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1999年5月17日  ハーバード大 講演

日本の再建−この十年の教訓

加藤紘一前幹事長は、訪米中の5月17日(日本時間18日)、かつて留学したボストン市近郊にあるハーバード大学で講演。日本の「Japan's Recovery:Lessons from the Last Decade (日本の再建ーこの10年の教訓)と題して、英語で外の情勢などについて話した。講演のの全文を日本語訳で紹介する。

衆議院議員 加藤紘一

90年代ばこ21世紀への新たなステップに

 本日は、こうして皆様と親しくお話する機会を得ましたことを、心より感謝しております。以前、ハーバード大学で勉強したことがありますので、また戻ってきたような気がしまして、見慣れた風景と多くの友人に囲まれた今、そのことを再確認しているところです。

 まず最初に、私の今日の演題について私どもの事務所と大学側との間で行き違いがありましたことを、お詫びいたします。本来は「むだに過ごした十年の教訓」だったらしいのすが、どういうわけか「この十年の教訓」となっていて、これはハーバード大学にいる思いやり深い友人が、私が不快な気持ちにならないですむようにとはからってくれたことなのか、はたまた、Eメールの中にも幽霊がいるということを証明してしまったのかどうか、私にはわかりませんけれども。

 さて、過去10年を振り返るにあたって、私は、長期的な観点から見ることが必要だと思っています。私を含めハーバード大学で歴史学を学んだ学生は、国というものがいかに栄枯盛衰するものかを理解しています。成功が長続きするかどうかは保証の限りではないし、また必ずしも逆行できないプロセスというわけでもない、ということを理解しています。つまり、私は日本の将来の展望については、本質的に肯定的な見通しを持っているわけです。日本が80年代の威勢の良かった時期から、どれだけ落ちたかを強調するために、過去10年間の欠陥やそれに対しての失望を言うことも出来るでしょうが、私は、個人的には、この10年間は完全にロスであったとして片付けられるべきではないと思っています。

 実際、後世の歴史家はこの90年代を、21世紀における日本の回復の種が蒔かれた、大変重要な時期としてるであろうと、確信しています。

 どうしようもなく楽観的だとして、皆さんが私を片づける前に、私の言わんとすることの説明をさせていただきます−ハーバード大学のクリニックに、精神状態のチェックに行くように急ぎ立てられる前に。実質、過去10年の間に着手した重要な構想は、経済構造改革、政治再建、そして外交・安全保障政策という3つの分野で、既に実を結んでいるのです。そこで、これらについて簡単にふれていきたいと思います。

中曽根元総理も経済構造改革の必要性を確信

 橋本総理のもとで始まった経済の構造改革と財政改革は、いろいろな点で、15年前に当時の中曽根総理の下で始まった1つのプロセスの継続であります。中曽根元総理もまた、世界でもっともうまく行っている民主社会主義的な日本経済の、そして今やうちひしがれた日本経済の、構造改革と規制緩和の必要性を確信していた1人でした。日本国有鉄道(JR)、日本専売公社(JT)、そして日本電信電語公社(NTT)と首尾よく民営化させていったにもかかわらず、中途で努力を止めてしまいました。それは主に、戦後の復興の時期に日本の復興に関して、素晴らしい機能を発揮した官僚制度、そして今では、より根本的な変革が求められる官僚制度、その制度を改革するための十分な支援が日本の政治制度の中になかったからです。

 中曽根元総理は、言わば失望から、行政改革や社会経済改革を仕上げないままで、関心を外交問題へと移してしまいました。その後の15年間で、諸問題はどんどん膨れ上がっていき、しまいには、過大評価された地価や株価に駆り立てられた悲惨な「バブル経済」で頂点に達してしまったのです。その結果として生じた混乱を引き継いだ橋本政権は、中曽根元総理が最初に手がけた、日本経済の構造改革や再活性化の仕事を始めたのです。

 これは、96年に始まったいわゆる「日本版金融ビッグバン」を含む六大改革といわれるものです。今では急速に人々の記憶から消えていっていますが、ビックバンこそが、最近の長期にわたる企業のリストラ傾向のもとになったものと確信しています。そのかぎは、当時の私たちの見積りにあります。当時私たちは、いつものごとくに、改革を説き、たくさんの規制緩和を推奨し、外圧に頼るということをしたくらいでは経済構造改革は起きないと見ていたのです。何か根本的に新しいものが必要だということで、構造改革を促進するもっとも効果的な手段は、銀行改革を通してのものだと考えました。日本における企業の資金調達のほとんどが銀行の借入れに頼っていることを勘定に入れると、そうならざるを得ないからです。

 そういうことから出てきたビッグバンというのは、日本の経済政策における注目すべき一歩となりました。外圧の結果、できたのではなく、日本の競争力についての私たち自身の考えによってビッグバンが引き起こされたからです。

 しかし、保護や補助金を長年享受している企業が多いなか、これを取り除けば、経済に短期的な影響が出るであろうということは分かっていました。たとえ改革が長期的に見て、より強固な経済成長をとげるために必要不可欠であったとしてもです。9兆円相当の増税と、保険率の引き上げというかたちで財政不均衡の是正をする努力は、ちょうど回復が可能な時に景気後退に追い込むというような、間違った判断による政策であったのではないか、という議論が数多くなされています。しかし私は、景気が下降したのは政策の間違いの結果というよりも、構造改革のプロセスの必然的、不可避な結果であったと思っています。

 しかしながら、次々になされた経済活性化のための努力は、むだになったり、短命であったりでした。減税も導入されましたが、需要を喚起できませんでした。同じように、何兆円もの金をつぎ込んだ、一連の景気刺激策は暫定的な効果しか生みませんでした。経済を刺激する正統的なディマンド・サイド・アプローチ(需要者側への対策)が期待したほどに効果を上げていないことは明白です。

 私は、個人的には、長くこのアプローチをとることに懐疑的でした。特に日本の消費者が、自分の会社は大丈夫か、貯金は安全だろうか、といった不安にとりつかれている時にはです。したがって、私たちが本当になすべき事とは、サプライ・サイド・アプローチ(供給者側への対策)による改革を大胆に実行していくことです。そうすれば、過剰設備の調整や、超過債務の削減、そして過剰雇用の調整がスピードアップされるでしょう。この方向で既にいくらか進歩が見られていますが、もっと必要であり、このような方法でのみ日本の経済は復活すると思っています。

官僚制度に頼らない「政策新人類」の出現

 日本の政治は、遠くから見ると「いつもと変わらない」と見えるかもしれません。特に自由民主党が抜きんでた地位を取り戻した今は、そう見えるかもしれませんが、実のところは、ずいぶんと変わってきました、それも良いほうへ変わってきたということです。日本の政治はいくつか重要な点で、大変健全な再建の時期を体験している、と言ってもよいと思います。

 第一に、政治家は、官僚制度に頼るだけで解決出来るような問題よりも、徐々に、公益問題に取り組まざるを得なくなっています。有能な官僚はいっぱいいますが、官僚制度には革命的な変革をリードする力を備えていません。ですから多くの政治家がこの挑戦を受け入れ、取り組んでいることに特に勇気づけられます。

 実際、日本の政治の場における、最近の最も劇的な展開の1つは、そちらの言葉を借りて言えば「政策ガリ勉」に相当する。「政策新人類」と言われている若い政治家の新しい集団が、徐々に目立ってきているということです。ある特殊な分野における専門的知識を持って−たとえば北朝鮮のミサイルのこととか、社会保障改革のこととか−彼らは政策決定過程において今や官僚と事実上、競争ができるのです。例をあげますと、去年の秋に、法律や経済問題に関する専門的な知識を持つ、この新人類の政治家たちが、官僚の手を借りずに事実上法案の行方を決めたのです。日本のメディアはこのシフトが起こっていることに確実に気づいています。過去には、ほとんどと言っていいほど政府高官にコメントを求めていた彼らが、この政策新人類の考えを徐々に求めるようになってきています。

 全体を見回しても、この傾向はおそらく間違いなく、今の日本の政治に起こっているもっとも根本的な変革だと言えます。

連立政治は日本の政治の健全な展開

 新しい時代における2つ目の顕著な展開は連立政治です。皆さんには、自民党に一身をささげた古参の政治家がこんな事を言うなんておかしいと思われることでしょう。しかし連立政治は私たちの党にとっても、また全体的に見て日本の政治制度にとっても、健全な展開であると思います。昔は、自民党の一党支配の対極にいるのは、政権参加など考えられなかった、比較的少数政党のグループでした。つまり、権力を持つ者が考えなければならぬディレンマや責任について考える必要もなく、自分たちのためにだけ反対の政治に専念していれば良かったのです。また自民党が一党支配できるということは、党内での反対勢力を黙らせるだけでなく、政治の硬直化にもつながっていました。

 ですから、過去6年間は、連立政治が単に必要だったからということだけでなく、それが課題ともなっていました。例えば、衆議院で日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案の通過には、自民党以外の政党の議員の協力が必要でした。また、日本の市民社会を強固にするための法案に関しては、さまざまな政党の政治家はNGOのリーダーとも、その作成から成立まで緊密に連携しながら行動しています。

 自民党は野党と、例えば、建設的に統治に貢献し、また日本が変革をしていく過程に貢献する気がある、そういう野党とならば一緒に仕事をする用意があります。他方、大部分の野党も、今までのように反対のための反対をして特定の支持者だけを相手にするというようなことは、もうできないということを理解しています。広い基盤に立った連立というものは、ガイドライン法案のような特殊な問題を扱う時に、また信頼と実行の政府を維持するという点で、より大きな責任感を少数政党にも自民党にも持たせるようにしむけるのです。

湾岸戦争での外交の失敗が教訓に

 最後に、日本の外交・安全保障政策ですが、これもまたこの10年の間にいくつかの前向きな変革を見せています。日本が世界の舞台で、ますます積極的な役割を果たすための基礎を築いてきたこと、その役割を果たすため潜在能力を最大に高めてきたことなどです。

 先の湾岸戦争が、日本の「小切手帳外交」として他国の嘲笑をさそったように、外交政策の不適切さを痛感させることもありました。以来私たちは、日本が国連のPKO(平和維持活動)におおいに参加できるような方策をいくつかとってきました。その当時には控えめな政策としか見えなかったでしょうし、憲法の制約のある中では、必然的に遅くもなりますし、まだ十分とはいきませんが、それでも私たちにとってはきわめて重要な第一歩であったのです。実際、これまで以上の参加を可能にした最近のPKO修正法案は、あの湾岸戦争の経験がなければ可能ではなかったのです。

 また、この10年での最も重要な業績は、疑いもなく日米安全保障同盟が再活性化されたことです。これは今、ここで私の隣に座っていらっしゃる友人のジョー・ナイ博士の努力によるところが少なくありません。日米安全保障関係は、最近のガイドライン関連法案で頂点に達した一連の合意を通じて、いつ何時にも起こりうる挑戦に対処するために強化されたばかりでなく、その範囲を単なる軍事同盟よりもっと広義なものにしたのです。

 講演を締めくくるに当たりまして、私は日本はこの10年間で、世間で言われているよりもずっと変革をしてきたということを、強調したいと思います。この点での間違った理解を変えていただくためには、変革を確実なものにするために、もっとたくさんのことをしなければなりません。しかし、中国のことわざにも、「千里の道も一歩から」とありますように、日本は再建への道のりに向かって重要なステップを、一歩一歩押し進めていかなければならないと思っています。

 ご清聴有り難うございました。

 

 

 

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