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今度の阪神大震災に関して強く感じたことは、強烈な数のボランティアが動いているということです。これは何なのか。
つまり、震災直後、西宮北口駅から被災地まで何キロにも重なって救援物資を運ぶために5,000人もの人がただ黙々と徒歩で運んで歩いたということと、また医療隊が東北から来たりしたということ、ほとんど何の関係もなく来ているのです。これに対してどう評価して、そしてどういう現象なのかということを考えなければいけないときに来ているなと思います。
実は、半年ほど前、宮沢喜一さんが、加藤さん、最近ちょっとなんかわからないことがありますとおっしゃいました。それは、自分の知っている大企業の重役の奥さんで、経済的には何の不満もない方が、週1回、病院でボランティアの仕事をして、生き生きとされているんですと。
お茶もやりました。お花もやりました。カルチャー教室もやりました。しかし、何かが欠けていますと言って、ボランティアの仕事をして、それはほんの形だけのペイだけで、ほとんど持ち出しなんだそうですが、それでじっとやっておられる現象というのはなんなんだろう。
それは、一つの課題ですね、とこう言われたのです。党としてもずっとその辺のことを調べたり、勉強したりしていたところに今度の阪神大震災でこの問題が出てきたわけです。これはやはりアメリカの社会と似たようなもので、一つは政治とか行政とか、特に代議制の政治というものに任せないで、ある意味で自分たちで自分の問題を処理してみたいという形のものが大分出てきたのではないかとも思われます。
翻ってみると、案外、我が日本の国の、もともとあった村社会、町社会の中における相互助け合いみたいなものがもう一回戻ってきている現象のようにも思えます。ある意味では政治とか行政に対する不信の表明ですけれども、しかしある意味では価値観の多元化がされた社会では、お互いに敵対しないで一緒にやっていくというふうに考えていかなければ、ほんとうのこれからの福祉社会というのをつくっていけないのではないかというような、大変重要な局面に今、来ているように思います。またある意味では大変おもしろい、みんなが生き生きとする道をひとつ探し出し得るような社会に来ているような気がいたします。
(95年1月)
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