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【書 名】◆いま政治は何をすべきか――新世紀日本の設計図――
【著 者】◆加藤紘一
【発行日】◆1999年8月26日
序章 政治の復権をめざして
■連立の条件
日本の政治は、現在の勢力分野から見て、今後少なくとも八年、参議院における自民党の過半数割れが続くだろう。しかし、よく考えてみると、衆議院で過半数を取っているかぎり、首班の指名にも、予算の成立にも、条約の承認にも支障がない。だから私は、衆議院で過半数を持っている自民党は、参議院で数が足りない場合にも、連立ではなく、政策ごとに合意できる政党を求めて法案を成立させる部分連合(パーシャル連合)方式で国会を運営していくのが本来の姿だと思う。
衆議院で過半数を取っているのに、自民党がなおかつ連立しようとすることは、さまざまな問題を起こす。
まず、われわれは、選挙で与えられた数字を尊重しなければならない。前回平成八年の衆議院選挙のとき、自民党が獲得した議席数は、過半数にはるかに及ばない二三九だった。そこで、二期目の幹事長をつとめることになった私は、自民党の議席数を何とか過半数の二五一以上にすることにつとめた。その結果、望みどおり、過半数を占めることはできたが、これが果して党のためによかったかどうかが疑問となってきた。もしかすると、この過半数獲得戦略は、選挙で示された民意をないがしろにしてしまったという点で、間違いだったかもしれないのだ。
というのは、当時は、さ社閣外協力の第二次橋本政権下だったが、自民党が過半数を越えた瞬間から、党内の一部に、あたかも選挙で過半数をえたかのように、単独で過半数を持っているのに、なぜ社民党の土井さんの言うことを聞かなくてはならないのか、という傲慢な声が出てきたからである。また、土井さんの側も、自民党は数が揃っているのだから、私たちはもう要らないでしょうと、こちらの気持ちを確かめるように、ハードルを上げたむずかしい問題を提案するようになってきた。現在、衆議院で二六五議席という過半数を取っているのに、小渕政権で連立を組んだ自由党が、年金の財源論や比例代表の定数削減問題で強い主張を打ち出してきているのも、同じような状況からだろう。
だから、私は、衆議院で過半数を取っていないなら連立することが必要だが、過半数を取っているなら、他党と連立するよりも、参議院のほうを部分連合でやるべきだと思っている。
では、連立する場合は、どういう原則によるべきか。政治にはパワーゲームの一面があり、理屈だけでいかないのは当然だが、連立の組み合わせについては、それなりの筋がなければならない。
自さ社連立にあった筋は、俗に言う「反小沢」だった。私は、政治の手法として、一人のリーダーが強引に物事を決めていくのではなく、少なくとも国会議員の間では話し合って物事を進める方が重要だと考えている。これだけ高い教育水準を持ち、経済発展した国では、一人一人の国民やメディアによる発言・論評などがそれなりの影響力を持つような社会にすべきだろう。そうした声を代弁している国会議員たちの発言があまり意味を持たず、小沢一郎氏という一人の国会議員の言うとおりになるような政治でいいのか、というような反発があって、村山社会党が羽田連立政権を離脱したのが平成六年四月だった。
その後の自さ社政権の成功と新進党の解党という現実を見れば、強権的な政治手法がいいか悪いかといった議論には、ひとまず決着がついたように思う。私には、小沢さんに対して信頼感の点で、まだこだわりが残っているが、それはあくまでも私個人の話である。いずれは、この問題を克服しなければならないだろう。
二つ目の筋は、ハト、タカという安全保障上の選択である。私は、対立軸がハトとタカで決まることには疑問がある。というのは、政権が変わるごとに、憲法や安全保障条約の解釈が変わってしまったら、日本の国際関係は、きわめて不安定になるだろう。したがって、私は、これからの対立軸は国内政治上の「大きな政府」か「小さな政府」かの選択とすべきだと考える。
そしていま、現実にその段階に入ってきたというのが、偽らざる実感である。私は、自自連立をそのように受け止めた。よく「あなたは反小沢だから、自自連立には反対でしょう」などと言う人がいるが、見当違いもはなはだしい。国内政策の基本理念として「小さな政府」をめざすという方向では、私と小沢氏とは同一路線のようだ。
私は、消極的にだが、自自連立は認めた。だが、集団的自衛権を容認せよとか消費税を削減せよとかいう主張までは認めることはできない。自自連立が成立したとき、たしかに政策のすり合わせが行われた。だが、それは下からの積み上げではなく、党首間、あるいは、二、三人の幹部の間の、いわば基礎工事をしないまま行われた政策合意だった。本来なら、もっと時間をかけて政策ごとに部分連合を積み重ねながら到達すべき結論だった。とくに選挙協力というような、きわめて困難なことが党首間で約束されてしまったことは、これからの政治運営に大きな問題を残している。だから、私は、自自連立について、方向は間違ってはいないが、段取りが拙速に過ぎはしないかと言いつづけてきたのだ。
■いわゆる自公について
もう一つの連立、いわゆる自公についてはどうか。平成7年の9月から翌年にかけて、宗教法人法の改正問題が持ち上がった。そのなかの政教分離問題で、池田大作氏の国会招致をめぐって、国民環視のなかで、自民党と新進党・創価学会との激しい攻防が行われた。あれほどまでに熾烈な宗教政党批判を繰り広げたにもかかわらず、自民党がその対象とした公明党と連立するとは、あまりにもご都合主義ではないかという批判があることは当然だろう。
宗教団体が政治に興味を持つこと自体、けしからんとかおかしいとかいうことはない。宗教が平和や福祉に関心を持ち、政治的な発言をしても当然だと思う。したがって、その後、新進党が解党して、新たな公明党が再建されたとき、私は自民党の幹事長としてマスコミの質問に答え、「公明党は、羽田連立内閣に六人もの閣僚を送り込み、新進党政権の中核を担ってきた存在から、平和と福祉に特化した、かつてのような存在に戻った。これからは普通のつき合いができるように思う」と総括している。
新しい自公連立の場合、このへんのことをどう考えるか。閣外協力なら、以前も「自公民」というかたちもあったくらいだから、別に問題はない。しかし、一気に閣内協力までいってしまうのはどういうものだろうか。拙速に過ぎて、結果的に、お互いが傷つくようなことがあっては何にもならない。慎重に事を進めるのがいいように思う。
■数に頼れば官に頼る政治になる
私の経験から言えば、連立政権をつくるときに重要なのは、きわめて基本的な政策については、連立するすべての党がともにテーブルについて討論しながら合意に達することだ。
自さ社連立が始まったとき、マスコミは、これはすぐに壊れると評した。3党で最も対立したのが防衛費だった。8月下旬、翌年度予算の概算要求の数字を決めなければならないときが、一つの試練だった。自民党代表の山崎拓さん、社会党代表の岩垂寿喜男さん、さきがけ代表の小沢鋭仁さんが部屋にこもって煮詰めたけれども、案の定、話し合いは決裂した。政調会長をしていた私のところに報告があって、この問題は、政調会長レベルでまとめてほしいと求められたが、私は突き返した。先の3人は防衛問題の専門家だ。専門家同士なら共通点をプロ同士で確認し合うことができ、合意は可能だ。だが、政調会長や、その上の幹事長、党首と、上にいけばいくほど政治的にならざるをえない。政治的になればなるほど決着がつかなくなるだろう。だから、専門家レベルで、実務者チームの中で何としても結論を出してもらいたいと、私は三人に、改めて頼みこんだ。
それから3日というもの、3人は懸命に議論し、ある数字を決めて部屋から出てきた。そして私に、あなたたちの方が私たちより上級で権限があることを知っているが、われわれがこれだけ死ぬ思いをして決めた数字だから、一銭たりとも動かすことは認められないと、いわば同志愛に満ちた、しかし厳しい発言があった。
それ以来、3党の政策は、できるだけ実務者に結論を出させ、上に持ってこさせないようにして、その討議の過程をすべて報道陣にブリーフィングすることにした。そうした中でも、もうこれでおしまいかと思った一瞬が何回かあった。なかでもいちばん厳しかったのは、消費税の引き上げ問題だった。3党は、それこそ必死になって議論し、妥協し、決着点を求めた。そして、議論の過程をすべて報道陣にオープンにブリーフィングした。役人がつくった案を、与党第一党が多数をもってそのまま通すことを許さないというのが、選挙で国民がわれわれにはめた民意の箍(たが)なのだから、こうやって議論を重ねていくしかなかったのだ。
状況は今でも変わらない。たとえ自自公が圧倒的な多数になっても、もしこの民意の箍を外したら、取り返しのつかない結果になるだろう。衆議院で350という未曾有の議席数を誇って、何でもできるという前提の下に政治を進めたとたん、必ずしっぺ返しがくるだろう。野中広務官房長官と古賀誠国会対策委員長は、3ヵ月苦労して数で安定をと思ったに違いない。私は自さ社で苦労して数でと思った。そして、どっちの場合も、国民が与えてくれた数字とは異なる政権をつくり上げたのだ。
やはり、新しい連立政権をつくる際には、少なくとも内閣総辞職をして、国会で首班指名を受けるべきである。橋本政権下での衆議院議員選挙が終わって、社民党が少数になり閣外協力に転じたときも、社民党には首班指名で橋本龍太郎と書いてもらった。そのために、3党は連日、政策協議をやった。
総辞職した瞬間、支援を決めてくれていた政党が離れたり、自民党内で反乱が起きたりするかもしれない。もしそうなったら、政権は成立しない。どんな連立政権であろうと、連立する政党間で徹底的な政策のすり合わせを行った上で、首班指名を受けてからスタートするのが、連立政権が正統性を獲得する本来の姿ではないだろうか。私が連立をつくるとすれば、こうしたプロセスを考えるだろう。
■政治の復権のチャンス
55年体制では、政権政党とは、官が決めた企画デザインを法案というかたちで現実化するための道具であると位置づけられていた。しかし、つくりあげた法案がうまく機能しなくなってから、人々の間に不満が出るようになった。法案を通過させるだけしか能がない政治家には、不要の烙印がおされるようになった。自民党過半数割れという現象が、衆議院に比べ、より政党本位で投票される参議院から拡大してきたのは、このためである。政治に対する信頼の収縮作用が起きはじめた。自民党は、官僚だけでなく、野党の意見も取り入れるようになった。これが以前言われていた保革伯仲の政治だった。
現在の政治状況は、実は、政治が官にさらに圧倒的な力を振るいうる条件下にある。具体的に言うと、まず、役所がいくら法案をつくってきても、委員会がこれを通さない。委員会の現場の与野党の理事たちが、役人が3ヵ月も半年もかけて徹夜してつくった精緻な条文を、2時間ぐらいで引っ繰り返して書き直してしまう。役人にとっては泣くに泣けない状況だろう。役人は、法案が通るように、野党の意見を聞き、いろいろな審議会で一般国民の意見を聞く。こういう意味で、本当に官僚システムを変えていくには、連立はいい状況だと言える。
自民党のこれまでの政治家は、役所の言ったとおりに法案を通し、役所を支援していくという姿勢で過ごしてきた。そのため、理事会でこうしたことを議論するのは、まことに不得手である。ところが、猛勉強して役人のような細かいことまで議論できる中堅若手の政治家、いわゆる政策新人類が出てきて、自民党の中にある種の変化が起こりはじめた。
小選挙区制度になったことも、大きな変化だ。広い分野の問題を全部一人の議員で扱わなければならない。野党と議論して、官僚の意見との中間のどこに議論を着地させるか、それは簡単な作業ではない。だが、それをやり抜くことで、確実に国会議員のレベルは上がる。
政治が復権するこうしたチャンスを逃してはいけない。350という数に頼った政治は、きっとまた、再び官に頼る政治、官から単なる道具であると見られる政治に後戻りしてしまうだろう。
私の幹事長時代、政治家が党の中にあっても党の枠を越えて議論することがあってもいいではないかと考えて、国会における投票について党議拘束の枠を外したことがある。脳死問題のときだ。中曾根さんは、人間の体は精神と切り離すべきものでないという論に立って反対票を投じた。野中幹事長代理は、私の隣で、迷い抜いて賛成票を投じた。
党議拘束なしで自由に投票してもらうということは、事前に総務会にはかって、最高決定をしてもらったわけだが、そのとき、ある総務がこういうことを言った。「こういうむずかしい問題は党で方針を決めてくれ。なぜ党議拘束なしなどという面倒なことをするのか。これからあらゆる分野で、この調子で考えさせられたらかなわない」と。
小選挙区制では、党の公認候補者は一選挙区一人だけである。したがって、議員になろうとする人は、あらゆる問題について自分自身のちゃんとした意見を持っていなければならない。知識量や理解度に差はあっても、さまざまな分野に関心を持たない人、考えることを放棄した人は、国会議員になってはならないし、なることはできなくなるだろう。
■「小さな政府」とは「役人の数が少ない政府」ではない
この本で私がとくに強調しているのは、「大きな政府」から「小さな政府」への転換だ。役人の数を減らせば「小さな政府」になると、よく言われる。役人の数は一つの基準ではあるが、絶対的な基準ではない。日債銀が虚偽の申告をして公的資金の投入を受けた当時、大蔵省銀行局の人員数はせいぜい二百数十人。その程度の数でも、各個別銀行の経営までコントロールすることができる「大きな政府」だった。その反対に、アメリカでは、各銀行にはそれぞれ自由に営業させながら、自由にする以上ルールを守っているかどうかチェックするということで、膨大な人数の検査員を置いている。このように、役人の数の概念と政府の大小は必ずしも一致しないのが現実なのだ。
私が公的年金制度を守れと主張すると、たとえば小沢自由党党首のように、それでは社会保険庁を上回る役所をつくることになり、「小さな政府」に逆行するのではないかと批判する人がいる。だが、社会保険庁の人員はおよそ二万人弱、人件費コストは1500億円程度。年間約35兆円の年金を支払うための1500億円のコストは、自治体の職員経費を入れても、率にして一パーセント以下であろう。
私が「小さな政府」を掲げるのは、それによって、日本の個人、組織、企業の活力が生き生きするようになると思うからだ。しかし、経済界には、景気が上昇しないのは、政府・自民党が魔法の杖を持っているのに、頭が固くてそれを使わないでいるためだと思い込んでいる人が多い。
私が個別企業の経営者に言いたいのは、今日のような海図のない時代に、大蔵省や通産省が個別企業の経営について、アドバイスやヒントを打ち出せるわけがないということである。私は、企業経営者の多くが、「企業の生命は、常に新たな競争へチャレンジすることにある。政府の景気対策など当てにしていてはならない」と覚悟したときから、本当の日本の景気回復がはじまるのではないかと感じている。
かといって、政治や行政が何もやらなくていいというわけではない。個別経営では絶対にできない問題がある。たとえば、どこの国でも公費でやっている基礎科学研究がそれだ。
アメリカが過去十年で経済の力を回復させる原動力となった二つのテーマ、つまり金融技術と情報技術の世界に目をやると、すぐに気づくのは産学の協力関係だ。ノーベル賞受賞者の利根川進MIT教授は、大学での研究と並行して、バイオ企業の経営に参画している。
こうした産学協力が、日本ではどうしてもうまくいかない。基礎研究をやっている国立大学や国立研究所の人たちが、直接民間の企業に協力できる道をつけていかなければならない。これを本気で進めると、なぜ大学は国立でなければならないかという基本的な疑問に突き当たる。私は、将来、国立大学を独立行政法人として民営化し、できれば、完全民営化に近い非公務員型独立行政法人にしていきたいと考えている。
■需要刺激策一辺倒をやめよ
金融不安の発生以降、日本経済は、きわめて大きい困難に直面した。その困難に対処する多くの人々の答えは、需要刺激策をとれという議論だった。その内容は、日本経済の供給能力は非常に大きいのに、バブル経済崩壊以降、需要が落ち込んで、供給力とバランスが取れなくなっている。所得税の減税と公共事業によって、総需要を喚起すべきであるというものである。
私は、公共事業には、まだ需要刺激効果はあるものの、所得税減税は景気浮揚には効果がない、国民が老後不安と雇用不安を感じているかぎり、ひたすら貯蓄に走り、財布のひもは締めつづけるだろうと言ってきた。
平成九年十二月十五日、橋本首相が訪問先のAPECから帰ってきたとき、私は、自さ社三党で減税問題についての最終協議をしていた。山崎政調会長と私とで、社民党とさきがけに、とても減税などできないと言い続けて、大体そういう方針で文章をまとめていたところだった。ちょうどそのとき、帰国直後の橋本さんから、「二兆円の特別減税をしたい」との電話があった。頭の中が真っ白になったことを、今でも忘れない。翌朝電話したところ、すでに橋本さんは、各方面に特別減税の決心を伝えたあとだった。
山崎さんと私は、辞任を考えた。二兆円の特別減税の声明は、何よりも、三党間の信頼関係をぐらつかせた。しかし、ここで私たちが辞任したら、この経済混乱期に内閣は持たないだろうと考えて、辞任を思い止まった。今でも、あの時の橋本さんの判断と、私たちが辞任を思い止まるという判断が正しかったかどうかを考える。いずれにせよ、改革の途中であのようにブレたことは、われわれが国民の信頼を失い、参議院選挙で敗北した第一の原因だったと思う。
その後、私は山崎さんとともに、橋本後継で小渕さんを支持した。ところが、総裁選の過程で、小渕さんは、所得税、法人税を含めて六兆円の恒久減税という公約を打ち出した。私は、この減税で景気は回復するはずがない、この減税には反対だと何度となく発言した。
橋本さんがやった単発の二兆円の特別減税と、小渕さんの毎年六兆円の恒久減税では、将来への負担の重みが違う。六兆円は、現在の財政においては非常に大きな金額である。それでも、その後に大きな需要喚起効果はあがっていない。その意味で、小渕さんの恒久減税は、日本の将来に大きな禍根を残したのではないかと、いまでも、私は危惧している。
平成十一年一〜三月期の経済成長率を、年率換算で七・九パーセントに押し上げたのは、カンフル剤が効いたからに過ぎない。国民が日本経済の将来に希望を持って、現在の社会に漂っている黄昏ムードや自信喪失状態を克服し、将来に夢を持ったときに、経済は力強さを回復すると私は思う。新しい製品をつくる能力、新しいサービスをつくりあげる動きが次から次へと生まれていく状況をみんなが見て、「動きはじめたな」と思ったときに、経済がよくなるのだと思う。
このような私の議論は、いわゆるサプライサイドの改革であり、それは産業競争力を強めることだという説明が、小渕さんの目に止まったらしい。産業競争力会議が発足することになった。これを評して、加藤のサプライサイド改革政策が、小渕さんに取られたと報道した新聞もあったが、私は、それが、減税や公共事業という需要刺激策一辺倒の経済政策から、技術開発で新しい産業をつくっていくという方向に向かっていくなら、たいへん結構だと思っている。しかし、どうやらまだ、既存大企業の後始末といった視点で考えられているようだ。
第二章 「橋本改革」の挫折
橋本内閣の景気対策については、海外からも「トゥー・リトル、トゥー・レイト」という批判が浴びせられた。実際には橋本さんは、平成九年の秋以来何度か、改革を一時中断して、減税や公共事業の積み増しなどの景気対策に力を入れた方がいいのではないかともらした。そのたびに強く反対したのは、実は私だった。
政府が大胆な改革を打ち出したため、企業は政府に頼れないことにようやく気づき、自助努力で経営を立て直すことに取り組みはじめている。それは、国民を厳しい状況に追い込むことになるが、その過程を抜きにしては、日本経済の再生はありえない。たづなを緩めれば、再び政府に頼る風潮が頭をもたげ、せっかくの改革の努力が水泡に帰してしまう。それでは取り返しがつかないではないか。私はそう考えた。
日本は教育レベルが高く、国民のあいだでは、日本の置かれている状態はもちろん、ポピュリズム(大衆迎合主義)の危険性も広く認識されている。現状と将来を考えたら、野党の「政策」より自民党の政策に信頼を置いてくれるはずだ。だから私は、改革の旗を揺るがさないことこそが大事だと信じていた。
マスコミも最初は橋本内閣の六大改革を支持してくれていた。「改革には痛みがともなう。血を流さなければならないときもある。痛みを恐れず大胆に改革を進めろ」という励ましの論調もあった。
しかし、北海道拓殖銀行、山一證券が倒産し、改革の痛みが現実のものになると、大胆な改革を主張していたマスコミほど声高に、改革を中断しても減税などの景気対策を進めよと主張しはじめた。その声は参議院選挙を前に最高潮に達した。結果として自民党は無惨な敗北を喫した。
橋本内閣の掲げた改革について、「どれも必要だが、戦線を広げ過ぎている」という忠告があったことは承知していた。財政なら財政、金融なら金融というように個別の改革に取り組んだ方がやりやすいことは事実だろう。改革によって既得権益を奪われる人々を少数派にして、世論の力で一つ一つ抵抗を押しつぶしていくというやり方だ。この忠告の裏には、既得権益を守ろうとする人々が「反改革」で結束することを警戒しなければダメだという意味もあったかもしれない。
しかし、橋本内閣が取り組もうとした改革は、戦後システムの単なる手直しではなく、一種の思想革命でもあった。戦後システムを支えてきた原理や発想そのものの転換をめざしていた。だから橋本さんは、「明治維新、戦後改革に次ぐ第三の開国をめざす」と断言していたのだ。そこには、国民にも多くの痛みを求め、その反発を一身に担うという橋本さんの覚悟が滲んでいた。
橋本改革は決して全面的に失敗したわけではない。改革のフロントランナーとして発足した金融ビッグバンは着々と効果を上げ、新たな金融風土づくりが進んでいるし、抜本的な行政改革にも本格的なスタートの号砲が鳴った。
しかし、橋本さんが思い描いたような、国民の心の中にある原理や発想の転換までにはついにいたっていない。改革は現在、中途半端なかたちで進んでいる。結局、国民の中に、どうしても改革が必要だという考えが浸透していなかったためだろう。
考えてみれば、自民党は自分たちの進めようとした改革について、どこまで国民にていねいに説明し、粘り強く説得してきたか。
私自身、改革案をまとめるのに精一杯で、国民を説得するための努力は不十分だった。改革が報道され、国会で議論される姿を見て、国民も改革を理解していると錯覚していた。国民は理解したと思い込みたかった。そして、改革関連の法案づくりとその成立に向けて、ひたすら先を急ごうとしていた。しかし、実際には、政治家の一人一人に、改革推進の先頭に立っているという自覚を持ってもらうことがまず必要だったのだ。
改革を進めるためには、まず自民党内部にきちんとした合意をつくり上げ、党の議員が全国に散って、人々に改革の必要性を訴えて歩く態勢をととのえるべきだ。その点では、自民党幹部としての自分が果たした役割を十分に反省しなければならない。
第三章 阪神淡路大震災の教訓
震災でつぶされた家を掘り起こすのは個人の手に負えない。重い瓦を一枚一枚はがしても、その下には固く組まれ、釘打ちされた木の枠組みが現れる。大型の土木機械によるか、大人数でロープをかけて引っ張るかする以外には取り除くことができない。現に阪神では肉親が瓦礫の下にいるとわかりながら、途方に暮れる人が少なくなかったという。だが、町内会があったところでは、近所の人たちがロープやスコップを持ち寄って、お年寄りの指揮の下に何人もの人々を助け出したと聞いた。
阪神淡路大震災は、地域における助け合いネットワークがいかに大切かを教えてくれた。言いかえれば、地域のことはできるだけ地域で解決するという気風と、それを実現するための組織を持つ必要があるということだ。
地域の問題だけに限らない。当事者が自分たちこそ解決の主体であるという自覚を持たない限り、どんな問題も真の解決には向かわないだろう。問題が起これば、何でもかんでも国や自治体に持ち込むという、これまでの誤った「福祉国家的理念」を、どこかで乗り越えなければ、今日の閉塞状況は決して克服できないのではないだろうか。
第四章 自民党を選択する
戦後の自由民主党の具体的政策展開を振り返ると、必ずしも自由と民主主義の求道者とばかりは言えなかった。「社会党が唱えた政策を四、五年後から自分たちの政策に取り入れればそれでよかった」という当時の自民党所属政治家の言葉に象徴されるように、自民党は、外交・防衛問題を除けば、社会主義的、集団主義的傾向を次第に強めていった。「体制」を守るためには社会主義との妥協もやむなしという受け身の姿勢が見られるが、その敗北主義的な姿勢が、日本を次第に、「社会主義の国」にしてしまった。
たしかに二十世紀の世界を動かした植民地解放、男女の平等化、長時間労働の禁止、少年保護などの運動の過程を振り返ると、自由主義者以外にも社会主義者、共産主義者と言われる人々によって唱えられ、進められていった運動が少なくない。こうした議論の説くところは、資本主義国家は、言論の自由や代議制民主主義という体制の下で、これらの進歩的な理念を一つ一つ実現して、今日の繁栄をもたらしたということだ。この種の議論には、その裏に、「社会主義の理論は正しかったが、社会主義にふさわしい経済システムの開発ができなかっただけだ」という主張が感じられる。
だが、社会主義の行き詰まりがはっきりした今日、私たちは自由と民主主義という理念と社会主義の理念とが、そもそも両立しうるのかどうか、という基本的なところから議論をはじめなければならない。むしろ広い意味での「社会主義」が資本主義に及ぼしたマイナス効果を見直す作業が必要だろう。
ヨーロッパ諸国では、社会民主主義政権も含めて九〇年以降、「戦後」の見直しが進んでいる。社会主義圏に対抗するため、何はともあれ、目先の繁栄を維持しなければならないという呪縛から解放されて、財政再建、規制緩和など、「戦後」の大胆な見直しに手がつけられている。それは「内なる社会主義」の検証と言ってもいいだろう。
自由民主党も、自らの立脚基盤についての総点検からその体質改善を始めなければならない時に来ている。
第六章 福祉国家批判――「大きな政府」の弊害――
『広辞苑』によると、「福祉国家」とは、「完全雇用と社会保障政策によって全国民の最低生活の保障と物的福祉の増大とを図ることを目的とした国家体制」のことである。だが、これは福祉国家を目的論的に説明したものに過ぎない。
「全国民の最低生活の保障と物的福祉の増大」をめざすのは、福祉国家に限らず、国民主権の基礎に立つあらゆる国の共通の夢である。それは「福祉国家」という言葉がなかった十九世紀半ばでも、多くのリーダーたちが理想とした社会の姿だった。
この定義では、「完全雇用と社会保障政策によって」と、雇用と社会保障政策が福祉国家の手段であるかのように述べられているが、福祉国家モデルを掲げてきたヨーロッパ諸国は、今日いずれも一〇パーセントを超す失業者を抱えており、「完全雇用」と「社会保障政策」をどうやって実現するかで日々悩んでいる。したがって、「完全雇用」と「社会保障政策」は福祉国家の手段どころか、目的そのものだと言っていい。
福祉国家は、国民の基本的人権を守ることを基本に置く。私有財産と自由な売買を認めるから、市場原理も働く。中央政府の強い権限で福祉制度や経済運営の進め方をきちんと設計し、累進性の高い税金で、所得、言いかえれば消費の総量の再配分を進める。その意味では、福祉国家は個人の自由と福祉を両立させる見事な理念なのだが、現実はそんなに簡単ではない。もし政府が国民の個々の要求の多くを受け入れ、福祉制度を充実していけば、財政規模は無限に大きくなっていく。
1980年代までの北欧諸国では、手厚い福祉政策が実施される一方、国民は自分たちの労働の成果の60パーセント以上を国家に差し出した。
稼ぎの多くを国家に吸い上げられれば、人々の手元に残る所得はわずかになり、個人の努力で実現できる範囲は限られてくる。国民の夢は、政府への要求という小粒なものとなり、人々が政府に頼る傾向がますます強まる。その結果、国民は国家の干渉を受けずに自分たちの夢を実現する権利があるという、近代民主主義の基本が歪められてしまう。個人が自由に活動するためのセイフティーネット(安全網)に過ぎなかった福祉制度が人々の自由を奪い、人々は、国家の計画と統制に従属しなければ生きていけなくなる。
しかも、福祉国家がめざす「所得格差の是正」は、どうしても「結果の平等」の方向に進む。社会主義国と違って、福祉国家は「機会の平等」をめざすと言うが、この境界を判断することはむずかしい。現実は、誰の目にも明らかな「結果の平等」をめざす方向に流れていく。
宗教や道徳などが人々の意識と行動を規制している国では、社会的規範が人々の欲望をコントロールする機能を持っているのかもしれない。だが、そうした社会的規制がない社会では、欲望は無限に広がり、それにつれて政府に対する要求も無限に大きくなる。
個人ばかりではない。企業も政府の経済計画に左右される状況に置かれるから、景気がいいときは政府の干渉を嫌うが、景気が悪くなると、すぐに政府に財政の出動を要請するようになる。不景気な業界や企業が悲鳴を上げて、政府に景気対策や産業保護政策を求める。
そうした財政出動や保護政策は、業界全体のコスト削減努力を怠らせ、次第に高コスト社会を作り上げる。高コスト社会のツケは回り回って税金にはねかえり、国民の負担の増大となる。すべての人々に充足を与えることを目的とした福祉国家が、国民の不満を再生産するシステムに転じてしまう。増税が進めば、個人の可処分所得はますます減る。人々は政府への依存をいっそう強め、その自由はますます奪われていく。
福祉国家モデルを進めていけば、恩恵を受ける世代や階層と、負担を強いられる世代や階層との矛盾は、どうしても避けられない。国民の連帯をめざした制度なのに、むしろ国民の分裂や対立を生む原因になっていく。
企業にしても、いくら利益を上げても、それが経営者や株主に還元されず、多くを政府に吸い上げられるとすれば、利益を計上するよりも経費として使う方がましだと考える。当然、コスト概念は稀薄になり、国際競争力を失っていく。
次々と押し寄せる国民の要求と負担増の不満という矛盾をかわすため、しばしば使われるのが国債の発行という手段だ。国家財政は税収や税外収入だけで成り立ってきたわけではない。戦争になれば戦費をまかなうために国が借金をするのは、昔からとられてきた手法だ。福祉国家の下では、平時でもしばしば、将来の経済拡大を担保に、巨額の国債が発行される。
現に平成十一年度は八十一兆円の一般会計予算のうち、三八パーセントに当たる三十一兆円を国債でまかなおうとしている。これまで積もりに積もった国債や地方債の発行残高は、十二年三月末には六百兆円を超す。国内総生産(GDP)の一・二倍に相当する。
借金はいずれ清算を迫られる。借金の利払いと元本支払いに充てられる公債費は、平成十一年度の政府予算だけでも約二十兆円近い。これは国家予算のほぼ四分の一に相当する。いまや国は、借金を返すために新たな借金をしている自転車操業の状態だ。しかも来世紀には、九〇年代に発行した国債の償還期限が次々とやってくる。
これ以上の借金財政が許されないことは、民主主義の原理からも明らかだ。民主主義は、自分たちの運命は自分たちで決めることを基本に置いている。他人の運命を勝手に決めてはならないと言いかえてもいいだろう。とくに負担については、政府が最も神経質に扱わなければならない問題だ。ところが国債の発行は、参政権を持たない未成年者や、まだ生まれてこない子供たちの負担を大人たちが決め、自分たちで勝手に使っているということになる。
そのことに目をつぶり、目先の行政需要、人々の要求に振り回されてしまうのが、福祉国家、すなわち大衆民主主義の一つの側面と言える。
福祉国家とは、政府が強力な権限を握って、経済発展、社会福祉政策の計画を立て、遂行するシステムだ。そのためには政府が経済活動、国民生活をきちんと掌握し、綿密な計画を立て、確実に実行することが求められる。一方で、歴史を見ても、中央集権国家は、国内の実態を把握し、計画を徹底させようとすれば、膨大な機構や大勢の公務員を抱え込まざるをえない。それが「大きな政府」だ。
福祉国家は人々を貧困から救った。その一方で、人々の自立性を奪ったことは見逃せない。乱暴な言い方かもしれないが、それは、いつも餌を求めて自由に草原を走り回っていた動物が、餌は保証されるが自由が極端に制約される動物園に移った状態にも似ていると言っていいだろう。たしかに餌の心配がないことは重要だが、組織に縛られることに違和感を感じ始めた人々が柵を揺さぶりはじめたのが、最近の無党派層の投票行動ではないだろうか。だから無党派層は、今日の秩序をつくっているものに対して、何にでも反発する。それでいながら、餌がなくなるのも困るのだ。
人々は時には組織や集団を恨みながら、実際には組織や集団を離れて生きることができない。そのジレンマがニヒリズムを生む。それが福祉国家モデルの最大の問題ではないだろうか。北欧諸国ではお年寄りの自殺者が多いという。日本でも最近老人の自殺者が増えている。テレビでは低俗なお笑い番組が高視聴率を集めている。性は人間関係と関係ない即物的なものになり、商品化がいっそう進んでいる。そこに共通するのはニヒリズムだ。
福祉国家の持っていた「安心」を維持しながら、福祉国家という枠組みを取り外さなければ、このニヒリズムは克服できないし、一段と進んだ豊かさ、自由さも実現できない。そういうところに私たちは逢着していると言っていい。
第七章 NGOとNPO――新しいパワーの出現――
アメリカでは、1980年代にホームレスが急増した。環境や性差別、あるいは麻薬など、解決しなければならない課題も山積していた。ところが、中央政府も州政府も、問題への対応力を落としていた。それなら自分たちの手で解決しようという空気が生まれてくるのも自然な成り行きだったのだろう。NPOやNGOの活動がクローズアップされるようになった。
国家と国家が話し合う場合にも、それまでの経緯や国益が障害になって建設的な議論にならない国際問題などで、NPOがそんなわだかまりを持たずに話し合いできることが明らかになった。
1992年にブラジルで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)では、NGOが終始会議をリードした。その後の国連世界女性会議、国連人間居住会議でも、厳しい義務や負担を渋る各国政府を説得する役割を、NGOが担っている。
ここ数年、各国政府のNGOへの対応が変わってきた。彼らの主張に応えなければ、国際社会で受け身に立たされてしまう、それなら、むしろNGOと積極的に協力しあった方がいい。そういう気運が強まって、日本を含めて各国の政府代表席でも、NGOの顔が目立つようになった。いまや国連の社会開発関係の会議は、NGOの存在を抜きには考えられなくなっている。日本でも国際会議をリードする力のあるNGOを早急に育てなければ、「地球時代」に対応できない。
長期的に見れば、国家や自治体は、その歳入を減らし、行政サービスも抑制することが必要だ。行政サービスの低下を補ってくれる存在としてNPOに活躍してもらうためには、企業や個人の「寄付」に多くを期待しなければならない。それには、自分たちの寄付や会費が世の中のために役立っているという「自己実現」の実感を持たせるシステムを整備するべきだろう。
NPOを政府や自治体などの「公」と、個人や企業など「私」のあいだをつなぐ「共」の存在として位置付けていく以上、NPOは、同人的存在から社会的存在に脱皮して行かなければならない。
江戸時代を例に挙げるまでもなく、日本はもともとNPO大国だった。NGOやNPOは新しい社会的、経済的パワーとされているが、実は日本の伝統的パワーでもあった。明治維新以来の中央集権国家、さらに戦後の何でも行政に任せる福祉国家の下で、こうした草の根の組織、ネットワークがあまりにも無視されすぎた。自立した個人を基礎とした自由民主改革のためには、こうした組織の再評価、再活性化が大きな課題になることは間違いない。
第八章 社会保障を守れ――年金問題を中心に
同じ社会保障でも、二つの性格の異なった分野がある。一つは、身体障害者や難病患者のように、自らの努力では回避できなかった運命を背負った人々に対する政策である。これは、基本的に公助で行われるべきだ。もう一つは、国民一億二千五百万人すべてが病み、かつ老いるというリスクに、いかに対応するかだ。これには、政府が保障する公的保険しかない。数少ない恵まれぬ人々への公的支援と、すべての人々のためのリスク保険。この峻別が重要である。
年金と医療にかかる費用を全額税金でまかなおうとすると、現在でもおよそ六十兆円の税収を必要とする。現実の税収は約五十兆円でしかない。これでは全額をまかなうことは無理であるし、税金というものの本質から言っても筋が違うような気がする。
現在は、大半の人が老い、病む時代である。公的年金制度には七千万人を超える人が加入し、年金を受け取っている高齢者は二千六百万人にも及んでいる。医療保険でも一億二千万人を超える国民全員が何らかの制度に加入している。
このように国民のほぼ全員に関係する年金や医療を保障するには、お互いがそのリスクを分散するために日頃から積み立てるという保険のシステムの方が理にかなっている。そこにある程度の税金を公費負担として投入するにしても、年金と医療については、その水準を維持していくために、それに見合った保険料負担も求めていかなければならない。だから年金と医療という社会保障の分野は、高福祉を確保する以上、高負担の姿とするのが筋である。
所得再配分の機能を発揮する必要があるのは、障害者や母子家庭など、社会的に弱い立場にある人たちに対する福祉の分野であろう。自分たちで自助努力しようとしてもそれが困難な人たちに対しては、当事者の負担をあまり求めず、しかし給付水準は高く、という「高福祉低負担」でなければならない。障害者の人たちの数は三百万人余り、母子家庭は約八十万世帯である。そうした弱い立場にある一部の人たちに対する保障には、主に税金を充てるべきだと考える。日本経済はそれを可能にする力を十分に持っている。
「年金の民営化」という言葉をよく耳にする。公的年金の支出を抑制する最も効果的な手段として注目を浴びている。
具体的には「基礎年金」と「報酬比例部分」とからなる厚生年金を、基礎年金だけにする。公的年金として支給されるのは月六万七千円程度の基礎年金だけとなる。夫婦合わせても月十三万円余り。これだけではとても老後の収入としては足りないので、報酬比例部分に代わるものとして民間が独自の私的な年金を作る。公的年金を民間の年金で肩代わりする。こうすれば国に納めなければならない保険料などの負担は少なくて済むというわけで、経済界を中心に支持する意見が多い。
しかし、民営化して報酬比例部分を廃止したとしても、政府に納める年金の保険料は基礎年金の分だけというわけにはいかない。今の高齢者に対する年金の支払いのための負担は続けていかなければならないからである。わが国の公的年金制度は「今の高齢者の年金を、今の現役世代が受け持つ」という賦課方式によって運営されているために、その分は今後とも現役勤労者や企業が保険料として支払っていかなければならない。
高齢者の年金支払いの分だけではない。今の中年世代も、いや若年世代にしても、これまで数年間、あるいは十年間、二十年間と厚生年金の保険料を納めてきた。その分は老後に年金として受け取る権利がある。それらのすでに約束した年金の支払いも続けていかなければならない。それに必要な資金は現時点ですべての年金を民営化したと仮定すれば、総額で六百兆円にも上る。
それを三十年間で償却しようとしても、サラリーマンや事業主は、今後月収の一〇パーセント以上の保険料負担をしていかなければならない。それに加えて基礎年金の負担もある。さらに独自の企業年金を上乗せするわけだから、その負担もしなければならない。結局、今と同程度の年金額を確保しようとすれば、少なくとも、今後三十年間余りは、民営化してもしなくても年金の保険料負担はほとんど変わらないことになる。
団塊の世代という大きな集団が老後を迎え、さらにその人たちへの年金の支払いがほとんど終了した後には「民営化による保険料負担の減少」は期待できるかもしれないが、「今後十年間、二十年間の年金保険料の負担が重くなっていくのを避ける」という理由で民営化を進めようとするのならば、それは的を射ていない考えと言わざるを得ない。
民営化が企業やサラリーマンにとってメリットが少ないことは明らかだろう。金融機関に手数料を支払わなければならなかったり、物価スライド制がなかったりする点で、公的年金よりもずっと不利である。企業年金は金利水準などの運用環境に大きく左右されてしまう。ところが公的年金は金利の低い状態が続いても、そこに税金を充て、約束したものを確実に支払ってくれる。こうした点からも「民営化すれば有利」と考えるのは短絡的である。
民営化を議論する上で、もう一つ考えておかなければならない重要な点は、中小・零細企業への配慮である。企業年金を採用しているのは、企業全体の一割余り。多くが大企業であり、規模が小さい大半の企業では企業年金を採用したくても、財政面などの理由から採用できないでいる。
結局、公的年金の民営化という考えは、サラリーマンも夫婦で月額十三万円の年金で我慢してほしい、ということであり、それで不十分だと思うならば、あとは自分たちで勝手に補えばいい、ということにほかならない。それで多くの国民が抱く老後の不安を解消できるだろうか。むしろ老後不安をさらに助長するばかりだろう。年金の民営化構想はそのような本質的な問題を含んでいるのである。
民営化した場合、基礎年金の金額をもっと引き上げるべきだという考えもある。基礎年金額を一人月額八万五千円程度、夫婦合わせて月十七万円程度にすれば、基礎年金だけであっても最低限度の保障になるのではないか、というものである。それは一つの検討すべき金額だろう。しかしその際に併せて検討しなければならないのは、基礎年金の財源をどのようにして調達するのかという問題である。
現在の基礎年金の給付水準を支払うだけでも、年間十三兆円余りの財源が必要になっている。その三分の一が税金によってまかなわれ、残りの三分の二に現役世代からの保険料が充てられている。その保険料は九九年度で一人月額一万三千三百円。ところが全国民が加入すべき基礎年金の中で、二千万人近い農家や自営業者の三〇パーセント以上もの人が保険料を納めていないという現実がある。これでは基礎年金制度が近い将来に崩壊してしまうので、基礎年金の財源は保険料ではなく、税金でまかなうべきだという意見がある。それならば滞納といった事態は避けられるからだ。
自民党は、三分の一という現在の国庫負担(税金)を二分の一に引き上げるという方針を決めている。これによって基礎年金の保険料は現在よりも引き下げることができるし、その分滞納者も減少することが期待される。それだけ基礎年金の財政はより安定したものになるだろう。
今後とも現在の価格での月六万七千円、年額ではおよそ八十万円という基礎年金の水準を維持し、その二分の一の四十万円は消費税でまかなっていくとする。そうすれば高齢化がピークに達する二〇二五年には三千三百万人に上る六十五歳以上の高齢者全員に支払うべき税金総額は約十三兆円。消費税では五パーセント程度となる。
基礎年金の金額を月八万五千円程度に増やすとなると、国民の負担の面からはどのようになるのだろうか。全額消費税でまかなうとすれば、それだけで一二・五パーセント程度の税率を必要とする。保険料はいらなくなるので、国民の負担は一方では下がるとはいえ、基礎年金だけのために消費税を一二パーセント以上も必要とするというのでは、現実的に無理があると考えざるを得ない。
先進諸外国の間でも、公的年金の財政負担増回避の観点から民営化をめぐる議論が少なからずあった。その一つであるアメリカでも、クリントン大統領の諮問委員会がここ数年間、公的年金の民営化を検討してきた。しかし大統領は最近になって、国の財政黒字の三分の二近くを今後十五年間にわたって公的年金の財源に充てることとし、民営化を完全に否定する見解を示した。公的年金の財政を固め、それを所得保障の中核に据える方針を明確に打ち出したのだ。
公的年金の民営化の議論が出てきたり、確定拠出型年金の導入の必要性が叫ばれたり、さらには基礎年金の保険料を滞納する人の割合が増えている背景には、公的年金への不信があるのだろう。将来の年金財政は破綻するのではないか。保険料を納めていても戻ってこないのではないか。こうした不安材料が喧伝されていることも手伝って、国民の公的年金に対する不信、不安は年々増大しているように思える。
また政府もそうした危機意識を持ち、それを回避しようと次から次へと給付抑制のための改革を繰り返す。仕組みが目まぐるしく変わり、しかもそのたびに将来の年金額は下がっていくと言われれば、不信が大きくならない方が不思議と言えるかもしれない。
しかし、政府の見通しでも、今の若い人、さらにはこれから生まれてくる子供にも、自分が納める保険料以上のものは年金として戻ってくる。少なくとも納めた保険料が戻ってこないというのは大きな間違いである。
六四年(昭和三十九年)生まれのサラリーマンでは自分が納める保険料は合計二千六百万円。これに同額の事業主が納める分が加わる。これに対して平均寿命まで生きた場合、受け取る年金額は合計五千八百万円である。一方、八四年(昭和五十九年)生まれの人では自分で三千四百万円の保険料を納め、受け取る年金額は五千八百万円なので、事業主負担の分まで含めるとマイナスになるものの、自分が納めた分よりも相当に上回る金額が戻ってくるのだ。
また基礎年金をより魅力のあるものにするために、現在の国民年金基金制度のあり方にも手を加える必要がある。
国民年金基金の金額、つまり基礎年金に上乗せする金額を月三万円、五万円、七万円といったように三段階ほど設けて、そのどれを選択してもいいようにする。そしてその年金額の五分の一、二〇パーセント程度を国が補助する。こうすれば国民年金基金に加入したいという人も増えるのではないだろうか。国民年金基金に入るには土台である基礎年金に加入していなければならないから、滞納者ももっと減るだろう。
農家や自営業など基礎年金だけの人の数はおよそ二千万人。その半数が国民年金基金にも加入し、平均で月五万円の上乗せ年金を選ぶとすると、それに対する国庫補助の総額は一兆二千億円程度である。少なくない金額ではあるが、滞納対策のために数千億円とも言われる徴収経費を使っていることや、全額税方式にすることで消費税を大幅に引き上げなければならないことを考えれば、税金の使い道としてはより建設的であり、国民のためになるだろう。
これまで書いてきた理由によって、私はサラリーマンの厚生年金は、現在の月額二十三万円程度という水準を維持すべきだと考える。もちろん物価スライド制も今後とも堅持するので、今の貨幣価値での二十三万円程度は将来にわたって約束する。
ただ支給開始の年齢は時間をかけて段階的に六十五歳にまで引き上げるのはやむを得ない。六十五歳以上で高い収入を得ているサラリーマンの年金を制限することも当然であろう。そうした支出の削減は行うにしても、年金額そのものは現行維持を貫き、今後とも手直しはしない。それによっていつの時代でも多くの人が、自らの老後の生活設計を確実にできるようにする。そのことは公的年金制度が持つ基本的な役割を果たすことであり、公的年金制度に対する信頼を勝ち得る第一歩である。
年金保険料の負担をそれほど重いものにはせず、しかも年金水準を維持するために、もう一つ必要な施策として「社会保障費用の総合調整」を提案したい。
今でさえ七十兆円近くにも上っている社会保障費用だが、その五二パーセントは年金の支払いであり、三七パーセントは医療費である。介護費用も新たに必要になってくる。そしてそれぞれについて保険料負担を国民にお願いしている。そうした中でこれまでの議論は、ややもすると年金だけの将来財政というように、各制度の枠内で費用を考え、将来の保険料負担の見通しを前提にしてきた。
しかし年金にしても医療にしても、また介護費用にしても、それぞれがまったく別な制度として独り歩きしているのではなく、密接に関連しているのである。
最もわかりやすい例をあげれば、介護態勢を充実させれば、病院を退院して自宅に戻ったり施設に入所できることになり、それだけ医療費は節減できる。介護保険料という新たな負担は求めるものの、医療費の方の保険料負担は減らすことができるのである。
年金についても十分な給付を維持すれば、医者にかかった時の自己負担もまかなえることになり、やはりそれだけ公的な医療費の支払いを減らすことができる。また寝たきりになった高齢者が施設に入った場合、そこでかかる費用は介護保険から支払うと同時に、入所者の年金をその一部に充ててもらえば、介護費用およびそのための保険料負担もふくらまずに済む。
このようにそれぞれの制度で相互に費用や財源をうまく調整すれば、どの制度についても質を落とすことなく、支出を減らすことができるはずである。そうなると各制度で現在見積もられている将来の保険料負担を、もっと低いところで抑えることが可能になるだろう。
第十五章 外交・安全保障
まず明確にしておくべきことは、日本の国家、国民の平和と安全を追求するのは、一義的に、われわれ自身の問題であって、誰か他の人間のためではないという、ごく当たり前のことである。また、「自分の国は自分で守る」という自衛権が、国家国民の権利であることも当然である。憲法がそれを禁じているわけではない。
だが、そのことは、日本が適切な国と同盟関係を結び、危機的な事態が生じたときに、同盟国と共同で対処するということを排除しない。また、同盟関係を結ぶのも、一義的には、われわれ自身がそれに利益があると考えるからである。私たちは他に強制されてアメリカとの同盟を選択しているわけではない。アメリカの側に立っても、同じことが言えるだろう。『ナイ・イニシアティブ』のなかで述べられているとおり、アメリカも日本がアジアにおける重要な国であり、手を結ぶことが利益だと考えているから、日本との同盟関係に入っているのだ。もし有利でないと思ったら、アメリカは、さっさと日本との同盟関係を解消するだろう。
NATO等の例を見るまでもなく、自国の安全保障の重要な部分を同盟関係に依存するのは、多くの国が現に選択している安全保障の政策である。同盟による安全保障体制は、参加国が自国の国益にかなうと判断するからこそ、存在しているのだ。同盟への参加を何か特殊なことのように考えて、引け目を感じたり、一方的に庇護されていると思ったりする必要はまったくない。
いわゆる自主防衛論の論点の一つに、日米同盟に拘束されているため、日本外交の自立性や主体性が失われているという主張がある。たしかに、同盟には、相手の言うことをよく聞かなければならないという面はある。だが、同時に相手にも自分の意見を聞いてもらえるという利点もある。率直に意見を交換すること自体が、政策をバランスの取れたものとする上で役に立つのではないか。
自主防衛論の最大の難点は、日本が自主防衛体制を取ることが、アジア情勢の不安定化を促進する危険があるということである。日本が東アジア情勢の安定化に寄与してきた大きな点として、@平和憲法を守り、専守防衛に徹してきたこと、A核兵器はもちろん、攻撃的兵器も持たなかったこと、B日米安保条約でアメリカ軍のプレゼンスを保ってきたこと等が挙げられるだろう。これらの要因は、いわば有機的に結びついたセットとして、アジア情勢の安定化に大きな役割を果たしていると私は思う。
自主防衛論の主張は、この大切な安定化要因をいっさい取り払えということである。そうなってしまえば、中国や韓国等の周辺諸国が、「日本はその経済力や技術力で核装備をすることも可能」と考えて、強く反発することは間違いないし、アメリカも警戒感を持つだろう。その結果、アジア地域にバランスを欠いた事態が生じ、それが世界全体に波及するおそれすらある。このような危険な道は決して選択すべきではない。
自主防衛論の重要な焦点の一つは、「憲法改正」の問題である。 前もって憲法に関する私の考えを言ってしまえば、私は、現在の日本国憲法を明治憲法のように「不磨の大典」として、永遠に守るべきものとは思っていない。国内外の状況が必要とすれば、憲法に示された手続きを経て、改正すればよいと考える。新憲法施行後半世紀経っており、内外の情勢も変わってきた。首相公選制、均等相続制、私学助成、環境権などの新しい問題も出てきており、改憲は絶対のタブーであるというような考え方は、もはや非現実的だろう。
問題は第九条である。これあるがために、憲法は今日まで、まったく改正の手が加えられずにきた。つまり、改憲論議を始めれば、第九条の改正にまで手が延びるのではないかと恐れる勢力が、国会の三分の一以上を確保して、何としても改憲を防ごうとしてきたのだ。
私自身は、第九条はそれほど制限的なものではなく、その枠のなかでもかなりのことができると考えている。憲法が自衛権を否定し、自衛隊の存在を否定していればともかく、私も含め大多数の国民はそういう解釈をしてはいない。
また、第九条に反対する理由として、「自分の国は自分で守るべきだ」ということを挙げる人がいるが、憲法は、個別的自衛権に制約を加えているわけではない。集団的自衛権については、日本は「持っているが行使できない」と解釈されている。しかし、このことが日本の外交・安保政策にいちじるしい不利益を課しているわけではない。日本がいま、どこかの国と双務的な条約を結ぼうというのであれば、集団的自衛権が行使できないことは障害になるだろうが、いまそのような状況があるわけではない。国連平和活動への参加問題についても、武力行使や武力行使と一体化するものには参加できないが、それ以外の協力には大きく門戸が開かれている。大事なのは、そうした協力をしっかりやることだと思う。
憲法第九条を改正する必要があるとすれば、それはどんな場合か。私の意見を述べておこう。
第一は、国連に平和維持のための常設軍が設置された場合である。このときは、日本もそれに参加して、海外派兵も行わざるを得ないだろう。憲法を改正するか、国会で大多数の承認によって政府の憲法解釈を変更することが必要となる。これはすぐにはありえないというのが専門家の共通した見方だ。
第二は、アメリカが、より強固な対米協力体制を構築するため、日米安保条約の片務性を解消して双務的なものにしてほしいと言ってきた場合である。双務的ということになれば、日本は、兵器も兵員も相当な数を揃えなければならず、そんなことをアメリカが望むはずはない。
第三は、アジア太平洋諸国のあいだで集団安全保障機構を設ける動きが進展し、同地域における紛争処理の手段として、警察兵力を各国が出し合うことで合意ができたような場合である。集団安全保障機構を構築するのは一つの理想だが、早急にそうなる可能性はないだろう。
いずれの可能性も決して大きいとは言えないが、変転目まぐるしいこの世界である。何がいつ起こるかわからない。いろいろな場合、いろいろな時点を想定して、検討しておくことが必要だろう。
ガイドライン関連法は、一九九六年の橋本・クリントン会談で発表された「日米安保共同宣言」を米軍支援法のかたちで法制化したものであり、これによって、「周辺有事」の際に日本が米軍を支援するための法制度上のスキームは、一応整ったと言える。ただし、後方支援活動における船舶検査など、法制化の遅れている部分もあり、なお、早急な合意づくりが必要である。
ガイドライン関連法では、「周辺事態」に具体的にどう対処すべきかは明らかにされているが、肝心の「日本有事」という緊急な状況については、法律上も制度上も十分な手当てがなされているとは言いがたい。自衛隊が現行の平時の法で「日本有事」の際に対処するのは無理であるし、かといって、超法規的に行動するようなことは、法治国家としては許されない。
私は、有事法制の体系としての「緊急事態対処法」を、できるだけ速やかに整備すべきだと考える。
緊急事態対処法のポイントは、おそらく次の二つだろう。
第一に、権利制限の問題である。緊急事態においては、私権の制限、さらには人権の制限が必要となる可能性がある。どこまでそれを許容するのか、制限を課する手続きをどうするのかなどを、平時からしっかりと議論して、有事に混乱しないよう決めておかなければならない。
第二に、シビリアン・コントロールの問題がある。緊急事態対処法の最大の目的は、有事に際しての自衛隊の役割を強化・明確化し、国を守るという責務を誤りなく果たしてもらうところにあるが、自衛隊の行動が政治優位の原則の下に置かれることは言うまでもない。具体的には、政治と軍事の区分と関係を、疑問の余地のないまでにはっきりさせて、シビリアン・コントロールをより確実なものにしなければならない。
いずれにせよ、緊急事態対処法は、個人の権利に関わる部分が多いため、国民の理解と納得が絶対に不可欠である。法律の成立までには、いくつもの難関が予想されるが、それだけに、早くから取り組んで、粘り強く合意形成を進める努力が必要だろう。
私は先に、国連に平和維持のための常設軍が設置された場合は、改憲も視野に入れて、それに参加せざるをえないだろうと言った。だが、国連結成以来五十年以上経っても、いまだに常設軍設置の見通しは立っていない。国連としても、世界の各地で発生する紛争に手をこまぬいているわけにはいかなかった。そこではじめられたのがPKO(国連平和維持活動)である。これは、紛争の再発防止や休戦協定の履行監視、または選挙監視等のため、各国が自発的に提供した要員を国連が編制・派遣するものであり、非武装の監視団や軽武装の平和維持軍(日本ではPKFと俗称)より成っている。
PKO活動の中にはカンボジアのような成功例もあれば、ソマリアのような失敗例もある。最近では、コソボ、東チモール、コンゴ等でもPKO活動がはじまっているが、日本はこれらの活動に対して、より踏み込んだかたちで参加することを求められている。
湾岸危機勃発の翌年、私は宮沢内閣の官房長官だった。この時はPKO協力法は徹夜の牛歩審議のすえに成立したものの、PKFの本体業務を行うことが凍結された。
より踏み込んだ態度決定の第一段階としては、できるだけ早くPKF参加凍結を解除すべきである。これによって、日本の国連平和活動への参加範囲は相当に広がるだろう。
国連安保理事会の決議で権限を付与された多国籍軍への参加については、海外での武力行使は行わないという憲法との関係も十分に考慮に入れた法制度を整備することが必要だ。決定がむずかしいからと言って先送りしていれば、湾岸危機のような重大な問題が発生したとき、日本はまたしても国際社会の非難を浴びることになりかねない。
PKOを含め、国連平和活動にどういう参加・協力をするかについては、「選択的参加」を原則とすべきだと考える。グレナダやパナマにおけるアメリカの行動、コソボにおけるNATOの行動に無批判に賛成する姿勢をとるのではなく、日本とアメリカの国益が違うこともあること、国際社会の利益とアメリカの利益との間に違いがあり得ることをも踏まえつつ、主体的に、ケース・バイ・ケースで判断をしていく必要がある。
私は、アジアにおける多国間安全保障構想に関心を持っている。この構想は、自由貿易圏や関税同盟、あるいは通貨協調など経済協調の実績を積み重ねることによって、集団安全保障機構へと次第にステップアップしていくものだ。
ヨーロッパは、NATOやOSCE(欧州安保協力機構)、WEU(西欧同盟)など、各国が重層的に安全保障に関わる条約や協定を結んでいる。アジアにおいても、現在のARF(ASEAN地域フォーラム)をさらに発展させていくことや、朝鮮半島に関する四ヵ国会合を日本やロシアも参加する会合に発展させていくことなど、安保の重層化を構想してもいいように思う。
しかし、何と言っても、アジアにおいては、中国の今後の動向がその最大のカギになるだろう。中国は十二億の誇り高い国民を擁し、五千年の歴史を有する広大な国家である。辛亥革命による国家統一からすでにほぼ九十年、中華人民共和国の成立からでももはや五十年を経過した。最近では、改革開放政策を採用し、目ざましい成長を遂げつつある。この中国が近未来に、アジアのみならず、世界の政治大国になることは疑いない。
強調したいのは、日本とアメリカが、中国に安保面での対話の門戸を開いて、アジアの平和と安定のために積極的な役割を果たすように呼びかけなければならないことだ。
私はかねてからこの構想を「日米中の三角形」論というかたちで提起してきた。アジア太平洋の安定にとっては、日米中の三国がつねに相互関係を維持していることが大切なのだ。日米が切れてしまった状態での日中関係は、日本が中国に対して弱い立場に置かれるし、中国にとっても意味のないものとなる。また、日中が切れてしまったら、アメリカにとっても日米関係はメリットの薄いものになってしまうだろう。
朝鮮半島の問題は、現在の世界が克服しなければならない最大の難問の一つである。私は、この問題の解決を追求するに当たっても、「日米中三角形」の存在が不可欠であると考える。
中国は、北朝鮮に最も強い影響力を行使できる国であるし、アメリカは、北朝鮮が最も強く対立しながらも、最も強く接触を望んでいる国である。そして、日本は、北朝鮮が最も必要とする経済支援を提供しうる国である。この三者が手を組んで、北朝鮮を国際社会に引っ張りだすことが、いまアジアの周辺諸国が最も必要としていることのように思う。
さらに中長期的に見れば、いつかは朝鮮半島の統一が実現するだろう。それが対等合併型か吸収合併型かによっても状況は異なるだろうが、悪くすれば、核を備えた統一になるおそれもある。そのような場合に、日米中の三ヵ国が中心となった多国間の安全保障協力は有効な対処策になり得るものと考える。
第十六章 「科学技術ルネッサンス・イニシアティブ」のすすめ
戦後世界では、一国の国力が軍事力をもってはかられる時代が長く続いてきた。しかし、冷戦構造崩壊後の世界は、金融によって国の経済が大きく左右される時代に突入した。しかし私は、こうした時代と価値観がいつまでも続くわけではないと考えている。
日本から経済援助を受けているアジア諸国は、まだ技術よりもマネーに重点を置いた援助を求めているが、日韓援助のあり方をみると、韓国は経済援助よりも技術援助をより重視するようになっている。十年先、二十年先を考えれば、アジアの指導的国家は、技術援助で国際貢献が求められる時代になる可能性が強い。そのとき、技術蓄積がないとすれば、日本はただの平凡な国になってしまうだろう。日本のすぐれた人的資源、他に類のない伝統的な技術や技能、世界第二位の経済国家などという立場を考えれば、これからは世界的に水準の高い先導的な科学技術研究を推進し、知的文化を築きあげながら知的資産の蓄積で世界に貢献することが求められよう。
日本が二十一世紀に世界に貢献できるテーマは、これまで蓄積してきた科学技術の基盤の上に立った知的資産の積み重ねであり、日本がこれから進むべきは「科学技術創造立国」以外に考えられない。
二〇〇一年一月一日から、政府行政機構は現行の一府二十一省庁から一府十二省庁へと再編される。行政改革の出発である。この機会こそ、わが国の科学技術行政の大胆な見直しと組織の再構築を実現するまたとないチャンスである。
私はここに、わが国の知的資産を集積する「科学技術ルネッサンス・イニシアティブ」の構築を提唱する。
このねらいは、多岐にわたる科学技術行政を一元的、総合的に俯瞰しながら、国際的な状況を把握した国家戦略の下に、効率のいい科学技術研究計画と研究投資を打ち出し、それを強力に推進する司令塔をつくることである。同時に、わが国の科学技術のさまざまな研究の積極的展開と世界への貢献をはかり、その成果を産業振興にも結びつけるために、できるだけ現場の研究者がやりやすいように、国の制度を作り上げることを目的とする。
これを達成するため、四つの大きな柱からなる次のようなヴィジョンを示したい。
まず第一に、内閣府に科学技術首相補佐官のポストを新設し、省ごとに縦割りになっている科学技術政策を総合科学技術会議の下に一元的に統括し、政策推進の司令塔として明確に位置づけることである。
第二に、研究基盤の二大リソースである国公立大学と国立試験研究機関(国研)を大改革し、独立行政法人化へのプログラムを推進しながら、大学の改革、研究現場の改革を進め、日本をアジア太平洋の研究拠点とするために、外国人研究者の積極的受け入れを政府主導で推進することである。
また、国立試験研究機関の独立行政法人化に伴い、これと結びついている省庁のヒモをすべて断ち切り、機能を強化する大胆な再編成を行うことである。
第三に、特許重視のプロパテント政策をさらに推進するための基盤整備として、知的財産権庁と特許裁判所を創設することである。
第四に、科学技術の発達とともに提起されている倫理問題と科学技術の負の面に対して配慮することである。日本が世界に貢献する科学技術創造立国を推進するために必要な意識改革である。
第十七章 日本のアイデンティティー
「環境問題」は人類という種の存亡をかけた課題であるとも言われる。未来から、この重い課題を未解決のまま子孫に引き渡していいのかという問いを投げかけられている私たちは、困難の前に立ちすくむよりも、これを可能性にあふれるフロンティアとして受け止めなければならない。少なくとも今後半世紀のあいだに、日本を、「自然との共生」という、世界で最も公害防止と環境浄化が進んだ国家とすることをめざさなければならない。
その目標が高過ぎて到達できないと考える人々には、いまから半世紀前、私たちの先達が、日本を、欧米先進国と肩を並べる近代民主主義国家とすることをめざしたことを想起してほしい。当時の日本にとって、欧米先進諸国は眩しいほどの高みにある国々だったのだ。新しい目標の達成を可能にするだけの資金も技術も人材も、さらには情報も、現在の私たちには揃っている。必要なのは、実現しようという政府の意志と、国民の積極的な参加である。
もしこの運動を妨げる要素があるとすれば、環境対策は産業の競争力を低下させるという一部の主張だろう。環境問題をめぐる多くの内外の会議でも、そうした意見がしばしば繰り返されてきた。
思い出してもらいたいのは、石油危機当時の経験である。週刊誌などが世界の終わりが来るかのように書き立てたあのとき、製品の値上げで事態を乗り切ろうと、企業がマイナスの対応に終始していた当初は、解決の曙光は射さなかった。本格的な省資源・省エネルギー技術の開発に着手され、その効果が次第に見えはじめ、長期的にはその方が採算的にも有利だとわかったとき、危機は潮が引くように去ったのだ。
このとき日本の技術開発力が大きく物を言ったことは、世界の多くの人々が記憶している。私は、この技術開発の源泉は、日本人のアイデンティティーの根幹をなしている日本の歴史や思想、伝統や文化に支えられた日本人の知的創造力にあると考える。それは二十一世紀の世界にとって重要な意義を持つものであり、これを世界に役立てるようつとめなければならない。
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