私は、この日本は、世界近代史の中で、最も効率よく成功した社会民主主義国家になっているのが今の姿だと思います。ですから、これは当たり前だとみんな思っているけれども、何かをやると、必ず役所の言うことを聞かなきゃいけないし、役所に行くんです。幼稚園児がどこかで交通事故を起こしたといった場合に、やはりそこで、そういう自動車が通るようなところに幼稚園児が1人で通うようなことを幼稚園に許している市役所はどういう態度だというようなことを市議会でワンワンとだれかが言うと、早速、市役所のほうは、幼稚園児の通行についてはこういうような方針でやるようにという通達か何かを出すようになる。それが、だんだん世の中を固めてきた道ではないでしょうか。
そんなことを全部やっていてはたまらない。この国をもう一回、自由主義の国にしなければいけないということをだんだん私たちも考えるようになりましたし、大蔵省のベスト・アンド・ブライテストたちも四、五年前から考え始めて、そして、どうしたらそれを、この国を根底から変えていって、自由な、フリーマーケットな、自立した個人による国にできるかと考え始めた。
そこで考えたのが、金融ビッグバンとか、経済構造改革とか、行政改革だとかという6つの改革なんです。その中で一番激しい意味を持ったのが金融ビッグバンだと思います。
お金というのは天下の回りものです。最近は、世界の回りものになっています。そのお金を全世界ぐるぐる回すことによって、これは一種の人間の体の中の血液ですから、これによって経済社会を変えていこうというのがビッグバンで、その中核は、おととしの4月1日から始まった為替の自由化で、ドルと円の交換を簡単にできるようにしちゃったわけです。
ですから、アメリカの銀行が札幌に支店を開くこともあれば、たしかメリルリンチなんていうのは、札幌に支店があるんじゃないでしょうか、今。あるでしょう。そこで、上役が英語をしゃべりながら、支店長ぐらいで来て、窓口の人は、みんな日本人でしょうけれども、窓口の人は、上役と話しするときに、片言の英語で報告しなきゃならない。今度、就職を北海道大学から採るときも、英語をしゃべれる人を採るみたいなことになっていくんだろうと思いますね。
これによって、ものすごく世の中が変わってくるはずだったし、そういうものだったんです。当然のことながら、アメリカの銀行は、一生懸命になって、高い預金金利を払おうとする、お客さんからお金を集めようとする。そうすると、当然のことながら、貸し出すときにも、日本の銀行も高い金利を払わないとお金が集まらない。そうすると、日本の銀行も、貸し出しするときには、ちゃんと高い金利が払えるようにというような会社にしかお金を貸さないという融資審査になってしまうということで、だらだらと変わっていくものを導入したというのが金融ビッグバンだと思います。
つまり、世の中を変えるのに、政治家が演説して、こうあるべきだというふうにやるのも1つですけれども、それではかなりの限界があるということで、実は、インビジブルハンドではないけれども、金の流れというもので世の中を変えていこうというふうにしたのが金融大改革で、それは、全くそれが意図したような変化を今起こしているんだと思います。
おかげで、山一がつぶれたし、拓殖がつぶれたという、ご当地でも大変なことが起きたわけですけれども、しかし、それは、同時に、ここに関連している企業も、かなり厳しい事業を今後やらなきゃならんということをしっかりと知らされたということではないかなというふうに思います。
それが、今度、だんだん高じてきますと、お金の面だけでアメリカと競争させられるというのは、グローバリゼーションというのは困ると。ついては、日本の企業として頑張っていくには、高速道路料金ももうちょっと安くなってほしいし、電力も、こんなに高い電力だったら困りますということを地元の事業会社が北電なんかに要求したりするようになる。すると、北海道電力も、こんなに高い石油、石炭を買わされてはというところで、いろいろ今度、規制緩和とか、行政改革を要求してくるということで変わっていくんだろうと思います。
ですから、私は今、この世の中は、変わり目に向けて今進んで、そして、橋本内閣であまりにも改革のきしみ、悲鳴が強くなったから、今ちょっと「癒しの経済」ということで、少し一休み、カンフルを打っているような経済政策なんですけれども、しかし、もう一度、私は、先に向けての改革路線に戻っていかなきゃならんときに来ると思います。せっかく1年半、経済政策の面でいえば、小渕内閣で、非常に、どちらかというと、景気対策中心に、痛みを癒す経済政策をとってきましたけれども、それが必ずしも最終的な答えにはなっていないということが、去年の暮れあたりからだんだん明確になってきたと思うので、私は、新年、できるだけ早く、小渕首相のもとで、やはり将来に向けた本格的な体質改善のための厳しい道に戻ろうよということを宣言されるべきときに来たのではないか、そして、それを国民に訴えながら協力を求めていくという形で総選挙を戦っていくというのでなければ、自由民主党に対する支持は、必ずしも楽観できないのではないかなというふうに思っています。
ごく最近の改革の話に、私は、最初から言及したんですけれども、21世紀、この国はどういう国になるんだろうということをちょっと考えてみたいと思います。
私たちの国は、明治維新以後、何をやってきたかというと、先ほど言いましたように、対欧米、キャッチアップを目指してきたんだと思います。夏目漱石の作品なんか、最近お読みになる方はあまり多くないかもしれませんけれども、欧米を見習いながら頑張り始めたこの国が将来つぶれていくんだろうか、何ものかを失ってだめになっていくんだろうか、それともだんだん強くなっていくんだろうかということを夏目漱石がイギリスのロンドンにいながら、また東京に戻ってきていろいろ考えながら、著作『三四郎』とか、『こころ』とか、『草枕』とか、そういう中に書いております。
いろいろな難しい議論は当時あったけれども、まあ、ともかくという感じで、欧米のように、強く、豊かになりたい、「富国強兵」ということで頑張ってきたわけですけれども、実は、その100年来にやったことが、あるところまでうまくいったなと思ったときに少し傲岸になって太平洋戦争を起こし、廃墟に化し、そしてもう一回やろうと始めたのが、昭和21年以降の戦後だと思いますが、私の感じでは、15年ぐらい前に、日本人は、おお、来るところまで来た、やり遂げたという感覚をちょっと間違えて持ったんじゃないかと思います。
当時、日本経済は成熟した。成熟経済の日本が今後どうしたらいいかという言葉が非常に流行ったときもありました。今日、学生の皆さんは、当時10歳か、または5歳ぐらいのときだったでしょうから、あまり覚えていないかもしれませんが、その15年前というのは、みんなの家に冷蔵庫があり、1軒に1台の自動車があり、そして、カラーテレビがあるというのは当然になっているときです。いや、そうじゃない、今は当然ですけれども、15年前のときには、ああ、やっとみんな持てるようになったなという満足感を持ったわけです。
じゃ、その後、日本人は一体何を目指して頑張ったらいいかということを本来は考えなきゃいけなかったし、特に政治家がそれを考えなきゃいけなかったんですが、しかし、明治100年以来、目標設定というのは、そういうところにあって、目標というのはあるものだと考え続けていたものですから、突然それがなくなっても、新たなフロンティアを探し出す意欲とか、探し出さなきゃならんという目的意識がないまま、いや、何か張りがなくなってきたけれどもどうするんだとみんな思う。うろうろしているうちに、そばにあった株と土地をいじって、ガラガラとやっているうちにものすごい景気がよくなって、再び世界に例のないような大きな発展が起きるような気がした。そのお金で、アメリカの銀行を買ったり、ニューヨークのロックフェラーセンターを買ったり、ペブルビーチというアメリカ一高級なゴルフ場を日本人が買っちゃったりしたわけですね。これは、このバブル経済が答えだなと思ったけれども、当然のことながら、六、七年でつぶれてしまう。これで六、七年、日本人は、目標のない状態のままの時間を過ごしたわけです。
その次に、何でみんなが時間を使ったか、集中させたかというと、これは、いろいろ異論があるかもしれませんが、私の感じでは政治改革です。
どうも中選挙区制度というものをやっていると、政治家、特に自民党同士がお金を使って喧嘩する政治になる、派閥政治になる。これじゃ、いい政治家が生まれない。小選挙区にして、政党体制等の政策論争の世界に持っていくと、いい政治家が生まれてくるに違いない。いい政策の論争になって、きっといい国づくりのためのデザインを彼らが描き出すに違いないと非常に理想的に思ったわけで、それをやってみたところが、大したことなかったというのが今じゃないでしょうか。それで初めてやってみた総選挙が、今から3年半前の選挙ですが、私が自民党の幹事長で、自民党のほうが采配を振るいましたけれども、そんな政策論争は起きませんでした。選挙が終わってからも政策論争が起きずに、政党間でですね。
なぜ、この政策論争が生まれないのかと、新聞は毎日、政党を非難していましたけれども、しかし、私に言わせると、そんなものは当たり前なので、小選挙区制度では、あまり政策論争は起きない。アメリカでやっております民主、共和の小選挙区に基づく下院議員選挙を見ても、そんなに政策論争はないし、アメリカの共和党と民主党に、おたくの政策の基本文献集を教えてくださいと言うと、ありませんね。自民党の政策綱領というのは一応あるんですよ、我々の党には。アメリカの民主、共和にはありません。それぞれ何かうちから出る大統領候補の政策はありますけどね、という程度なんですね。
なぜかといいますと、選挙区において、2大政党対立で勝とうと思うと、51%とらなきゃいかんです。そうでしょう。49対51で勝つわけです、最小限。51%の人から支持してもらおうと思うと、70%ぐらいの人に気に入ったような発言をしなきゃならなくなる。そうすると、大したことは言えませんよ。相手陣営も、勝とうと思ったら、70%の人に気に入るような発言をする。そうすると、お医者さんにもいい話をし、患者側にもいい話をする。例えば医療保険制度について話すときね。農家にもいい話をするし、消費者側にもいいような話をする。私の選挙区は、農村地帯で、真ん中に鶴岡、酒田という、これは消費者の集まりの都市があるわけですけれども、農家に行って農家にいい話をし、米の値段は上げるべきだと、町方に来て、消費者に、米の値段を下げるべきだなんて言ったら、これは親戚縁者、盆と正月、交流したときに、あっ、加藤代議士、うちに行ったらこんなことを言った、こっちに来たらこんなことを言ったと矛盾が見つかっちゃったら、一挙に信用をなくして落ちますからね。ですから、そうこう考えると、あまり変わったことは言えない。言うならば、品ぞろえがごくごく当たり前の、中型デパートみたいな政党政策になっちゃうんです。
そんなことはちょっと余分なことでしたが、そんなわけで、政治改革、特に選挙制度の改革が、日本に対し、一つのの答えではなくなってきたということだと思います。
さあ、そこで、ここ一、二年、さらに、おい、日本は一体何をしたらいいんだろうということを考え始めてきているのが、ここ一、二年の問題点ではないか。それは、不景気による閉塞感というのが片一方にはありますけれども、また、改革から来るきしみの苦しさも片一方にはありますけれども、一番重要なのは、日本が将来成り立っていくんだろうか、どんな国になるんだろうか、そこの先が見えないじゃないかというイライラ感というのが今の日本の最大の問題だと思います。
この答えは、私たち政治家ですから、必死になって考えていますけれども、結局、私たちは、人間の能力でフロンティアを開いていく、そういう知的資産を蓄積することによって、この国が世界の中で確固たる地位を占めるようにするしかないんだと思っています。
具体的に言えば、基礎科学研究をしっかりやる。そして、一人一人の人材をしっかりと教育し、そして、それは単なる文部省教育みたいなものじゃなくて、一人一人が自立した価値観を自分で持ちながら能力を高めていき、そして、毎日いろいろ勉強したりやっている活動、それから商売でも、それ自身が非常におもしろいなと、みんな生き生きとして頑張っていけるような社会をつくるということではないかなと思うんです。
そこを考えると、非常に難しいテーマに私たちは、ちょっと理屈っぽいんですが、ぶち当たります。それは、日本の社会が、何かあまり自分の個性を出さないような社会として存在してきたわけです。自己主張、アサーティブネスというものもあまり強く持たないで、和をもって尊しとしてきた社会です。
だから、私はさっき、ゴルバチョフさんが言ったように、日本は、社会民主主義国家に最近なっているんじゃないかと言いましたけれども、実は、この国は、奈良時代から極めて社会主義的な平等な国家だったんじゃないかという気がします。天皇家のお墓を見て、そして、歴代の武将の封建領主の居城を見ると、そんなにどでかいものはありません。それぞれあまり豊かじゃなかった、資本蓄積がなかったということもあるんでしょうけれども、中国の明の十三陵とか、秦の始皇帝の兵馬俑とか、ああいうものに比べると、いかに日本の指導者層が死ぬときに、また生前、一般庶民に比べてぜいたくはなさっていたとしても、まあまあ、そこそこのぜいたくであったことかという気がします。明の中山陵なんていうのは、地下3階か4階建て、大理石、地上3階ぐらいですからね。中に入っております宝物なんていうのは、目を見張るようなものがある。
したがって、我々の国は、お互いに、みんな平等に生活して、稲をつくっていこう。だから、あまりそういう中では個性を出さないようにしている。夏目漱石が、ある登場人物の口をかりて言ったところを見ると、「のっぺらぼうな、あくまでものっぺらぼうな日本人」というふうになってきたんだと思います。
それでは、一人一人個性を出すにはどうしたらいいか。今だって、まあ、若い諸君はそんな言葉は使わないだろうけれども、しかし、運動部なんかに入っていたりすると、先輩に文句を言うときに、「いや、先輩、お言葉を返すわけじゃありませんけどね」と言いながらしゃべるかもしれません。サラリーマン社会では必ずそうです。「お言葉を返すわけじゃありませんが、こうじゃないでしょうか」というのを英語でどうやって訳すのかな。「アイ・アム・ノット・ゴーイング・トゥー・リターン・ユア・ワーズ・トゥー・ユー」なんて言うのかな。まさかこんなことは言わんでしょう。「アイ・アム・ノット・インテンショナリー・レジスティング・トゥー・ユー」なんて言わないだろうし、一体何て言うだろうな、こう思ったりしているんですけれども、「お言葉を返すわけではないけれども、私、こう言わせていただきます」というようなことを言わなきゃ反論できない文明なんぞというのはあるのかな。そういう中で自立した個人をつくっていくというのは、私は非常に難しい話だと思うんですが、それをこれからやっていかないと、不登校児なんかというのが今増えていますけれども、そういう問題も解決できないんじゃないか。小学校で決まりきった時間に、1日6時間、50分ずつ、6時限ですか、数学に興味を持って、ヤーッと子供がやったとたんに、カーンと鐘が鳴って、今度、国語の時間になって、ウーンと興味を持ったとたんにカーンと鐘が鳴って、今度は図画の時間になって、細切れに、せっかくクリエーティブになった子供たちの頭の空間をどんどん細分化していって、興味が発展しないような公立小学校、義務教育をやっていて大丈夫なのかな、ただでさえもかた苦しくなっているのにという感じがします。
私は、1つ、経験を述べさせていただきたいんですが、外務省の外交官として、研修期間に1年間、アメリカのハーバード大学に留学させられて、政治学を勉強したときがあります。約10カ月でした。この間、私は、約6キロやせました。徹底して勉強させられました。ものすごい厳しいものでした。私は、小学校、中学校、高等学校と全て公立で過ごし、大学も国立大学に行き、成績のいい子でした。でも、私は、勉強をおもしろいと思ったことは1回もないんです。つらいことでした、勉強は。ところが、ハーバードに行った10カ月、それほど厳しくやられたんだけれども、おもしろくてしようがなかった。日本の大学を出るときには、私は、大学院に残ったりするというのは、これは変わり者、世捨て人、あんな暗いところで一生生活するなんて考えられない、学者になるというのは、世間に通用しない人間だけなんだよななんて、ちょっといろいろ語弊がありますけれども、そういうぐらいに思うような大学生活。まあ、60年安保のときであったということもあるんですね。ところが、ハーバードで終わったときには、僕、外務省をやめて学者の生活になろうかなと思ったんですね。
なぜかというと、最初、ある論文を書かされます。教師がエズラ・ヴォーゲルという人でした。その下にティーチング・アシスタントというのがいっぱいいまして、大学院生、修士とか、ドクターコースの若い人たちが教えるわけです、一人一人ついて。書くと、バツが来るんです。なぜバツが来るんだと。日本では、これはAをもらえるはずだったと。あるテーマに、「満州事変はなぜ起きたか」みたいなことを書くと、日本にいっぱい書いてあるわけです、そういう文献は。ハーバードの場合、イェンチン・ライブラリーというのがあって、本がいっぱいあるから、そのいい学者の論文をバーッと引き移しまして、のりとはさみでピチピチとうまく合わせて、「はい」と論文を出すと、不合格なんです。あなたの考え、あなたの分析、あなたが作業したというのが1つも見えない。
そこで、「盧溝橋事件というのはなぜ起きたか」というところに狭めまして、当時の日本の新聞、ハーバードの図書館の倉庫へ行くとみんなあるものですから、木戸孝允で引く。すると、当時のいろいろな政治状況を全部自分で調べて、うん、もしかしたらこうかな。自分で推理、探偵するような気持ちで論理構成して、その論理がここに至った資料を全部脚注でつけまして、皆さんもやっているでしょうけれども、それで出しましたら、Aマイナスというのがついたんですね。
それで、今度、当時、文化大革命というのが中国で始まりまして、そして、大変な騒ぎになり始めたんですが、私は、中国共産党を専門にしようと思って外務省に入った人間ですから、「なぜ文化大革命が起きたか」と思い始めていたときに、中国のほうで、共産党のコントロール、統制が緩んだものですから、いろいろな秘密文献が台湾の諜報部に入って、そこからハーバードに来たんです。私は、ハーバードに行く前に、台湾に2年いて、中国語をダーッと読めるようになっていましたから、それをむさぼるように読んで、「文化大革命の前段階、中国農村における社会主義教育運動」という論文を書きました。ダーッと脚注をつけて。ああ、こういうことであの動きはこうなっていったんだなという。そうしたら、かなり高い評価を受けまして、それ以来、エズラ・ヴォーゲル先生と私は、40年来のおつき合いになっていますが、それをやりながら、いやあ、学問ておもしろいものだな、ほんとうに小説をつくるみたいでおもしろい、クリエーティブな仕事だなと思いました。
それもそうなんですね。余計なことを言いますが、我々、「勉強」という言葉がありますね。あれを中国に持っていくとどういう意味になるか。これは、無理強いするという意味なんです。ここで中国語のわかる人がいたら、中国の方もいるかもしれませんが、あれは「ミェンチャン」と読みまして、「無理強いする」。「無理強いさせないで」というときには、「不要勉強」というんです、「プヤオミェンチャン」。ほんとうに勉強することを何ていうかというと「学習」ないし「工夫」。この言葉は、韓国まで流れてきまして、韓国でも「勉強」という言葉はないんです。韓国で「勉強」は何かというと、「工夫」というんです。ですから、我々は、何か学ぶということは、考えないことみたいになってきた文化だったのかもしれないと思ったりします。
余計なところに行きましたが、私は、日本人の一人一人が、自分の頭で考えて、そして、次から次へと自分の発想で物をしゃべる。それから、日本人が文化、メッセージを諸外国に出す。ファッションだって、何もイタリアにお金を払う必要はないので、ミラノファッションにお金を払う必要はないので、札幌からファッションが飛び出て、そして、札幌で芸術活動をしたり、衣料産業、ファッション産業をやる人は、これがすばらしい感覚なんだと自分で思えば、それをニューヨークに広める。そして、三宅一生もいるんだし、いろいろいるわけだから、既にその先駆者は。それぐらいの気持ちでやっていくときに私は来たんじゃないかなというふうに思います。
つまり、日本が、知的に、クリエーティブになって、頭を使って勝負していくときに来た。今までは、諸外国の物質的な豊かさを見習って殖産興業、富国強兵をやってきたけれども、これからは、世界の中で、最も賢く、そして、最もしぶとく商売をし、そして、最も自然を大切にする国日本というようなことを目標にしてやっていくときに来るんじゃないかなと思います。
その具体的なあらわれというのが、何か1つの大きな目標、ビッグサイエンスを頭に描いて科学技術を振興させることではないでしょうか。
アメリカというのは、そういうフロンティアとか、目標設定のうまい国で、1945年に、世界の中で最も強い国、豊かな国であることを証明して、その後、何をやったかというと、マーシャルプランというのでヨーロッパを助けに行って、日本の復興も、占領下なので助けてやって、その次に何をやったかというと、お月様に人間を送ろうという大目標を設定したわけですね。アポロ計画です。そして、送り込んだ過程の中で、いろいろな科学技術が発達した。今度、何をやっているかというと、スーパーハイウェイといって、世界のインフォメーションネットワークを全部構築しようとして、最後にインターネットまで来た。
今、日本でインターネットに入っている人が1億2,500万人のうち1,700万人。私は、これ、1年半ぐらいの間に3,000万人を超えるんじゃないかなと思っています。これは、日本のメディアの世界も変えてしまうし、人間関係も変えてしまうということになっていくんじゃないかと思います。
その後、アメリカはどういう分野に設定を変えていったかというと、20世紀は物理学の世界だけれども、21世紀は生物学の世界だという大統領の演説を設定いたしまして。これはクリントンさんが自分で考えたんじゃないと思いますね。やっぱり彼の周辺にいる科学技術ブレインたちが討論に討論を重ねた上、「20世紀は物理学、21世紀は生物学」という設定をして、そして、今、バイオテクノロジーをやっているわけです。
皆さんご承知のように、私は、ヒトゲノム30億、塩基対の解析そのものが特許になるとは思いません。その後、どういう遺伝子の発展になり、そこからアミノ酸、たんぱくに行くか。そこのプロセスを解明したものが特許になるのだと思いますから、ヒトゲノム30億で日本がおくれをとったからといって悲観することはない。このゲノムの世界では、日本もしっかりやれると思っていますので、必死にやってもらおうと思っています。
今度、私は、非常に残念に思うのは、そういう分野で一生懸命頑張れば、日本は明るくなるということを私たちは訴え続けてきて、そして、今度の予算でかなりそういういい予算がついているんです。ゲノム計画に600億円以上ついている。というのは、私たちの予算をやっている政治家の目から見ると、「おお、よく小渕内閣つけたね、ここまで」というふうになっているんですけれども、実際やっているところは。ところが、とりあえず景気対策というようなことを小渕さんも言うし、亀井さんも、ばらまき予算がなぜ悪いんだみたいなことを言うものだから、何か公共事業のばらまきしかやっていないようなイメージになっちゃって、それで、かなり前向きのことを、日本の政府が将来に向けて始めたということのいいイメージが伝わっていかない。非常に残念なことだと思います。
私は、この間まで、政調会長及び幹事長を続けて4期ほどやったんですが、4年ほど前に、日本の科学技術の状況を見たいと。つまり、結局、この日本経済にブレークスルーを起こせるのはどの分野かなと思ったものですから、いろいろな研究所、大学を見に行きました。残念ながら、北大には来ませんでしたが、理研も行きました。筑波も行きました。その中で、東大に行ったときに、当時の吉川学長、総長が、「加藤さん、基礎科学研究に従事するには、二十四、五歳から三十五までが勝負です。このときに、いろいろな発見をするんです。ところが、今、そういう若手にポジションがない。助手とか、助教授の席が少な過ぎる。したがって、彼らは、研究を続けようと思うと、自分で学費を出して、そろそろ結婚する年でもあるので、家族を養うために、予備校で講師をしながら研究を続けている。とてもこれじゃたまらないというのでアメリカに行っちゃいます。これじゃ、この国、どうなるんです」「はあ。じゃ、どうしたらいいんです、先生」と言ったら、「『ポストドクター新計画』というのを立ててください。そして、若手に1年300万円、全国で5,000人。3年間続けて出してください。それをやってくれれば、日本の基礎科学研究、一変いたします」とおっしゃったから、「わかりました」と。その瞬間、頭の中で計算したんですが、3×5=15、けたをずっと考えて、150億円かかる。
その当時、私は、公共事業費9兆5,000億を、あと5,000億円、余計に増やそうか、増やすまいかなどというけたで考えていたところですから、150億円か、何だと思いまして、それで、「先生、三十二、三歳で結婚して、子供がいて、300万というのじゃ厳しいんじゃないですか。500万にしましょう。5,000人というのは語呂が悪いです。我々も政治家としてやるんなら、演説を打ちたいから、1万人にさせていただきます。500万、1万人を実現しよう、5年間で」と約束しまして、4年間で実現いたしました、去年。
ですから、今、そういうポストドクターに限って考えていたんですが、その後の有馬東大総長から、「加藤さん、それは『ポストドクターなど』という言葉にして、できれば博士課程の人間も含めてください。事によったら、修士の優秀なやつも対象にしてください」と言われたものですから、「ポストドクターなど」という言葉にして、実際上、「若手研究者支援計画」という言葉にしたんですが。文部省の学術審議会、それから科学技術庁の理研、それから通産省の、それぞれの研究機関が、優秀な人を争って認定する。認定機関も競争させるという形で、今、今年で1万300人ぐらいやっています。筑波の基礎研究所みたいなところへ行くと、ああ、うちでも30人働いています。京阪奈研究所に行くと、うちでもおかげで20人、ポストドクターで働いて研究しています、こう言っていました。
ですから、そういう人材に働いてもらえるようには、できますし、やります。1万人でいいのかと、先、もうちょっと1万5,000人にするのか、2万人にするのか、今、みんなで迷っているんですが、まあ、それは増やそうと思えば増やせる金額だし、増やしていい政策だと思います。
それから、もう一つ、私の知り合いのがんセンターの杉村総長が、当時、科研費というものが850億しかありません。それで、全国の学者が研究費を、50万とか、30万とか、100万とかやっているんです。これを1,000億にするのが我々科学者の夢ですとおっしゃったものですから、これまた世界的ながんの権威にそんな言葉を言わせるのは恥ずかしいなと思いまして、「わかりました。じゃ、それは増やしましょう。努力します」と言って、今、1,300億ぐらいになっています。
それと同時に、なぜこういった学術研究費や文化にお金が行かないかというと、これは、国の予算制度を勉強している生徒さんはわかると思うんですが、道路や橋に使うお金というのは、後々、道路、橋、50年、100年、財産として残って、後世の人が使うでしょう。だから、借金してもいい、いい借金。建設公債という借金はできることになっていて、これには幾ら借金してもいいやみたいな雰囲気があるんです。科学技術研究のために使うお金というのは、研究者の生活に使われて、後に何も残らないわけでしょう。だから、これは、借金しちゃいけない。今あるキャッシュでやるべきもので、それで借金すると、しちゃいけない、赤字公債だ、こういう消えてなくなることのための借金はしちゃいけないという仕組みになっています。片一方は5,000億余計に出そうか、こっちで10億、20億出せないということになる。
これ、おかしいなと思って、ここの理屈の突破口を何か考えられないかということを役所の人にも言いましたし、いろんな人にも言って。そこを一言、理屈で突破できたら、1行の理屈で何千億にもなるからなと聞いて回ったんですが、役人からは知恵が出てこなくて、ある科学者が、「加藤さん、知的、科学的な発展というのは、道路の100年どころじゃない、300年、1,000年、後に残る話でしょう」と言うから、「そうですね」「知的資産の形成に資する者という言葉を使いなさい。どうでしょうか」と言われて、「いただき」と言って、知的資産を増やす者については、いい借金の対象にしようというので、今、基礎研究について、建設公債を使ってお金を出せるようにいたしました。これは、私が政調会長、幹事長時代にやった前向きの、私は心の中で誇りに思っている仕事の1つですが。
ですから、研究テーマ公募型予算というのがあるので、これで700億円ぐらい、今なっていますが、とにかく1件1億円ぐらい出しますから研究してください。ただ、テーマを出してきてください。それで、どこの大学、どこの若手、関係なく、いいものだったらポンと出します。科研費の世界というのは、10万とか、20万とか、たかだか700万の世界だったんですが、そういうことをやるようにいたしました。
それで、お金が現に行くようになったら、ある研究科学者が言いました。「700万の研究費だったら、悪いけど、700万の研究が夢でした。1億だと、あそこも研究したい、ここもブレークスルーをつくりたい。夜中、寝ながら天井がぐるぐる回るぐらい、私の頭の中が今、動きだしました」。ああ、もったいないことをしていたな、今までと。そんな能力があったのをどうして閉じ込めてきたのか。やっぱりいい種があるのに、まく畑が固まっていたら、こんなことになっちゃうんだな。選挙区の田舎のあのおじいさんの言ったことはほんとうだなと思いつつ、今、いろいろそっちのほうは必死の勢いで働いてもらっています。予算もつけます。
ただ、今、最大の問題は、それぞれの予算が有効に使われているかという研究成果の評価というのが一番の問題で、時間が長くなったのでやめますが、アメリカの場合には、ピアレビューと言いまして、ある種の研究に1億使わせてやっているんだけれども、いい研究なのかどうか、ノーベル賞級の人も審査に入るし、現役の教授も入るし、また、修士、博士課程過程の若手も入って、七、八人で、ある程度の審査をする。だれが審査しているかはわからない仕組みで審査させるということでやっているのが、アメリカのピアレビュー、仲間内の判断、仲間内評価というやつですが、そういうのをこれから導入することによって、あまりむだもいけません。研究成果、この分野はだめだったとわかるだけでも、これ、1つの研究成果なんですけれども、ほんとうにまじめにやっているか、それに値するかということは、ピアレビューを受けてもらわないといかんなあという感じがします。
そういうことをしながら、やはり日本から、そういう科学的な蓄積がどんどん外に出ていくという社会にしたい。
私は、国際政治というのは、ごく最近までは、軍事力で決まったと思うんです。特に核能力です。日本にはありませんでした。アメリカのようにできませんでした。それからしばらくして、冷戦後は、今、経済力、金融、お金、対外経済援助、直接投資、こういうものが幅をきかし、日本も、アジアにおいてかなり評価されている時代になっています。
しかし、私は、これもあと10年か15年過ぎると、それぞれの国に資本蓄積が行われると、日本にお金をもらいたい、借りたいといって目を向ける国々は少なくなるだろうと思います。
そのときに、何が重要かといったら、2つあって、日本というのは、ああいう行き方をしているなあという国の歩みとしてのモデル効果が日本にあるかどうかだと思います。
今、マハティールというマレーシアの首相は、「ルック・イースト、日本を見習う」と言ってくれていますけれども、それは、アジアの国にありながら、欧米の豊かさ、ないしは民主主義というものを見事に取り入れて、日本的にこなしながらやっていくすばらしさを見習いたいということであって、その根っこは、やっぱり欧米を日本を通じて学んでいるということだと思うんですね。
それが終わった後、私は、マハティールが、「ルック・イースト・アゲイン、日本をもう一回見よう」と言ってくれるには、日本自身の歩みというもの、日本が持っているバリューというものを評価してもらえるようにしなければいけないし、それは何かといったら、私は、自然とともに共生しながら、優秀な日本人が、自然との関係で最もきれい好きに過ごしているという、そういう価値観というものを日本が持って進んでいるということではないかなという気がします。
日本人のアイデンティティーというのは、古いと思われるかもしれませんが、結局は、山川草木すべてに命が宿る、そして自然を大切にしていくことが我々の生きざまだというところにあるのじゃないかなというふうに思います。明治以降の神社というものが国家神道になって誤解を与えていますけれども、実は、伊勢神宮、出雲というものは、自然との仲介者としての意味を持ち、そして、文化の基礎になったんじゃないかという気がします。いずれにしても、私は、自然と共生していくということが日本のアイデンティティーになっていく。それをひとつしっかりと固めることと、それから、2番目に、アジアの国から見てもらえるのは、日本からは、技術移転があるということ。その技術移転を渋らないようにするには、技術や基礎科学研究のところで強烈な蓄積を持っていなければいけないんだと思います。あまりないと出し渋りますから、そうすると、尊敬を受けません。
さあ、そこで、最後に北海道になりますけど、北海道は今、公共事業で何とか頑張ってくれていますけれども、私は、北海道の人もいつまでも公共事業が続くとは思っていないと思うんです。そこそこ、続きますけれども、いつまでも永遠に続くとは思っていないと思うんです。そうすると、その後、何か。新しい産業をつくっていかなきゃいけない。そのつくる中核になるのはどこかといったら、北海道大学です。北海道が元気になるかどうかというのは、私は、北大の意欲で決まると思います。
だから、北大がいい研究テーマをいろいろ持ち出して、探し出して、いい学者、学生を引っ張ってきて、そして、研究させるならば、研究のための1件1億は持ってこれるようにしてあげます、私が。
それから、そのために、二十七、八歳の学生、研究室でいっぱい働かせたいと思ったら、ポストドクター制度で300万から500万、来るようにしてあげます。ある研究のために、7人、それが欲しいと言ったら、ほんとうにいい研究だったら認めるでしょう。その仕組みはつくってあります。
そこで、次に、産学共同です。北海道の産業界と一緒になって研究し、研究成果を産業のほうに出してあげていただきたい。今、あまり簡単に出しますと、北海道大学というのは公立大学ですから、民間企業にそういう技術を渡したというので、特捜部から逮捕される世界になりますから、これじゃおかしいというので、今、そこを一生懸命直しています。
アメリカの情報産業がなぜ発展したかというと、シリコンバレーですけれども、あれはスタンフォード大学の研究成果をシリコンバレーの人たちに渡したからで、スタンフォードは私立大学ですから、それができた。アメリカのボストンのMITと、それからハーバードは私立大学ですから、あの辺にある製薬会社、種会社、いろいろなところに研究成果を渡して、教授がそこの重役になって、一緒になってやっている。そういうこともできるように、今、日本は改正中です。
ですから、ほんとうにここでおもしろい研究をやってみてください。特に、バイオテクノロジーと農業なんてやったら、それとホクレンと一緒になってやったら、どこかの単協と一緒になってやったら、いろいろなおもしろいことができるんじゃないでしょうか。
私は、そういうことをぜひ、意欲を持って、この北海道大学がやれば、そして、また、やる気がいっぱいあるじゃないですか。北海道大学の一番の伝統というのは、できたときに、全員に英語で授業を受けていたということですよ。新渡戸稲造さんも、内村鑑三さんもそうでしたかね。クラークさんが「ボーイズ・ビー・アンビシャス」となぜ英語で言ったんだろうと思ったら、英語でしか通じなかったのが北海道大学の初期だそうですね。お抱え外国教師を引っ張ってきて、英語で講義するから、学生が英語でなきゃ学べなかったから、必死になって英語でついていった。その学生のうちの内村鑑三さんが、新渡戸さんがその後、東京大学に行って先生をしたり、総長になったりしたときも、全部英語で論文を書いて、外国に発表したりした。
だから、北海道大学の生徒たちは、全員、英語大丈夫です、やったっていいじゃないですか。そのぐらいの夢を持ってもいいと思うんですね。
英語というのは、僕らのころに比べて、カセットもあるし、CD_ROMもあるし、それから、CNNもテレビで見れるし、やる気があったら、大変な、楽なのかもしれない。
そのときに、英語の力がないと、インターネットの情報がとれなくなるんです。翻訳が出るというけれども、結局は、自分で情報を出すとき、話し合うときに、英語は必要です。いま、外国に留学したり、就職して外国で働くというときに、ベラベラとアメリカ人と英語でしゃべって、ネゴをやっている日本の企業マンは少ないです。日本の政治家はもっと少ない。それで、どんどん損しています。だから、ここをやればいいじゃないですか、ほんとうに。
そのとき、一言言いたいのは、英語がうまくなるためには、日本語がうまくならなきゃだめですよ。英語がうまくなるためには、日本語で自分の考えをしゃべっていないとだめですよ。日本人仲間でも、無口で、話すことが何にもないという人間が、英語を習ったとたん、ベラベラしゃべるなんていうことはありませんからね。だから、日本人の英語の下手さは何かというと、自分の意見を言わないメンタリティー、文化、伝統というのが英語を下手にしているんです。
ところが、内村さんたちは、学びたいし、自分の意見を言いたい。明治の初期の人たちは、みんなその意欲があったから、英語がうまくなっていったと思うんですね。
だから、この国を元気にしたり、北海道を元気にしたりするということは、意欲を持てば、お金をかけないでやることは山ほどあるんです。もちろん、カセットテープを買うのにお金はかかりますよ。CNNをネットで見られるようにするにはお金がかかるかもしれんけれども。
それは、加藤紘一の大学生時代、今から40年前に比べたら、何と皆さん、恵まれていることか。
アメリカに行ったら、すぐうまくなることはないです。僕、1年行ってわかっているので。やっぱり日々、英語で物を考えるというのが必要で、これは、日本にいたって、簡単に言えば、ちょっと毎日5行ずつ、英語で日記をつけるというだけで、みんなの会話能力は抜群に強くなりますよ、カセットを毎日聞くより。5行でいいから、「今日、佐藤君と薄野でラーメン食いに行った」みたいなことを5行ずつ書く。そうこうしているうちに、毎日同じ、そんなことを書いていたら、自分でつまらなくなるから、別のことを書こうとするというようなことになってきます。
だから、結局、この国は、知的なところで勝負するんです。資源がない国だから、勝負してきたし、今後もそれで勝負するんです。
よく考えてみると、過去10年、アメリカが経済的によみがえったのも、よく見ると、金融技術力と情報技術力、両方とも、あの国も、知的な部分で勝負しているわけです。だから、その勝負に、これから、おくればせながら追いかけていこうとしたい、どうしても。日本も十分に勝負ができる国だ。だから、まだ午前10時半だと思っています。そのシステムがえを、一人一人が伸び伸びできるようなシステムがえをしていくのが我々政治家の仕事で、そう簡単にやれないし、抵抗も強いし、文部省からいろいろな文句も来るだろうし、僕は最後は、義務教育がなぜ公立でなきゃならんかというところにまで踏み込んでいくつもりですけれども、何も公立でなくたっていいと思うんです。私立、小中一貫教育みたいなことをやってもらってもいいと思うんです。東京なんか、もうそれをやらざるを得なくなってくると思いますね。
だから、僕らはそこまでいろいろ変えていきますから。ただ、伸び伸びとやれるときになって、みんなが毎日昼寝されていては困るので、北海道のために、そして、自分の生きがいのある人生のために、ぜひ、おれは何やりたいというものを一人一人が持てるような大学生活をやりながら、それをやってくれることが、実は、北海道が元気になること、そして、北海道経済がよくなることの不可欠な土台づくりになることを重ねて訴え申し上げまして、とりあえずのごあいさつにいたします。
どうもありがとうございました。(拍手)
(以下、北大生との質疑応答)
【司会(法学部山口二郎教授)】
加藤紘一さん、どうもありがとうございました。長時間いただきまして、大変、我々にとっても元気づけられるようなお話でございました。
日頃、私は政治の批判ばかりしていると思うんですが、政界なんかでも実はこういう 見識のある人がいるんだということで、学生諸君にも、大変な発見だったと思いますが、若干時間があるので、質問を、二、三人ぐらいとりたいと思いますが。
【学生A】 若手の能力を伸ばす、責任を与えるという発言にちょっと関することなんですけれども、これは、政治の分野についても、僕は同じことだと思うんです。昨日、テレビで見たんですけれども、政治家の定年制というのを、同じく、自民党の首脳の方が、名前は出ていなかったんですけれども、ありまして、僕もそれは必要なんだと思うんです。確かに、高齢で能力の高い方もおられると思いますが、やはり国家公務員に定年があるように、国会議員にも定年があって、能力はあるけれども、そこは若手を育てるために退いてもらって、一時は能力が落ちるかもしれないけど、その若手に責任を与えて、そこで次世代の、さっきちょうど21世紀ということをいろいろキーワードにしておられましたけれども、21世紀を担う議員さんを育てていくというのも必要だと思うんですけれども、そこら辺はどのように考えているかをお聞かせ願いたいと思います。
【加藤】 参議院の場合、自由民主党の場合は、70を超えてから比例区の候補者には新たにならないようにしてあるんです。それから、今度、衆議院についても、比例区について、一定の年齢制限をしようというので、今、党で討論中です。その方向で進んでいると思います。
あと、小選挙区については、それぞれの選挙区で、あの人は年寄りだからやめてもらおうとか、年寄りでも見識があるからまだ続けてもらおうというのは、それぞれの選挙区の有権者が判断すればいいんじゃないかなということになっています。その方向でみんな考えています。
それから、もう一つ、政策決定の過程で、ここ一、二年はちょっと大変な変化が起きていまして、よく政策新人類と言いますけれども、去年の金融国会第1弾なんていうのは、ほんとうに当選二、三回の政策をわかる非常に若手たちがダーッと与野党等も動いて、世界に金融恐慌が出ないような方策を話し合って決めたということをお聞きだと思いますけれども、そういう動きがこれからいろいろなところで起きてくると思います。
【学生B】 僕も、政治家という職業にすごいあこがれていて、将来は政治家になれたらいいなと思うんですけれども、でも、政治家というのはすごい大変な仕事で、自分にそういう能力があるかどうかというのは不安なんですけれども、政治家になるには、どういう能力があればなれるか。また、もしなければ、どういうふうにすればその能力を伸ばすことができるのか、ぜひ、加藤代議士からご指導をたまわればと思います。お願いします。
【加藤】 政治家になる能力は、よく先見性、行動力、満ちあふれた情熱とか、いろいろあるんだけれども、まあ、僕は、非常にベーシックなところは、人様の、人間の人生に対する満々たる好奇心みたいなものじゃないかなあ。ああ、年金をもらって、こんな生活に、年寄りが喜んでいる、喜んでいないとか、それから、戦い、この間の戦争で夫を亡くしたおばあちゃんが、今75でこんな人生を送っているとか、やっぱり戦争はよくないとか、それから、おお、この子が元気で伸び伸びと明るく育っているのは何だろう、何か目標を見つけたみたいだなとか、そういう人の人生に対する文学者みたいな好奇心、やじ馬根性が必要だと思います。それプラス町内会長、町内で幹事役をやってもいい、クラブで会計責任者をやったり、マネジャーをやったりしてもいいと思うような世話やき、人の世話をするのがおもしろいと思う個性が必要だと思います。簡単に言うと、銭より人間社会が好きだというところが一番重要でしょうね。
それがない人間が、おれは、どうにかすると、何となくリーダーシップがありそうで、おれにみんなついてきそうだと思って政治家になるのも1つだが、そういう人間が全国から集まってくるから、必ずけんかになって、途中で挫折したりするんです。
やっぱり一番重要なのは、人の生活に対する興味、世話やき精神、それがベーシックだという気がしますよね。それはありますか。
【学生B】 ちょっと難しいです。
【学生C】 今、日本は危機に陥っていると思いますし、そういう危機に陥っている中でこそ、ほんとうに体質とか、構造を変える、僕はいいチャンスだと考えています。
でも、そういうところで、政治の世界を見てみますと、政党同士が寄り合って、凝り固まっているようにしか僕には見えないんですね。
それで、そういう中で、活発に、バラエティーに富んだ議論ができるとは僕には思えません。
そこで、加藤先生のご私見を伺いたいと思います。
【加藤】 私は、できるだけ議論は、あなたの言うように、政党間でどんどん行われたりしていくような政治のほうがおもしろいと思うし、議論されたことがオープンに表に出ていくようにしたほうがいいと思います。
戦後の自民党の政治というのは、さっき言ったように、目標がはっきりしていて、そして、官僚社会が実行計画を立てる、そしてそれを法律化する、それをできるだけ早く政府案のほうに国会を通すということが、政治のメリット、力だというふうに思っている時期が大分ありました。
まだ、そういう考え方が残っていますけれども、役所から出てくる案は案として、政治の側では、政党の間で、もっと伸び伸びと議論できるような形をつくれるように、これから努力していきます。
どういった形が、一番話が進みやすいかということで、今みんな、効率のいい国会の運営と、それから、どういった形が一番国民の前に議論が見えていいかというようなことの、今、試行錯誤の段階じゃないかなと、こう思います。
【学生D】 まず、思ったのが、若い私からすると、ずれがあると思う瞬間がありました。それは、一番初めに感じていたというのは、小選挙区では70%程度、いいように物を言わなきゃならないから痛みを伴うことはなかなか言えないということですが、訴える姿勢、そういうことを訴える層を変えたらいいと思う。
あともう一つは、日本には個性に疎い人がいるから難しいと言われましたが、今 の学生は個性を出さざるを得ない状況にいます。それに対しての、若い人に、いや応なく、個性を出さなければならない時代に訴える選挙をしてみたら、決して選挙で勝てないということはないと私は思うんです。
あとは、非常に細かい質問なんですけれども、これからの日本は、ビッグサイエンスを含めて行くんだというふうにおっしゃいますけれども、やっぱりビッグサイエンスには非常にお金が掛かるわけであって、国際協力をしていないと一国で資金を出せないという状態ですね。そういうあたりに一国でやることの弊害があると思うんですけれども。
私がこれから必要だと思うのは、優秀な人材を流出しないために、日本としての魅力、それが必要なんじゃないかなと思います。そのためにも、日本にいることが楽しいことである、日本にいたいと思わせる、そういった政策というのが実は必要なんじゃないかなと思います。そういった意味では、文系研究なんていうのは、その中に入ってくるのではないかというふうに思います。
とりあえず、国の歩みの土台として、日本としての魅力というのを、どのようにお考えですか。
【加藤】 非常にいいご意見だと思いますね。
私が言ったのは、過去、政治家というのは、おそらくビジョンを語るということをしないで何十年過ぎてきたから、急にそれの能力を出せと言われても無理のないところだと言ったんですが、それがまだ実態でありまして、しかし、だからこそ、今、緊急に我々が言わなきゃいけない、難しいけどね。こういう過去があったから、難しいけれども、今、語らなきゃいかんのじゃないかということを言ったつもりです。
それから、日本人が個性を出すということも、僕は、そう簡単ではないということを知った上で、なおかつ個性を出していく努力をしないと、個性を出したつもりでも、案外、結構、みんな似たようなことを言っている可能性があると思いますので、自分、日本人というのは、ほんとうに個性を出すのが下手なんですよという厳しい認識を持った上で、意見を、個性を出すような努力をしたほうがいいし、また、そういう厳しい認識を持ってからじゃないといかんのじゃないかな。
いずれにせよ、就職活動、個性を出して頑張ってください。
それから、日本の魅力ということですが、日本に行ったら、いろいろな生活が、みんな伸び伸びと楽しくやっているし。日本人が生活しているのを見るのだけでも楽しいから日本に行こうとか、それから、日本の北海道大学へ行くと、伸び伸びと研究できるし、英語もダーッと通じるし、だから、研究室も、教授も伸び伸びとやらせてくれるから行きたいというような雰囲気をぜひつくってもらいたいなと思いますね。
今、加藤さん、文系じゃなくて理科系のことばかり言ったけれども、そういった雰囲気づくりできるのは、文系の我々じゃないかというような趣旨ですよね。それもそうだと思います。やはり文系の研究で、それもクリエーティブに、地域研究にしても、それから、法律の研究にしてもやってほしいし、例えばモンゴルの国が、自分の国の法体系を作るときには、北海道大学、法学部に習いに行こうや、全部そこから聞こうやといって、やって来るぐらいの迫力を持ったら、またこれはおもしろいんじゃないか。ラオスの法体系はうちで決めてあげます、教えてあげますなどというぐらいの夢を持ってもいいんじゃないかなというふうに思います。
僕は、40年前、ハーバードでやった勉強は、日中関係史という文系の研究ですよね。でも、今でも、僕は、学者の世界に戻っていきたいなと思うぐらい、魅力をまだ感じていますから、だから、それぞれが自由に、クリエーティブにやらせてくれるということ自身が魅力になるんじゃないかなと思っています。
頑張ってください。
【司会】 じゃ、時間も大分過ぎているので、最後、もう一人だけ。
【学生E】 今日、「21世紀の日本の針路」ということで、先に向かった日本のあり方、また、私たち個人の役割とか、先に向かったお話をしてもらいましたけれども、21世紀、いわばいい敷居を1つ越えるわけですけれども、ただ、敷居を越えるまでにも、抱えている問題を引きずって先に進まないといけない。
大きな問題があと、残されているんですけれども、私の興味というか、研究したいなという分野が、司法、裁判のことでありまして、こればかりはなかなか変わっていないな、全然変化が乏しいような気がします。
そこでお聞きしたいんですけれども、これからの司法のあり方、裁判所がどうして、私たち個人責任は大きくなると思うんですけれども、どうやっていけば救済ができるのか、裁判所のあり方自体をお聞きしたいなと思います。
【加藤】 私は、司法改革の問題については、あまり深くタッチしておりませんので、あまり責任持ったことは言えませんけれども、司法改革というのは、しっかりと考えておかなければならない分野じゃないかなと思います。
戦後、ずっと日本の中には権威というものがあって、そして、揺るがない力を持っていたものが、だんだん一つ一つ崩されてきています。
1つは、政治権力としての自由民主党、これが15代続いて、細川政権のときに崩れました。そして今、政治の権威は落ちて、そして今、それを再び復活させるための、我々今、必死の努力の過程中なんです。
政治に続いてつぶされていった権威というのが、実は中央官僚システムであって、やはり大蔵省が言えばとか、通産省が言えばということで、みんなすぐ納得していたところがあったんですけれども、最近、いや、大蔵省の言っていることもおかしいなというふうになってくるわけで、嵐を受けて、今彼らも権威、また、実力の再建に向けて努力中だと思うんですね。
残されている権威で、私は、司法、警察、それからマーケットメカニズム、これは、みんなあまり疑いを持たずに守られて、特にマーケットメカニズムは、いろいろ、特には何となく得するなと思いつつ、でも、みんなが判断して、買う、買わないというのが一番公平な判断だよねということで、この権威は、私もまだ全く揺るいでいないと思います。若干、ヘッジファンドなんかのグローバルファイナンシャルマーケットメカニズムというのがクエスチョンマークがついていますけれども、少なくとも、国内の点については、僕はまあまあと思うんですが、司法、警察は、ちょっと揺らぎ始めてきたと思うんですね。お巡りさんが泥棒することないと思ったら、お巡りさんがしたというようなことで、検察と裁判というのは、まだまだ権威がありますけれども、やはりこれからの社会を非常に小さな政府でのマーケットメカニズムで、個人個人の活動を自由にやってもらうというと、争いごとが起きたり、その仲裁を判断する仕組み、つまり司法というものが、もっと機動的に動いてくれなきゃ困るというときが来ると思いますし、今もう来ていると思います。
まあ、その辺で、いわゆるロースクールをどうするとか、そういった動きがこれから出てくるんじゃないかなと思いますが、社会の実態に司法も合わせた変革をやっていかなければならんという大きな流れだけは確かに出てくるんじゃないかと思いますが、司法改革の詳細については、ちょっとはっきり権威を持ってしゃべれるだけのものをまだ学んでおりません。
【司会】 それでは、予定した時間を大分過ぎましたが、これで、加藤先生の講演会は終わりにしたいと思います。皆さん、お礼を込めて、もう一度拍手でお送りしたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
── 了 ──