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2000年5月22日 於化学会館


科学技術立国日本


化学関係学協会連合協議会
   

2000年5月22日、加藤紘一代議士は化学会館で「科学技術立国日本」と題する講演を行いました。

講演の中で代議士は、
 
(1) 自民党にも研究評価小委員会を作り、専門家による評価体制と評価結果 に基づく研究費配分の仕組みについて検討すること
 
(2) 海外から信頼される国になるためにも知的資産としての科学技術研究を充実させる必要があること
 
(3) 学問の変貌に対応するためには学協会が大同団結して変化に柔軟に対応できる体制が必要で、学際療育への人材等の配分にも積極的な役割を果 たせるようになって欲しいということ
 
を主張しました。

以下、講演内容(一部省略)を掲載致します。


【村橋】
日本化学会会長を仰せつかっております村橋でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

加藤先生、今日は選挙の前の本当に忙しいところおいでいただきまして、ありがとうございました。私ども本当に来ていただけるのか、ちょっと心配になったくらいなんですが、約一時間ほどお話をいただけるのではないかと思っています。

加藤先生は皆様大変よく御存じだと思いますけれども、こういう本を書いておられます。この本の紹介状に従って御紹介させていただきたいと思います。

まず、昭和14年にお生まれになりまして、山形県の鶴岡市の御出身であります。

39年に東京大学の法学部の公法学科を御卒業になりまして、外務省にお入りになりまして、42年にハーバード大学の修士課程を修了されて、外務省アジア局の中国課次席事務官をおやりになりました。

昭和47年の第33回の総選挙で初当選をされて以来、当選9回でありまして、この間、大平内閣のときの内閣官房副長官、中曽根内閣で防衛庁長官、自民党の農政調査会会長、衆議院の国連平和協力特別委員会会長、宮沢内閣のときに内閣官房長官をお務めになりまして、自民党の政調会長をやられ、自民党の幹事長をお務めになりまして、平成10年、自由民主党の宏池会の会長になっておられます。

ここに買っていただきたいということだと思いますけれども、『今、政治は何をすべきか』(講談社)という本をお書きになっています。これが最初の著であると書かれているんですが、下の帯封のところに、「次の総理に最も近い男が望む新しい日本の創造」というふうに書いてある広告があるんですが、私どもの見解もそういうことではないだろうかと認識しておるわけでございます。

それでは、早速、加藤先生、お話をよろしくお願いいたします。


【加藤】
加藤でございます。

私のように、いわゆる理科系でなくて科学について余りわからない人間が、日本の将来と科学技術のお話をするのは僣越でございますけれども、政策決定の現場におりまして、最近、科学技術基本法、基本計画、それから種々のミレニアムなどにも代表されます予算の配分・獲得等に、一番深く関わった人間の一人だと思います。多分、私か尾身幸次かというところではないかなと思っておりますので、その政治決定プロセスの中から見た科学技術立国という感じで少しおしゃべりをさせていただきます。


■日本人の根源である読み書きそろばん

私は昭和14年6月17日に生まれまして、終戦直後、小学生、中学生だったわけです。当時社会科で何を習ったかということなんです。

私は非常に勉強のできる秀才タイプの子でございましたので、社会科で日本は自然資源も少なく、国土面 積も狭い。だから、その発展には限界があると教科書に書いてあることを一生懸命、丁寧に試験のときに答案に書き写 しまして、いい点を取りました。でも、考えてみると、これ間違っていたんですね。発展に限界があると言われたが、それから30〜40年してみたら、日本はGNP世界第2位 の国になって、エズラボーゲルさんに至っては『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と書いてくれるようになった。

当時の社会科の教科書を書いた人がどこを見間違えたかというところに来るんですが、多分、人間の力、日本人が持っている知的な能力、勤勉さ、そういうヒューマン・リソーシスがあったということに気がつかなかったんじゃないだろうか。確かにナチュラル・リソーシスというのは非常に限定されていたんだけれども、ヒューマン・ポテンシャリティー、ヒューマン・リソーシスというものに目がいかなかったんじゃないかと思います。

人間の力というのは、振り返って、どこまで戻るのかというと、私は江戸時代の末期の寺小屋教育に来るのではないかなと思っているんですが、どこの村にも集落があって、その集落には寺があった。寺にお坊さんがいて、子どもたちに読み書きそろばんを教えた。リーディング、ライティング、アバカスというものだと思うんです。

ですから、明治維新のときには、大抵の日本人は自分の名前くらいは書けて、そして簡単な文章を書いて、「一筆啓上火の用心、おせん泣かすな馬肥やせ」くらいは書けたのかもしれません。そして、つり銭の計算ができたのかもしれません。

アメリカのハーバード大学にロゾフスキーという日本経済論をやっている教授がいまして、この人が戦後日本経済の発展というものを分析した一番の、外国における日本経済論者の大御所なんですけれども、30年前、私がハーバードにいたときに教えていまして、今は学長顧問でハーバードの寄付集めという最も重要な仕事をやっておりますけれども、その人などの見解は、まさに読み書きそろばんは日本の根源じゃないかということを言っております。


■キャッチアップが日本のインセンティブだった

そういうもので日本がぐっときたときに、では、もう一つ持っている潜在力、ヒューマンリソーシスをモチベートさせたインセンティブは何だったというと、1つは私はキャッチアップだろうと思います。欧米のような豊かさになりたい。自動車を持ちたい、テレビを持ちたい。そして、アメリカに行くとテレビが1軒に2台だそうだとか、ここにあこがれて、もうちょっと古い世代、私たちの世代は、チョコレートを食べたいとか。私は終戦直後は山形県鶴岡市という片田舎にいたんですが、進駐軍が来たときに、コカコーラをくれまして、うちの親父が地元の市長をしていたものですから、教育パパだったんでしょうか、外国人というものを見せておきたいというので、小学校1年生の私を連れて進駐軍の司令官にあいさつに行った。そうしたら、頭をなでられまして、背の高いアメリカ人です。坊やとか言ってコカコーラをくれました。クラシック・コカコーラなんです。こういうびんの。飲んだら変な味がしまして、それはそれでいいんですが、私は2階の窓からそれを落としたんです。割れなかったんです。ガラスのびんが割れない。そんな国がこの世界にあるというのが私は驚きだったんですけれども、そんなすごい国のようになりたいと思ってきたんじゃないでしょうか。

今から15年前に私たちの国は、それぞれの家に車1台はあるし、テレビはあるし、ビールは飲みほうだい飲んでもいいという一応キャッチアップができたんじゃないか。これは間違いだと思っているんですけれども、単に一般 消費財ないし耐久消費財でキャッチアップしたというだけであって、財産の分野ではウサギ小屋に住んでいるという表現があるように、まだまだキャッチアップしていない。フローではキャッチアップしたけれども、ストックではキャッチアップしていないと思うんですが、一応消費生活はかなりのところまで来ましたので、キャッチアップできたと思って、そこで少しインセンティブがなくなってきたんだと思います。

も一つ、経済発展させてきたインセンティブです。我が派閥、池田派、大平派、宮沢派、現在は私が会長をしておりますが、この会の政策的な開祖様みたいな人がおりまして、これが下村治という方なんですが、御存じだと思うんです。この下村治様のおっしゃっていることは、日本経済が発達してきたもう一つの理由は日米の技術格差である。アメリカの技術によって日本がプルされていった。その格差がなくなってきたり、余りにも日本が近付き過ぎたがゆえにテクノロジー・トランスファーをアメリカがいやがるようになってきたり、パテントをはっきり要求するになってくると、日本経済の発展のインセンティブ、モチベーション、馬力というのがなくなるんだよということをおっしゃっていました。その2つで、少しずつ日本は元気がなくなってきたんだと思うんです。

そのときに私は、大平内閣の時代でしたけれども、大平さんに、そしてまた、宮沢内閣のときに私官房長官をしていましたから、宮沢さんに、何かどでかいビッグ・サイエンスをやりましょうよ。夢を持ちましょうよということを一生懸命説得していましたけれども、役所も動かないのと、説得力不足もありまして、それは実現できなかったのです。

何か日本を引っ張っていくモチベーションがなきゃいけない。アメリカの場合には、何がモチベーションになったかというと、戦後は、NASAじゃないかと思います。あの国は面白い国で、どこに力強さがあるかというと、常にフロンティアを探しているというところじゃないでしょうか。常に仕事を探しているということじゃないでしょうか。


■宇宙にフロンティアを求めた米国

1492年にコロンブスがあそこの国に行きまして、それ以来常にフロンティアを探して、パイオニアとしてだんだん西部まで行ったんだと思うんです。西部まで行き着いた後、だんだんとフロンティアがなくなってきたから、何かというと、デモクラシーというバリューというものを世界の中に広げていこうというところにフロンティアを見つけたり、それをやっつけるナチス・ドイツがあると、それを克服するために命をかけるというところに自分たちのフロンティア追求意識を持ったり、戦争が終わったら、ヨーロッパの復興を助けるというマーシャル・プランというものを自分たちの心のフロンティアを見付けたり、そうこうしているうちに、ソビエト・ロシアという彼らにしてみれば邪教を信ずるとんでもない独裁体制ができたから、そこから世界を守るということをもう一回大きな目標にして、やっているうちに、あの国がスプートニクを上げちゃったということで、これはあかんというので必死になって、人間を月に送り出そうとするスペース・ストラグルをやり始めて、そして、すべてに私はエネルギーを掛けたんじゃないかなと思います。

あのお月様に人間を送りたいという、1つのサイエンティフィック・プロジェクトに集中したということは、私はすごいことだなと思っているんです。政治プロセスとして見ますとね。

例えば今、私たちの国が、すべてを海洋開発に日本のエネルギーを集中しますということをやると、ITの方から文句が来るし、ライフサイエンスから文句が来るし、勿論、化学会からも来ますと、何それということになる。

それでは、ライフサイエンス、人間のDNAから何からそれにすべてを集中しましょうということを言ったら、IT方面からバイオ・インフロマティックスという観点から、まあまあいいかなという声が上がる程度で、恐らく大変な文句が出てくるだろうと思うんです。

科学プロジェクトを一本に絞るということがいかに難しいことかということを、私は政治政策決定者の端くれとしては、大変思うんですけれども、でも、ロシアがあったから一本に絞られたと思うんです。お陰でコンピュータが発達したんだと思うんです。0.001 秒不正確であるとすると、お月様がそれて行ってしまうわけですから、そういう軌道計算をやっているから、多分すごいコンピュータが発達し、超LSIが出て、それを我々は、向こうは月へ送るのに使ったけれども、こっちはお借りしてきて、シャープの薄型電卓、7ミリでございますといって、世界中に売ってお金を儲けたということではないか。

化学の世界ではどういうことが起きているのか私は知りませんが、多分、恐らくいろんなことがあそこの中から軍事技術として生まれて、それが後々民間転用されたものが多いんだろうと思うんです。


■日本でもビッグサイエンスを実現したい

日本でも何かビッグ・サイエンスをやりたいという気持ちが私の中には非常に強くありまして、そういうときに基礎科学研究をもっとやらせてくださいというのが財界から非常に強くありました。これが7、8年前です。十年くらい前でしょうか。

そのとき私は、基礎科学研究というのも重要だなと思いつつ、まだいまいちピンと来ずにおりましたけれども、今から6年くらい前、私は自由民主党の政調会長をしておりました。そのときに自社さ連立政権というものだったんですけれども、この3党の政策の調整を自由民主党の政調会長の私がやりまして、言うなれは役所の方も従来のように自民党単独政権ではないものですから、3党の意見の集約されたものを政策にする以外にないという政治状況だったものですから、ある意味であの当時の私は大蔵大臣よりも発言力と決定権力のある人間だったのではないかなと思います。

そのときに実はプラザ合意のあとのいろんなことがあって、円高が進みまして79円75銭まで行ったんです。そのときに、大抵の製造業、安い安い製品をつくるのは勿論、それ以外のかなり高度の製造業も全部外国に行くという話になって、日本経済は完璧に空洞化してしまうなという恐れを当然のことながら、まともな人間なら思ってしまうわけです。では、これから日本に何が残るんだと思いました。

そうしましたときに、シンガポールに行きました。ある用があって行ったんですが、時間があったものですから、シンガポールにある東芝の工場を見に行きました。そうしたら、日本から行っている工場長さんは、ここでは白黒テレビをつくっています。こういう簡単なものはもうこの国に任せていいんです。日本ではこれの何十倍か難しい、高度のものをやっておりますので、日本ではちゃんと産業が残っていくんですから大丈夫ですと、こういうことでしたが、しかし工場を見て、工場の端に、50坪くらいの部屋があるんです。のぞいて見ましたら、シンガポール大学工学部出身の中国人ですから、見るからに優秀な人間が、単に東京から来た製造システムで、ノックダウン方式でつくるだけではなくて、これをいかに簡単につくっていくかとか、いかにその製品をより高度にさせるかというR&D部分を持っていたんです。一生懸命研究しているわけです。それを見て、あれっと。研究部門というのがだんだん育っていくと、日本には難しい部分が残っているから大丈夫ですということは、だんだんせばまってくるんではないか。

東京に帰ってきまして、TDKのエリート社員に、俺そう思ったんだけれども、どう思うかというと、それは確かに東芝の工場長さんの言うおりなんだけれども、しかし製造を現場でやっていないところで本当のR&Dのインセンティブというのは出てこないし、机の上で幾らやっても、出てくるイノベーティブ、製造技術というのは、限界があるように思うといようなことを言われまして、されば日本国内にかなりの製造の基というものを持つようにならぬとするならば、何をしたらいいかというと、やはり科学技術そのものと、その基礎研究というのをよほどやらないといけないのではないかという危機感を私自身が持ちまして、それから何を考えたのか、あちらこちらの大学を見せていただくようになりました。

それから、日本の政策決定、お金の使い方ということをいろいろ勉強するようになりました。


■科研費の大幅増額に尽力

科研費の件ですけれども、がんセンターの名誉総長をしております杉村隆先生が、私の遠い親戚 で、山形県鶴岡市の出身なんですけれども、あるとき会いましたら、加藤さんね、私たち科研費というのが命の綱なんですよ。今850 億円ほどなんだけれども、これを1,000 億にするのが私たちの夢なんですというんです。今は1,450 億くらいになっているはずですが、これが5、6年前には、1,000 億にするのが夢なんですと。

当時私は政調会長ですので景気対策のために、あと公共事業費を5,000 億足そうかとか、3兆円追加で単発で出そうかとやっているわけで、はてよと。ちょっと単位が違うんじゃないかと思ったわけです。

どうしてこの科研費が遅々として増やされずに、公共事業費はぼんぼん出るのかということですが、これは皆さんは聞くと、多分怒るような話を申しますと、いわゆる公共事業費というのは財産が後に残ると。道路にしても橋にしても、50年、100 年残ると。だから、借金してもやってもいい事業。建設公債というものを発行して、5,000 億、1兆円とやってもいい事業ということになっています。

ところが、科学技術の研究などは、よく考えてみると、研究している学者の人の生活費でありますし、あと、紙とえんぴつで、後に何も残らない。要すれば人件費じゃないかということで、これは余りやっちゃいけない借金、人件費は赤字公債というものですから、そういうところには余り出せないというのが根っこにあるわけです。

ちょっとおかしくないか。物すごい研究開発をすれば、橋の寿命の100 年どころか、300 年、500 年残るじゃないか。ニュートンの発見というのは、確かにあの人がどこかの研究所にいて、紙とえんぴつでやったものかもしれないけれども、それ以来何百年影響を及ぼしているじゃないかということで、ここのところをうまく説明できる言葉がないかね。論理がないかね。余り難しくやると、政治家とか大蔵省主計局になかなか説得できないものですから、わかりやすいキャッチフレーズ、10文字以内で考えてくれないかということを通 産の若手官僚とか、ジャーナリストとか学会とかにいろいろぶつけてみたんですけれども、下手すると1字1,000 億くらいの価値あるようにしてあげると言ったんですけれども、結局、ごちょごちょ3、4か月掛かったけれども、だめで、あるところである先生からぼんと教わったのが、知的資産の形成という言葉を使ったらどうですかと。インテレクチュアル・プロパティーですね。知的財産が残る、こういう概念で、世間にいろいろ字があるけれども、こういう字もある人たちが言っているけれども、それに集中してやってみたらどうですかというんで、よし、それに決めたといのうで、知的資産は後に残る。何百年残るという理屈を政治の世界で、及、役所に対して延々と私と尾身幸次がばかの一つ覚えみたいにしてしゃべり続けて、何か公文書にもだんだんのるようにすることができたのが、1つの勝利だったなと思っています。

その中の1つにありますのが、研究テーマ公募型予算というものでございまして、これは平成7年だったと思いますが、ちょうど79円75銭の前後に、何とか夢のあることをしなきゃならぬという中で、さっき言った建設公債を知的資産というのにはまだまだ苦闘していたときから、とりあえず建設公債で基礎研究をさせられないかということを言って、大蔵省と私がおおげんかになりまして、結局、建設公債で集めたお金をいろんな研究機関に出資するという形にしまして、そして研究してもらう。とりあえず100 億ということを工業技術院に付けました。

工業技術院は、1件1億、100 件テーマを公募しますと言いましたら、1か月半くらいだったでしょうか、2,308 件応募がございまして、そして、ここが文部省や科学技術庁と通産省の違うところなんですが、通 産は何をやったかと言いますと、それだけものすごくいいテーマの応募があったのに、2,208 件ボツにしたんです。相変わらず100 件選んだんです。ほかの役所だと、これは1件1億と言ったのを、これだけ要望が多いんですからというので、1件1,000 万くらいにして、件数としては10倍の1,000 くらいに薄めて配ったんだろうと思うんですが、予定どおりやったんです。

そうしたらある大学の教授が言ったそうですが、1億もらうことになりました。夢のようです。学者というのは、研究費の多さで研究テーマの夢や発想を変えちゃいかねぬ のだと思っています。しかし、従来科研費はせいぜいもらって700 万でした。700 万のときには700 万の研究の夢でした。今は1億、毎晩寝ながらあそこの壁も破ってみたい、ここも研究してみたいと天井が毎晩ぐるぐる回っていますということを言ったそうですが、日本の知的ポテンシャリティーをここまで無駄 にしていたのかなという思いで、よし、行けということで、今、600 件か700 件になっておりまして、600 億か700 億このお金が出ております。

ですから、かなり高いところでは2億か3億くらい行っているはずで、安いところでも7,000 万〜8,000 万のテーマが選択されています。

問題は、後で申しますが、いいテーマが選ばれているかな。選んでいるのがだれかなと。そうしますと、どうも傾向としては、大御所が提案されております研究が合格していまして、本当の中堅、若手の、これから伸び盛りの方のテーマが選ばれているかという辺りになりますと、ちょっと我々はよくわからないんです。そういうところが心配なものですから、どうです、どうですとあちらこちらに聞いてみるんだけれども、みんな、まあ、そうですねと言いながら返事してくれない。どうも私の直感では文部省の学審と科技庁の理研と通 産省系のNEDO、この三者で選んでもらうのが主流で、あと農林水産省と厚生省からもほんの少々ずつ選んでもらっているんですが、どうもこれは偏見に基づいた私の狭い情報で言うと、文部省系の選び方が一番大御所的、無難的、保守的じゃないかなと思っていますが、後で御意見あったらちらっと耳打ちしていただくとありがたいなと思っています。


■1万人ポスト・ドクター支援計画

それからもう一つ、そういう研究所をいろいろ回っているときに、東大に行きましたら、吉川総長がおりました。副学長さんたちと話しましたら、加藤さん、研究というのは24、25歳から35歳くらいまでが命ですよ。この若手にポストがありませんから外国へ行っちゃいますと言うんです。これがもったいないです。1年に300 万、その若手に出してください。そうすれば、駿台予備校か何かで教えながら学問を研究するなどという無駄 はなくなります。30歳前後になると奥さんに働かせて研究するのがいやだからどこかでアルバイトする。これではだめですよ。だから、300 万を5,000 人に出してくださいと。ポスト・ドクター支援計画という名にしてくださいというわけで、わかりました。考えみると150 億円になるんです。150 億円となる、さっきの科研費の話じゃないけれども、我々のやっているのとけたが違うなと思いまして、300 万というと少しきついかなと。だから、500 万にしましょうと。私ら政治家で少しほら吹いて歩きたい人種ですから、5,000 人というと語呂が悪いんで1万にしましょうというで、500 万円、1万人計画のポスト・ドクター計画というものを立てまして、やることにしました。

吉川さんは、これによって日本の基礎科学研究は一変します。2割か3割は外国の学生を入れてくださいということになって、これはその後ずっと自民党の幹事長をしておりましたので、政調会長にYKKという変な仲間になっております山崎拓という人がおりまして、彼にもずっと頼んで、5年計画を4年計画で1万人にしました。去年達成し、今年も1万500 人か何かで、単価は461 万、ですから、少し公約からは外れていますが、まあまあいいでしょう。認めてくださいと。

ただ1つ違っておりますのが、2、3割は外国人学生を入れるという約束だったのに、入っていないんです。中国人でもインド人でも、ベトナム人、シンガポール人でも入ってきて刺激になればいいし、こっちが教育してもいいなと思っていますが、まだまだその部分は十分に行っておりません。ある大学の教授に聞きますと、やはり講座に付けてくださいと。そうすれば、我々の講座の名前の権威で外国の学生が集まってきますというんだけれども、そうすると、これまた既得権になったりしていいのかなと思ったりして、どうやったら優秀なアジアの外国人学生が来るのかということを今考えております。

もう一つは、ポスト・ドクターというと27歳くらいではちょっと狭過ぎるので、ドクター・コースにいる人間、ないし修士の人間も本当に優秀ならばそれの対象に加えようじゃないかということを、その後の有馬東大学長が言いましたので、実際上はポスト・ドクター等ということを付け、通 称若手研究者支援計画というのでやっております。

これをあと2万人まで伸ばすかという話になりますと、実はここはちょっと難しいところで、その後学者になれればいいけれども、なれない場合には企業に行く。企業に行くには、ポスト・ドクター・システムで3年間も自分の研究に没頭した人間は、企業に来たときにくせが付いていて、それを直して、また企業の研究体制、生産体制、ラインに入れるのは大変だから、1万人くらいがいいところじゃないですかみたいな話かあって、その辺をどう判断するかというのは、実はここのメンバーが一番わかるんじゃないかと。日本で一番御判断できる人たちじゃないかと思っておりますので、後でまた御意見をお聞きしたいと思います。

こうやって予算というのは伸ばしてきているつもりですし、普通予算が今マイナスの予算もあるし、増えているのもあるんですが、増えているのでも、大抵3%くらい増えればいいところで平均として1.5 %くらいの予算の伸びで、特に伸びているもののほとんどは社会保障に向かっているという中で、科学技術の予算約三兆円くらい、防衛費が5兆、農業関係が約三兆弱みたいな中で、ぐんぐん伸びています。

ただし、本当のことを言いますと、3兆円近い予算の中で、2兆ほどは大学の教員の人件費だとか用地費だとか、科学研究というよりも教育分野のお金でありますので、本当の科研費というと、9,000 億くらいの世界ではないかと思いますが、これはどんどん伸ばす気になれば、伸ばせると、私たちは自分らの力を過信しながら思っておりますし、少なくともその実績を上げてきたつもりなんです。

ここで問題は、そろそろ科研費のバブルじゃないかとか、遍在ではないかとか、このまま進んでいいのかという議論になってきます。そこで必要になってくるのは、ピア・レビューだろうと思うんです。


■ピア・レビューの必要性

つまり、本当に有効に使われているかということなんで、それは私たち政治家にわかるわけがない。

それから、私は文部省の担当課、今、女性が課長だと思うんですが、その下で20人か30人かいるのかもしれませんが、そこでわかるわけがない。したがって、アメリカで行っておりますように、仲間うちの評価というもの、ピア・レビューを導入するなども含めた評価の体制というのを考えていくしかないんだろうと思います。

最近その部分は大分意識されて、それぞれの大学で自主評価ということが言われ始めておりますけれども、私はやはりそれは甘くなるんで、外部評価をしっかり入れなければいけないと思います。

そして、その外部評価も、大学そのもの、研究機関そのものを評価するのではなくて、個々の研究者の評価をし、その総合として大学も評価がされるようにするという、研究者個別評価体制というところに行くべきではないかなと思います。名もなく気力もない、どこかの地方に小さな大学であって、しかし、その中に優れた学者がいる可能性は十分あるわけです。しかし、名があっても、どうにもならない無気力な学者さんがいる場合だってあるわけです。そこはアメリカの場合は、釈迦に説法ですけれども、大変な評価のシステムがあります。

利根川進君というのは、私の日比谷高校の同期生でありますけれども、最近ときどき彼は日本に来て、日本の研究体制心配だから、いろんな提言をしていきます。彼いわく、加藤君信じられるかと。俺は一応ノーベル賞受賞者だぞと。私がある研究をしようと思ってNIHなどに申請すると、カルフォルニア大学か何かの大学院生が私をインタビューに来る。何だかんだと質問していく。それから、シカゴ大学くらいの、働き盛りの教授も来る。それからニューヨーク辺りから大御所が来る。自分が会ったことは世間に言わないでくれと。これがNIHのレビューの方針であると。だから、私は守っていますからと言う。多分、利根川研究を認めていいか悪いかについて、5、6人か7、8人の老壮青のチームがつくられて、そのチームはお互いに顔を知らない。それで評価して、そして持ち寄ってそれで点を決めて、よし、出しましょうということになるんだぞと。でも、それに耐えなきゃいかぬ のだと。学生が一々聞くのに、私は生徒みたいにちゃんとお答え申し上げているんだというわけです。すごい世界だなと思いました。

実はこの研究についてレビューを入れないといけないというのは、実は中山太郎さんが7、8年前まで一生懸命言っていたんですけれども、私も聞いていたけれども、政調会長時代もこっちの耳からこっちへ流れるような話でいたんですが、最近、ああ、中山さんがやろうとしてつぶされていたことは重要なことなんだなと思って、今度、自由民主党の中に科学技術創造立国調査会というのがあるんですが、山崎拓さんが会長をしていますが、そこに申し込みまして、中山太郎さんをヘッドとし、私がサブをやって、研究評価問題小委員会というのをつくることを決定しました。

そういう個別評価をやっていかないといかぬということを徹底的に続けていくつもりです。


■資金援助よりも技術移転が評価される時代になる

以上、最近の政策決定の内部なんですけれども、私は戦後の世界の政治は何で決まったかというと、軍事力で決まりました。特に核能力で決まりました。ベルリンの壁崩壊、そして冷戦終結後、何で政治が動いているかというと、資本です。直接投資とか、円借とか海外援助だとか、そういうお金を国際政治に貢献できるところが発言力が強くなっております。

日本も今調子は悪いですけれども、アジアの中で日本の評価というのは格段に上がっています。それはアメリカのヘッジファンドがアジアに来て、3年前、荒しに荒しまくって、アジア人が遅々として一生懸命頑張って働いた財産の半分くらいかすみ取って持っていったわけです。それがアジアの金融危機です。儲けて、アメリカでちゃんと持っていればいいんですけれども、何考えたかロシアに持っていって全部すっちゃっているわけで、結果 的には日本やアジア諸国のお金がロシアの社会体制変更に伴うコストとして使われているのと、ブラジルでちょっと使われているというのが、ぐるぐる回りの結果 じゃないでしょうか。

日本が直接ロシアに渡したというならば、これはロシアにも感謝されて、こっちもそれなりに満足感があるんですが、アメリカはほとんど何もやっていないわけです。アジアをいじめただけだと思います。そのときに950 億米ドル、つまり約十兆円にわたるお金をアジアに渡して、今立ち直らせたのが日本です。

ですから、今、日本人の指導者がアジアに行きますと、本当に大切にされます。私今年の2月にちょっとアジアに行きました。発つ前の日にカンボジアの首相フン・センと東京で2人で飯を食いました。

翌日マレーシアに行ったら、マハティールとトゥンダイムという大蔵大臣が2人で、突然なのに予定変更して食事に来てくれました。

翌日、シンガポールに行ったら、私はゴーチョクトンと2時間、オフィス・アワーに会談しました。

その翌日、ミャンマーに行ったら、キョンミョンという、実質上実務ナンバーワンの第一書記が、私と2時間会談し、翌日は一緒になって国境地帯に6時間の軍用ヘリ、軍用機の旅をしてくれた。それはなぜかというと、日本から金が行っているからであります。

ですから、今はお金の時代だなと思っていますが、これが10年か15年すると終わると思います。その次に何が来るか。テクノロジー・トランスファーの時代が来ると思います。 つまり、それは日韓の関係で既に始まっています。韓国は日本からのお金はもういいと。ただ、技術をくれと言って日本に迫ってくる。しかし、日本政府が技術を持っているのではなく、若干あるとすれば、防衛庁の技術か、あと何があるんでしょうね。NHKが国営放送だとすると、あそこにかなりのパテントがあるはずなんですが、化学関係で国が持っている技術というのは何かありますかね。農林水産省の農業科学研究所みたいにちょっとあるかな。ほとんどないでしょう。だから、民間が持っているわけです。だから、それを渡すわけにいきませんということを言っていますけれども、それは事実です。

やはりこれからは10年、15年すると、技術をいかに渡してくれる国か、それが影響力のある国になる。その技術を持っていないと、先進的な技術を持っていないと、私たちは渡すときにせせこましくなって、ジェネラスに、寛大に技術を渡せないわけです。自分たちがこのくらいまで行ったら、この辺の技術はいい、教えてあげるみたいな気分になるけれども、これを教えてしまうとうちの会社はつぶれるみたいな技術は渡さぬ と思います。

だから、常に常につくり上げていくということが必要で、そのことは、そこに自信があって、それを研究している、光るような、玉のような研究者たちが意欲を持ってやっているというところに日本の魅力が出てくるんだろうと思います。


■自然と共生できるような科学の発展を目指そう

それプラス、単に経済が発展し、科学技術がどんどん進んでいるというだけでは、私はいかぬ のだろうと思います。幾ら進展しても、それによって地球を壊してはいけないということになるだろうと思います。それはグリーン・ケミストリーという言葉の中に表れているのかもしれません。

幾ら科学技術、バイオ、DNA科学、ライフサイエンスが発達しても、体細胞を使って亀井静香を100 人つくっちゃいけないだろうと思います。そんなことをしたら神様に怒られる。

このときに、神様に怒られるとみんなが思うときに、この辺から森喜朗さんの世界に近づいてくるわけではないんですが、神様に怒られるとみんなが漠然と言うとき、何でそんなことを言うんだろうと。それは何かの規範が心の中にあって、その規範というのは、実は仏教でもないような気がするんです。儒教でもないように思うんです。日本人が心の中で思っている神様というのは、やはり山川草木、すべてに命と神が宿っているんだから、それを大切にしようとした土着の山岳信仰みたいなものじゃないかと。自然をコンカーというか、克服しないようにして、自然とコウエグズィステンスをねらい、生活の中に取り入れて、していただいてありがとうと言いながら、日々暮らしていくというふうに、どうも先祖様は考えたらしい。そこなんじゃないか。

言うなれば、自然と共生するという、日本人が考えていた神社だとか、神道、教義はないけれども、その生活の姿勢というものが実は日本のアイデンティティーなのかもしれない。本来、そういうもので。天皇家というのは、実は自然と人間との間を結ぶ役割、つまり神主さんの棟梁であって、徴税権も軍事統帥権も持たないがゆえに、126 代、日本社会の中で権威として存在したが、どうも江戸幕府に対抗することを考えた薩長が、反幕政治が神道と天皇陛下を利用し、1945年まで異常な時代をつくったのだろうと思います。

ですから、明治天皇は軍刀を持ったんです。それまでの天皇陛下は笏をお持ちになられてこうっておられた。今は皮肉にも、占領マッカーサー憲法によってまた笏をお持ちになるようになられた。統合の象徴ということになられた。ということは、皮肉なことだな。でも、それでいいのだと。

あの中曽根康弘さんがおっしゃっているということは、実はかなりの自然というものと、我々の関係を象徴しているのではないかなと思います。

こんなことを実は半年くらい私は考えて、あちらこちらでしゃべっているんですが、森さんがああいう発言をされたものですから、ここ1、2か月はしゃべらないようにしていかないといかぬ と思いつつ、やはり人間の生活をより豊かに、優雅にし、そして、自然と共存できるような科学の発展、それをプリンシプルに置きながらお考えいただく限り、そして、本当にいい研究にはお金を注ぎ込んだって大したことありませんから、一生懸命やっていくし、それも単に研究費を付けるだけでなく、オーバーヘッドで間接費も付けていこうと思っています。その方針も決めました。

そんなことを一生懸命やってまいりますので、是非この学会も御協力いただきたく、そして、会の間ちょっと役員の代表の皆さんにお会いしたんですが、なかなか数多くの学会が、化学学連絡協会みたいなものがあるんですが、学会の数が多過ぎて頭痛くなるような気がいたしますが、本当にみんなで大同団結されて、お互いに相集うところでもあれば。もう一つ私が心配なのが、学問は常に変わっていきますから、学際的にかなりやっていかないといかぬ し、端的なことを言うと、皆さんのところには毎年8,000 人くらいの会員が集まって集会されるようですけれども、ライフサイエンス、バイオテクノロジーの分野は、研究者の層が実に薄い。大丈夫なのかと。研究した成果 、例えばC_DNAの分析をしても、それから蛋白に向けてどうなっていくのかなどというところのポスト・シークエンスをやる人間といったら、極めて人数は少ない。

それから、いろいろコンピュータで分析するインフォマティックスの世界、これまた人数も少ない。だから、お互いにもうちょっと学際的に有能な人材をいっぱい持っているところから、どんどんとほかの分野も侵食し、お手伝いに行くということを産業界でも、大学の学科のレベルでもどんどんやっていただかなきゃいかぬ 時代じゃないかなと思います。 一言最後に、日本は大丈夫です。そういういろんなところを少し自由にして、そしてお金の使い方も自由にし、お互いに評価しながら進んでいったら、この国はまだまだ大丈夫な国で、10年前のアメリカはだめだったんです。今はよくなったでしょう。25年前のイギリスは、イギリス病と言われて、大英帝国はこうなると思っていたんです。今はこうなっているでしょう。

日本はあと5年くらいは最小限掛かるような気もしますけれども、大丈夫でございますので、一生懸命やりたいし、皆さんにも頑張っていただきたいと思います。

どうもありがとうございました。(拍手)


◇ 質 疑 応 答

【司会】 大変高度なところから、しかもサイエンスの方について非常に御理解いただいて、これまでも大変御支援いただいてきたことを感じでおりまして、大変厚くお礼を申し上げたいと思います。

質問その他受けていただけますか。

【加藤】 結構です。

【司会】 それでは、せっかくの機会ですので、質問、ございましたらどうぞ。

【問】 非常に面白い話を、また、大事な話を聞かしていただいてありがとうございました。私どもとしまして、科学技術基本法ができて、それから科学技術基本計画ができたということは非常に大きなことだと思っております。まだ、4年経ったところですけれども、ある程度成果が出つつあるところもあると思います。

その場合に、科学技術基本計画で17兆円出るということで、これで施設・設備面もよくなるかというふうに期待したわけですけれども、建物・施設の方に関しましては、科学技術基本計画に、1,200 万平米の整備が見込まれると書いてあるんですけれども、今100 万平米くらいしか整備されていないということで、どの研究室でも、特にアクティブにやっている研究室の方が非常に狭くなっておりまして、外国人のポスト・ドクター等を呼ぶ場合にも、先ほど欧米から余り来ないというお話がありましたけれども、そういうような研究環境ですと、なかなか来てくれないということも1つの原因になっているのではないか。そのほかの原因も勿論ございますけれども、それを今後どういうふうに変えていったらよろしいのか。最後の方でオーバーヘッドというお話がございましたけれども、それが1つの鍵になるかもわかりませんけれども、その辺のお考えをお聞かせいただけたらありがたいと思います。

【加藤】 3つあると思います。

1つは、公共事業の配分のシェア争いというのは、御承知のように道路と橋とありまして、そのシェア争いでちょっとでもそういった研究施設費を増やすのに有利にしなきゃいけない。これは専門的なことで申しますと、公共事業というのがあるんです。それを狭義に分けますと、狭義の公共事業というのと、その他施設費というのに分かれまして、狭義の公共事業というのは、道路、橋だと、何となくコンクリートを使う土木の概念なんです。その他施設費というのは、東大病院だとか、山形大学の農学部の建物とか、芸大の博物館だとか一緒の予算なんです。ですから、その他施設費の比率を多くすること。その中で化学研究費のところを多くするということ、これがまず我々の仕事の1つです。

2番目に、オーバーヘッドで付けていくということで、それによって使い方を自由にできるかという問題で、今10%くらいしか付いていないはすなんですが、ハーバードの場合には100 %付いていますし、MITの場合には60%なんですが、それを少し増やしたいと。

3番目に、さっき言った評価体制をしっかりして、いい研究をしているところから先にやる。1,200 万平米だそうですが、そのうち私は最後の最後の部分は必死に拡充しなければならないほど有意義な研究をしているかなというところもあると思います。ですから、いい研究をしているという評価があるところに予算がいくのは、政治家も役所もみんなOKなんです。突き詰めるところは、個別 評価体制をしっかりするというところに尽きる。予算の配分にしても、広さにしても、こう思います。

【問】 今、日本でいろいろとベンチャーがどうのこうのと言うと、ベンチャー・ビジネスは、IT関係だとか情報関係だとか、余り汚れるものをやらないところがベンチャー化するのは楽なせいでしょうか、何とかなっていると思うんですが、化学に限らず、排出基準とかいろんな環境の問題も全部やりながらやっていなければならないベンチャーに関しましては、化学だけとは言いませんけれども、そういう方まで非常に何か画期的なことがあった場合に、私ども大学ですけれども、大学の中で場所を取って、そこで何とかせいという話になると、その場所はどうなるか。時限でなくすわけにもいかぬということもありますので、そういうベンチャー的と言いますか、そういうものを支援するオープン・ラボ方式と言いますか、大きな場所を、大学でやってしまうと、そのまま大学がもらった格好になりますが、国としてと言いますか、通産でも何でもいいんですが、そういうときに一時的に任期を据えてぼんと来てやって、また、戻れるというような、支援する実践の場というものをやっていった方が、私、大学ですから、大学の方がお金をもらったり、建物もらったりする方がいいんですけれども、それよりは効果的な方法があるんじゃないか。国研もよろしいんですけれども、国研のところへ大きなスペースをもらって大学の人だとか優秀な者が一時的に来てぼんと大きな予算でやれるような状態、それもいいんですけれども、何かそういう支援制度ができていってくれたなと、常々思っているんですが、その辺のところいかがでしょうか。

【加藤】 どこか大きなスペースにオープン・ラボをつくり、そして、そこには大きく言って、何系、何系と3つくらいに仕切って、そこにいろいろな部屋があって、そこで研究すると。そこに大学から兼任で来て、しばらくそこで研究する。そんな形ですか。

【問】 そうですね。

【加藤】 いろんな大学からね。そこにはポスト・ドクターで20人くらいを付けてあげて、オーバーヘッドで間接費が付いていれば研究助手もいると。これが理想だと。理想ですな。 私は基礎研究というのは無理だと思うんです。採算が合うわけないんで、これは私の本にも書いてありますけれども、そこは国でやらなきゃいけない。そこでやったものに目利きがいて、あの教授のやっているのは、当人はいいと思っても大して商売にはならぬとか、あれはよさそうだと。ベンチャーにつなげようという目利きがいるかどうか。IT関係では、我こそ目利きみたいな人が大分出てきているけれども、化学関係では目利きというのはいるんですかね。そういう目利きがいれば、最近お金は付きますよ。

そこでオープン・ラボの話ですが、頭に入れておきます。確かに大学に来ませんね。鉄骨で中2階使って、そこの天井をこんなことしながら研究しているようじゃだめで、京阪奈の場所などは、結構いいスペースで外人も呼んでいましたし、理研も呼んでいるし、国研、筑波などは呼んでいるように思うが、大学はかなりきたないですね。

各大学共通のオープン・ラボでいいんでしょう。考えてみます。

【村橋】 私個人的に、先ほど山本先生おっしゃったように、まず大学が、いわゆる国際基準と言いますか、安全基準で少し十分じゃないという感じがいたします。アジアからの人、ヨーロッパからの人というのは、利根川先生のところだって、多分、世界中から優秀な頭脳が集まってきて、それを判定するためには相当な判定をしないといけない。お金として相当なものがきているんじゃないかと思うんです。

そういう意味では、MITはそういう人たちに対して緊急的に場所を、利根川先生に場所を与えていると思うんです。それが大学のフレキシビリティー持っているし、短期の人材供給というのができるのではないかと思いますので、まず、基本的に大学、これは皆さんの共通した希望だと思うんですけれども、まず大学の基礎的なところに十分な力を注いでいただいて、まず若い研究者が少し町とは違い過ぎるんで、町並みにしていただいて、そこでやる気を起こすと言いますか、これらはサポートしていただいているんだという気持ちが伝わるような政策がほしい。

お金は確かに来ているんですが、そこで短期でやって、人は巣立っていってしまうんです。次に資産が移っていくためには、何か場というのが必要だと思うんです。その場というのが、ものづくりの場合とインフォメーション・テクノロジーの場合は少し違いまして、物づくりの部分は、先ほどお話がありましたように、非常に総合的に、例えば高圧だとか、廃棄物だとかいろんなものがありまして、そういう場というのはなかなかスペースだけをもらっただけではできないんですけれども、それを少しずつつくり上げているわけです。それが非常に大事なんで、そういう意味では、私どもは若い人たちに是非場を設定していただけるようにお願いしたいと思っております。

【加藤】 三多摩か何かでいいんですか。それとも都心になきゃだめなんですか。

【村橋】 私個人的には基本的に大学の中で、ある程度物づくりの場というものを国際的な安全の基準を達成するくらいの場を与えていただくのがいいかなと思っています。

【加藤】 大学の中には土地はあるんですか。

【村橋】 あることになっています。

【加藤】 土地があって、そこにビル建てるというのは簡単なんです。

【村橋】 それをまずお願いしたいなと思っています。

【加藤】 土地はある。だったら、答えはそう難しくないんですね。

【村橋】 ではないんだろうかと思うんですが、これはまた、学協会の方と後で懇親会がございますので、そのときにお話しさせていただくとして、時間が来ておりますので、お忙しいところ、大変ありがとうございます。厚くお礼を申し上げます。(拍手)

── 了 ──

 

 

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