護費用というのは10兆円になり、それから老人医療がまた7兆〜8兆円になっている。だから仮に消費税を福祉目的として2.5兆円全額を国庫に入れるという強引な決定しても、消費税は20%を超えてしまうわけです。単に若い世代にだけでなく、買い物をしたお年寄りにも福祉の負担を求めるというのはそれなりの意識は認めるんですが、全額税負担というところに、「景気対策のためなら何でもあり」というばらまきの発想と共通なものがあると、私は危惧しているわけです。
----国家ビジョンと政策の不一致というのか、国への依存を強めるだけに見えるということですか。
加藤 自由党がそれでなぜ、"小さな政府"であり、"新保守主義論"なのかと思いますけどね。
自自公政権は結局、ばらまき型
鳩山 私も自自公政権には、いわゆる「政教分離」以外に強い疑問を持っています。つまりこの政権は既存の体質の壁を破ることはできず、逆に、これまでのばらまき型をさらに継続する可能性が高い。公共事業に対する考え方も旧来から大きな変化はなく、社会保障に対しても公明党はかなり力を入れて主張してくるようになる。それに、そんな簡単に仕上がるものだとは思えませんが、今のお話のように基礎年金を全額税でという主張は出てくる。一方で、そういう話となれば当然、歳出の議論の中で各種の増税の話が出てこなければおかしいわけですが、そこも景気がまだ厳しいなかではどうも言いきれそうもない。そうなると最初の議論にまた戻るわけです。ですから自自公は、景気対策と社会保障をともに、国家の財政をさらに厳しくさせる方向に導いてしまうおそれを私は強く感じています。自民党内に「小さな政府論」の主張がしっかりと出てくるか、あるいは増税という議論が出しうるのかどうかですが、選挙が近くなればさらにそういった議論は難しくなる。ますます、あらゆる面にばらまき的な話になってしまうのではないでしょうか。
加藤先生のお話の中で私が一つ気になるのは、介護とかお年寄りに対する医療費がますます増えていくということです。碓かにそうだと思いますが、国の意識の中で介護費用が減るような、老いても健康であるような状況をどうやってつくっていくかを考えることがどうも欠落しているように思えます。つまり、介護が要らない社会をどうやってつくるか、病気にならない社会をどうやってつくるかという、予防医学というか、予防保全的な考え方が、どうも政府には十分ではない。本当はそこをもっと根源的に議論していけば、トータルとしての健康や医療・福祉費用というものをもっとドラスチックに下げるような方向へ議論が深まっていくような気がしている。将来の日本像を考えていくときには、本当はこういうところをもっと掘り下げて勉強すべきだと私は感じています。
----日本の政治には日本のビジョンを示し、それを国民に問い、それを進めていくリーダーシップが求められているような気がします。お二人は最終的に日本をどの方向にもっていくべきとお考えですか。
加藤 私はよく言っているのですが、日本は世界の歴史の中で最も成功した社会民主主義国家になっている。ゴルバチョフが大統領の末期に、アメリカに行って、たしか韓国との外交関係樹立を決めるのですが、その際の記者会見で、「政府・官僚主導の計画経済はもう成り立たないんじゃないか」と記者団に質問され、「いやあ、自分たちもいま改革中なんだけれども、日本では社会主義計画経済がうまくいってる」と答えたという話です。それで、ゴルバチョフの知識もこの程度かと、みんなが嘲笑したようだけれども、後になると、日本の本質をいちばんよく見てたのはゴルバチョフだったという逸話があるんです。
鳩山 面白い話ですね。
加藤 いつのときからか、私たちの国はあまりにも結果平等主義の国家になってしまっている。背景には日本の伝統があったのかもしれません。われわれの祖先は農耕社会で、共に助け合って水を引き、そして作業をしてきた。その証左として、日本の有史以来の権力者で膨大な墳墓をつくった人はいないんで、天皇家のお墓も中国の明の一三陵なんかに比べると実に質素にお造りになられている。明の一三陵なんてのは、地下四階、地上三階建てぐらいで、中国では当時そこまで資本蓄積が進んだということかもしれないし、搾取が激しかったということかもしれません。だから、まあいい社会ではあったのだけども、特に戦後、われわれ自由民主党が長期政権を続けるために社会党の政策を三年ないし五年遅れで吸収していくことによって、修正資本主義にしてきた。それが結果的に行きすぎたのかもしれません。だから、所得税の課税最低限が491万円という、世界にも稀に見るような高さになってしまっている。
今の日本には100%の市場主義者もいないし、100%の社会主義者も平等主義者もいないと思うんですが、今われわれの国がどっちの方向にベクトルを向けなきゃならんかといったら、より個人の自立した判断で経済活動と人生を送っていく自由主義の方向に舵を向けていかなくてはならないと私は考えています。よく「それはサッチャー、レーガンの時代の話で、1980年代の思想。90年代にはもう違っている」ということを言われますが、むしろ80年代に日本がイギリス、アメリカ並みのことをやっていなかったことが今の問題をもたらしている。確かに中曾根さんは、民活といい、国鉄民営化等はかなり大きな成果だったのですが、途中で戦後の総決算という路線、つまり憲法改正とか安全保障問題にシフトされてしまったのではないかという気します。ですから、90年代はある意味では「失われた10年」になったような気します。これを運ればせながらももう一回、振り子を振り直さなきゃいけない。
鳩山 おっしゃるとおりだと思います。それを私は今の自民党が、いわゆる自自公路線という形で、新保守というか、総保守化の方向に動いてしまう形勢がある中で、私どもは新しい意味でのリベラル、それをニューリベラリズムと勝手に呼ぶとすれば、それを模索していかなきゃならないと思っています。リベラルというのは、どうもあまりわかりにくい言葉で、日本では今でも必ずしも受け入れられていない。「リベラル」というと、どうも反米とか、あるいは護憲というような色彩が強いのですが、必ずしもそうではない。新しいリベラリズムとはむしろ、総保守化現象の中で出てくる憲法論議に対しても、後生大事にこれを不磨の大典として考えるべきじゃなくて、しっかりと論議しようというメッセージを出して、総保守が掲げてくる憲法改正議論に対しては、リベラリズムの中ではこういう憲法改正の議論があるんですよということを堂々と訴えていけるようにならなきゃいけないと思っています。
古いリベラルと新しいリベラル
鳩山 その意味から新しいリベラリズムというものをしっかりと定義したいと私は思い、代表選でもそれを主張してきました。それは一言でいうと、市場経済というものをきちんと認めていく中で、社会政策を今まで以上に重視する政策をとるべきだという考えです。古いリベラリズムはそこの後半の部分しかなくて、市場経済をもっと達成させていくという発想はなかった。ある意味では経済政策というものが十分になかったというふうに言うべきであって、経済政策をしっかりもった、もっと強い経済の日本をつくりあげていくという視点が必要だと思ったわけです。そのためには、個人の自立というものを求めて、企業においてもより自立性の高い競争システムをつくりあげていかなくてはならない。
今まで日本はどうも、先ほど加藤先生のお話があったように、社会民主主義政策をとってきた。それは市場経済の方向も結構、中途半端であって、護送船団的な発想で、政官業の枠の中で甘えた構造を引きずりながらの経済活動というものを行ってきた。その弊害が今の日本に出てきているだけに、むしろ、そこからはさらにより自由な市場経済というものを求めていこうと考えたわけです。
しかし、それは当然、弱肉強食的な一面になる可能性もあります。それに対して、アメリカでは、敗者でも2回経営に失敗した人に"三度目の正直"といって投資がどんどん進むという話を聞きます。日本だと"二度あることは三度ある"になってしまいますから(笑)、誰も投資しなくなってしまうかもしれない。三度目の正直で、「この二度の失敗が、きっとこの三度目の成功を導くのではないか」というような思いで、その個人に期待をする。そういう自立して頑張ろうとする人たちをうまく政府が支援できるような、そんな枠組みをつくることが大事だと思います。
社会政策重視といっても、失業対策という、何か後ろ向きの、「おカネをあげるから受け取ってください。その間に頑張ってね」みたいな話しではない。たとえば新しい職業の再訓練などにもしっかり補助ができ、その代わり、まさにバウチャー制度で新しい職業を本気で探せる人たちに支援の手を差し伸べるような形の、今までの型の後ろ向きではなくて、前向きに投資をするという意味での自立化支援の社会政策により特化した政策をつくりあげていきたいと考えたわけです。いまお話をうかがっていますと、私が考えていることと、加藤先生のお話は非常に近いので驚いているのですが。
加藤 だからね、そこはちょっと変なんですねえ、いま世の中ね(笑)。アメリカではリベラルという言葉は、政府の政策に過大に期待し、甘えていく政治思想、そういうのを助長する政治思想と言われているし・・・。
鳩山 ヨーロッパでは必ずしもそうじゃありませんが。
加藤 そうですね。
鳩山 ユーロリベラリズムだから。
加藤 日本では、リベラルというと、なんか自由で、新しいという感じになって、そして同時にそれはかなりマーケット・メカニズム的と期待されているところもあるんですね。一方で新保守というと、これは「市場原理に基づくもの」と定義されているがごとくです。しかし、それを言っている政党やグループが、「公共事業重視型の政治と福祉を思う存分やります。その代わり消費税についてもあまりそういうことを言いません」というかなり倒錯した構図が続いたわけです。それで、特にこの2年ぐらい、連立時代に政治の筋道が見えなくなってきたと思います。
----逆転していますね。
加藤 ええ。まあ自由党が自民党との連立のときに、「消費税の3%への戻し、ないし一時凍結」と言うと、民主党のほうが、「そんなことをしたら、財政上もたない」と言う。
鳩山 (笑いながら)どっちが与党だかわからない。
加藤 あのときには私も笑ってしまいました。この矛盾はどうしたことかと思いましたけどね。どちらが本当に責任政党かわからないような発言になってきたのに、それで世の中はまあ平気で進んでいっている。
やはり今の日本はここで、考えるクライテリアとか基準を、明確にしなきゃならんときに来たと思います。ですから、われわれ自民党や自由党などが本当に「小さな政府」を目指すのであるならば、政府の歳入・歳出の面についてもそう考えなきゃいけない。特に社会保障制度についていえば、政府の関与を少し小さくするとなると、国民の一人ひとりが求める、きめの細かい対応というものとの間にすき間ができるわけです。そこを何で埋めるかというと、コミュニティ活動しかないんですね。そうなると、それを主張する自由民主党こそ、実はNPOというものを一生懸命育てていかなきゃいけない。ただ英語の団体なんていうのは革新系だという感じを持ってるというところがだいぶありますので(笑)。だから、われわれも本当の意味の「小さな政府論」というのは何をしなきゃならないのかということを論ずる時期なのだと思います。つまり、あんまり政府に頼らないでくださいよ、自立が必要なんですよと。そうすると、じゃあ政府は何もしないのかということになるから、いや、そうではありません。たとえば、どうしても個別企業では対応できないような基礎科学研究については政府がやります。それから、全国一律の、非常に効率のいい福祉制度は政府が考えます。年金は社会保険方式で、政府がギャランティーしながら有効なものをつくっていきます。それから、国際金融というのも重要な部分です。ソニーの出井伸之社長がよく「生産性向上や競争力はわれわれが努力します。ただ、円レートの安定はぜひ頼みますよ」と言いますね。あの問題なんかは私は、よく考えてみると、ぎりぎりまで行きますと日米安保体制の問題まで行き着くわけですから、まさに政治家が取り組まなきゃならん問題じゃないだろうかというふうに思います。
ですから、私は「小さな政府論」の中で、政府がやらなければならない、政治がやらなければならないことを特定することが今、最も求められていると思います。
鳩山 本当にそうだと思います。いまお話があったものに、外交、安全保障を加えたものだけが政府の仕事です。
加藤 そうです。
鳩山 それ以外のものは、少なくとも中央政府から切り離すぐらいの大手術を行うべきではないかと思います。それを、どうも橋本内閣でのいわゆる中央省庁再編の議論はそこまで踏み込むことはなかなかできなかった。むしろ既得権益というものを基本的に守りながら、再統合するような中央省庁再編の議論になってしまったと思います。やはりいま加藤さんお話しされたようなものに特化されて、ナショナルミニマム的な必要最小限のものは政府がやるけれども、それ以外のものは地域にもう任せ、あるいは民間でできるものは民間活力を使おうじゃないかと。それから、加藤さんが言われたNPOですね。そういうものに任せる勇気ですね----これはお役人の発想からは絶対出てくるわけないですから、政治主導でやらなきゃならないと考えているわけです。もっと申し上げれば、国と地方のあり方自体を基本的に、中央集権から地域集権というか、もっと本質的な地方分権型の国にすることによって、また道州制などの採用も大胆にやることも必要だと考えています。この小さな国に3,300近くの市町村が存在していること自体がやはり、それはそれでサービスが向上する部分というのは当然あると思いますが、必ずしも必要もないものをかなりつくってしまった。あるいは、今でも人件費など本来ならもっと省けるもの、地方公務負の数など減らすことができていないという状況で、そこのところを本質的に中央・地方併せて大胆に見直してスリム化をしていかないと、最初のお話にありましたような、財政の根本的な改革というか、構造改革にならないと私は基本的に思っていますし、そこまでやはり行かないといけないのではないかと考えています。
いま加藤先生がおっしゃった方向が必ずしも今の自民党や政府の方向ではないと私は思っているのですが、これからもぜひ、その勢いでやっていただきたいと思っています。
21世紀の政治の新しい対立軸
----今回の総裁選、代表選では、たとえば「小さな政府」「市場原理」「自立」ということが一つの対立軸になったような気もします。逆に国家依存というか、どんどん国に甘えていくような、それを温存していくような今の政治の雰囲気とは間違いなく違う状況のような気がするんですが、そこの対立軸で今後、政治の枠組みが決まるということはないのですか。
加藤 本来私はそうあるべきだと思います。対立軸というのは三つあって、一つは「強権的な政治」をやるかどうかという議論。自社さというのは通称「反小沢」といわれ、その根っこには、「伸び伸びとしたオープンな政治がいいね」という対立概念があって、それで生まれてきて運営されたのが4年間の連立内閣だと思います。次に残されている対立軸というのは「ハト・タカ」対立軸と、それから「大きな政府・小さな政府」対立軸ですが、「ハト・タカ」で国が割れるというのは望ましくない。
政権交代のたびに、東ティモールに出してたPKO部隊を出したり引っ込めたりしていいのかということになるんで、やっぱり「大きな政府・小さな政府」でいくべきだと思うんですが、そこがなんか最近、クリアじゃなくなってきているというのが、今の状況だと思うんです。
鳩山 それはみんな、大きいか小さいかというと、小さな政府志向に見えるのですが、実際にじゃあ税負担をどうするかみたいな議論は避けているんですよ。
加藤 そう、避けています。
鳩山 だからそこが見えない。一見すると小さいような政府のような主張をされながら、現実は、それを実際にやるには相当な財源が要るじゃないかと。結局は大きな政府なんじゃないか、というような矛盾をある意味でそれぞれの政党が抱えながら、増税部分というか、その部分を隠して議論をしてる部分があると思いますね。
一般にリベラルというと大きな政府志向だというふうに言われていますが、私が代表選で申し上げたニューリベラリズムというのは「大きな政府」ではないんです。自立支援のための国家財政のあり方を再点検しようということで、さっき申し上げたように、公共事業も大胆に削減しなきゃいけない。むしろ小さな政府志向で、国と地方・地域のあり方も根本的に問いただしていこうと思っていまして、そういう意味での「小さな政府」だと言っていいと思っているんです。だから、リベラルという軸の中でも大きい政府と小さい政府論があって、保守の中でもどうもそれもよく見えないというところが、実際に政治を非常に見にくくしてしまっているという部分だと思うんです。
でも、これからは大きな政府では最早やっていけない時代になってきていることは間違いないわけです。特にこの600兆円という国と地方の赤字の状況の中では、さらに大きな政府志向という考え方は排除しなきゃならないと思っている。ですから方向性としては、より小さな政治という中での質的な議論が重要になってくるのかなと思います。
政治は変わるのか
----今日の対談でお二方のビジョンがかなり似通っている印象をもちました。総裁選、党代表選後の10月以降、ビジョン実現のためにどのような行動を取られますか。
加藤 やはり今必要なのは、政策をみんな、言葉で表現していくということではないでしょうか。まとまった体系的な意見をわれわれが言うのは、大変な準備作業が要ることですけれども、頭の中で常に考え続けて、それを言葉で言うことが必要だと思います。そうでないと、「まあ理屈はともかく」とかね、「先々のことはともかく、きょうの不況対策を」ということで、日本のこれからにとって必要な議論がすべてかき消されていく。
つまり、景気対策ということであるならば、すべての基本政策も放棄してものを考えていかなきゃならんというような思考停止の中で、いろんな政治の筋が見えなくなってきたし、「小さな政府」で行こうとする努力もかき消されていくのではないかと思うんですね。だから、もっと簡単に言えば、本当の小さな政府論を言うんだとするならば、「そんなに大きく政府支出を増やしていいんですか」ということを、単純に問い続ける、議論しつづけることが必要だと思うんです。党内外で。
鳩山 私は、自自公のこの枠組みが小渕政権のもとで続く場合に、近い将来、もう一度、本格的な政界再編の流れというものが----今申し上げた「大きな政府・小さな政府」というこの二極でいいのかどうかは別として----きょうの議論の中で私は「総保守対ニューリベラル」と申し上げたのですが、そういう立場に立って行う機会がまた出てくるのではないか。あるいはそれを歴史の必然の中で、生じさせなければいけないのではないかという気がしてならないのです。
自自公という枠組みは、私は国民的な支持を得られるものではないと確信しているだけに、民主党としてはチャンスであり、私がきょう申し上げたような方向で党の方向性を目指していくことは、そんなに難しいことではないと思っています。が、自民党の中では将来的に加藤先生がいまの議論をしっかりと打ち出されて政権を取っていかれるというのはかなり難しいんじゃないかと思うのです。すなわち、既得権益の中に守られている方々の中に今の主張をして、果たしてそのお考えが党の中のマジョリティになりうるのか、失礼な言い方を許していただければ、それは非常に難しいのではないかと思います。
とすれば、加藤紘一ここにありというかたちで、もう一度旗揚げをされて、新しい日本の未来を自分が一人で救うんだというような気概を示されることが必要になってくるんじゃないかと。きょうの対談を通じて、きわめて同調できる部分を非常に多く感じましたし、そういうときには民主党としては、どういうかたちになるかはわかりませんが、新たな流れをつくられていく努力に協力をさせていただくということは十分ありうるんじゃないかなと思っています。変なメッセージを投げかけて・・・(笑)。
加藤 ちょっと変わった対談になりまして(笑)・・・。われわれ「小さな政府」論を言っている側の自自連合側が、(雑誌の発売時には)自自公になっているかもしれませんが、一見、われわれが「大きな政府」派と見ております民主党の鳩山さんに激励されるという形になるというのは、皮肉な話です(笑)。それほど、本当に小さな政府を実現するというのは、現実の政治の中では狭き門から入る覚悟しなきゃならない。大変な仕事だと僕は思います。だから政党の壁を超えて、本当に自立した個人をどうやってつくっていくのか、ということは皆が考えつづけていかなきゃならない、今日的日本のテーマだと思います。ちょっとごまかした感じですが(笑)。
鳩山 「大きな政府」を今まで具現されてきた自民党の中におられた加藤さんだけに、きょうの議論は大変勉強になりました。自民党には将来に対する期待もありませんが、加藤先生個人には感じた次第であります。きょうはこのくらいにしておきます(笑)。
----どうもありがとうございました。
(聞き手は工藤泰志本誌編集長)
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