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「いま政治は何をすべきか」



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同志雲霓
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円高・空洞化、成長のない成熟経済、高齢化社会の到来−−そうした言葉には少しも夢を感じません。

今、本当に必要なのは、「日本にはフロンティアがあるか」という問題設定なんです。このテーマで議論を盛り上げていけば、必ずや「フロンティアはある」という結論になるでしょうし、その過程でさまざまな企画やアイディアが浮かんでくるはずです。

アメリカのゴア副大統領は、半導体を駆使した「情報ハイウエー構想」でフロンティアを広げようとしています。これは非常に大切なことです。われわれもなんらかのフロンティアを探さなければならない。アジア全体の公共事業でもいいでしょう。私がよくしゃべっていることですが、アジア太平洋地域にクリーンなエネルギーを供給するための、太陽エネルギーの有効活用をはじめとする新エネルギー開発でもいいでしょう。テクノロジーを発展させ、環境を維持しなおかつ病の不安を取り除こうというのもいいと思います。

19世紀に繁栄したイギリスは蒸気機関をはじめとする内燃機関を歴史に残しました。20世紀初頭のドイツは航空機の端緒を開き、それがロケットにまで発展した。第二次大戦後のアメリカはコンピュータと半導体を歴史に残しています。

20世紀の最後に、アジアの一画に日本という国があり、20年ぐらい消費生活の豊かさを満喫したが、何も残さずに歴史から消えていったでは余りに寂しいではありませんか。

何かをやろうという目標さえ提示できれば、日本には資本と技術の蓄積があり、優秀な人材が豊富にいるのですからできないことはありません

(94年6月) top of page

  「フローからストックへ」というのが基本の考え方です。人間の豊かさには第一段階として所得・消費(フロー)、第二段階が資産(ストック)、そして三番目に文化とか精神の豊かさ(クオリティ・オブ・ライフ)があると思います。戦後の経済成長でフローの豊かさは達成したが、ストックはまだまだ不十分です。

第三段階に進んためにも、ストックの豊かさをまずは実現したい。その上で、高度の物質文明と精神文化を融合した、アジアの国々から目標とされるような「ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフ」を模索したい。

そして、そのキーワードは「自然」ではないかと思います。自然を征服するのではなく、共存する姿勢。石にも木にも命があると考える日本の文化や伝統。それを取り込んだ日本人の生き方、生活様式が確立できれば、21世紀のアジアのフロンティアになりうる。

この、いわば「第三ステージ宣言」のようなものを何らかの表現で打ち出したいと考えています。

(「わが政権構想を明かす」『現代』99年5月号)top of page

 

今度の阪神大震災に関して強く感じたことは、強烈な数のボランティアが動いているということです。これは何なのか。

つまり、震災直後、西宮北口駅から被災地まで何キロにも重なって救援物資を運ぶために5,000人もの人がただ黙々と徒歩で運んで歩いたということと、また医療隊が東北から来たりしたということ、ほとんど何の関係もなく来ているのです。これに対してどう評価して、そしてどういう現象なのかということを考えなければいけないときに来ているなと思います。

実は、半年ほど前、宮沢喜一さんが、加藤さん、最近ちょっとなんかわからないことがありますとおっしゃいました。それは、自分の知っている大企業の重役の奥さんで、経済的には何の不満もない方が、週1回、病院でボランティアの仕事をして、生き生きとされているんですと。

お茶もやりました。お花もやりました。カルチャー教室もやりました。しかし、何かが欠けていますと言って、ボランティアの仕事をして、それはほんの形だけのペイだけで、ほとんど持ち出しなんだそうですが、それでじっとやっておられる現象というのはなんなんだろう。

それは、一つの課題ですね、とこう言われたのです。党としてもずっとその辺のことを調べたり、勉強したりしていたところに今度の阪神大震災でこの問題が出てきたわけです。これはやはりアメリカの社会と似たようなもので、一つは政治とか行政とか、特に代議制の政治というものに任せないで、ある意味で自分たちで自分の問題を処理してみたいという形のものが大分出てきたのではないかとも思われます。

翻ってみると、案外、我が日本の国の、もともとあった村社会、町社会の中における相互助け合いみたいなものがもう一回戻ってきている現象のようにも思えます。ある意味では政治とか行政に対する不信の表明ですけれども、しかしある意味では価値観の多元化がされた社会では、お互いに敵対しないで一緒にやっていくというふうに考えていかなければ、ほんとうのこれからの福祉社会というのをつくっていけないのではないかというような、大変重要な局面に今、来ているように思います。またある意味では大変おもしろい、みんなが生き生きとする道をひとつ探し出し得るような社会に来ているような気がいたします。

(95年1月)top of page

 

現代の若者をどうとらえ、何を期待するかというテーマです。

大胆に一言で申しまして、自分の発想で物を考える努力をして欲しいと思います。言え換えれば、インディペンデント・マインドを持って欲しいということです。

それからもう一つ。何でもいいから一つのことに興味を持って徹底的に打ち込んで欲しい。オタクと言われてもいい、何か一つのことに徹底していただきたい。

アメリカのハーバード大学に一年いたことがありますが、日本にいたときはあまり勉強しようという気もなかったのですが、その時は、本当に勉強が面白かったですね。なぜかというと、ペーパーを書くときに、いろいろな本を書き写したり、偉い人の論文にこう書いてあったからというペーパーを出しますと、それだけで没になってしまうのです。Bマイナスです。

例えば盧溝事件はなぜ起こったかということを、当時の新聞を読んで、当時の政治家の日記を読んで、こんな事実があり、この人はこう書いているから、こういうことではないかと推測して書いていきます。そうすると、これもAマイナスです。「どの偉い学者がどの本に何て書いてあろうが、君には関係ないだろう。自分で考えなさい」ということなのです。それで、だんだん勉強がおもしろくなりました。

その経験が、代議士になってからも、いろいろな政策論争をするときに非常に生きてきました。やはり自分の経験をもとに、自分の頭で真剣に考え、行動しなければ、他者を動かすメッセージにはなり得ません。言葉に血と肉が通いません。皆さんには、是非そうしたメッセージを発信できる人間、借り物でない、自分の血肉化した信念をもつ人間になっていただきたいと思います。

(早大政経学部、谷藤悦史助教授、社会学部・今村浩助教授に招かれて「特別講義」 93年6月) top of page

 

次に、リーダーシップの権威叩きが始まると思いますが、その標的は何だと思いますか。マスメディアだと思うんですよ。新聞でこう書いてあって、社説にこう書いてある。まあ、社説というのはときたまにしか読みませんが、経済記事がダーッと書いてあって、これは雑報という事実を書いてあるだけ。

しかし、その後解説というのがありまして、今回、こういうことが起きたのは、実はこういう意味があるという、少し活字が狭まったような、ぎっしり詰まったようなところの解説を読みまして、ああ、そういうことかねと、全員が納得して、全員が同じ意見を持って、日本の世の中はこういうことなんだよねなんて言って、みんなで安心してしゃべっていた世の中、信じていた世の中なんだが、何かこれもどうももっともらしいそうであるなんて書いてあるけれども、ほんとうにそうであるのかわからんぞと。テレビの解説者がいろいろ言うけれども、どうもおかしいぞと思い始めているのが、今なんです。

(96年7月) top of page

 

諸外国では企業の目的は利益といわれます。ところが日本では利益よりシェアが重要視され、競争そのものが目標のような奇妙な状況に陥ってしまいました。

教育の現場も同じです。一流大学を出て、一流企業に就職する子供を育てることがいつの間にか教育の目標になり、子供たちにスポーツや芸術の才能があっても、まず学科の成績を上げることに親も教師も力を入れてきました。競争そのものが自己目的化してしまったといっていいでしょう。

総理。あなたは施政方針演説の中で「知恵や、知識を身につけるための教育が、いつの日からか、皆が同じように良い学校に入り、いい仕事に就くための手段となり、私たちは、いわゆる『良い子』の形に子供たちをはめようとする親と教師になっていないでしょうか」と深い反省を込めて語り掛けられました。実は教育に限らず、私たちの社会全体が過度な規範に縛られて、自由に発想し、個性豊かに生きる気風を失っていると言わなければなりません。

規範社会は、ひとたび規範から外れた人たちは強い疎外感を与えます。子供たちがナイフを振るったり、覚醒剤に走るのも、高齢者の自殺が増えるのも、こうした過度な規範社会が生み出したものといっていいでしょう。少年少女時代は純粋で最も感性豊かなときです。それに長寿は長い間の人類の夢でした。青少年や高齢者が強い疎外感を抱くようでは真に自由で民主的な社会とはいえません。

(衆議院本会議代表質問、98年2月18日) top of page

 

若干問題点は、英語の能力が悪過ぎる。これが国際化の中で大変な問題で、TOEFL(トーフル)という全世界共通の英語の試験があるんですけれども、160カ国の高校生をテストしたら日本は155番目で、北朝鮮の下位でした。

これで、おそらく世界に伍していこうとするバンカーたちが、そして証券会社の若手たちが、外国に行ったときにネゴできるだろうか。この語学力の問題というのはどうしたらいいんだろうと。私自身も政治家の中ではかなり英語の話せるほうですけれども、しかし今晩、外国人と2時間英語でやらなきゃならんとなると気が重くなります。これって一体何なんだろう。

それはインターネットで直せる世の中になるのだろうかというあたりが、ちょっと一つ心配であります。今小渕さんが文部省に命令して5年以内に日本人の英語力を上げるようにと一言言って何かやるべきときかもしれないし、高校受験の英語テストの方式を変えてTOEFLにするというあたりが、とりあえずの答えなのかなと思ったりしています。

(99年1月) top of page

 

加藤 価値観が違うといっても、勤勉さというのは、アジアではみんな同じなんですかね。

橋田 今、勤勉だなんていったら、日本じゃ笑われますでしょう。  加藤 笑われますか。

橋田 笑われますよ。「あいつ、勤勉だ」っていうのは、ばかだって言われていると同じですよ。もっとずる賢く、手を抜いてうまくやっていくというのが、いまの日本の風潮なんですから。それだけ昔とは違ってきちゃったんです。おしんの時代は勤勉がほんとに花だったんですけど、今、勤勉なんていうのは、ほんと、笑い者になりますよ。利口に、手抜きして、お金をいっぱいもうけるのが一番利口なんですから。

加藤 でも、やっぱり勤勉さというのはまた戻ってくるんじゃないでしょうかね。僕のライフワークはアジア、特に中国なんですけど、その中国ではアーシン(おしん)が大変な人気です。それは台湾、香港でも同じです。やっぱり、アジアで共通しているのは勤勉さなんですね。それは儒教の勤勉さでしょうか。

(橋田寿賀子氏との対談で、94年2月)top of page

 

厳しさというものを訴えて、そして、わかってもらうという政治は英国のサッチャーさんのほうも、だんだんやっているうちに、今度、労働党のブレアにとられていったわけで、フランスのほうも、やっぱりレセフェールで自由主義、規制緩和、競争といった政策をとりすぎたゆえに、最近、社会党のほうに勝利が移っていたということをよく新聞で書かれていますけれども、そういう危ないときが日本にもいつかは来るだろうと思います。

もしかしたら、ほんの近々来てしまうかもしれないけれども、しかし、今は、ぜい肉落としということに必死に努力すると、それはわかってもらえるというときなのではないかと思います。この辺の判断は、国民の意向や世論も日々変わっておりまして、非常に危ない判断でありまして、国会議員たちも、どうも空気が今はまだみんな聞いてくれるとか、どうもヤバくなってきたぞとかいった、選挙区をぐるぐる回り、全国各地で演説をし、演説を聞いている人の拍手の具合とか、同意に満ちた温かいうなずきとか、そんなことを見ながら、本能的に判断しながら進んでいるといった状態です。政治というのは本来そんなものだなと思っておりますし、我々がやっております体感的世論調査作業というのは、いろいろな会社がやる○×世論調査よりもずっと精度の高いものだと思っています。 top of page

 

加藤 でも私は、この世の中をいろいろ変えてみたいと思うときに、欲望とか夢をあきらめてはだめだと思うのです。例えばどうせ20坪前後のマンションにしか住めないんだ、庭つき、プールつきなんていうのはとてもあり得ないんだというふうに決めてしまっています。そうするとどうしても、そういうのをつくろうというエネルギーは出てこないですよね。

橋田 でも、東京でどうやってつくりますか。東京フロンティアですか。でも、あそこも大したことありませんよね。高いビルが建っていますけれども。

加藤 やっぱり、東京にみんな集まってしまって、東京が仕切り過ぎるのが間違いなんでしょうね。

橋田 間違っていると思います。もっと地方に住めばいいんですよ。何もこんなごみごみした東京に住んでいなくて、汽車賃さえ安ければ絶対いけます。もっと東京の周りが開ければ、プールのある家が持てるようになると思うんですけどね。

(橋田壽賀子氏との対談で 94年2月) top of page

 
 



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